- 曖昧なままに息したって -

 グレイと食事を共にした翌日、私は朝から後悔の念に駆られていた。
 彼を気に掛けるよう言われていたのは私のほうなのに、逆に私が彼に気遣われてしまった。サブスタンスを取り逃したとか、イクリプスの討伐に失敗して怪我をしたとか、任務でミスをしたところを市民に見られて罵られたとか、そういう『仕事』に関する悩みならまだマシだ。
 よりによって、ルーキーの子に冷たく当たられて動揺したなんていうくだらない理由でグレイに気を遣わせてしまったのが、本当に情けなかった。挙げ句の果てに「普通そんな態度取る?」なんて、フェイスへの批判めいた事まで口にして、そんな事を言うヤツなんて男女関係なく嫌だと思うに決まっている。

 きっと、グレイに幻滅されてしまった。あの場では合わせてくれていたし、私も気分よく家まで帰ったけれど、一晩寝てよくよく考えたら本当に昨日の私は最悪だった。

「はあ、行きたくない……」

 毎日変わらないルーティンで身支度をしながら、つい独り言が自然と漏れた。一人暮らしをすると誰も話す相手がいないから独り言が増える、なんて誰かから聞いて、そんなわけないなんて思っていたけれど、いつの間にか私も該当するようになっていた。

 HELIOSに入所したばかりのルーキー時代は、タワー内で共同生活を送っていたけれど、その後は実家のあるグリーンイーストヴィレッジで、マンションの一室を借りて一人暮らしをするようになった。実家から通っている人も多いけれど、我が家はとにかく過干渉で、両親と離れて暮らさないと大人になれない気がして、あえて自立する事を選んだ。
 一人でも問題なく生活出来ているし、この選択は間違っていないとは思う。けれど、今日みたいに気が滅入っている日は、ほんの少し心細く感じる。普段は忙しくてそんな事を考えている余裕もないし、一人のほうが気楽とすら思っているけれど、ふとした瞬間――特に人との付き合いで失敗した時は、無性に寂しさを覚えるのだった。





「ルリ!! イーストセクターのルーキーと付き合ってるの!?」

 家に居た時の憂鬱な気持ちなんて遥か彼方へ吹っ飛ぶほど、タワー内で顔を合わせた同僚から最初に飛び出した言葉はとんでもないものだった。

「……え? なんで?」
「昨日デートしたんでしょ!? もう、なんで教えてくれなかったの?」

 唖然としてしまったけれど、彼の名誉の為にもここはきっぱり否定しておかないと。

「『なんで』も何も、そもそも付き合ってないよ。同じ職場の人と一緒にごはん食べるぐらい、誰だってするでしょ」
「ふーん、ルリは好きでもない男と手を繋ぐんだ〜」
「へ?」

 いや、手を繋ぐなんて子どもじゃあるまいし、この歳になってそんな事をするなんて、それこそ恋人同士じゃないとしない事だ。一体何を言っているのかと否定しようとした瞬間、まるで走馬灯のように昨日の出来事が脳内に蘇った。
 精神的に弱ってしまっていた私は、たまたま通りかかったグレイに優しくされて、更に食事に誘って貰って、それがあまりにも嬉しくて、つい――。
 全てを思い出した瞬間、私は果てしなく後悔した。

「……私が一方的にしただけで……グレイは優しいから、振り払わなかっただけで……」
「え? 待ってルリ、それって……」

 同僚は急に周囲を見回せば、私の耳元に唇を近付けて、小さく囁いた。

「それってさ、まだ付き合ってはないけどいずれは付き合いたいって事?」
「いや、そんな事……っていうか、それどころじゃないでしょ? 私はともかくグレイは入所したばかりなんだし」
「いや、相手の事は一旦置いといて。ルリはそのグレイくんとやらの事が好きなんでしょ?」

 さすがに『好き』の意味が単なる仕事仲間や友人としてではなく、恋愛感情の意味だというのは理解している。けれど、どう答えたら良いものか。グレイの事を気に掛けてはいるし、HELIOSで上手くやって欲しい、心からそう思っているけれど、恋愛だとかそんな風に意識した事はない。でも、グレイの事を『好きじゃない』と突っ撥ねるのは、それはそれでなんだか違う気がする。

「……わかんない……」
「はあ〜!? ルリ、あんた恋愛一年生!?」

 最早小声ではなくなり、呆れ顔で大きな声でそう告げた同僚に、私は何も言い返せなかった。まさにその通りで、ぐうの音も出ないからだ。無言で頷くと、今度は相手が口をぽかんと開けて然とした。

「信じられない。いや、美人なのに何故か男と縁がない人とか世の中にはいるけどさ……私てっきり、ルリは男と同棲してるぐらいに思ってたけど」
「そんな風に見えてたの?」
「うん、あまり隙がないし、がっついてるようにも見えないし……」

 そういう風に見てくれていたのは有り難いけれど、今までそういった出会いがなかった理由がまさかこんな形で判明するなんて。

「まあまあ、そう落ち込む事ないって。グレイくんと付き合えるといいね。協力するよ」
「いや、駄目だって! グレイはルーキーなんだし、LOMも控えてるし今は大切な時期で……」
「そもそも恋愛でダメになるようじゃ、この先ヒーローやっていけないと思うけど?」
「いや、それでも、今はまだ……」
「じゃあLOMが終わったら告白する!」
「早いって! 大体まだ『そういう』好きって決まったわけじゃ……」

 なんだか話がどんどんおかしな方向に行ってしまっている。私はグレイの事は嫌いじゃないどころか寧ろ好き(恋愛感情があるかは別として)だし、周りに何を言われても、事実を淡々と返せば良いだけなので特に困らない。けれど、グレイはそうじゃない。もし嫌な思いをしてしまったらと思うと、申し訳ない事この上ない。

 今後グレイと一緒に食事に行く機会があれば、他の誰かに同伴して貰った方が良いかも知れない。そうすれば変な噂も経たなくて済むし。
 そんな事を考えていると、ふと自分がしていた口約束をを思い出した。
 ただの口約束。でも、ちゃんと実行した方が良い内容だ。

 前にアッシュと揉めていた時に、グレイが間に入って助けてくれた事があった。その時に、グレイとビリーに何か奢る、なんて口走っていた。
 二人とも忘れていそうだけれど、口だけだと思われてしまうのもちょっと悲しいし、どこかのタイミングで二人を誘って食事に行こう。この時はまだ呑気にそう考えていた。





 簡単に『奢る』とは言っても、一体どんなものが喜ばれるんだろう。自分が好きなものが相手も好きとは限らないし。グレイはカップケーキが好きだって言ってたけど、ビリーは……十代男子の好みって何なんだろう。自分が十代の頃――アカデミー時代は、人とぶつかる事が多かったし、あとは勉強に明け暮れる日々で、青春なんて無かったに等しい。そんな私が十代の異性が興味を持つものなんて知るわけもなく、考えて答えが出る事ではなかった。

 ただ、幸いな事に彼もまたヒーローであり、ルーキーと云えども調べれば自己紹介のような情報はあっさり出て来る。そこに書かれているものが嘘か真かはひとまず置いておくとして、ビリーの紹介を見たところ、彼はキャンディが好物のようだ。
 私としては、彼のような一見当たり障りがないように見えて、一切隙がないような子こそ『隙がない』タイプに見えるのだけれど、それはともかく案外可愛いところもあるものだ。

 二人とも、案外味の好みが似ているのだとしたら、どちらかが無理して付き合うような事態にはならないだろう。ただ、どんなお店が良いんだろう。あまり高級なところだと逆に気を遣わせそうだし、カジュアルなスイーツショップみたいな場所が良いんだろうか。

「ルリ、何かお困りデスカ?」
「ねえ、ジャックに参考意見を聞きたいんだけど……イーストセクターのルーキーの子たちに助けて貰った事があって、何か奢るって約束したの。でも、どんなお店がいいか悩んでるんだ」

 昼休憩中、珈琲をお供に共有スペースで端末を弄る私の傍に、ノヴァ博士が開発したロボット『ジャック02』が現れて、ごく普通に相談してしまった。というのも、このジャックはかなり優秀なロボットなのだ。下手に人に相談するよりも物事が早く解決すると言っても過言ではない。ヒーローの任務をサポートするだけでなく、家事全般もこなせるし、私もルーキー時代ここで暮らしていた時は相当お世話になった。尤も、こんな個人的な事を相談するのはどうかと思うけど。

「ルリ、どうしても『奢る』必要があるのデショウカ?」
「え? ええと、その場のノリで言っちゃっただけで……言ったからには守らないとって思ってたんだけど……」
「助けて貰った事のお礼であれば、何かをプレゼントするのはどうデショウカ?」
「ああ、そういうのもアリか……別に奢って欲しいなんて思ってなかったとしたら、かえって迷惑になるし、何かさりげなくプレゼントする方が重くなくて良いかもね」

 一応、何かをプレゼントするのも『奢る』の範疇になりそうだし、ここはジャックのアドバイス通り、スイーツショップで彼らの好きそうなものを買って、LOMが終わった後にでも『お疲れ様』の意味も込めて渡せばごく自然だ。よし、これで決まり――

「ルリちゃま、グレイちゃまに何かプレゼントするノ?」
「ひえっ!?」

 突然私とジャック以外の声が聞こえてきて、つい素っ頓狂な声を上げてしまった。
 ふと足下を見れば、ジャックより小さいサイズのロボット――ジャクリーンが私を見上げていた。この子は量産型ロボットのジャックと違って、唯一無二の存在だという話をどこかで聞いた事がある。

「そんなに驚くなんて失礼ナノ〜」
「ごめんね、まさかグレイの名前が出て来るなんて思わなかったから……」
「色んな人がウワサしてたノ、ルリちゃまとグレイちゃまが『コイビト』――」
「違う違う! 誤解しないで! 恋人じゃなくて友達!」

 同僚も知ってたし、一体どこまで話が広がっているんだろう。とにかく逐一否定していくしかない。本当にグレイには申し訳ない事をしてしまった。アカデミー時代ろくに話もしなかった、彼が辛かった時に手を差し伸べる事すらしなかった女の愚痴を聞く羽目になるわ、挙げ句の果てに勝手に噂まで立てられて。お礼というよりお詫びという意味でプレゼントを渡した方が良いぐらいだ。

「ルリちゃまとグレイちゃまは『トモダチ』ナノ?」
「うん。あとプレゼントはグレイだけじゃなくて、ビリーくんにもあげるつもりだよ」
「ルリちゃま、ソレって『フタマタ』ナノ〜!!」
「あの、意味分かって言ってる? 友達だからね?」

 このジャクリーンは普通のロボットではなく、限りなく人間に近い意志を持った生命体と思うほど、なかなかユニークな受け答えをする子なのだ。こちらが相手のペースに巻き込まれてしまう程度には。

「困っているところを二人に助けて貰った事があって、お礼をしたいけど何がいいかなってジャックに相談してたんだ。二人とも甘いものが好きみたいだから、スイーツでも買ってプレゼントしようかと……」
「ソレだと、二人とも人気のお店は既にチェック済みかもしれないノ〜」
「ああ、そっかあ。プロフィールに書くほど好きなら、私が選んだものはもう既に堪能してる可能性大か……ううん、どうしよう……」

 また振り出しに戻ってしまった。そもそも『異性の友達』に何をプレゼントすれば良いのかまるで分からない。あまり凝るとそれこそ恋愛対象として意識してるのか、なんて思われそうだし。
 こんな個人的な悩みに二人(二体と言った方が良いんだろうか)を付き合わせるのも申し訳ないし、もう大丈夫だから、と告げようとした瞬間。

「スイーツをプレゼントするなら、ルリちゃまが作ればいいと思うノ〜」
「え?」

 思いがけないジャクリーンの提案に対し、驚く事にジャックまで同意してみせた。

「確かに、ルリの手作りであれば、市販のスイーツではないオリジナルのプレゼントになりマスネ」
「ええ?」
「決まりナノ〜! ルリちゃまの次のオフの日に、共有用の調理ルームを空けておくノ〜」
「待って!? そんな勝手に……」

 大体最初は何かを奢るつもりで、お店に行くとしたらLOMが終わってから、なんて悠長に考えていたし、そもそも私の次のオフの日は――明日だ。
 ジャクリーンを止めようとしたけれど、懇願するような目で私を見上げている……ように見えて、つい、流されてしまった。

「じゃあ……明日、よろしくお願いします」
「了解ナノ〜」
「我々がルリをサポートしますから、安心してクダサイ」
「た、頼もしいです……」

 こんな事に二人を付き合わせてしまうなんて、『ある人』にバレたら物凄く罵られてしまいそうだ。そんな嫌な予感に内心震えつつ、突如として騒がしい料理教室が開催される事になったのだった。

2021/01/28
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