- 君の夜明け僕の斜陽 -

 己の今後については、再度トライアウトのような場を設け、そこで結果を出せれば引き続きヒーローを続ける事を許可する――というのが上層部の決めた結論だった。
 トライアウトの場は、次回行われるLOM。
 今しなければならない事は、何も出来なかった前回のLOMを繰り返さないよう、しっかりヒーローとして立ち回れるようになる事だ。
 己がトライアウトに合格したのは、もう一人の人格『ジェット』の戦闘能力によるものだった。メンターのジェイ・キッドマンが言うには、次回のLOM――再トライアウトでジェットを上手く扱えば、合格出来るだろう、という事だった。処分はドーピングに対してであり、『もう一人の人格』に代わって戦う事は何のペナルティもないので、理に適ってはいる。

 ただ、現在進行形で問題が発生していた。あの日以来ジェットは、いくら声を掛けても反応せず、人格交代どころか会話も一切出来ていない状態だった。
 と言っても、存在自体が消滅したというわけではなく、なんとなく、自分の中に『いる』事は感覚で分かっている。
 どうすればジェットが出て来るのか、皆とトレーニングを重ねながら色々と試行錯誤してみたけれど、自分の意志で対話する事は叶わなかった。

『自分の意志』――つまり、己の与り知らないところで、ジェットは己の身体を使っている。
 しかも決まって、アッシュに絡まれた時に人格交代が起こっている……らしい。
 らしい、というのは己の意志とは無関係に起こっている現象であり、ジェットが表に出ている時の記憶が全くないからだ。
 果たして、LOM当日までにジェットの協力を得る事は出来るんだろうか。『チャンスがあるならしがみつく』なんて尤もらしい事を言ってしまったけれど、正直、不安で仕方がなかった。





「ルリパイセンもトレーニングに付き合ってくれたんだ、優し〜い」
「で、でも……結局ジェットは出て来なかったし、ルリちゃんに無駄な時間使わせちゃったから……多分、幻滅されたかも……」
「またネガティブグレイになってるヨ〜!」

 この日はビリーと共にトレーニングに励んでいた。一緒に過ごすのは当たり前の事なのだけれど、一度このHELIOSを去ろうとした事を考えると、以前と同じような日々を送る事が出来て本当に嬉しく思う。それと同時に、LOM開催までにジェットの協力を得られなければ結局は退所の道を歩む事になるのが恐かった。

「それに、幻滅なんてしないと思うけどネ。どちらかと言うとルリパイセンの方が愛が重そうだし……」
「えっ? ビリーくんにはそんな風に見えてるの……?」
「こないだイクリプスと戦闘した時、ルリパイセンの方がグレイがいないとダメって感じだったし。ちょっと意外だったからボクちんびっくりしちゃった〜」
「そ、そうなのかな……」

 そんなわけがない。どう考えても重いのは自分の方だ。
 でも、ビリーがこんな事で嘘を吐くとも思えないし、もしかしたら、自分が思っているよりもずっと、彼女は己の事を好きでいてくれているのだろうか。なんて自意識過剰かも知れないけれど。

「んな訳ねぇだろ。自意識過剰も大概にしとけよ、ギーク」

 いつからいたのか、アッシュが横槍を入れて来て、一気に気が滅入ってしまった。
 ビリーと二人でこのトレーニングルームを借りたのに、いくらメンターだからと言って勝手に入ってくるなんて。せめてジェイなら良かったのに。

「アッシュパイセン、今は俺っちたちがトレーニングルームを借りてるんだけど……」
「ああ? ルーキーがメンターに口答えしてんじゃねぇよ」
「ていうか、なんでアッシュパイセンは自意識過剰って言い切れるワケ? どう見てもルリパイセンの方がグレイにデレデレだったけど」

 火に油を注ぎかねないビリーの発言に冷や冷やしつつも、少しばかり気が晴れている自分もいた。愛の重さはひとまず置いておくとしても、彼女が己を異性として見てくれているのは紛れもない事実なのだから、何を言われても気にせず堂々としていれば良い。そう思っていた。

「てめぇらはルリと付き合いが短いから何も見えてねぇだけだ。あいつは単に結婚出来りゃ相手は誰でもいいんだよ」

 突拍子もない言葉に、思わずビリーへ顔を向けると、彼も同じく己へ顔を向けていて目が合った。ゴーグルの上からでは心情を表情から読み取る事は難しいけれど、多分、呆然としていると思う。己と同様に。
 返す言葉がまるで出て来ない。というか、何故アッシュがそんな事を言って来るのか理解が追い付かなかった。
 少しの間を置いて、己に代わってビリーがアッシュに顔を向けて口を開いた。

「……アッシュパイセン、それってルリパイセンが直接そう言ったって事? 『相手は誰でもいいから結婚したい』って」
「額面通り受け取ってんじゃねぇ! わざとおちょくってんのか!?」
「だってルリパイセンがそんな事言うなんて、ボクちんちょっと想像付かないし〜」
「……言ったのは結婚願望だけだ。相手もいねぇのに、ヒーローとしての責務も果たさず楽な方に逃げようとしてたんだよ、つい前まではな」

 ビリーは再び己の顔を見て、口角を上げてみせた。『不安にならなくても大丈夫』とでも言いたげに。

「将来の夢はお嫁さん、なんてルリパイセンもロマンチックなところあるんだネ。ね、グレイ〜」
「へっ? そ、そうだね……ビリーくんの言い方だと、子どもの夢みたいだけど……」
「馬鹿か、あいつは俺たちと同い年だぞ。ロマンチックどころか単なる現実逃避じゃねぇか」

 アッシュは己たちの会話に、呆れた顔で大きな溜め息を吐いた。それにしても、一体どういうつもりでこんな話をしたのだろう。アッシュの事だから単なる雑談なわけがない。そう、己を傷付ける為に――。

「つまり、元から相手は誰でも良かったんだよ。そしてたまたま目についたのが、ギーク……13期生で入って来た元同級生のてめぇだったって話だ」
「誰でも、良かった……?」
「どうせてめぇに構いだしたのも、老いぼれやブラッドの差し金ってところだろ」

 何も言えなかった。彼女は『二人は自分たちを見守ってくれていた』という言い方をしていたけれど、捻くれた考え方をすれば、すべてが仕組まれていたとも言える。もしかして彼女は、単に周りに流されて、己の事が好きだと思い込んでいるんじゃないか。

「チッ、言い返す事も出来ねぇのかよ」

 血の気が引いて、徐々に何も考えられなくなって――そのまま視界が暗転し、意識が途切れた。
 トライアウトを受ける前に入手した薬を接種してからずっと悩まされている立ち眩み、意識障害――『ジェット』に人格が代わる時に起こる現象だった。





 目を覚ますと、トレーニングルームではなくタワー内の自室にいた。ソファーに座っていて、隣にはビリーがいて「あ、戻った」なんて呟いていた。
 つまり、意識がなくなってから今までの間、『ジェット』がこの身体を使っていたのだろう。

「ビ、ビリーくん……」
「今までジェットになってたヨ。いい機会だから、ジェットとも話したかったけど……言いたい事だけ言って、こっちが質問したら引っ込んじゃった」
「あの、アッシュは……? それに、ビリーくんに絶対迷惑掛けたよね……」

 ここがトレーニングルームではない事、そしてあのジェットがアッシュを前にして何も言わないわけがない事。それはこれまでの経験からなんとなく察してはいる。だから、きっと己(の身体)を自室まで来させたのはビリーだと思うし、ジェットを止めてアッシュから逃れただけでも相当面倒を掛けてしまった事は想像に容易い。そう思ったのだけれど、ビリーは嫌な顔ひとつせず、それどころか楽しそうにすら見えた。

「ノープロブレム! それどころか、ジェットが言いたい事全部言ってくれて、俺っちすっきりしちゃった〜」
「な、何……? 何を言ったの……?」
「『誰でも良かったわけがない、てめぇと違ってルリは過去を懺悔してグレイに生涯捧げようとしてるんだから邪魔するな』って」
「ひえっ、そ、そんな事を……」

 一体ジェットはどこまで知っているのか。
 そもそも、ジェットと対話した時は彼女を嘘吐きだと罵っていたのに、今は考えが変わったのだろうか。またはアッシュに比べればまだマシだという認識で彼女を庇ったのか。というか、そもそも彼女が己に生涯を捧げるなんて、そこまで言った事はないはずだ。まさか己の知らないうちに、ジェットと彼女の間でそんなやり取りが交わされたのか。

「ルリパイセンからグレイにプロポーズしたって事!? ひどいよグレイ〜そんな人生の一大イベントを俺っちに秘密にするなんて!」
「ま、待って! 僕も知らない! お互いに好きだとは言ったけど……結婚なんて、そんな話は全然……」
「じゃあジェットが勘違いしてる?」
「分からない……僕の知らないところで、ジェットがルリちゃんとそういう話をしたのかも知れないし……」
「もしそうなら、ルリパイセンはちゃんとグレイに相談するんじゃないかな」

 ビリーに言われて、本当に今の己は頭が働いていないと痛感した。彼女はもう嘘は吐かないと言ってくれたのに、こんな考え方をしてしまうなんて、彼女を信じていないのと同じだ。
 最悪だ。こんな己を好きだと言ってくれたのに、当の自分はいつまでも過去を引き摺っているから、彼女の愛を信じ切れずにいるのだ。

「ルリパイセンにはもともと結婚願望があって、その後グレイの事を好きになったから、それをジェットはイコール生涯を捧げるって解釈したのかもネ」
「……だとしたら、ルリちゃんの意志じゃない事をアッシュに言い放った事になるよね……ううっ、どうしよう……」
「別にルリパイセンは困らないと思うけどネ。そもそも結婚したくてグレイと仲良くなったわけじゃないだろうから、アッシュとジェットに対して怒りそうではあるケド」

 ビリーはそう告げた後、一瞬目を逸らして考え込む素振りをした。これ以上話すべきか迷っているように見えた。正直今の話も彼女にとって失礼な内容にあたるだろうし、無理に知ろうとする必要はないと思っていたのだけれど、ビリーは再び己に目を向けた。

「こんな話だけだとルリパイセンがヒーロー稼業そっちのけで恋愛に走ってるみたいな印象になっちゃうし、グレイだけ特別に無償で情報提供しちゃお」
「えっ!? あ、あの……ルリちゃんのプライバシーに関わる話だったら、無理に言わなくてもいいから……」
「そうじゃなくて、ルリパイセン特例で昇格試験を受けるかも知れないんだって」

 このHELIOSでは、全てのヒーローにランク付けが行われており、A、AA、AAA、そしてメジャーヒーローへと昇格する仕組みとなっている。昇格試験はいつでも受けられるわけではなく、最後に受けてから数年は間を空けなければならない。特例という事は、その期間を待つよりも先に受ける事を許された――つまりここ最近試験に落ちるか辞退した、という事だろう。彼女の性格とオーバーフロウによるトラウマを考えれば、後者の方かも知れない。

「それが本当なら、ルリちゃん、本当に良かった……もうオーバーフロウは恐くなくなったのかな……」
「そうだと思う。これって絶対グレイのお陰だよね」
「えっ、ぼ、僕……?」
「それしかないヨ。それこそアッシュパイセンが言ったように、結婚を逃げ道に考えていたのかも知れないけど、グレイと出逢って、ルーキーとして頑張っている姿を見て、自分もヒーローとして前向きに生きていこうって思えるようになったんじゃない? ボクちん名探偵〜」

 ビリーの言っている事は嘘ではないとしても、あくまで憶測でしかないから事実とは異なるかも知れない。それでも、その言葉には説得力があった。
 もし己の影響で立ち直って、昇格試験にチャレンジしようと思えるほどヒーローとして前向きに生きていく事に決めたとしたなら、ジェットの言う『生涯を捧げる』という行為はその道を阻んでしまうのではないか。
 だとしたら、ジェットやアッシュの誤解を解かないと、この話が公になったら最悪彼女がヒーローとして生きる道を諦めてしまう可能性がある。彼女の意志が弱いのではなく、『過去を懺悔』という言葉が気に掛かるのだ。己を救えなかった事をずっと後悔していた彼女だからこそ、己の為に夢を捨ててしまうのではないか。そんな事、絶対にあってはならない。

「……どうしたら、ジェットと直接話せるんだろう……」

 それ以前に、まず第一にLOMで結果を出さなければならない。ジェットの協力を仰がない事には先に進めない以上、なんとしても直接対話しなければならないのに。頭の中で何度問い掛けても、ジェットは一切言葉を返してくれなかった。

2021/07/04
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