- 時計の針に指をかければ -

「オマエ、ジャックとジャクリーンを利用して一体何を仕出かすつもりだ?」

 グレイとビリーに何かお礼をしたいと思った、ただそれだけの話なのに。
 突き刺さるような冷たい視線に、真冬でもないというのに私の身体は悪寒で震えかけていた。全く、いくら立場が上とはいえ相手はずっと年下だというのに、我ながら情けない。

「……仕出かすなんて、ただ私のお菓子作りを手伝ってくれるっていうだけで……」
「オマエのような凡人の為に、わざわざ共有スペースのキッチンを貸し切って付き合う必要がどこにある?」
「そ、そんな事言われても……私じゃなくてジャックとジャクリーンに聞いてよ」

 寧ろ私が聞きたい。彼の言う通り、私のような落ちこぼれのヒーローの為に、どうしてここまでしてくれるんだろう。私と彼が訊ねるより先に、ジャクリーンが可愛らしく小躍りしながら答えた。

「マリオンちゃま、ジャクリーンはルリちゃまの恋をサポートするノ〜」
「は?」
「はい!?」

 そんな話は聞いてない。彼の疑問符と同時に動揺の声を上げてしまった私に、ジャックがすかさずフォローを入れた。

「ルリはイーストセクターのルーキーに助けて貰った事があり、お礼がしたいと相談を受けマシテ……グレイとビリーは甘い物が好きだというデータを元に、手作りのお菓子をプレゼントする事になったのデス。ジャクリーンの提案で我々はルリをサポートする事になりマシタ」
「ふうん。……オマエ、ルーキーに助けられて恥ずかしいと思わないのか?」
「ご尤もです」

 何も言い返せず項垂れる私に、彼は更に罵るかと思いきや。

「理由は分かった。早く始めろ、オマエがお菓子を完成させない限り、ジャックもジャクリーンも解放されないからな」
「え、いいの?」
「誰も悪いなんて言ってない」

 言い方はきついけど、別に私の事が気に食わないわけではないみたいだ。軽く安堵の息を吐けば、彼の言う通り早く終わらせようと、早速レシピを元にお菓子作りに取り掛かる事にした。
 まさか、彼――アカデミーを飛び級で卒業し、19歳の若さでメンターに就任した優秀なヒーロー、マリオン・ブライスが、ジャックとジャクリーンを探しにきた流れで私のお目付け役になるとは思わなかったけれど。





 卵に生クリーム、粉砂糖、チョコレート、色を付ける為のココアパウダー、それに……。

「それで、お菓子といっても具体的に何を作るんだ?」
「二人の好きなものがカップケーキとキャンディなんだけど、どっちかにすると不公平かなと思って、全く関係のないマカロンを作ろうかと……」
「は? オマエ、それじゃどっちも得しないだろ」

 マリオンの指摘に言い訳してしまったけれど、確かに言われてみれば難しく考えず、二人が好きなものをそれぞれ作った方が喜ばれるのは確実だ。それに、この一日で作らないといけないと思い込んでいたけれど、キャンディならそう簡単には腐らないし、先に今日キャンディを作って、余力がなければ後日カップケーキを作って、両方揃った段階で渡すというのもアリだ。元々LOMが終わった後にお礼が出来ればと考えていたし、急ぐ必要もない。

「うん、マリオンくんの言う通りだ……じゃあ今日はまずキャンディを――」
「ルリ、オマエが『恋』してるルーキーはどっちだ?」
「え? ええと……って、ちょっと! 恋って何!?」
「ジャクリーンがそう言ってただろ。……まさか、ルーキー二人に手を出そうとしてるのか?」
「そんな訳ないでしょ!?」

 ジャクリーンに『二股』なんて言われた事を思い出して、つい声を荒げてしまった。そんなに軽い女だと思われるなんて心外だし、失礼にも程がある。いや、マリオンは本当にそう思っているわけではなく、ただ軽口を叩いているだけだろうけど。

「もう、そういう下心じゃなくて、私はただ単に助けて貰ったお礼を……」
「オマエ、ジャクリーンの言っている事が間違っているとでも言いたいのか?」

 突如、マリオンが武器の鞭を出現させて、思わず小さな悲鳴を上げてしまった。決して脅しではない。この人は確実に『やる』。相手の性別や年齢なんて関係ない。それほど、彼にとってジャックとジャクリーンを否定されるのは許せない事なのだ。

「間違ってない! けど、恥ずかしいから秘密にして……!」
「秘密も何も、オマエが誰に恋しようとどうでもいい。ただ、好きな相手が望むものを作った方が確実に喜ばれるんじゃないのか?」
「うう……」
「で、さっきキャンディって言い掛けてたけど。そっちがオマエの恋するルーキーか?」
「いえ……カップケーキの人です……」

 いつもならこんなに素直に胸の内を告白しないのだけれど、マリオンが今言ったように他人の色恋沙汰に興味がなく、ゆえに口外しない事は想像に容易く、信頼できると思ったのだ。
 マリオンは他人に厳しいけれど、同じように自分に対しても厳しいのは、その輝かしい経歴を見れば一目瞭然だ。彼がルーキーだった頃はブラッドがメンターだったし、何となく似通っているところがあるかも知れない。

「今ならまだ間に合う。カップケーキに変更するぞ」
「えっ、ええ!?」
「このボクの言う事が聞けないっていうのか?」
「そ、そうじゃないけど……」

 それだと二人へのお礼というより、私がグレイに個人的にプレゼントしたいという下心ゆえのプレゼントになってしまう気がする。決してマリオンが間違った事を言っているわけではないのだけれど、恐る恐る視線を逸らし、ジャックとジャクリーンへどうすれば良いかと目配せした。

「ルリに拘りがないのなら、マリオンの助言に従った方が良いと思いマスヨ」
「ビリーちゃまはプレゼントがキャンディじゃなくてカップケーキでも、残念に思ったりしないと思うノ〜」

 マリオン曰く完璧な存在である彼らにそう言われたら、もう従うしかない。確かにビリーは自分の好みではないものを貰っても、不快に思ったりするような感じではなさそうだし。ただ、グレイと私の事で妙な噂が立ってしまっているだけに、変な誤解をされないと良いのだけれど。





 ジャックの指示は的確だった。分量、時間など、レシピを参考にしつつも一人で作っていたらつい大雑把になってしまいそうなところをしっかりフォローしてくれた。ジャクリーンも私と一緒に泡立てなどの作業を手伝ってくれて、確実にマリオンの望む時間短縮に繋がっている。

 オーブンで焼き上げたケーキにデコレーションを施しながら、私は三人(正確には一人と二体だけれど)にお礼を言った。

「ジャック、ジャクリーン、それにマリオンくん。手伝ってくれて本当にありがとう」
「別にボクは何もしていない。ジャックとジャクリーンを見守っていただけだ」
「でも、アドバイスして貰ったし。マリオンくんの言う事聞いたら何でも上手く行きそうかも」
「『かも』じゃなくて上手く行くに決まってる。ボクは完璧な存在だからな」

 ここまできっぱりと自分を肯定出来る存在になれたらどんなに良かったか、なんて少しばかり羨ましく思ってしまった。
 思い返せば、私も入所したばかりの頃は、今よりは遥かに自信に満ち溢れていたし、完璧とまでは行かなくとも、順風満帆だと思っていた。
 思い込んでいた。その思い上がりゆえに、一度の失敗で瞬く間にぼろぼろになってしまったのだ。

「……ルリ、まだイクリプスと戦うのは恐いと思っているのか?」
「え? な、なんで……っていうか、マリオンくん、私の事知ってるの?」
「ボク自身はオマエの事はどうでもいい。でも、ノヴァが気にしてるから……前に任務でオーバーフロウを起こして命を落とし掛けた事がトラウマになって、ずっと本領発揮出来ずにいるって」

 まさかそんな事をいきなり言われると思わなくて、血の気が引いた。マリオンが私の事を認識している事を嬉しいとは思えなかった。『完璧』な彼にとっては、一度の失敗でろくに力を出せずにいるヒーローなんて、許せない存在だと思うから。

「どうなんだ? パトロールとサブスタンスの回収に明け暮れるのが、オマエのなりたかった『ヒーロー』の姿なのか?」
「……それは……」
「ヴィクターのような変人もいるし、それがオマエのやりたい事なら好きにすればいい。でも、もし這い上がりたいと思うなら――」

 マリオンが何かを言い掛けた瞬間。
 けたたましい足音と共に、大きな声がキッチンに響き渡る。

「おっ! いい匂いがすると思ったら、カップケーキじゃねえか」
「こらっ、アキラ。勝手に入っちゃ……」
「共有スペースなんだから別にいいだろ」

 見覚えのある二人組。サウスセクターのルーキー、鳳アキラとウィル・スプラウトだ。いつもお世話になっているブラッドとオスカーがメンターを担当しているのもあり、よく印象に残っている。
 ――なんて呑気に思っているのが良くなかったのか。次の瞬間、目の前でとんでもない事が起こった。
 鳳アキラが、何も言わずに勝手にカップケーキを手に取ってかぶりついたのだ。

「あ〜〜〜!!!!!」

 つい情けない声を上げてしまい、アキラは何事かと大きく目を見開いて、その横でウィルは真っ青になっていた。

「アキラ! 勝手に食べるなよ! それ、絶対食べちゃダメなものだって!」
「ん? 何個もあるし一個ぐらいいいだろ」
「そういう問題じゃないよ!」

 呆然とする私の傍で、マリオンが心底不快そうに溜息を吐けば、もうこの場にいるのが嫌なのか何も言わずに足早にキッチンを後にして行った。なんとなく、騒がしいのが嫌いなんだろうな、というのは聞かずとも分かる。

「アキラちゃま、このカップケーキはルリちゃまがグレイちゃまの為に作ったものなノ〜……」

 私を気の毒に思ってくれたのか、ジャクリーンがアキラの傍へ移動してそう告げる。正確にはグレイとビリーに作ったものなのだけれど、最早訂正する気すら起きなかった。

「ほら! アキラ、なんて事を……! あの、ごめんなさい!」
「ううん、何個もあるうちの一個だし……」

 そう、グレイとビリーにそれぞれ一個しか作っていないのではなく、味見用も含めて何個か余分に作ったから、決して二人にあげる分がなくなったわけじゃない。
 でも、自分が味見するのを抜きにして、グレイに一番最初に食べて欲しかった。作っている時はそんな事考えていなかったけれど、こうして本来あげる相手ではなかった子に食べられてしまうと、なんとも言えない喪失感に襲われた。誰も悪くない。この鳳アキラくんは決して悪くはない。いや、お行儀の良い行為ではないけれど、別に責められるほど悪い事でもないのだ。

「いや、でも誰かの為に作ったんですよね? グレイって、もしかしてイーストセクターの――」
「言わないで!」

 悪気がないのは分かっているけれど、ウィルに追い打ちを掛けられてつい声を上げてしまった。もうこれでは特別な感情を抱いている相手の為に作りました、と言っているようなものだ。そんな、そんな下心なんてなかったはずなのに……。

「ウィル、そこまで焦る事ねぇだろ。このオレが味見してやってるんだからな」
「アキラ、いい加減にしないとさすがに怒るよ?」

 もう食べられてしまったものはしょうがないし、泣き言を言ったところで時間を巻き戻せるわけでもない。寧ろここで二人に喧嘩されるほうが気が滅入るし、そもそもルーキー相手にこんな理由で怒るのも、あまりにも下らなさ過ぎる。マリオンが呆れてさっさと帰るのも頷ける。

「あの、二人とも……別に怒ってないから大丈夫だよ。ただびっくりしただけで」
「本当にそうですか……?」
「うんうん。それで、アキラくん。どうかな? 味のほうは……」

 もう気持ちを切り替えるしかない。こうなったら本人の言った通り、味見係になって貰おう。

「おう、かなり旨い! そこまで甘いモンが好きじゃねぇオレでもそう思ったって事は、その辺の店にも負けてないんじゃねぇか?」
「そこまで……!?」
「オレはまずかったらまずいってハッキリ言うからな。自信持っていいぞ!」
「本当!? ありがとう、アキラくんを信じるね」

 まさかアキラがウィルの作ったすさまじい味の手料理に苦しめられた経験があるとは思わず、なんとなく勘で「この子は嘘は吐かないだろう」と思い、素直に頷いた。

「本当にすみません。でも、どうしてアキラの名前を知ってるんですか?」
「13期生のルーキーの事はちゃんと把握してるよ。それに、君たちのメンターにはお世話になってるから」
「ブラッドさんとオスカーさんの……?」

 少し驚いた様子のウィルに、笑顔で頷いてみせた。ここで自信を持って自己紹介出来たら良かったのだけれど、やっぱりこういう時、落ちこぼれのヒーローだとどうにも格好が付かない。

「私は11期生の淡雪ルリ。オスカーとは同期入所で、その繋がりでブラッドさんにもお世話になってるんだ」
「そうだったんですね……! アキラの仕出かした事については、ちゃんとオスカーさんに報告します」
「ふふっ、オスカーなら怒らないと思うけどね。ブラッドさんはちょっと分からないけど」
「おい、ウィル! ブラッドには絶対言うなよ!」

 随分と騒がしくなってしまったけれど、取り敢えず最高のお礼が出来そうで、やっと肩の荷が下りた気がする。これもジャックとジャクリーンのお陰だ。腰を屈めて彼らに視線を合わせれば、改めてお礼を告げた。

「ジャック、ジャクリーン、本当にありがとう。ここまで手伝ってくれるなんて、本当に何度感謝しても足りないよ」
「ルリちゃまの悩みが解決して嬉しいノ〜! マリオンちゃまも楽しんでいたし、ルリちゃまの恋を応援してくれてるノ〜」
「それはちょっと違うんじゃないかな……」

 マリオンは「ジャクリーンの言う事に間違いはない」と言っていたけれど、私の恋に興味がないのは本人が言った通りだろう。応援する理由もないし、どうでもいいから否定する気にもならないというのが近そうだ。

「ルリ、最後にマリオンが言っていた事デスガ……」
「最後に?」
「戦闘で思うように力が出せないナド、困った事があればノヴァに相談してくだサイネ。マリオンの言う通り、ノヴァもルリの事を気に掛けていますカラ」

 ノヴァ・サマーフィールド博士。このHELIOSの研究部部長であり、ジャックとジャクリーンを作り出した人でもある。日々研究に明け暮れ、いつ寝ているか分からないように見える程忙しくしている人だし、私の個人的なトラウマで相談するのもどうかと思っていたけれど、このまま煮え切らない状態でヒーローを名乗り続ける事の方がずっと良くない。

『ルーキーに助けられて恥ずかしいと思わないのか?』

 マリオンに何気なく言われた言葉が頭の中でリフレインする。別に戦闘で助けられたわけではないのだけれど、果たして戦場に出た時、ルーキーの前でベテランのヒーローらしく振る舞えるのか。そんな事出来るわけがないと、答えは分かり切っている。
 もう、いい加減前に進まないといけない。グレイとの再会がきっかけで、知らず知らずのうちに、私の鬱屈した心は少しずつ変わり始めていた。

2021/02/04
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