- 傀儡は頷かない -

「おいルリ、ギークが何処にいるか教えろよ」
「はい?」

 昇格試験の話が舞い込み、そしてグレイがヒーローを続けられるかどうか不確かな状態が続き、考える事が色々とあって注意力散漫になっていた。突然後ろからアッシュに肩を組まれて、質問に答える前に驚いて呆けた声が出てしまった。

「ギークと付き合ってるからって庇うんじゃねぇぞ」
「え!? あの、何の話? そもそも私もグレイがどこにいるか知らないけど」
「付き合ってねぇのかよ」
「いや、いくら恋人だからって相手の行動をすべて把握してるわけないでしょ」
「……やっぱりそういう関係なのかよ」

 しまった、とうっかり声に出しそうになったけれど、別にアッシュに知られたところで何も問題はない。二人の確執は重々承知しているけれど、それはそれとしてアッシュは他人の噂話を吹聴するような性格ではないし、大丈夫……だと思う。というか、質問の意図は何なのだろう。

「それより、どうしてグレイを探してるの? 集合時間なのに来ないとか?」
「あいつが昨日出した報告書に不備があったんだよ。そのせいでこの俺様がブラッドにグチグチ言われる羽目に……」
「お疲れ様。メンターって大変だね」

 詳細はどうであれ、取り敢えずアッシュの機嫌を少しでも回復させようと繕ってみせた。とはいえ、あの頭の良いグレイが作った報告書が駄目出しされるなんて意外だ。性格上、念を押してジェイに確認もして貰っているだろうし。

「急ぎなら私も一緒に探すよ。さっさと修正して再提出すればすべて解決だもんね」
「妙に引っかかる言い方だな……」
「グレイ、まだヒーローを続けられるか分からない状態だから、派手に動き回ったりはしないだろうし……部屋にもトレーニングルームにもいないとしたら、ヴィクターさんのラボじゃないかな」

 アッシュは何故かばつの悪そうな表情をして私から目を逸らせば、漸く私の肩から腕を離して歩き出した。

「行くぞ。てめぇも付いて来いよ」
「はあ……別にいいけど」

 どちらにしてもグレイが心配だし、断られても付いていくつもりではいたけれど、やっぱり私はアッシュにとって便利な存在のようだ。それが傍から見て付き合ってる、なんて誤解されるのは心外だけれど。
 でも、前にキースが言ったように、もし複数人からそう思われていて、そんな誤解がグレイの耳にも入っていたらと考えると……この距離感は改めないと駄目かも知れない。お互いに一切そんな感情がないのは分かり切っているけれど、グレイが傷付く事があってはならないからだ。





「おい、ヴィクター。邪魔するぜ――」

 アッシュと一緒にヴィクターのラボに足を踏み入れると、やはり、と言うべきか。ヴィクターだけでなくグレイもそこにいた。定期検診か、あるいは『ジェットと対話する方法』を相談しに来たのかも知れない。
 ただ、不思議な事にグレイとヴィクターは驚いたようにアッシュの顔を見ていた。突然現れたからではなく、何か他に理由があるみたいだ。

「……あぁ? なんだよ……二人して妙な顔でこっち見てんじゃねぇぞ」
「噂をすれば何とやら、ですね。迷信じみたことは信じていませんが、今のは絶妙なタイミングでした」
「噂だと? テメェら、俺のいねぇところで勝手に噂してやがったのか?」
「噂というのはそういうものでは?」
「っ……、テメェ、ちょっと頭が良いからって調子乗ってんじゃねぇぞ。ぶん殴られてぇのか」

 早くもアッシュとヴィクターの間で争いが勃発し始めている。ヴィクターの言わんとする事は分からないけれど、タイミングが悪かった事だけは分かる。とりあえず私はグレイの元へ駆け寄った。

「ごめんね、グレイ。変なタイミングで邪魔しちゃって……」
「ううん、ルリちゃんは邪魔じゃないよ。でも、どうしてアッシュと……?」
「ばったり会って、グレイを探してるからって強引に連行されたというか……まあ、私もグレイに会いたかったから良いんだけどね」
「そう……」

 グレイはどこか元気がないように見えた。体調が悪いというよりも、精神的なもののような気がする。それこそ、今この場にアッシュがいるのだし。何なら私から報告書を手直しするよう言っても良いのだけれど。それにもし私が手伝っても良いならその分早く片付くし。
 ふと、素朴な疑問が沸いた。現状正式にヒーローではないグレイが、何故ブラッドへの報告書を書く必要があるのだろう。

「ねえグレイ、報告書の件なんだけど――」
「あぁなるほど、理解しました。……こういうことですね、グレイ?」

 私が言い終えるより先に、ヴィクターがグレイへと声を掛けた。何の事かさっぱりな私とは相反するように、グレイは素直に頷いてみせた。

「は、はい……そんな感じです……」

 分かっていないのは私だけでなくアッシュも同じだ。もともと機嫌を損ねているだけに苛立ちも一層であろうアッシュが、ヴィクターを問い詰める。

「おい。だから何なんだよテメェら……」
「アッシュ。今の要領で、乱暴な言動を続けてみてください」
「……はぁ?」

 今のヴィクターの言葉でなんとなく察してしまった。グレイとヴィクターがアッシュの話をしていたから、私たちがラボに来た時『噂をすれば何とやら』で驚いたのだ。
 そして、具体的にどんな話をしていたのか。グレイが今しなければならない事はジェットとの対話だ。きっとヴィクターは、ジェットをグレイの中から引き出すには、アッシュの存在が必要不可欠だと仮定したのだろう。
 だって、『ジェット』はアッシュを殺したくて仕方がなかったのだから。



「とまぁ。掻い摘んで説明すると、今お話ししたような状況です。貴方が近くにいるとき、さらに乱暴な言動をしてみせた時、ジェットが出てくる確率が上がるそうです。そして今まさにジェットを呼び出す必要があるので、協力していただけると大変有り難いのですが――」

 やっぱり想像通りだった。
 グレイがいくら話し掛けても反応しないけれど、『いる事はいる』という話だったし、アッシュがグレイに攻撃的な態度を取ると、まるで守るように出て来るあたり、ジェットは何か意図があってグレイの問い掛けに反応しないようにしている、という事になる。
 だとしたら、やっぱりヴィクターの言うようにアッシュを利用して(言葉が悪いけれど)ジェットを引き出して、まずは第三者のヴィクターを介して対話するのが近道だ。
 とはいえ、アッシュがその提案に付き合う義理はないだろう。なにせアッシュに何のメリットもないからだ。

「誰が協力なんてするかよ。俺はそんなお遊びに付き合うためにここへ来たわけじゃねぇ」
「ほう。では、何をしに?」

 ヴィクターの問いへの答えとばかりに、アッシュはグレイに顔を向けて睨み付けた。

「ギーク……テメェ昨日提出した報告書、適当に書いて出しやがっただろ。不備があるとかでブラッドが差し戻しに来やがった。なんでテメェのしたことで、この俺がガミガミ言われなきゃなんねぇんだよ」
「そ、それは……っ、元々アッシュが書くはずの報告書だったからじゃ……」

 何かおかしいと思ったらそういう事だったのか。まだヒーローに復帰出来るか分からないグレイに、ブラッドがそんな事をさせるわけがない。もっと早く気付くべきだった。
 そのお詫びと言ってはなんだけど、これはさすがにアッシュに対して怒らなくては。

「こらっ、アッシュ! 話が違う!」
「うるせぇ! ギークのメンターは俺だ、俺の言う事には従うのがルールだろうが」
「メンターの仕事をルーキーに任せるなんて、普通逆でしょ!?」

 このままだと埒が明かないと分かってはいつつも、言うべき事は言わなくては。アッシュはまさに自分自身がルールという生き方をしている。それが一般常識やHELIOS内の規則と合致していれば良いのだけれど、今回はさすがにアウトだと思う。
 それは他のメンターから見ても同じらしく、ヴィクターは相変わらず飄々とした様子で正論を口にした。

「おや。自分がやるべき仕事を、ルーキーのグレイに押し付けたのですか? というか……グレイは今、追放処分一歩手前という身ですよ。報告書の作成を任せるのは好ましくありません」
「はぁ、好ましくないだと!? テメェに言われる筋合いはねぇんだよ。俺が決めたことは絶対だ。つーか、押し付けたとか人聞きの悪いこと言ってんじゃ――」

 もう完全にアッシュは話し合う気がない。正論を言ったところで自分自身がルールで絶対に正しいと思っているのだから、それを間違っていると窘められても素直に頷くわけがない。というか、グレイも切羽詰まってヴィクターに相談しに来ただろうに、このままでは時間が無駄に過ぎていく。どうしたものかと、ふとグレイの顔を見上げると、ちょうど視線が合った。
 すると、グレイは意を決するように息を呑んで、アッシュに顔を向けて声を上げた。

「ジェイさんは……! ジェイさんはあれで大丈夫、完璧だって言ってた……」
「なっ、テメェ……老いぼれに相談しやがったのか!?」
「ヒッ……」
「いつもいつも、俺が命令したことを老いぼれに確認しやがって……わざとやってんのか? 俺に対する当てつけのつもりか? そんなことで俺が黙ると思って――」

 別にグレイは間違った事はしていない。グレイのメンターはアッシュとジェイの二人だ。もう一人のメンターに黙ってルーキーに自分の仕事を押し付けるなんて有り得ないし、寧ろグレイがジェイに確認という名の情報共有をするのは、チームとして正しい行為だ。

「もう、アッシュ! そろそろ落ち着いてよ。報告書は私も直すの手伝うから! 言い争ってる暇があったら、ちゃっちゃと手直しして再提出すれば解決でしょ?」

 それこそ私が手伝う必要など皆無なのだけれど、何より目先のLOMで結果を出す事を最優先で動かないといけないグレイの枷になっていると思うと、黙ってはいられなかった。ジェイが太鼓判を押して提出したものが、ブラッドから見てNGだったというのは、決してジェイが甘かったのではなく、案外アッシュがグレイに押し付けたとお見通しだったからなのかも知れない。ブラッドはメンターリーダーになるだけあって、個々の特性もしっかり見極めている筈だ。

「……あー、アホくせぇ。てめぇマジで頭悪りぃな、ブタ野郎」

 ふと、横で聞き慣れた声ではあるものの、聞き慣れない口調が耳をついた。
 恐る恐る見ると、目の前には紛れもなくグレイがいるものの、完全に表情が違う。眉は吊り上がり、目は大きく見開いていて、性格が変わるだけで同一人物でもここまで人相が変わるのかと驚くほどだ。
 とりあえず、ジェットを引き出すというヴィクターの目的は達成できた……みたいだ。人格が交代してしまったので、肝心の『グレイとジェットが対話する』という事は出来ないけれど。

「思惑どおり事が進みましたね。では、さっそく本題へ移りましょうか」
「おい、待て……ヴィクター、テメェ俺を嵌めやがったのか?」
「特に策を練ったわけではありませんが、こうなることは大体予想していました。貴方はわかりやすい人間なので、大変扱いやすく好ましいですよ。アッシュ・オルブライト」
「っ、テメェ……」

 というか、ヴィクターは一体何をするつもりなのだろう。それを知っているのはヴィクター本人とグレイ……というか、ジェットは把握しているのだろうか。グレイはジェットが表に出ている時の記憶は一切ないという事が、これまでの経緯から分かっている。けれど、逆にジェットはどうなのだろう。その答えは本人の口からすぐに語られた。

「ちょっと待てよ。話は聞こえてたぜ。俺の精神世界? とかいうヤツに入り込もうとしてるみてぇだが……俺の許可なく入れると思ってんのか?」
「えぇ、入れますよ。この装置を使えば。もう準備は整っているので、あとはこちら側……現実世界に戻ってくる方法を説明して――」
「ふざけんじゃねぇぞ! 誰がそんなことさせるかっつーんだよ……例えグレイでも、土足で入り込んで来られて堪るか!」

 状況を理解するより先に、ジェットがラボ内にあった謎の装置を思い切り蹴った。

「!! 装置を足蹴に……すみません、ルリ。ジェットを押さえていただけませんか?」
「え? は、はい!」

 慌ててジェットの手を掴んだ、瞬間。
 思い切り彼の全体重が私に圧し掛かって来て、バランスを崩して後方に倒れてしまった。幸い、床ではなく大きな椅子がたまたまあって、その上にジェットと共に倒れ込んだ。

 グレイが意識を失う事がよくある、というのは頭にあったものの、まさかジェットもそうなるなんて思いもしなかった。それどころか、どういうタイミングでジェットからグレイに人格が戻るかすら分かっていなかった。

「……大変です。倒れた衝撃で、装置が作動してしまいました」

 何も分からないまま、どういうわけか私もジェットと共に意識を失っていた。



 そもそもこの装置とは何なのか。ジェットは『俺の精神世界に入り込む』みたいな事を言っていたけれど、そんな事可能なのだろうか。いや、それを可能にするのがこの謎の装置なのだろう。HELIOSではなく警察の管轄になるけれど、そういった研究は日々行われているし、協力依頼など何らかの理由があってヴィクターの元にそんな代物が回ってくるのは、ごく普通に有り得る話だ。
 ただ、装置が作動した事で何が起こるのか、基本的な事が分からないまま私は気を失い――グレイと共にジェットの精神世界に入り込んでしまっていた。

「どこがどう大変なんだよ?」
「どうやらグレイは、もうジェットの精神世界に入り込んでしまったようです。それだけでなく、ルリまで巻き添えになってしまいました」
「なんだよそれ……まあ、ルリならなんとかするだろ。ギークの為だしな」
「問題は、精神世界からの脱出法、つまりこちらの世界に戻ってくる方法を伝えていないという事……このままでは、グレイとルリは一生ジェットの精神世界から戻ってくることが出来ません」
「おい! 何勝手にルリまで巻き添えにしてんだよ!」
「ですから巻き添えになってしまったと伝えたのですが……」

 アッシュとヴィクターのやり取りは、意識を失っている私の耳には届いていなかった。

「ただ、心配しなくても解決策ならあります。アッシュ、あなたに協力していただけると大変有り難いのですが」
「はぁ? 俺だと?」
「幸い、予備の装置が残りひとつあります。こちらの世界への戻り方を伝えた上で、あなたをジェットの精神世界へ送り込みます。そうしてグレイとルリを見つけ出し、全員でこちらの世界に戻ってくる――」
「ふざけんじゃねぇ! なんで俺がそんなことしなきゃなんねぇんだよ……テメェが責任持って行って来い!」
「戻ってくる際、こちら側で装置を操作する人間が必要なのです。私以外に、それを出来る人間はいません」
「…………あぁ、クソッ! わかったよ、やりゃ良いんだろ!? テメェもギークも、戻ってきたら覚えてろよ……ルリどころかこの俺まで、こんな面倒ごとに巻き込んだ事、死ぬほど後悔させてやるからな!」

 かくして、何も知らないグレイと私を救出するために、アッシュはジェットの精神世界へと飛び込んだのだった。

2021/07/17
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