- きっと明日には嘘になる -

 間もなく、初めてのLOMを迎えようとしているある日の事。ヒーローとして活動する際だけでなく、己たちの日常生活まで何かとサポートしてくれるロボット『ジャック02』が、部屋に来るや否やとんでもない事を言ってのけた。

「グレイ、ビリー、失礼しマス」
「あれ? ジャックさん、まだ掃除の時間じゃなかったはずだけど……」
「ルリから二人宛のプレゼントを預かったノデ、届けに来マシタ」
「本当? ありがとう――……って、ええええ!?」

 思わず腰を抜かして倒れそうになった己を、ビリーが慌てて駆け付けて咄嗟に支えてくれた。そして、頭が真っ白になって何も言えずにいる己の代わりに、ジャックに問い掛ける。

「ルリパイセン、どういう風の吹き回し〜? ジャック、何か聞いてる?」
「以前二人に助けて貰ったお礼をしたいと相談を受けマシテ……ジャクリーンと協力してカップケーキを作ったのデス」
「グレイの大好物を、ルリパイセンがわざわざ手作りしたって事?」
「ハイ。ビリーの好きなキャンディや、他のスイーツも検討しまシタガ、マリオンのアドバイスでカップケーキが採用されマシタ」

 全然話が頭に入って来なかった。どうして彼女がわざわざ己たちの為にそこまでしてくれたのだろう。『助けて貰ったお礼』なんて言われても、助けた覚え自体が全くない。この間夕食を共にしたお礼というならまだ説明が付くけれど。
 ただ、己だけではなくビリーにも、という事は、二人でパトロールしていた時に何らかの形で彼女を助けた事があったのだろうか。駄目だ、ただでさえ頭が働いていないのだから、考えてすぐに答えが出るとは思えない。

「マリオンって、あのマリオン・ブライス? へ〜、ルリパイセンってHELIOSで埋もれてる割には、ちゃんと横の繋がりがあるんだ。ブラッド・ビームスともよく話す仲みたいだし……」
「イイエ、マリオンがルリと会話したのは、今回のカップケーキ作りが初めてだと思われマス。ジャクリーンがルリの手伝いをすると聞いて、マリオンは気になって様子を見に来たのデス。完成するまで見守ってくれマシタ」
「ルリパイセンって人の地雷踏み抜くタイプだと思ってたけど、マリオン・ブライスを怒らせずに付き合わせるなんて意外〜」

 ビリーが彼女に対して失礼な物言いをしていて、そこまで言う程悪い子じゃないと口を挟もうとしたけれど、その前にジャックが怒りを表現するように機械の目を吊り上げた。

「ルリは現在実力が発揮できない状態にあるだけデス。決してただ埋もれているわけでも、人を怒らせる性格でもないデスヨ」
「ええっ、そうなの? ジャック、ルリパイセンの事をもっと詳しく教えてくれないカナ〜」
「ルリのプライバシーに関わるので出来マセン」
「ええ〜、ジャックの意地悪〜」

 情報屋稼業をしているビリーなら、わざわざ聞かなくても彼女の事を知っていそうだし、現に以前対価を払えば彼女の過去を教えると己に告げた事もある。わざとジャックをからかっているのだろう。
 ……漸く思考回路が元に戻りつつあるし、そろそろジャックを解放してあげた方が良い。

「あの、ジャックさん。ありがとう、ルリちゃんのプレゼントを届けてくれて」
「ドウイタシマシテ。ルリが『男の子しかいないエリアに行くのもどうかと思う』と気を回されていたノデ、代わりに馳せ参じマシタ」
「……うん、確かにその方がいいかも……」

 己と彼女の関係で妙な噂が立っている以上、今は余計な接触はしないに越した事はない。でも、そんな状況でもこうして手作りのカップケーキを差し入れてくれるなんて、少なくとも噂に対して不快に思っていたら、わざわざこんな事はしないだろう。
 別に彼女が己の事を好きなわけではなく、誰に対しても同じ事をするかも知れないのに、徐々に嬉しさが込み上げて来ていた。

「あの……僕たちからもルリちゃんにお礼は言うけど、ジャックさんからも伝えて貰えるかな……? いつ会えるか分からないし……」
「ハイ、承知しマシタ。それと、『二人とも初めてのLOM頑張ってね』と言ってマシタヨ」

 あまりに嬉しすぎて涙が込み上げて来るかと思った。いや、彼女は誰に対してもそう言うに決まっている。決して己だけが特別なわけではなく、助けて貰ったお礼に相手の好きな食べ物を作ったり、LOMを控えているルーキーに激励の言葉を掛けるなど、当たり前のようにする子なのだ。勘違いしてしまったら駄目だ。
 ただ、ひとつだけ気に掛かる事がある。

「……あの、ジャックさん。ひとつだけいいかな……? 『助けて貰った』って、何の事か分かる……? 僕、全然記憶になくて……」
「具体的な内容は不明デス。きっとグレイとビリーが意識せず、当たり前のように人助けをしているのだと思いマスヨ」

 結局何も分からないままジャックは部屋を後にして、聞いても教えて貰えないだろうとは思いつつ、駄目元でビリーに顔を向けて訊ねた。

「あの、ビリーくんは覚えてる……? 僕たち、ルリちゃんを助けた事ってあったっけ……」
「俺っちもここまでされる事した覚えなかったけど……いや、何となく分かって来たかも」
「え、本当……!?」
「『お礼に何か奢る』って言ってた事があった記憶ならあるヨ。それがルリパイセンの中で『何か作る』に変わっちゃったのかも」
「えっ、ルリちゃんそんな事言ってた……?」

 まるで記憶にない。でもビリーが覚えているのなら、紛れもなく事実だと思う。こんな事、嘘を吐いたところで誰も得しない。でも、どうして己は覚えていないのだろう。赤の他人ではなく、己に優しくしてくれる数少ない人物で、なにより己自身密かに想っている相手の事だというのに。

「グレイ、あの時必死だったからルリパイセンの声が耳に入ってなかったんだネ」
「えっ……ビリーくん、それっていつの話……!?」
「今なら友達価格で特別に――」
「だ、駄目……! それだとお金でルリちゃんの情報を買う、みたいになっちゃうから……」

 彼女の言葉が耳に入らないほど必死な時なんて――考えてみれば、任務の時はほぼそうだ。単なるパトロールでも、イクリプス一体見掛けただけでも怯んでしまうし、ビリーがいなければこうしてLOMを迎える事すら出来なかったに違いない。

 ジャックから受け取った箱を開けると、中には二人分のカップケーキが綺麗に並んでいた。店頭に並んでいても遜色ないほど完璧で、言われなければ手作りだと判断が付かなかったかも知れない。ジャクリーンというやや小型のロボットと一緒に作ったと言っていたけれど、出来れば今度は彼女ひとりの力で作ったものが食べてみたい、なんて贅沢な事を考えてしまった。





 結論から言うと、初めてのLOMは敗北で終わってしまった。相手はずっとセクターランキングで一位を独走していたノースだから仕方ない、と言えばそれまでだけれど、己が怯まずにいれば、もしかしたら勝利する事が出来たかも知れない。少なくとも、ビリーはノースのルーキー二人に圧される事なく戦えていたのだから。

 己たちのメンターであるジェイ・キッドマンは、このLOMでは得るものも多く、敗北という結果に囚われないよう優しく諭してくれた。決して落ち込む事ではなく、次勝つにはどうしたら良いか前向きに考えた方が良いのは理に適っている。
 それでも、もう少し上手く立ち回りたかったと悔やむ気持ちも生まれていた。もうひとりのメンターであるアッシュに窘められたからではなく、きっと彼女――淡雪ルリもLOMを見ていたと思うから……少しでも良いところを見せたかった、なんて柄にもない事を思っていた。己が上手く出来た試しなんてないというのに。





 ここ最近、ビリーは誰かに呼ばれて部屋を不在にする事が多くなった。同じチーム、同室とはいえお互いにプライベートもあるし、干渉し過ぎるのは良くない。尤も、『お互いに』と言っても己には会いに行く友達などいるわけもなく、一人で引き籠ってゲームに熱中する事で寂しさを紛らわすしかないのだが。
 これでは、ヒーローになる前と何ひとつ変わっていない。
 任務でもいつもビリーに助けられて、ひとりで何かを成し遂げる事も出来ていない。臆病で、ただ耐えるだけのアカデミー時代から何も成長していないし、どうせ己など、このまま腐ってしまうだけなのかも知れない。

 暗い室内で、ゲームのモニターだけが煌々と己を照らす。誰にも干渉されず、攻撃もされない、自分ひとりだけの世界。本当に、昔と何も変わっていない。居心地は良くても、世界から遮断されたまま朽ち果てていく自分が嫌で、変わりたくて、何度もトライアウトを受けて漸くヒーローになる夢を叶えたというのに。

 ふと、彼女からカップケーキの差し入れを貰った事を思い出した。『助けて貰ったお礼』が結局何の事なのか分からず、もしかして何か意図があって嘘を吐いているんじゃないか、なんて疑い始めていた。例えば、己ではなくビリーの事が好きで、何か理由を付けてプレゼントをしたかったとか。
 何をどう考えてもマイナスの方向にしか行かず、自然と溜息が零れる。とりあえず、どんな意図があれちゃんとお礼を伝えたほうがいい。あのカップケーキは本当にお世辞抜きで美味しかったし、彼女は何をやっても完璧なんだと感心したと同時に、やっぱり己とは不釣り合いだと思わざるを得なかったけれど。



 もしかしたらまた偶然会えるかもしれない。そんな下心を隠しつつ、徐に着替えて当てもないまま部屋を飛び出して、フロアを歩いているうちに徐々に頭が働くようになってきた。
 今の時間はまだ夜が訪れたばかりで、業務が早く片付けば既に帰宅していてもおかしくはない。けれど、まだタワー内にいる可能性も充分にある。もしいるとしたら――己の足は最早考えるより先に、共有スペースへと進んでいた。



「――ルリちゃん……!」
「あっ、グレイ! LOMお疲れ様!」

 予感は的中した。見紛う事なんてない後姿を見つけた瞬間、彼女の名が自然と口から零れていた。彼女はすぐに振り向けば、笑顔で己を労ってくれた。誰に対してもそうだとは思いつつも、やっぱり嬉しい。自然と胸が熱くなった。

「LOM、ビリーくんの足を引っ張って、負けちゃったけど……あ、いや、そういう話じゃなくて……その、カップケーキありがとう……!」

 支離滅裂な己の言葉に、彼女は嫌な顔ひとつせず、それどころか優しく微笑んでいる。

「カップケーキ、どうだった? グレイの口に合ったかな?」
「うん、手作りって言われなかったら、お店で買ったと思ったかも……あ、えっと、ルリちゃんの事を疑ってるわけじゃなくて、その……」
「そんなに美味しかったんだ! 良かった、アキラくんが味覚音痴だったらどうしようかと……」
「アキラくん?」

 突然、女性名の可能性は限りなく低いであろう名前が出て来て、一瞬胸の奥が苦しくなった。けれど、わけがわからないまま落ち込むより先に、彼女は頬を膨らませて事情を説明し始めた。

「サウスセクターの鳳アキラくん。あの子、出来立てのカップケーキを断りもなく勝手に食べたんだよ? もう、びっくりしちゃった。ウィルくんがちゃんと叱ってくれたから許したけど……」
「あ、アキラくんってあの子の事……」
「一番最初はグレイに食べて欲しかったのに……あ、いや! 違う! グレイとビリーくんに!」

 彼女は何故か頬を赤らめて必死に訂正していたけれど、その言葉の真意に気付くよりも先に、他の男子に食べて貰ったわけではなく不可抗力だったと分かって、物凄く安堵している自分がいた。サウスのルーキーの事はあまりよく知らないけれど、彼女の言っている事を疑う余地はない。

「まあ、そもそも私ひとりの力で作ったわけじゃなくて、ジャックとジャクリーンが手伝ってくれたお陰なんだけどね。お店の味に匹敵するのはあの二人のお陰。私ひとりだったら失敗してたかも」
「そ、そうなの……?」
「実はお菓子作りとかあまりした事なくて……私がひとりで作ったら、とてもじゃないけど自信を持ってプレゼント出来るものになってたかどうか……」

 そう言って苦笑いを浮かべれば、彼女はずっと手に持っていた紙コップに口を付けた。甘い匂いがふわりと鼻をつく。カフェオレの香りだ。そういえば、食べ物でも何でも彼女はどんなものが好きなのか、何も知らない。
 ふと思い出した。まだHELIOSに来て間もない頃、パトロール中に彼女が同僚たちと歩いている姿を見掛けた時、会話の内容から特に食べるものに拘りがない事が窺えた。
 それは彼女の本心なのか、それとも自分を押し殺しているのか。そうせざるを得ない事が、アカデミー卒業からこれまでの8年間であったのか。

「――、グレイ!」
「あっ、ごめん……! ぼうっとしてた……」
「LOMで疲れ果ててるよね。ごめんね、立ち話させちゃって」
「ううん、ルリちゃんと話したかったから……」

 このままだと本当に、お礼を伝えただけで終わりになってしまう。次、いつ会えるか分からないというのに。なんとか引き留めたいと咄嗟に口をついた言葉に、彼女は意外そうに目を見開いた。

「本当? そんな風に思ってくれてるなんて、本当に嬉しい」

 どこか安心したように力なく笑みを零す彼女に、最初は大人になって性格も変わったのだと思っていたけれど、今は『どうしてここまで自信を喪失してしまっているのか』と違和感を覚えていた。
 もっと知りたい。彼女の事を。見ているだけで良いと思っていた筈なのに、もし彼女が困っていたり、今も苦しんでいる事があるのなら、力になれたらどんなに良いか。
 そう思って、ふと疑問が解決していない事に気が付いた。聞くなら今しかない。

「あの、ルリちゃん……カップケーキ、助けて貰ったお礼ってジャックさんに聞いたけど……」
「あ、そうそう。何か奢るって言ったのに、プレゼントになっちゃった……まあ、LOMも終わった事だしタイミングが合えば、今度はビリーくんも誘って三人で何か食べに行こうよ」
「ぜ、是非……! って、いや、あの、そうじゃなくて……」
「やっぱり私と一緒に行くのは、やめておいた方がいいかな?」
「そうじゃなくて……僕、ルリちゃんを助けた記憶がないんだ……」

 やっと言えた。危うく謎が解決しないどころか、食事の約束というまたとないチャンスを棒に振るところだった。記憶がない、なんて失礼じゃないかと言った後に気が付いたけれど、彼女は特に気を悪くするような様子は見せなかった。

「グレイ、私がアッシュに絡まれていた時に助けてくれたんだよ」
「そんな事が――……あ」

 漸く思い出した。少し前、どういうわけか彼女とビリーとアッシュが一緒にいるのを偶然見掛けた事があった。彼女がアッシュから因縁を付けられているように見えて、自然と身体が動いていた。あの後アッシュから散々言われたけれど、ビリーが間に入って助けてくれて、特に問題なく一日を終えた――というか普段からトレーニングでアッシュに強く当たられる事が多くて、そちらの嫌な記憶に上書きされていたのかも知れない。

 あの時はビリーが傍にいたから強気になれただけであって、彼がいなければ彼女を助ける事なんて出来なかった。絶対にそうだと言い切れる。
 だから、お礼なんてして貰う価値のある行動なんて、己は何もしていないのだ。

「ルリちゃん、僕……」
「グレイ、本当に強くなったよね。ジェイさんも同じ事言ってると思うけど、LOMだってビリーくんと協力して動けていたし。ちゃんと成長してるよ、自信持って」

 彼女は何の悪気もなく、寧ろ己を励まそうと言ってくれているのは分かる。けれど、噛み合っていない、何かがおかしいとすぐに気が付いた。
『本当に強くなった』など、アカデミー時代の己を覚えていないと言った彼女が口にするのはおかしい。過去の己を知らない限り、そんな言葉は出て来ない筈だ。

 一体何が正しくて、何が間違っているのか。彼女は嘘を吐いているのか、それとも――その真意を訊ねる前に、突然眩暈が訪れた。ヴィクター・ヴァレンタインに体調の事を相談して、だいぶ落ち着いたと思ったのに、どうしてこんなタイミングで――。

「グレイ!? 大丈夫!? しっかりして!」

 彼女の声はそこで途絶え、視界が暗くなり、間もなく己の意識は闇に飲まれていった。

2020/02/28
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