- その目は何も語らない -

「オイラのチームの様子を知りたいって? う〜ん、例えルリパイセンでも、タダで情報提供するわけにはいかないんだよね」

 このHELIOSでグレイと偽りの『初めまして』を交わした翌日。彼も漸く念願叶ってトライアウトに合格したというのに、よりによってアッシュがメンターに付くなんて……アカデミー時代での出来事が再び繰り返されるのは、考えるまでもない。
 頼りになるのは、もう一人のメンターであるジェイ・キッドマン。ただ、つい昨日グレイに避けられているという話を聞いたばかりだ。そうなると、頼れそうなのは残る一人――グレイと同じルーキーであり、ルームメイトでもあるビリー・ワイズ。彼しかいなかった。
 偶然タワー内で見掛けて、善は急げとばかりに捕まえたは良いものの、全く以て事は上手く運ばなかった。

「情報提供って……ただ上手くやってるのか聞きたいだけなんだけど」
「ルリパイセンがオイラたちのチームを気に掛ける必要ってある?」
「そ、それは……」

 まさかグレイの事が気掛かりで、なんて言えるわけがない。私とグレイはアカデミー時代は同級生だったけれど、交流は一度もなく、ただ私が一方的に彼を気に掛けていただけだけに過ぎない。だからこそ、このHELIOSで再会した際、敢えて初めて会ったような態度を取る事にしたのだ。
 ここで理由を告げてしまっては、全ての辻褄が合わなくなる。
 言葉に詰まって、もうこの話は切り上げようと決めた。ただ、ひとつ妙な事がある。

「っていうか。ビリーくん、どうして私のこと知ってるの?」

 私がビリー・ワイズの事を知っているのは当然だ。三年に一度、HELIOSに入所するルーキーは代々的に発表される。ゆえに、興味がなければ顔と名前が一致しない事もあるだろうけれど、逆に顔と名前を知っていても何もおかしくはない。
 ただ、ビリーが私の存在を知っているのは不可解だ。つい数日前に入所したルーキーが、今現在HELIOSに所属しているヒーローの名前を全て覚えるなんて、余程のマニアでも困難なんじゃないだろうか。
 特に、私のように目立たない存在であれば、知っている人を探す方が難しいと断言出来る。

「もっちろん! 俺っちは情報屋だから、第11期生『淡雪ルリ』の事も当然抑えてるヨ」
「情報屋? ……まあ、私の事を知っても何も得しないと思うけど」
「へえ、ルリパイセンもネガティブマインド? なんだかグレイみたいだネ〜」

 まさかピンポイントで彼の名前を出されると思っていなくて、無意識に驚きが顔に出てしまったみたいだ。ビリーはゴーグルの奥の瞳を瞬かせれば、興味深そうに口角を上げた。

「知りたいのはチームの様子じゃなくて、グレイの様子?」
「う……ええと、その……違う! アッシュが色々と難ありな性格してるから……ルーキー二人とも大丈夫かなって……」
「知りたいなら、それなりの対価を頂かないとネ〜?」

 ビリーはそう言うと右手の親指と人差し指で輪っかを作った。要するに金銭を要求するという意味だ。てっきり、せいぜい珈琲一杯分ぐらいだろうと思いきや――

「いくら?」

 私の問いに、ビリーはすぐ傍まで歩み寄れば、耳元でとんでもない額を囁いた。

「は!? なんで!?」
「初対面の相手にあっさり提供出来るほど、俺っちの情報は安くないってコト」
「も〜……いいよ、金銭で人の動向を探るのもどうかと思うし」
「『人』? やっぱりルリパイセン、グレイの事が気になるんだ〜」

 しまった。完全にこちらの心を見透かされている。ビリーは実に人の良い笑みを浮かべているけれど、それが本心なのかは分からない。心の底では何を考えているか分からないような、作られた笑みだ。
 と、そんな事は今この瞬間は気にする事じゃない。

「いや! 違うって、ビリーくんの事も心配してる!」
「酷いっ! グレイの事ばっかり気に掛けて、ボクちんの事なんかどうでもいいんだね!?」
「……ビリーくん、私で遊んでるでしょ」

 わざとらしい泣き真似をするビリーについ溜息を零してしまった。ルーキーに茶化されている事に情けないというか馬鹿らしくなって、最早どうでもいいと思ったらだいぶ冷静になれた。焼け石に水だとは思うけれど、一応辻褄の合う説明はしておかなくては。

「グレイが心配っていうか、ルーキーが誰であっても心配するよ。なにせメンターがあのアッシュじゃ……」
「ああ? 俺が何だって?」

 突然、本来ここにいない筈の人物の声がした。今まさに私が名前を口にしたメンター――アッシュ・オルブライトの声に相違ない。運悪く、偶々ここを通り掛かったのだろう。
 といっても、別に陰口を叩いていたわけではない。事実なのだから堂々としていれば良い。私は声のした方へ顔を向け、ビリーを守るように立ち位置を変えた。

「お疲れ様。アッシュがルーキーいじめしてないか心配してるだけ」
「テメェに何の関係があるんだよ。他人を気にしてる暇があったら、少しでもサブスタンスの回収に専念しろよ」
「…………はい」

 あまりにも正論すぎる言葉に、私はただただ苦い顔で頷くしかなかった。けれど、素直に振る舞ったところで、アッシュの腹の虫は収まらなかったようだ。

「ルリ、良い機会だから言わせてもらうがよ。負けん気の強かったアカデミーの頃のテメェは何処に行ったんだ?」

 まさかアカデミー時代の話を切り出されるなんて。当時の私は、自分は強くて才能がある、だから私を苛めている連中は嫉妬だ、なんて思い込んで粋がっていた。若気の至りというヤツだ。
 運良くトライアウトにストレートで合格したは良いものの、その後のヒーローとしての生活は輝かしいものではなかった。『なかった』と言っても正しくは過去形ではなく、現在進行形だ。

「波風立てないよう周りに遠慮してんだか知らねぇけどよ、市民サービスもしないで任務が終わればとっととタワーに帰るわ、本気出せば昇格試験なんてあっさり受かるだろうに、ずるずるとAAランクに留まるわ……何か意図があって、わざと無能を演じてんのか?」
「そんなわけないでしょ、これが私の実力」
「んな訳ねぇだろ、俺と一緒にトライアウトに受かっといてよ」

 今日のアッシュはいつにも増して機嫌が悪い。一体どうしたものかと思いつつ、とりあえずビリーを巻き込んではならないと、振り返って彼の姿を捉えた。

「ビリーくん、引き留めてごめんね。いいよ、行って」
「え〜? 先にルリパイセンと話してたのは俺っちだし、アッシュパイセンが強引に割り込んで来たせいでまだ話終わってないよね?」
「ちょっ、余計な事言わないの」

 なんでこの子は、アッシュの機嫌を余計に損ねる事を平然と言ってのけるのか。唖然としつつ窘めたけれど、言ってしまったものはもう取り返しが付かない。

「テメェ、俺に喧嘩売ってんのか?」
「喧嘩も何も、ルリパイセンの方から俺っちに話し掛けて来たんだよ。まだ話が終わってないのに『行っていいよ』なんて、身勝手が過ぎるよね」
「待って!? 金銭のやり取りは出来ないから、もう交渉決裂で話は終わりじゃないの!?」

 そのまま去る、というか逃げてくれれば良かったものの、本当にどうしてビリーは敢えてアッシュを怒らせるような事を言うのだろう。まさか、こんなやりとりが日常なのだろうか。まだ何日も経っていないのに、ここまでチームが険悪な状態だなんて。

「ビリー……テメェ、ルリに金たかったのかよ。最低だな。その腐った根性を俺様が叩き直してやる」
「たかったんじゃなくて交渉! ルリパイセンの言う事を信じてよ。人を最低だと罵る前に、信用に値する人の言葉には耳を傾けた方がいいと思うヨ」

 事態は悪化する一方だ。せめて誰かが仲介に入って欲しい……そんな望み薄な期待を抱きつつ周囲を見回した瞬間、視界に入ったのは――今一番出くわしたくない相手だった。

 グレイ・リヴァースが離れた場所で、怯えた様子でこちらの様子を窺っている。
 まずい。こんな状態でグレイを巻き込んだら、ますます大変な事になる。
『ここから逃げて』『私たちは大丈夫』と声に出さずに伝えるには、どうしたら良いだろうか。とりあえず笑顔で手を振れば、なんとなく察してくれるかも知れない。

 私はなんとか笑みを作って、グレイに向かって片手を振ってみせた。頬の筋肉が硬直して、明らかに引き攣っているのが自分でも分かる。まあ、グレイはそこまで見ていないと思うけど。
 お願い、ここから離れて――私の願いは残念ながら届かなかった。
 グレイは暫く黙ってこちらを見ていたものの、突然意を決したように頷けば、こちらに向かって走り出し、私の前で立ち止まり、背を向けた。
 まるで、私を庇うように。

「ああ? ギーク、そいつは何の真似だ?」

 案の定、アッシュはグレイが現れた瞬間、獲物を見つけたかの様に獰猛な眼差しを向ける。
 この時点で私はビリーに訊ねるまでもなく、アカデミーの頃と全く同じ事が起こっているのは間違いないのだと察した。これではジェイが私に相談を持ち掛けるのも、当たり前の話だ。

 けれど、予想もしない事が起こった。
 アッシュに睨まれたグレイは恐怖で震えながらも、私に向かって小さく呟いたのだ。

「……逃げて……!」
「え?」

 いや、寧ろ私はグレイに逃げて欲しいのだけれど、と言いたいものの、今この状況でどうするのが最適解なのか、まるで頭が働かず何も言えなかった。

「おおっ、カッコイイよグレイ! ほら、ルリパイセン逃げないと!」
「えっ? ええ……」

 突如、ビリーがグレイに向かって黄色い声を上げれば、次いで私に向かってひらひらと手を振った。逃げろ、というか完全に事態が拗れてしまっているので、それこそ『もう行っていいよ』という意味だろう。
 心苦しく思いながらも、ここはグレイの勇気とビリーの気遣いに従う事にした。

「ありがと! お礼に今度何か奢るから!」
「ええ〜、ルリパイセンって金銭のやり取りはNGじゃなかったの〜?」

 不満げなビリーの声を無視し、私は駆け足でその場を後にした。
 その場のノリで「奢る」なんて言ったものの、よくよく考えてみればアッシュを怒らせる原因を作ったのは私だ。二人には本当に何かしらの埋め合わせをしなくては。奢ると言っても、それこそ金銭で解決するような事ではないような気もするし、だからといって他に何が出来るかも思い浮かばなかった。

 自分の要領の悪さや器量の乏しさを改めて実感し、落ち込んでも何の解決にもならないと分かってはいても、せめてビリーとグレイの二人には優しく接しよう――そんな当たり前の事を密かに決意するぐらいしか出来なかった。

2020/11/06
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