MDM前夜祭は急遽開催が決まったにも関わらず、観客席はほぼ満員と言っても過言ではなかった。
 ここで怖気付く程弱くはないつもりだ。私は……ううん、『私たち』はこれまで多くのライブをこなして来た。ひとりじゃない。仲間たちがいるのだから、恐れる事なんて何もない。皆がいるから――ユニットを組むアイドルは、皆そうだと思っていた。
 そう思い込んでいた。

 あくまで私たちは前座で、主役はEdenとfineだ。MCは最小限に、歌とダンスだけで観客を盛り上げる。いつもより大きな箱でも客席は見渡せる。お客さまの顔を捉え、パフォーマンスで語り掛ける。勿論これは比喩だけれど、ひとりひとりと対話するつもりで歌い踊る。それで誰かひとりでも、私たちのファンになってくれたら成功だ。
 驚くほど前向きに、というよりいつもの自分に戻れたのは、本番前に漣に励まされて『負けてはいられない』と思えた事、それに、嘘か真かは分からないけれど、天祥院英智から巽さまと再会出来る事を仄めかされたからだろう。我ながら単純だ。



「大成功に終わりましたね、光莉先輩!」
「私たちの出番は終わったけど、前夜祭自体はまだこれからですからね。家に帰るまでが遠足、全てのセットリストが終わるまでがライブですよ」

 パフォーマンスを終えて控室に戻り、すっかり寛いでいる後輩たちに苦言を呈しつつ、元々備え付けられていたモニターに目を移す。今この瞬間も舞台上の前夜祭が中継されており、EdenとfineというESビッグ3のうち2つのユニットが共にパフォーマンスを魅せるという、夢のようなステージが繰り広げられていた。

「Edenとfineだけでも充分凄いけど、もしここにKnightsがいたら、ビッグ3が揃ってたんですね」
「どうせなら見たかったよね〜」
「瀬名泉くんが海外拠点にしてるけど、確かKnightsもMDMに出るから日本に戻って来てる筈だよね?」
「まあ前夜祭の開催もあまりにも急だったし、全員の予定が付かなかったのかもね」

 そんな呑気な話をしていられるのも今だけだった。パフォーマンスを終えた後、Edenの七種茨――七種副所長が観客へ向かって言葉を紡ぎ始める。単なるMCじゃない。『Crazy:B』の不祥事に対する謝罪と説明だった。

「別に副所長が悪いわけじゃないのに、ここまでさせるなんて……Crazy:Bの人たち、本当にやらかし過ぎですよ」
「ていうか光莉先輩、こないだ私たちが天城燐音に絡まれた時、助けてくれましたけど……本当に大丈夫だったんですか?」
「『何もなかった』って言われても、実際寮に帰って来るのも遅かったし……」
「たまたま知り合いに会って話し込んだって言ってましたけど、先輩が天城燐音に脅されてないか今でも半信半疑なんですよ、私たち」

 どうやら後輩たちにとって天城燐音を筆頭とする『Crazy:B』は、とんだ悪役になり果ててしまっているようだ。と言っても、帰りが遅くなったのはALKALOIDの礼瀬マヨイさまとゆっくりお話をしていたからだし、私の知るCrazy:Bのメンバーは誰ひとりとして私に危害を加えてはいない。
 もっと冷静に、一つの視点だけに捕われず俯瞰して物事を見るべきだと思うのだけれど、それを説明して受け容れて貰うのは至難の業だし、意見の押し付けにもなり兼ねない。
 こういう時、巽さまなら納得して貰えるように上手く説明出来るんだろうな――なんて思っていると、目を疑う光景がモニターに映し出された。
 天城燐音が一人で、ステージに姿を現したのだ。

「うそ、天城燐音じゃん」
「この場で謝罪させるって事?」
「確かに他所のユニットに喧嘩売って迷惑は掛けたけど、ここまですると公開処刑じゃない……?」

 一体何が始まるのか分からず、さすがに後輩たちも困惑していた。いくら副所長でも、公開処刑なんて事はしないと思う。そこまでするなら、とうに首を切ってその旨を大々的に報告している。
 きっと単なる謝罪をさせるだけではない。副所長には何らかの策がある筈だ。

『我々が現状を看過すべきではないと判断して、念入りに調査した結果――Crazy:Bが繰り広げた数々の蛮行には、理由があると判明しました。いいえ。彼らにこのような振る舞いをさせた主犯が、黒幕がいることを突き止めたんです』

 副所長が言うには、昨年末の『SS』で、Trickstarの明星スバルを貶めたコズプロ上層部の残党が、Crazy:Bを脅して暴動を起こすように仕向け、既に警察と協力して対処中、という事らしい。

「……つまり、天城燐音含めてCrazy:Bは悪くなかった……って事?」
「光莉先輩、どう思います?」

 後輩たちは怪訝な表情を浮かべていて、ひとりが私に問い掛けて来た。確かにあまりにも出来過ぎている。けれど、これが副所長が考えた最良のシナリオなのだろう。Edenとfineというトップユニットが、事務所の垣根を越えて共に舞台に立ち説明する事で説得性が増し、結果的にお客さまが納得すれば問題ないのだ。これならESという母体も傷付かず、Crazy:B自体もマイナスイメージは最小限で済む。『黒幕』が本当に存在するかどうかは、この釈明の場においては真実である必要すらない。

「……副所長を信じましょう。真実がどうであれ、私たちには関係のない――ううん、下手に首を突っ込んだら不利益を被るかも知れません」
「『真実がどうであれ』ですか……はあ、なんだかモヤモヤしますね」
「皆色々と思うところはあるだろうけど……極端な話、『今は』お客さまさえ納得すれば良い話ですからね」

 もし黒幕がいるという話が嘘だったとしたら、真実は遅かれ早かれ表に出る。簡単に揉み消せるなら、Crazy:Bの不祥事はここまで大騒ぎになっていない。
 つまり、この前夜祭における釈明はその場凌ぎで、この後様々な辻褄合わせとCrazy:Bのイメージアップを行っていくのだろう。なんて呑気な事を考えていると、突然モニターの向こう側で天城燐音が話し始めた。
 その話しぶりは、恐らくはシナリオにないものだ。こんな発言、副所長が許可するわけがない。

『これまでの紅月や流星隊、UNDEADなんかに対する過剰な誹謗中傷と暴力を思い出せ! 俺っちには他のアイドルに対する個人的な怨みがあった! だから脅されてるから仕方なく、って言い訳しながら必要以上に他のアイドルどもを傷付けた!』

 後輩たちだけじゃない。私も唖然としながら、天城燐音の訴えを聞いていた。その言い分は、七種副所長の説明を『一部』訂正するものだった。

『みんなは覚えてないかもしれねェけど、俺っちは前に一度ソロでデビューしてる! 正統派の王道アイドルだって謳われて、そこそこ人気もあったんだぜェ? でも! 後にESに繋がるEdenを筆頭としたユニットアイドルたちの活躍に押され、割を食って目立てなくなってあっという間に落ちぶれた!』

 ついに痺れを切らして、仲間のひとりが口を開く。

「何言ってるんですかこの人……前夜祭とはいえMDMの大舞台で……」
「わけわかんないですよぉ、こんな……お客さん達も困りますよこんなの」
「光莉先輩、私たちどうなっちゃうんでしょうか……」

 後輩たちが不安になるのは無理もない。天城燐音の言い分は、自分は自分の意志で、個人的な怨みで、他の事務所のユニットに危害を加えたという事だ。それが事実かどうかより、まずは彼を止める事が先決ではないのか。
 でも、誰も強引に止めようとはしない。敢えて止めないのではなく、止めようがないのではないか。この状況はきっと、シナリオにはない想定外の事だからだ。

『やる気のねェ他のCrazy:Bの連中を無理やり巻き込み、脅して従わせて、俺っちはアイドル業界への個人的な復讐をしてた! それが俺っちの望みだったからだ! 大変だったぜェ? 他の連中……椎名ニキも、桜河こはくも、HiMERUも! そんな悪いことはやりたくない、って文句たらたらでさァ? だからこそ! 俺っちはあいつらを舞台に連れ出すために何度も脅して凄んで暴力を振るって、俺っちの復讐のための刃に仕立て上げた!』

 嘘だ。そんなわけない。だって、私は彼らとは少ししか話した事がないけれど、それでも脅し脅される関係にはどう考えても見えなかった。寧ろ、首切り寸前のアイドルを寄せ集めてユニットを組ませた割には、互いに軽口を叩ける程度には打ち解けていて、ステージ上でパフォーマンスを魅せる彼らは、間違いなくれっきとしたアイドルだった。勿論、UNDEADのメンバーへの暴力行為や、紅月や流星隊への暴言は抜きにしての話だけれど。
 Crazy:Bは悪い事をして来た。別に擁護をしたいわけではない。そこまで彼らと親しいわけでもない。それでも、これだけは断言出来る。
 天城燐音は、嘘を言っている。

「光莉先輩!? どこ行くんですか!?」

 止めないと。ステージに立つEdenとfineが止められないなら、誰かが止めないといけない。コズプロ所属のアイドルが問題を起こしているなら、同じ事務所の人間が止めないといけないのだ。

「天城燐音を止めに行く!!」

 この時の私は冷静さを欠いていて、寧ろ後輩たちのほうが余程しっかりしていた。策もないまま控室を飛び出してステージに向かう私の後ろを、仲間たちが追い掛ける。

「光莉先輩、待ってくださ〜い!!」
「無茶です! それこそ後でどれだけ怒られるか!」
「そうですよ! 首突っ込まない方がいいって言ったの、光莉先輩じゃないですか〜っ!」

 仲間たちが正論を言っているのは分かっている。そもそも副所長が天城燐音を強引に止めない時点で、彼の暴走を止める必要はないと、冷静になれば分かる事なのだ。それなのに、この時の私は気が動転していた。今、彼を止めないと、この後会場は間違いなく大混乱になる。過去の経験則からそんな予感がしていたのだ。

 巽さまが玲明学園に革命を起こそうと、劣等生にも平等にアイドル活動を行う権利を与えるべきだと訴え、教師も生徒たちもその意志に従った結果――待っていたのは地獄だった。
 実力のない者が特待生と同じ仕事をこなせるわけがなく、本来楽しんで貰う筈のファンからも、支えてくれる筈の業界からも叩かれ、見放され、学園の評判は地に堕ちた。
 皆はその責任を全て巽さまに押し付けて――その後の事は思い出したくもない。

 もう、あんな滅茶苦茶な事はまっぴらだ。見たくない。思い出したくない。私たちは完璧なアイドルを演じて、お客さまは楽しんでくれて、業界や関係者の人達もアイドル活動を後押ししてくれる。そうして上手く循環して、この世界は成り立っている。何かが欠けたら、いとも簡単に崩れてしまう。
 今欠けようとしているのは、まさに私たちアイドルが一番大切にしなければならない『ファン』の信頼だ。

 ――自分が楽しんでねぇのに、お客さまを楽しませるなんて出来るのか?

 以前、天城燐音は私にそう言った。あの発言は私を思って、敢えて苦言を呈したのだと今でも信じている。彼にだって信念がある筈だ。私なんかが説得したって聞く耳を持たないに決まっている。向こうは私よりも芸歴も長く、私よりも実力があり、きっと、私よりずっと苦労もしてきている。偉そうに意見出来る立場じゃない。でも、手遅れになる前に止めないと、二度と取り返しの付かない事になる。



 ステージの舞台裏まで辿り着いたけれど、当然警備員が見張っている。強行突破しようと思ったものの、ほんの一瞬躊躇してしまって、その隙に仲間たちが私に追い付き後ろから抱き着いてきた。

「光莉先輩、目を覚ましてくださいっ!」
「あんな奴の為にリスクを負う必要なんてないですよ!」

 もう出番が終わった女子たちが何故か戻って来た事に、警備員や関係者の人たちが気付いて駆け寄って来た。ただ、関係者のお偉いさん方は私たちがここに来た理由を察したようだった。首を横に振って「気持ちは分かるけど駄目だよ」とやんわりと制してきて、私はついさっきまでの勢いを失ってしまった。
 お偉方の前で勝手な行動を取れば、それこそ以前副所長が庇ってくれたような甘い処置では終わらないからだ。
 私だけが処分されるならまだいい。連帯責任として、仲間たちまで巻き添えにしてしまう可能性だって大いにある。
 だから、何も出来ないけれど……せめて言いたい事は言わないと。

「あの……無礼を承知で申し上げたいのですが、強引にでも天城燐音の口を一秒でも早く塞がないと、コズプロ自体に大損害が発生してしまうと思うんです」

 私の訴えは、当然関係者全員がとっくに思っている事だった。それでも誰も動かないというのは――もう手遅れだったという事だ。
 危ないから控室で待っていなさい、というお偉方の言葉を受け止め切れず、せめて今ステージがどういう状態なのかだけでもこの目で確かめたいと、視界に入る場所まで歩を進めた。慌てて警備員の人が止めに入って、「大丈夫です、見るだけです」と告げて、暗幕から僅かに見える舞台をこの目に捉えた。

「なっ……何が起こってるんですか……!?」

 けたたましく鳴り響く足音。明らかに歓声ではない、怒りと嘆きに満ちた声。こんなの、アイドルのステージじゃない。まるで暴動だ。
 何も言えなくなった私の傍に、仲間たちが歩み寄って、皆無言で私の手を取った。皆で自然と身を寄せ合って、互いの顔を見つめ合う。皆不安を隠せず怯えた表情をしていて、きっと私も同じ表情をしているのだと悟った。

「……ごめんね、こういう時こそリーダーがしっかりしなきゃ」

 いくら感情的になっていたからといって、ここまで冷静さを欠いてしまうなんて。過去のトラウマと『今』は関係ない。仲間たちと未来を歩んでいくと決めたのに、私が過去に囚われたままでいてどうするのか。
 恐らくは、天城燐音ひとりの暴走であれば、彼を処分し出入り禁止にする事で、MDMは問題なく開催されるだろう。事後処理はMDMが終わった後、お偉方がする事だ。私たちはアイドルとしての責務を果たし、余計な事を考えてはいけない。
 そう分かっているのに、どうしても天城燐音の事が頭から離れなかった。例え仲間ではなくても、単なる同じ事務所のアイドルのひとりに過ぎないとしても、結局は彼の事など何も知らなかったとしても。それでも、何かが間違っているし、このままで良いわけがない――何も出来ないのに、私には何の力もないのに、ただただ心の中で葛藤を繰り返していた。

2020/12/06

Mein Herze
schwimmt im Blut

わが心は血の海に泳ぐ
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