禁断の狂宴
ウェイバーと一緒にいられる時間は、あとどのくらい残されているのだろう。
結局のところ、今の自分は現実から目を背けて逃げているだけなのだ。
このままではいけない。優花梨はアインツベルン城で、十分すぎる程それを理解した。
あのタイミングでアサシンを仕向けたのは、綺礼の意思ではなく時臣の指示に違いなかった。ライダーの能力を確かめる為であったとは思うが、間違いなく、マスターであるウェイバーを殺そうとしていた。それは紛れもない事実だろう。
――このままでは、いけない。
優花梨が眠りから覚醒した時、ウェイバーとライダーは部屋に所狭しと並べられた布団の中で寝息を立てていた。本来は、ウェイバーが今寝ている布団に優花梨がいるはずだったのだが、別々の布団とはいえ、優花梨とライダーが隣同士で寝る事にウェイバーがひどく反対し、最終的に優花梨がベッドを使う事となってしまったのだ。
カーテンの外はまだ薄暗い。明け方と呼ぶにはまだ早い、といった所だろう。優花梨はベッドから出ると、音を立てずにウェイバーの傍に行き、座り込んだ。
こんな風に、ウェイバーのあどけない寝顔を見る事が出来るのは、あと何回だろう。あとどれだけの時間が残されているのだろうか。
いや、そんな悠長な事を考えてはいられない。遅くとも、今日中には決断しなければ。
時臣の元へ、戻るか否か。
更に、ライダーのマスターに直接手は下さないで欲しいと、懇願すべきか否か。
自分がこんな事を考えているとウェイバーが知れば、きっと激しく怒るに違いない。それだけでなく、きっと嫌われてしまうだろう。
それでも、そうする事でウェイバーの命が救われるなら。
嫌われる事を恐れてはならない。
どうせ、叶わない恋なのだから。
改めてそう認識すると、堪らず涙が零れそうになる。そもそも、ウェイバーとこうして一緒に過ごしている事自体が奇跡なのだ。
やらなければならない事を後倒しにしてはいけない。最低でも、時臣に直接対面して、自分がウェイバーと共に行動している事に対して謝罪はしなくては、今までの恩を仇で返し続ける事になる。
でも、せめて、今この瞬間だけでも、ウェイバーの傍にいたい。
優花梨はウェイバーの隣に横たわり、その寝顔を愛おしそうに見つめた。
こんな時間がずっと続けばいいのに。叶わない願いだと分かってはいても、そう思わずにはいられなかった。
「――おい! 優花梨!」
いつの間にか寝てしまっていたらしい。耳元に放たれる怒鳴り声で、優花梨はゆっくりと目を覚ました。ぼんやりとした意識が徐々にはっきりすると共に、ウェイバーの赤面した顔が視界に入る。
「ん……おはよ、ウェイバー」
「オマエ…なんでここで寝てるんだよ…」
「あ、ごめん、うたた寝しちゃってた」
「質問の答えになってない」
ウェイバーもついさっき起きたばかりなのか、上半身を起こしただけの状態でこちらを見ている。互いにじっと見つめ合い、暫くして優花梨はぽつりと、素直な思いを口にした。今更恥ずかしがる必要はない。
「いったん目が覚めたんだけど、ウェイバーの寝顔が見たくて、つい」
「なっ…――ば、馬鹿! 朝っぱらから変な事言うな!」
こうして照れ隠しで怒るウェイバーを見る事が出来るのも、もしかしたら、これが最後なのだろうか。
豪快ないびきを掻いていたライダーも起き、優花梨達はマッケンジー夫妻とダイニングで朝食を共にした。一夜明けても、夫妻はライダーだけでなく優花梨に対しても友好的で、『アレクセイさん』の影響力は計り知れない事を、改めて思い知らされた。
朝食を終えて二階の部屋に戻ると、ウェイバーは思いもよらぬ事を口にした。
「優花梨、今日はライダー連れて街に行くぞ」
いくら危険の及ばない日中とはいえ、ウェイバーがライダーも連れて外に出たいと言うのには違和感を覚えたが、恐らく何か理由があるのだろう。特に追究する必要はないと優花梨は判断した。
「うん、わかった」
「今日は別に調査でもなんでもないから」
「そうなんだ。じゃあ三人で遊びに行くって事? 考えてみたら初めてだね、そういうの。楽しみ」
「遊びってオマエなぁ……いや、間違ってはいないけど」
ウェイバーが呆れつつも最後にぽつりと小声で呟いた言葉は、優花梨の耳には届かなかったが、どうやら遊びに行く事で確定らしい。妙なタイミングだが、きっと良い思い出になるに違いない。優花梨は嬉しさのあまり満面の笑みを浮かべる反面、このささやかな幸せがもうすぐ終わるであろう事を思い、胸の奥に僅かな痛みを覚えた。
新都を訪れるのは3日ぶりだ。あの時はまさか、こうしてウェイバーと肩を並べて呑気に歩けるとは思ってもいなかった。
偶然、アイリスフィールとセイバーに出会った事。
想い人の元へ行くよう、背中を押された事。
そして、ウェイバーの召喚したサーヴァントが、一言では言い尽くせない程の素晴らしい人物であった事。
様々な巡りあわせがあって、こんな幸せな一時を過ごす事が出来るのだ。つくづく自分は恵まれていると優花梨は改めて実感した。
今日は存分に楽しもう。
もしかしたら、今日がウェイバーと共に過ごす、最後の日になってしまうかもしれないのだから。
ひとまず昼食を済ませる為に、優花梨達は喫茶店へ立ち寄った。ライダーはその身体に見合うというべきか、大ボリュームの品を選び、対してウェイバーは珈琲のみを注文した。何度見ても極端なコンビだ。優花梨は微笑ましく思いながら、大きめのパフェを注文した。
頼んだ品が全て揃い、ウェイバーは苦虫を噛み潰した顔で珈琲を啜りながら、食べっぷりの良いライダーを横目で見遣り、続いて恍惚の表情でパフェを頬張る優花梨を見て、デリカシーの欠片もない言葉をさらりと言ってのけた。
「優花梨……オマエ、太るぞ」
「甘いものは別腹だから大丈夫」
「その自信はどこから来るんだよ」
「ウェイバーこそ、それだけでお腹すかないの? 私の食べる? はい、あーん」
冗談のつもりだったのだが、生クリームをたんまりと掬ったスプーンを差し出すと、ウェイバーは顔を真っ赤に染めて眉を顰めた。
「食べねーよ、馬鹿。つーか、公衆の面前でそういう事やるなよ」
「む? 食べぬのか坊主。ならば余が頂こう。あーん」
「なっ!?」
優花梨が差し出したスプーンは、瞬く間にライダーによって蹂躙され、驚愕のあまり声にならない声をあげるウェイバー。そんなマスターの様子を気にもせず、ライダーは恐らくは初めて口にしたであろう生クリームの味に、目を瞬かせた。
「おおっ、美味いなコレ!」
「あっ……お、お気に召して光栄です」
「何が光栄だ! つ、つーか間接キスだろそれ! あっさり受け入れるなよ!」
勢いよく立ち上がれば、空になったスプーンを指差し怒鳴るウェイバーに、ライダーはぽかんとした表情を浮かべた。優花梨はウェイバーの言葉を心の中で反復すると、みるみるうちに頬を赤らめた。
ウェイバーが焼きもちを妬いているかと思うと、気恥ずかしい事この上なかった。
ウェイバーが新都に繰り出した事を不思議に思っているのは、優花梨だけでなくライダーも同じだった様だ。
喫茶店を出て、率先して歩くウェイバーの背中に向かって、ライダーは率直に訊ねる。
「しかしまた、どういう風の吹き回しだ?」
「別に。ただの気分転換だよ。いいんだよ、オマエは何も考えなくて。大体オマエだって、盛り場を出歩きたいって一昨日からずっとゴネてたじゃないか」
「うむ。異郷の市場をひやかす楽しみは、戦の興奮に勝るとも劣らぬからな」
「…そんな理由で戦争ふっかけられた国は、本当に気の毒だよな」
ウェイバーは溜息を吐いて、妙な言い方でぽつりと呟く。やはり今日のウェイバーは少々様子がおかしい。とはいえ、今は聖杯戦争の真最中だ。マスターであるウェイバーにしか分からない苛立ちもあるのだろう。
「なんだ坊主? その、まるで見てきたかの様な言いぐさは?」
「いいんだよ。こっちの話だ」
何も話す気はないとでも言いたげなウェイバーの態度に、ライダーと優花梨は互いに目を見合わせ、首を傾げた。
暫く歩いていると、駅前の商店街に辿り着いた。優花梨も数回訪れた事がある場所だった。ウェイバーは一軒の本屋の前で立ち止まると、振り返って優花梨とライダーに言い放った。
「じゃあボクは、暫くこの本屋にいるから」
「うむ」
「えっ」
頷くライダーと対称的に、優花梨は驚きの声をあげた。この言い方は、完全に別行動と取るという事以外有り得ない。
残念そうに俯く優花梨をちらりと見つつ、ウェイバーはライダーへ諭すように告げる。
「とりあえずオマエは何やっててもいいけど、このアーケードからは絶対に出るな。昼間だからって油断するなよ。もし万が一ボクが襲われたら、オマエだって一巻の終わりなんだからな」
「うむ、うむ」
ウェイバーの言葉を聞き流すかの様に、ライダーは視線を店の数々へと移す。酒屋、玩具屋、ゲームセンター……アーケードには、いかにもライダーが好きそうな店が揃っている。
「征服するなよ。略奪するなよ」
「えっ!?」
「『えっ!?』じゃねぇぇよっ! もう!」
ウェイバーはすかさずツッコミを入れると、ライダーの手に自身の財布を押し付ける。
「万引きも、無銭飲食も、一切ナシだ! 欲しいものがあったらきちんと金を払え! それとも令呪で言い聞かせないとわからないか!?」
「はっはっは。何を無粋な。マケドニアの礼儀作法はどこの宮廷でも文明人として通用したのだぞ」
ライダーは笑いながらそんな事を言ってのけたが、昨晩のマッケンジー夫婦との一時を思い返せば、常識破りな事はしないに違いない事は、優花梨もウェイバーも理解していた。
「よし、じゃあ行くぞ小娘」
「えっ? あ、は、はい」
「なっ!?」
ついて来いとばかりに優花梨に言ったライダーに、優花梨はきょとんとしつつも流されるように頷いた。それがウェイバーにとって想定外だったのか、驚愕の声をあげる。
「坊主よ、何を驚いておる。小娘の面倒は余がちゃあんと見るから安心するが良い」
「待て待て待て! 面倒見られるのは逆にオマエだろ! って、そうじゃなくて! なんで優花梨がオマエと一緒に行動しなきゃいけないんだよ!?」
「ウェイバー、私は別に構わないよ」
人の多い商店街という事もあり、優花梨は笑みを浮かべて宥める様にウェイバーにそう告げた。だが、それが気に食わなかったのか、ウェイバーの眉間に思い切り皺が寄る。
「ああそうかよ、勝手にしろよ」
「ははは、そう落ち込むでない」
本屋に消えたウェイバーを見送った後、ライダーは笑いながら、落ち込む優花梨の頭を豪快に撫でた。
「……私も一人で行動すれば、丸く収まったんでしょうか」
「ん? そこまで深く考える必要はなかろうて。坊主が嫉妬するのはいつもの事ではないか」
「いつもの事…そ、それもそうですね」
優花梨はぎこちない笑みを浮かべて、ライダーと共に歩き出した。
いつもの事。ごく当たり前の態度。もしかしたら、もう見れなくなってしまうかもしれないのだ。だからこそ、なるべく険悪な雰囲気にはなって欲しくなかった。合流する頃には、ウェイバーの機嫌も少しは直っていると良いのだが。
そんな事を考えながら、優花梨はライダーに連れられてゲームショップへと足を踏み入れた。
合流したら、ウェイバーの機嫌は間違いなく悪化するに違いない。
ライダーの手元には大きな紙袋がある。中身は、ライダーのTシャツに描かれている『アドミラブル大戦略』のゲームソフト、そしてそのゲームをプレイする為のゲーム機だ。
まさかウェイバーも、まさかここまで高い買い物をするとは思いもしないだろう。優花梨は慌てて止めに入ったのだが、ライダーは一切聞かなかった。なんと、まさに今日がこのゲームの最新シリーズの発売日だったのだ。止めたところで、聞く耳を持たないのも無理はない。
「今日は実に良い日だ! ははは」
「嬉しいのは分かりますけど、絶対ウェイバーに怒られますよ」
「なあに、パッドは坊主の分もあるから問題あるまい」
「そ、そういう問題では…」
この状況を知った時のウェイバーの気持ちを思うと、正直同情せざるを得ない。引きつり笑いを浮かべていると、突然ライダーが屈んで視線を合わせてきて、優花梨ははっと我に返った。
ライダーの眼差しは真剣そのものだ。
「小娘。何を思い悩んでおる」
「えっ?」
「余が気付いていないとでも思ったか? 坊主よりも貴様の方が、余程様子がおかしいぞ」
これも王たる故なのだろうか。何もかも、見透かされている気がする。
優花梨は暫く黙り込んだ後、視線を地面に落として口を開いた。
「ライダー。私は今夜にでも、あの家を出て行こうと思っています」
ライダーの目がぎらりと光る。視線を合わせなくとも、優花梨には痛い程伝わってくる。
「そりゃどういう事だ」
「以前にも話したかと思いますが……私はアーチャーのマスターの庇護を受けていました。今私がウェイバーと行動を共にする事は、裏切り行為である事に他なりません」
「それを承知の上で、坊主を追って来たのではないか?」
「…はい、感情だけに任せて、無責任に…」
「それの何が悪いのだ。それとも何か? アーチャーのマスターの方が、坊主よりも大事だっていうのか?」
それは優花梨にとって、聞き捨てならない言葉だった。どちらが大事かという問題ではない。
「…ウェイバーの事は大好きです。この身を賭しても良い位…。ウェイバーは私にたくさんの感情を教えてくれました。本当に…大好きで……だからこそ、離れなければ…」
優花梨の声は徐々に涙混じりになっていき、最後まで言いたい事を口にする事が出来なかった。
当然、優花梨の過去など知らない、知る必要もないライダーは、やれやれと溜息を吐けば、その大きな指で優花梨の目元の涙を乱暴に拭った。
「何も今日離れる必要はないではないか。決断するのは、万が一、否応なしに選択を迫られた時で構わぬと余は思うがな」
ライダーはそう言うと満面の笑みを見せ、優花梨の頭を優しく撫でた。荒っぽい彼にしては珍しい事もあるものだ。気を遣っているのだろう。
優花梨は顔を上げ、ライダーへぎこちない微笑を向けた。
ウェイバーと合流する為に、優花梨とライダーは本屋へ向かった。意外と大型の店で、ウェイバーを探すのにもだいぶ時間を要する事となった。
優花梨よりも先にライダーがウェイバーを発見し、別に勝負をしていたわけではないのだが、優花梨は微妙に悔しさを味わってしまった。
「おお、いたいた。そうチビっこいと、本棚の間にいたんじゃ全然見えんなぁ。捜すのに苦労したわい」
「普通の人間は本棚より小さいんだ、馬鹿。……で、何買ってきたんだよ?」
これだけ大きな紙袋だ。ウェイバーの質問は至って当然である。
ライダーは嬉しそうに、紙袋からゲームソフトを取り出してみせた。
「ほれ! なんと『アドミラブル大戦略IV』は、本日発売であったのだ! 初回限定版だ! ふはは、余のLUCはやっぱり伊達ではないな!」
「あのな、そういうものはソフトだけ買ったって……」
ウェイバーはそう言い掛けた後、閉口した。ライダーの手元の紙袋の大きさからいって、ソフトだけという事は有り得ないからだ。
「さあ坊主、帰ったら早速対戦プレイだ! パッドも二つ買って来たからな!」
「ボクはな、そういう下賤で低俗な遊戯に興味ないんだよ」
怒らなかっただけ良かったと優花梨は思ったが、ある意味予想通りだがライダーは不満顔だ。
「あーもう、なんで貴様はそうやって好き好んで自分の世界を狭めるかなぁ……ちったぁ楽しい事を探そうとは思わんのか?」
「うるさいな! 余計な事に興味を割くぐらいなら、真理の探究に専念するのが魔術師ってもんだ! ボクにはな、テレビゲームなんぞに消費していい脳細胞なんて、これっぽっちもないんだよ!」
「んで、そういう貴様が興味を持ってたのはこの本か?」
ライダーがウェイバーを見つけた時、慌てて本を棚に戻したのは、優花梨も目の当たりにしていた。普通の本屋に魔導書の類などあるわけがないのだが。
ライダーが迷わず手に取った本を、優花梨は背伸びして覗き込んだ。
「ちちち違わい! っつうか何で分かった!?」
「これ一冊だけ逆さまに本棚に入ってりゃあ、誰だって気がつくわ。……っておい、『ALEXANDER THE GREAT』って……こりゃ余の伝記ではないか」
ライダーの言う通り、表表紙にも背表紙にも、はっきりとそう書かれている。ウェイバーへ視線を移すと、恐らく、優花梨が今まで見てきた中で一番と言っても過言ではない程、赤面していた。
わざわざ新都まで繰り出して読みたかった本が、自身のサーヴァントの伝記だったのか。
「おかしなヤツだなぁ。そんな真偽も分からん記録なんぞあてにせんでも、当の本人が目の前にいるんだから、直に何なりと訊けば良いではないか」
ライダーのいう事は全く以てその通りなのだが、ウェイバーの性格上、それが出来なかったのだろう。それが分かる優花梨は、ウェイバーが赤面する理由もなんとなく理解出来た。
「ああ訊いてやる! 訊いてやるよ!」
当のウェイバーは、最早ここまで言われたら開き直るしかないだろう。ライダーから本を奪い取ると、必死でページを捲ってとある一ページをライダーに見せつけた。
「オマエ、歴史だとすっげぇチビだったって事になってるぞ! それがどうしてそんな馬鹿でかい図体で現界してるんだよ!?」
「余が矮躯とな? そりゃまたどうして?」
「見ろよコレ! オマエがペルシアの宮殿を落としてダレイオス王の玉座に座った時の記録、足が届かなくって踏み台の代わりにテーブルを用意したって書いてある!」
「ああ、ダレイオスか! そりゃ仕方ねえわ。あの偉丈夫と比べられたんでは是非もない。……かの帝王はなぁ、その器量のみならず体躯もまた壮大であった。まっこと強壮なるペルシアを総べるに相応しい逸れ者であったよ」
優花梨とウェイバーは思わず顔を見合わせ、ごくりと息を飲んだ。ライダーが嘘を言っている様には思えない。だが、このライダーより壮大とは、一体どんな人物であろうか。
「納得いかない……なんだかすっごく納得いかない!」
「それ言ったら、アーサー王なんか女だぞ女。余の体格の逸話なんぞよりよほどタチが悪いわい。まぁ要するに、だ。何処の誰とも知れんヤツが書き留めた歴史なんてもんは、別段真に受けて有り難がる程のもんでもないって事だな」
確かに、あのセイバーがアーサー王である事の方が、驚きの度合いとしては大きいかも知れない。優花梨はライダーの言葉に納得したが、ウェイバーはそうではない様だ。
「どうでもいいっていうのかよ? ……自分の、歴史だってのに」
「ん?別に気にする事でもないが。……変か?」
「変だろ。いつの時代だって、権力者ってのは、自分の名前を後世に遺そうと思って躍起になるもんだろ。妙な誤解とかされてたら、怒るのが普通だろうが」
「フン、そりゃまあ、史実に名を刻むというのも、ある種の不死性ではあろうがな。余に言わせりゃ何の益体もありゃせんわ。そんな風に本の中の名前ばっかり二千年も永らえるぐらいなら、せめてその百分の一でいい。現身の寿命が欲しかったわい」
ライダーはそう言って苦笑した。確かアレキサンダーは短命だった筈だ。優花梨よりも、今まさに伝記を読み解いたウェイバーの方が、ライダーの言葉の重みを感じているに違いない。
「あーあ。あと十年あったらなぁ。西方だって遠征出来たんだけどなぁ」
「…いっそ聖杯に願うなら、ついでに不老不死も叶えたらどうだ?」
「不死かぁ。いいなそれ。死ななかったら宇宙の果てまで征服し放題だなぁ」
瞬間、ライダーの顔色が変わる。思わず優花梨はびくりと肩を震わせた。
「そういえば、ひとたび掴んだ不老不死をあっさりと手放した馬鹿者もおったっけな。フン、やっぱりあの野郎は気に食わん」
それが誰の事を言っているのか、ウェイバーは知る由もなく、また、それがまさに遠坂時臣が召喚したサーヴァント――アーチャーである事など、優花梨も分かる筈がなかった。
夕暮れに染まる帰り道。ウェイバーは黙り込んだままだった。楽しい一時を過ごせると思っていた優花梨にとっては、残念でもあったが、ライダーの言葉が脳裏を過ると、こんな日があっても悪くないと思えた。
『決断するのは、万が一、否応なしに選択を迫られた時で構わぬと余は思うがな』
不思議な事に、ライダーにそう言われると、本当にそうしても許されるのではないかと、甘い考えを抱いてしまう。
このままではいけない、理屈ではそう分かっている筈なのに。
「なーにを黙り込んどるのだ? んん?」
先程涙を見せていた優花梨は兎も角、ウェイバーまで様子がおかしいのは流石に不思議に感じたのか、ライダーは笑みを浮かべながら、己のマスターへ訊ねた。
「…別に。オマエの事、つまんないなって思っただけだ」
「なぁんだ。やっぱり退屈しとるんじゃないか。だったら意地張らずにこのゲームを」
「違う! オマエみたいな、勝って当然のサーヴァントに聖杯を獲らせたって…ボクには何の自慢にもならない! いっそアサシンとでも契約してた方が、まだやり甲斐があったってもんだ!」
突然声を荒げるウェイバーに、優花梨は驚きを隠せなかった。怒り出した事よりも、その言葉の意味に。対して、ライダーは顎を掻いて、至って呑気に構えている。
「そりゃ無茶だったんじゃないかのう。たぶん死んでるぞ。貴様」
「いいんだよ! ボクがボクの戦いで死ぬんなら文句ない! そう思ってボクは聖杯戦争に加わったんだ! それが――なんだよ! いつの間にやらオマエの方が主役じゃないか! いつだってボクが命令するより先に勝手な事ばっかりしやがって! ボクの立場はどうなる? 一体何の為にボクはニッポンなんかに来たんだよ!?」
「そんな事言われてもなぁ……貴様が聖杯に託す願いが、余を魅せる程の大望であったなら、この征服王とて貴様の差配に従うのも吝かではなかったが。……如何せん、背丈を伸ばしたいってだけが悲願じゃなぁ」
「勝手に決めるなよ! それっ!」
思えば、優花梨がウェイバーの本音をはっきりと聞いたのは、これが初めてだ。
これほどの力を持ち、またライダーの性格を考えれば、まだ見習いの魔術師にとっては、劣等感を抱くのは当然だ。仮に自分がウェイバーと同じ立場であったとしても、同じ悩みを抱えただろう。
だから、ウェイバーが怒るのも無理はない。でも、きっと、ライダーはそれもちゃんと見越しているのではないだろうか。
「なあ坊主、そんなに焦らんでも良かろうて。なにもこの聖杯戦争が貴様にとって人生最大の見せ場って訳じゃなかろう?」
「何を――ッ!」
「いずれ貴様が真に尊いと誇れる生き様を見出したら、その時には否が応にも自分の為の戦いを挑まなければならなくなる。己の戦場を求めるのは、そうなってからでも遅くない」
ウェイバーと自分の悩みはまるで異なる。だが、ライダーが自分に諭した事とどことなく似ていて、優花梨はつい微笑を零した。
それがウェイバーの目に留まる。馬鹿にされていると勘違いしたのか、ウェイバーは優花梨の事を思い切り睨み付けた。
「ウェイバー…?」
当然、そんなつもりは全くない優花梨は、不思議そうにウェイバーを見つめた。それが尚更癪に障ったのか、ウェイバーは優花梨とライダーを交互に睨む。
「……この契約に納得出来ないのは、なにもボクだけじゃないだろう」
「ん?」
「ライダー、オマエだって不満だろうが! こんなボクがマスターだなんて! 本当はもっと違うマスターと契約してれば、よっぽど簡単に勝てたんだろ! それこそ、優花梨とかな!」
ウェイバーの癇癪に自分の名前が出て来た事に、優花梨はぎょっとして堪らず口を挟んだ。
「ちょ、ちょっと待ってよウェイバー。私は聖杯に託す望みなんてない」
「ああ、オマエはいつだってそうだよな! 才能があって、沢山の連中に称賛されて…ボクの望むものを全部持っていて…だからそうやって無欲でいられるんだよ!」
言ってから、ウェイバーは己の失言に気付き、慌てて口を閉ざした。聖杯を求めるのは、優花梨を自由にする為でもあった筈だ。なんて事を口にしてしまったのだろう。ウェイバーは恐る恐る様子を窺うも、優花梨は少し悲しそうな顔をしているだけで、それ以上の事は読み取れなかった。
助け舟とは異なるが、絶妙なタイミングでライダーは相変わらずの態度で口を開いた。
「――ふむ、そうさなぁ。小娘はそもそもマスターになる気はないようだから、仮定の話をしたところで意味はあるまい。だがまぁ確かに、貴様がもう少しいいガタイをしておれば、今よりは釣り合いが取れたかもなぁ」
冗談めかしてそう言うと、ライダーはウェイバーの鞄から地図帳を取り出し、世界地図の載ったページを開いてみせた。
「ほれ坊主、見てみよ。余が立ち向かっている敵の姿を。ここに描かれた『敵』の隣に、我らの姿を描き込んでみよ。余と貴様と、二人並べて比べられるように」
「そんなのは……」
「無理であろう? どんな細筆でも無理だ。針の先ですらなお太い。描きようもないんだよ。これより立ち向かう『敵』を前にしては、貴様も余と同じ、極小の点でしかない」
優花梨はライダーの開くページを覗き込み、次いでウェイバーの顔を覗き込んだ。先程のウェイバーの発言は、傷付かなかったと言えば嘘になるが、仮に自分がウェイバーの立場だとしたら。同じ感情を抱くのではないだろうか。自分がどんなに足掻いても、ウェイバーが既に手にしているものを、同じように手に入れる事は出来ないのと同じ事だ。
「この肉体は、征すべき敵に比べれば、芥子粒よりなお小さい。貴様も余も揃って同じ事。至弱にして極小、これ以上ちっぽけになりようもない程に小さいのだ。そんな二人の背比べなんぞに何の意味がある?」
刹那、ライダーは不敵な笑みを湛える。
「だからこそ、余は滾る。至弱、極小、大いに結構。この芥子粒に劣る身をもって、いつか世界を凌駕せんと大望を懐く。この胸の高鳴り……これこそが征服王たる心臓の鼓動よ」
優花梨にとってはライダーの言葉はすんなりと受け入れられたが、ウェイバーはそうもいかない様だ。
「……要するに、マスターなんてどうでもいいって言いたいんだな。ボクがどんなに弱かろうと、そもそもオマエにとっては問題にもならないんだな」
「なんでそうなるんだ、オイ」
捻くれた解釈をするウェイバーの背中を、ライダーは思い切り叩く。今度はウェイバーが物理的にダメージを受けていないか、優花梨は若干心配になった。
「坊主、貴様のそういう卑屈さこそが、即ち覇道の兆しなのだぞ? 貴様は四の五の言いつつも、結局は己の小ささを分かっとる。それを知った上でなお、分を弁えぬ高みを目指そうと足掻いている。まぁ色々と心得違いもあるにせよ、『覇』の芽は確かにその胸に根付いておるのだ」
ライダーはウェイバーの事を本当に良く分かっている。悔しいが、自分以上に理解しているかもしれない。
本当にこの人がウェイバーのサーヴァントで良かった、素直にそう思わずにはいられない。だが、そう思う優花梨とは逆に、未だウェイバーはライダーに突っかかる。
「……それ、褒めてないぞ。馬鹿にしてるぞ」
「そうとも。坊主、貴様は筋金入りの馬鹿だ。己の領分に収まる程度の夢しか懐かない様な、そんな賢しいマスターと契約していれば、余はさぞかし窮屈な思いをしておっただろう。だが貴様の欲望は己の埒外を向いている。『彼方にこそ栄え在り』といってな。余の生きた世界では、それが人生の基本則だったのだ。――だからな、坊主。馬鹿な貴様との契約が、まっこと余には快いぞ」
流石にこれにはウェイバーも閉口せざるを得なかったのか、ライダーと優花梨から視線を逸らし、照れ隠しをするかの如く俯いた。
何はともあれ、ウェイバーの機嫌が直ってまずは一安心だ。自分は自分でまだ何も解決していないのだが、ライダーの言葉に甘えて、許されるならもう少しだけ、ウェイバーの傍に居たい。
優花梨はウェイバーの顔を覗き込み、満面の笑みを作った。
「私はウェイバーが羨ましくて仕方ないよ。時計塔の人達に褒められるより、ライダーに褒められる方が余程凄い事だと思うけど」
「うるさい。全っ然嬉しくねーよ」
「素直に喜べばいいのに。まあ、そんなウェイバーも大好きだけど」
「なっ…! ば、馬鹿! 大好きとか軽々しく言うな!」
軽々しく言ったつもりはなかったのだが、ウェイバーに叱られてしまった。いつだって本気なのに。残された時間は限られている。せめてその間は、自分に正直に生きよう。優花梨はそう決心した。
和やかな雰囲気になったのも束の間。それは一瞬にして訪れた。
「……ッ!?」
突然、ウェイバーと優花梨の魔術回路が疼く。周囲に異常な魔力が生じているせいだ。異常過ぎると言っても過言ではない。
「……河、だな」
西の方角を見て、ライダーは神妙な面持ちで呟いた。気付けば、とうに陽は落ちていた。夜の訪れ――即ち、戦いが始まる。再び、長い、長い夜が今、幕を開けた。
2015/06/07