- 演じることを良しとして -

 13期生の入所式――グレイ・リヴァースがHELIOSに入所して三日目の夜。新しい風が舞い込んで来たと言っても、ヒーローになって六年が経ち、メンターに選ばれたわけでもない私は、いつもと変わらない日々を送っていた。この日もパトロールを終えてタワーへと帰還し、何の変哲もない夜を過ごすはずだった。
 けれど、六年ぶりにグレイの存在を認識した事で、既に私の日常は無意識に変化していた。

「――あ、ジェイさん! お疲れ様です!」

 共有スペースへ向かった私の視界に飛び込んで来たのは、メジャーヒーローとして名高いジェイ・キッドマンの姿だった。PCに向かって難しい顔をしていたから、忙しいのだと思って挨拶だけに留めておこうとしたのだけれど、私に気付いて顔を上げた彼は、「いいところに来た」とでも言いたげに表情を明るくさせていた。

「ルリ、ちょうど良かった。今時間はあるか?」
「え? はい、ありますけど」
「ちょっとオジサンの悩み相談に付き合ってくれないか?」
「ジェイさんが私に? 構いませんけど、お力になれるかは……」
「いや、寧ろ君にしか話せない事というか……」

 苦笑いを浮かべながら懇願するような目で見つめられて、受け容れざるを得なかった。というか、メジャーヒーローたる彼が私にしか話せない事なんて、一体何なのか。彼ならば交友関係も広いし、リリー教官やブラッド・ビームス、それに今回メンターに就任したキース・マックスと仲が良いのは割と知られている。それがどうして私のようなAAクラスのヒーローの一人に過ぎない存在に……と思った瞬間、彼がメンターとして面倒を見る事になったチームの面子が脳裏に浮かんで全て納得がいった。

 ジェイ・キッドマンと共にメンターを務めるのはアッシュ・オルブライト――私の同期であり、共にストレートでトライアウトに合格したという妙な因縁のある男だ。と言っても、アカデミー時代はまるで交流はなく、共にこのHELIOSに入所してから偶に絡まれるようになったというだけで、男女の仲どころか友達と称するのも微妙な関係だ。
 そんな距離感であっても、アッシュの悪名はどこにいたって聞こえてくる。
 アカデミー時代も今もとにかく素行が悪く、気に食わない相手を力でねじ伏せ、メンター潰しとして名を馳せているほどだ。そんなアッシュが今回メンターに就任ともなれば、一緒のチームになったメンバーの胸中を思うと同情せざるを得ない。

 そこまで考えて、少しばかり嫌な予感がした。彼らのチームにはグレイ・リヴァースがルーキーとして所属している。まさか、早くも何かトラブルがあったのではないか。
 すっかり忘却の彼方にあったアカデミー時代の記憶が蘇り、また同じことを繰り返してしまうのかと、まだジェイから何も話を聞いていないというのに、不安な気持ちに襲われてしまっていた。





「ルリ。君は確かアッシュと同期だったな?」
「あ、やっぱり……」
「ん?」
「いえ、こちらの話です。仰る通り、アッシュとは妙に縁がありますけど……早速何かやらかしたんですか?」

 畏れ多くもジェイに奢って貰った珈琲を対価として、悩み相談が始まったのだけれど、私から切り出すと案の定その通りだった。何も言わずとも、私の言葉にジェイは大きな溜息を吐いたのだから自ずと分かる。

「私にアッシュをどうにかしてくれって言うのは無理ですよ? それが出来れば、これまでアッシュに付いたメンターが続々潰される事態にはなってませんから」
「ああ、勿論君にそこまでは求めない。問題はグレイ・リヴァースの方だ」

 その名前を聞いた瞬間、珈琲が注がれた紙コップを落としそうになった。一瞬にして頭が真っ白になり、何も言えずにいる私に、ジェイは神妙な面持ちで言葉を続ける。

「アカデミー時代に、アッシュとグレイの間で何があったのか教えてくれないか?」
「……どうして、私に聞くんですか?」
「アッシュと同期なら、当然グレイとも同期で面識があるだろう。分かる範囲で構わない。六年以上前ともなれば、記憶から薄れているかも知れないが……」

 別に疲れてなどいないというのに、本当に眩暈がした。ジェイがここまで追及するなんて、アッシュは一体何をやらかしたのか。最早考えるまでもない――グレイに対してアカデミー時代と同じような事をしたのだろう。
 ただ、これは私が勝手に他人に話すような事ではない。

「私ではなく、グレイに直接聞けば良い話では?」
「いや、それが……研修初日にきつい事を言ってしまって、早速避けられてしまってな……」
「そうなんですか。だからといって私に聞かれても困ります」
「何か言えない事情があるのか?」

 ジェイは食い下がる様子はなく、真実を話さないと開放して貰えないかも知れない。だからといって、私も易々と言うわけにはいかない。何故なら、

「プライバシーに関わる事なので、赤の他人の私が勝手に話すのはどうかと思うんです」
「……君のその言い回しで色々あった事は察したよ。すまないな、急に根掘り葉掘り聞くような真似をして」
「いえ……お力になれず申し訳ありません」

 意外にも追及される事はなくてほっとしたけれど、肝心の悩み相談にはまるでなっていなくて、かえって申し訳ない気持ちになってしまった。私がそう感じる必要はないとは思うのだけれど、ただでさえヒーローとして結果を出せていない状況だけに、人の悩みを解決する事すら出来ないのでは、メンターに就任する事すら夢のまた夢だ。
 落ち込んでいるのが顔に出ていたのか、ジェイは慰めるように私の肩を軽く叩いた。

「いや、力になれていないなんて事はないぞ。グレイにルリのような信頼できる友人がいると分かっただけでも大収穫だ」
「……はい?」
「これからグレイの支えになって貰えると有り難い。チームメンバーではないからこそ、話せる悩みもあるだろうしな」
「あ、あの」

 何故かとんでもない勘違いをされていて、しかも話が勝手に進んでいてさすがに狼狽えた。友人どころか向こうは私の存在など知らないに決まっている。それに、早くもここでアッシュと何かしらあったのなら、アカデミー時代の記憶など抹消したいに決まっている。私がグレイに干渉するのは絶対に良くない。

「ジェイさん、待ってください! 私、グレイとは――」
「おっ、噂をすればだな」

 絶対に起こって欲しくなかった最悪の事態に、一気に血の気が引いた。ジェイが顔を向けた方へ私も倣うと、少し離れた場所からこちらへと顔を向けている人物――グレイ・リヴァースの姿があった。
 グレイは私と目が合わせた瞬間、気まずそうに顔を背けて、逃げるように逆方向へと歩を進めた。
 きっと私たちが話しているのを邪魔してはいけないと気を遣ったのだと思う。けれど、そんな態度を取られたら、過去に何かあったのだと変に誤解されてしまうかも知れない。実際、私とグレイは何もなかったというのに。
 苦しんでいたグレイに手を差し伸べる事すら出来なかった――しなかったのだから、私とグレイは本当に赤の他人でしかないのだ。

 だったら、今出来る最適解の行動を取るまでだ。もう二度と、後悔する事のないように。
 まだ飲み干していない珈琲をテーブルに放置して、私は何も考えず走ってグレイの元へ駆け寄れば、強引に手を掴んだ。

「――待って!」

 瞬間、肩を震わせて恐る恐る振り返ったグレイは、酷く怯えた表情を浮かべていた。違う、私は決してあなたを傷付けたいわけじゃない。そう叫びたい気持ちを抑えて、私は精一杯の愛想の良い笑みを作ってみせた。

「ねえ、私のこと覚えてる?」
「……え?」
「覚えてるわけないよね、六年以上も前の事なんて」
「あ……えっと……」

 グレイは明らかに戸惑って言葉に困っている様子だ。これでいい。こちらが会話の主導権を握って、一番彼が傷付かない方向へ話を進めれば良い。

「今ね、ジェイさんから聞いたんだ。あなたと私がアカデミーで同期だったんじゃないかって」

 ジェイの方へ視線を移してそう言うと、グレイは小さく悲鳴を上げた……ように聞こえた。やっぱり過去を知っている人間がいるという事実は、グレイにとって耐え難い事だと思う。だから、それを私が『無かった事』にしてしまえば良い。
 私は再びグレイへと視線を戻して、何食わぬ顔で嘘を吐いた。

「でも、私あなたの事覚えてなくて……ごめんなさい」
「え!? い、いいよ……僕の事なんか知らなくて当然だし……」
「本当にごめんね。まあ、とりあえずお互い初めましてって事で……」

 グレイは困惑しつつも、どこか安堵したように見えなくもない。少なくとも怯えた様子はなくなったから、これで良かった。本当は、私はあなたの事を一方的に想っていたけれど、そんな身勝手な感情は一生自分だけの秘密にしておくと決めている。
 私とグレイはアカデミー時代はお互いの存在を認識しておらず、今この瞬間、初めて会話を交わした。これでいい。というか後者は事実だし。嘘と真実を上手く組み合わせれば、いずれは全てが真実になる。そうするのが一番良い。

「という訳で、初めまして。私は淡雪ルリ」
「あ……初めまして、でいいのかな……えっと……」
「グレイの事はさっきジェイさんから少し聞いたから。あまり関わる事はないかも知れないけど、これからよろしくね」
「う、うん……よろしくお願いします……」
「敬語じゃなくていいよ、同い年だし」

 この辺で開放した方が良いだろう。グレイは偶然出くわしたのであって、ジェイに用事があるわけではないだろうし。『避けられている』なんていうぐらいだし、寧ろ早々にこの場を立ち去りたいと思っているんじゃないだろうか。
 私は掴んでいたグレイの手を開放して、口角を上げて片手を振った。

「ごめんね、引き留めて。色々大変だと思うけど頑張ってね、愚痴ぐらいならいくらでも聞くから」
「あ……ありがとう……」

 グレイはぎこちなく頷けば、足早にこの場を後にした。その背が見えなくなるまで見遣った後、ジェイの元に戻ると、何とも微妙な表情を浮かべられてしまった。

「……ルリに演技の才能があったとはな。これは驚いた」
「からかわないでくださいよ。多分、こうするのが一番良かったと思うので」
「本当にいいのか? 積もる話もあるかも知れないだろう」
「ないですよ、そんなの。私が一方的にグレイを気に掛けていただけで、実際は会話した事すらないんです。想うだけで何も行動に移せなくて……そんな私なんかに構われても、向こうも嫌でしょうし」
「そんな事はないと思うぞ? まあ、ルリに考えがあるなら余計な口出しはしないが……」

 テーブルに置きっぱなしにしていた珈琲に口を付けると、すっかり冷めてしまっていた。
 私が本当にヒーローになろうと決意したのは、想うだけで何も出来ない自分が情けなくて、そんな無力な自分から脱却したかったからだ。けれど、その時に行動に移せないような弱い心では、ヒーローになったところで全てが中途半端だった。他の皆はヒーローになった後どうするか、しっかりと見据えていたにも関わらず、私はヒーローになる事がゴールだったのだと、トライアウトに合格してから気付いたのだ。
 何もかもが手遅れだ。冷え切った珈琲を飲み干して、改めて後悔の念に駆られる私に、ジェイは思いがけない事を口にした。

「ただ、オジサンのお節介ではあるんだが、これだけは言わせてくれ。『私なんか』なんて言わず、グレイと仲良くやって欲しい」
「それは……向こうの意思もありますし……」
「どうしてそう距離を置こうとするのか分からんが、少なくともグレイは嫌がっているようには見えなかったぞ?」
「だといいんですが……グレイさえ良ければ、友人になれたら……私としても嬉しいです」

 それが贖罪になるのなら――と心の中だけで呟いた。
 私の言葉にジェイは満足そうに頷いてくれて、悩み相談の力にはまるでなれなかったものの、少しは力になれたと思う事にした。

 それからというもの、タワー内やパトロール中にグレイの姿を見掛ければ声を掛けるようになった。深い付き合いとは全く言えず、向こうは迷惑がっていないかと思いはするものの、彼と少しでも話せるだけで不思議と嬉しくて、奇しくも私にとっては単調な日々にささやかな幸せが舞い込むようになったのだった。

2020/10/25
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