七種副所長は、私への処罰を公にする事はなかった。そうは言っても、私自身の様子が変われば、自ずとユニットメンバーは察するようになる。なにせ、今まで私が当たり前のように口にしていた人物の話題を一切しなくなったのだから、無理もない。
 隠し通すなど初めから不可能なのだから、皆に気を遣わせる前に打ち明けておけば良かったのに。形式上と云えども、私がリーダーである事に変わりはないのだから、これでは後輩でもあるメンバー達への示しが付かない。もし彼女たちが悩みを抱えていた時に、隠し事をするような先輩に相談したいと思う筈がないからだ。

 副所長の言うように、巽さまと距離を置くのは良い事なのかも知れない。そもそもちゃんと面と向かって謝りたいと考えているのは私だけで、巽さまは寧ろ会いたくないと思っているかも知れないし。気付けば随分と日数も経ったし、今更謝られたところで、かえって気を悪くする可能性だって考えられる。
 これで良かった。そう思い――思い込もうとしていた私に、メンバーの皆は意外な事を口にして、正直驚いてしまった。

「もう会うなって、あまりにも横暴じゃないですか? 先輩、そこまで悪い事してないじゃないですか」
「大体『巽さま』が玲明に復学したら、光莉先輩は嫌でも顔を合わせる事になるし……」
「それに、大前提として別に二人は付き合ってない、単なる友達じゃないですか。恋人じゃないって考えたら、光莉先輩の行動に説明は付くし」
「寮に侵入って言っても、中で何したわけでもないし……完全に言いがかりですよ」

 頃合いを見て、ESビル内にあるレッスン室で一通りの事をやり終えた後、メンバーの皆に事の顛末をそれとなく打ち明けると、返って来た言葉は全て私を擁護するものだった。
 この時はどうして後輩たちがそこまで私を庇うのか、まるで理解出来なかった。てっきり呆れられるか、あるいは皆薄々気付いていただろうから、「大変でしたね〜」なんて適当な相槌で終わると思っていたからだ。

「皆、なんていうか……ありがとう。ただ、誤解を招く行動を取ったのは事実だから、そこは反省しないとと思って。万が一大事になって、私一人が更迭されて終わるならいいけど、ユニットの名前に傷が付いて、他のメンバーも隠れて男と付き合ってるんじゃないか、なんて誤解される恐れもあるからね」

 私の言葉に皆は納得いかないとでも言いたげに、眉間に皺を寄せたり唇を尖らせたりしたけれど、副所長の言い渡した処罰は何も間違っていない。それどころか、上層部が私をコズプロから追放しようとしていたのを庇ったとも取れなくもない。
 七種茨という人は、無駄な事はしない主義だと捉えている。私に対しても、『まだ』利用価値があると判断したからこそ、上手く手を回してくれたのだと思うし。そう考えたらさすがに目も覚める。私が今やらなければならない事は、想い人を追いかける事ではない。ユニットメンバーと共に仕事をこなし結果を出す事だ。

「良い機会だから言うけど……私、後輩であるあなたたちに気を遣わせてばかりだったと思う。私が巽さまの話をしなくなってからも、敢えて何も言わないでくれたんだと思うし」
「いや、単にタイミングが悪くて会えなくて、話すネタがないんだと思ってましたけど」
「そう? でも、ちょっと皆に甘えてたところがあるし……これを期に、巽さまに向けていた愛を、皆に向けようかと――」

 私が新たな決意を言い掛けた瞬間、メンバー全員が小さな悲鳴を上げた。……悲鳴?

「嫌です!! 絶対イヤ!!」
「は?」
「光莉先輩の愛なんて、重すぎて私たちじゃ受け止め切れませんって!」
「はい?」
「ていうか光莉先輩、気持ち悪いです」
「はああああ〜〜〜!?」

 人が折角いい事を言おうとしているというのに、この子たちと来たら……! 思わず怒鳴りそうになった私に、メンバーの一人が笑顔を向けた。

「光莉先輩、元気になって良かったです。やっぱり先輩はこうじゃないと」

 一体その『こうじゃないと』とはどういう意味なのか問い質したいけれど、それよりも私は今の今まで元気な様子ではなかったのだと気付かされて、それ以上何も言えなくなった。
 やっぱり私はリーダー失格だ。だからこそ、少しでも模範となるように、これからは彼女たちを見守る事を最優先に考えて行かなければ。そう思い直せただけでも、この一連の騒動は良い経験だったのだろう。騒動と言っても、幸い、誰一人として傷付いていないのだし。



 皆と一緒にレッスン室を出た後、ビル内の共有エリアで見覚えのある後姿が目に入り、自然と足が止まった。自販機の前で僅かに腰を屈めて、品定めしているようにも見えるその人は、つい先日カフェ『シナモン』で同席した、Crazy:Bの天城燐音だった。
 同じコズプロのアイドルだし、挨拶しない理由はない。声を掛けようと歩を進めたら、私の手を後輩のひとりが引っ張った。

「先輩、早く帰りましょう」
「え? うん、帰るけど」
「だったら早く! 気付かれないうちに……」

 何をそんなに焦っているのかと困惑していると、私が声を掛けるより先に相手がこちらの存在に気が付き、振り向いた。背が高く、燃えるような紅い髪は後姿でも見間違える事はないけれど、独特のオーラがあると称するべきか。外見の特徴よりも、ただそこにいるだけで自然と目を引かれる。天城燐音はそんな不思議な存在だった。

「光莉先輩、行きましょう。『Crazy:B』とは関わらない方がいいです」
「誰と関わっちゃいけないって?」

 後輩は小さな声で私に囁いたのだけれど、相手にもその声が届いてしまったようだ。天城燐音は不敵な笑みを浮かべて訊ねれば、こちらへ向かって歩を進める。
 後輩たちはまさか絡まれると思わなかったのか、明らかに怯えた様子で互いに見遣れば、恐る恐る私を見つめた。私の手を掴んでいた子に至っては、今にも泣きそうに顔を歪めさせている。
 別に何も怖がる必要はないのだけれど、やはりこの子たちも玲明の特待生といっても、大人相手に睨まれたら怯んでしまう存在なのだ。今こそリーダーとして一肌脱がなくては。ひとまず私は波風を立てず穏便に済ませる為に、一芝居打つ事にした。

「皆、夏休みの宿題まだ片付けてないんでしょ?」
「……は?」
「だから早く寮に帰って皆で勉強会するってさっき言ってたよね。私はもう終わってるから、先に帰ってていいよ」

 そう言ってメンバー一人一人に目配せすると、私の思惑に気付いてくれたようだ。皆一斉に頷けば、慌ててこの場を後にした。
 皆の姿が見えなくなったのを確認して、私は改めて天城燐音へと向き直り、頭を下げた。

「申し訳ありません、メンバーの子が失礼な事を言ってしまって。後できつく叱っておきます」
「仲間を逃がしてたった一人で悪党と対峙しようなんざ、光莉ちゃん、泣かせるねぇ」
「いや、天城さんは別に悪党じゃないじゃないですか」

 私の言葉に、天城燐音は面食らったように目を見開いた。別におかしい事は言っていない……筈だ。
 私は先程の後輩たちの不躾な発言や態度で、漸く彼女たちが私の仕出かした事を『大した事ではない』と捉え、庇ったのか、その理由が分かり漸く腑に落ちた。

 彼ら『Crazy:B』は、今や様々な事務所のユニットに喧嘩を売り、ステージ上で扱き下ろすようなライブを繰り返している。ルールに反してはいないとはいえ、倫理上問題がないかと言われれば話は別だ。彼らをこのまま野放しにしておけば、間違いなくコズプロの評価は地に堕ちる。ゆえに、私の後輩たちにしてみれば、私が巽さまに縋るぐらいは取るに足らない事なのだ。恋愛関係にないのは事実だし、もし誤解されても周囲が無実を証明してくれる。
 Crazy:Bの行っている事は、喧嘩を売られた他事務所だけではなく、同じコズプロに所属するアイドルにとっても、悪く言えば『傍迷惑な行為』だった。コズプロの評価が落ち業績が下がれば、自分達にも火の粉が降りかかるのは明白だからだ。

「光莉ちゃん、俺っちの事本当にそう思ってるワケ?」
「私個人としては、ですが。大体、本当に問題だと上が判断すれば、今頃とっくにクビになってる筈ですよ」
「へえ」
「つまり、事務所側も何か意図があって、あなた方『Crazy:B』を野放しにしているのだと思っていますが」

 何も間違った事は言っていないと思ったのだけれど、それまで興味深そうに耳を傾けていた天城燐音は、最後の発言で僅かに眉を顰めさせた。

「……あの、私、何か変な事を言いましたでしょうか」
「いや、気に食わねぇって思ってな」
「え? すみません、私まで不躾な事を……」
「光莉ちゃんが悪いんじゃねぇよ。この業界のお偉いさん方の思惑とやらが、な」

 天城燐音は一瞬険しい顔付きをしたものの、すぐに不敵な笑みを浮かべてみせた。そしてこの話は終わりとばかりに、私に向かって手を差し出した。

「というわけで、光莉ちゃん。お金貸して」
「何が『というわけで』なんですか!」
「ニキは掴まんねぇし、俺っちの喉はカラカラだ」
「はあ……ジュースぐらいなら別にいいですけど」

 先ほど自販機の前にいたのはそういう事だったのか。別に百円ちょっとなら返して貰わなくても構わないし、と私は溜息を吐きながら承諾すれば、近くの自販機まで歩を進めてスマートフォンを鞄から出した。ESビル内のものは大抵L$で買えるし、本当に至れり尽くせりだ。つい半年前まではこんな生活考えられなかった。

「はい、どうぞ。好きなの選んでください」
「現金で払わねぇの?」
「私はそれでもいいんですが、ES内での支払いはホールハンズで済ませるよう指示されてるので」
「それっていつどこで何に使ったか、全部事務所で分かっちまうんだろ? ったく、金の使い道までいちいち監視されるなんざ、本ッ当に反吐が出ちまう」
「疚しい事さえしなければ何も問題ないとは思いますが……」

 彼は文句を言いながらもちゃっかりお目当てのボタンを押下し、次いで私がスマートフォンを翳すと、電子音が鳴って瞬く間にペットボトルが受け取り口へと落下した。そして、次の瞬間。

「おっ?」
「え? こんなの初めて見ました」

 何やらキャンペーンでもやっているのか、自販機のモニターに『当たり』の文字が表示され、筐体が虹色のランプで光り輝いた。
 そしてもう一度、受け取り口で落下音がして、その後は何事もなかったかのように自販機は元の状態に戻っていた。

「この自販機、こんな機能あるなんて知りませんでした」
「今日は最高にツイてるぜ、この後パチンコに行けば大儲け確実っしょ! な、光莉ちゃん?」
「お金は貸しませんよ」
「いいだろ〜、光莉ちゃんにとっちゃ百円も一万円も変わんねぇだろ?」
「さすがにそれは変わります」

 これ以上は付き合い切れない。というかメンバーの子たちも心配しているだろうし、私もそろそろ寮に戻らないと。このまま立ち去ろうとした私の手を、彼は強引に掴んで引き留めた。

「まだ何か?」
「当たりの分、光莉ちゃんにやるよ」

 彼はそう言うと、私にペットボトルを押し付けた。断る理由もないけれど、逆に受け取る理由が思い付かなくて戸惑っていると、強引に手に持たされてしまった。

「あの、良いんですか? 折角当たったのに」
「二つもいらねぇし、そもそも光莉ちゃんの金だしな」
「まあ、私は買うつもりはなかったんですが……」

 今の言い方で、『お金貸して』なんて言いながら返す気はさらさらないのだと思いつつも、有り難く頂戴する事にした。確かにペットボトル二本ともなれば嵩張るし、変に気を遣って断るのもかえって失礼だ。

「天城さん、ありがとうございます。お礼と言うのも変ですが、後輩たちにはちゃんと同じ事務所のアイドルには敬意を払うよう、しっかり言い聞かせますので」
「いや、反応としてはあの子たちの方が正しいだろ。『Crazy:B』は鼻つまみ者だしなぁ、きゃははっ」
「あなた達の行いと周囲の評価がどうであれ、表向き取り繕って挨拶するぐらいの事はして欲しいですし。驕っていたらいつか痛い目を見ますしね」
「ふーん? じゃあ光莉ちゃんも取り繕ってるって事か?」

 その言葉とは裏腹に、天城燐音は決して私を非難するわけではなく、口角を上げて私を見据えて、どこか試しているように見えた。別に自分を良く見せるつもりはないけれど、今の私は割と自然体だと思う。

「普通です。HiMERUさんから聞いているかも知れませんが、私もかつて玲明学園では惨めな思いをしましたので。だからこそ、あの子たちも人を外面や立場だけで判断して欲しくはないんです」

 あの人たちはクビ寸前の落ちこぼれのユニットだ、他の事務所のユニットに喧嘩を売るような連中だ、だから関わらない方がいい――確かに一理あるけれど、それでは玲明学園の悪しき風習と変わらない。特待生と劣等生に分けられ、劣等生は奴隷のような生活を送る……成績によるランク付けはある程度必要だとしても、劣等生はどんな扱いをされても文句は言えないというのは間違っている。特待生になった今だからこそ、心からそう思えるようになったのだ。

「その心意気は立派だが、あまり正義を振り翳し過ぎると、お偉いさん方に目ぇ付けられちまうぜ? あ、もう怒られたんだったか」
「その話は忘れてください……」

 私に後輩を怒る権利などないと思われても仕方ないのだけれど、処世術を身に付けるという意味でも、あの子たちに諭すぐらいなら許されるだろう。玲明学園の特待生は態度が悪い、なんて思われたら、自分で自分の首を絞めてしまう事になるのだから。私が巽さま絡みの事で散々やらかしただけに、あの子たちも上層部に目を付けられるような振る舞いはしてはならないと分かってくれる筈だ。





 天城燐音と別れた後、寮に戻ろうとESビルのエントランスへ向かっていた私は、誰かが後を付けているなんて全く気付いていなかった。この施設は至る所に監視カメラが設置され、犯罪行為など出来ないと誰もが理解している。だからこそ、油断していた。
 監視カメラがあるとはいえ、死角は存在する。その死角にたまたま入ってしまった私は、次の瞬間、背後から何者かに口を塞がれた。
 何が起こったのか理解出来ず、頭が真っ白になった私に、謎の不審者が耳元で囁く。

「乱暴はしませんので……どうか、私に付いて来て頂けますか……?」

 最悪な事に、今このフロアには誰ひとり歩いていなかった。乱暴はしないなんて信用出来るわけがない。そう心の中で悪態を吐きながらも、私は誰かも分からない相手に頷くしかなかった。この人物が、まさか自分にとっての恩人になるなど、この時は未だ何も知る由もないのだから。

2020/10/11

Mache dich,
mein Geist, bereit

備えて怠るな、わが霊よ
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