未遠川血戦

 あまりにも強大な魔力を放つ未遠川。ライダーは、そこで何が起こっているのか、さも分かっているかの様だった。それもサーヴァントの能力だろう。
「あの川は間もなく戦場となる。おい坊主、小娘はどうするつもりだ」
「決まってるだろ。連れていくわけにはいかない」
 そうきっぱりと言い切るウェイバーに、優花梨は真っ向から反抗した。

「私も行く」
「駄目だ。大体、聖杯戦争に手は出さないって言っただろ」
「でも、あの場所が戦場になるってことは、一般人の目にも留まることになる……そんなの、魔術師として放っておけない」
「オマエが行ったところで、何の解決にもならないだろ」
「それでも」

 互いに譲らないとばかりに押し問答を続けている優花梨とウェイバー。見かねて、ライダーが二人を担ぎ上げて、いつの間にか出現させていた戦車へ放り投げた。
「ええい、夫婦喧嘩している場合ではなかろう!? 事は一刻を争う。今すぐ向かうぞ!」
 ライダーは躊躇する事なく、戦車を空へと舞い上がらせた。

「おい、ライダー! なんで優花梨まで連れて来たんだよ!」
「今の小娘に何を言っても納得はしないのは、坊主、貴様とて分かるであろう」
「だからって…」
 反論しようにも、後の言葉が出てこない。そんなウェイバーに、優花梨はきっぱりと言い放った。
「ウェイバー、大丈夫だから。聖杯戦争に手は出さないし、自分の身は、自分で守る」
「………」
 何も言わなかったが、やはり納得しない表情を浮かべるウェイバー。
 かくして、優花梨達を乗せた戦車は、雷鳴を轟かせながら未遠川へ向かっていった。


 目的地へ近付くほど、異常な量の霧が視界を遮る。この冬木の地において、あまり外に出た事がなかった優花梨でも、明らかにこの状況はおかしいと理解できた。
「もしかして、これは…キャスターの仕業…?」
「ああ、間違いない」
 優花梨の問に、ウェイバーはごくりと息を飲んで答えた。少し考えれば分かる事だ。キャスター討伐というルール変更が為された理由。それを思い返せば、こんな人の目につく場所で魔術を行使するなど、キャスター以外に有り得ない。

「む? あれは――」
 突然、戦車を止めるライダー。優花梨は不思議に思いライダーを見上げる。その視線の先へ優花梨も目を移すと、見覚えのある人物の姿があった。
「あれは……」
 ビルの屋上を駿足で跳び掛けていくサーヴァントの姿。以前、倉庫街でセイバーと熱い戦闘を繰り広げたランサーに相違なかった。優花梨があの時のことを思い返す前に、ライダーは方向転換し、ランサーの元へ再び戦車を走らせた。


「よお、ランサー」
 行く道を阻むかのように、ライダーは戦車を割り込ませる。ランサーの姿が至近距離で視界に入った瞬間、優花梨は思い出した。
 ――魅了の魔術。
 しかし、思い出したところで時すでに遅く、優花梨は己の意思など関係なしに、ランサーに見惚れてしまっていた。
 ライダーとランサーがどんな会話を交わしている間も、終始そんな様子であった。
 すぐそばにいるウェイバーが優花梨の様子に気付き、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている事など、知る由もなかった。

「おい」
 ウェイバーのいかにも不機嫌な声で優花梨が我に返った頃には、既にランサーの姿はなく、ライダーは再び未遠川へと戦車を走らせていた。

「優花梨、オマエちゃんと話聞いてたか?」
「えっ、う、うん。キャスター討伐のために、ランサーとは一時休戦するんだよね?」
「へぇ、一応頭に入ってはいたんだな」

 正規のマスターであるウェイバーは、当然、ランサーのステータスについて全て把握している。つまり、『魅了の魔術』についても同様だ。しかし不可抗力とはいえ、優花梨が他の異性に現を抜かすところを目の当たりにすれば、ウェイバーとて機嫌を損ねるのも無理もない話であった。

「……オマエってさ、ああいう男が好みなわけ?」
「え!?」
 ジト目で訊ねてきたウェイバーに、優花梨は素っ頓狂な声をあげた。冷静に考えれば、ウェイバーが本気でそう訊ねているわけではない事は分かる筈なのだが、如何せん、この時の優花梨はその冷静さに欠けていた。

「ち、違う! 違うのウェイバー。誤解! ほら、あの、魔術? そう! ランサーの魔術のせいで」
「で、あっさり魅了されたってわけか」
「……無理言わないでよ、相手はサーヴァントなんだから…。私みたいなたかが見習いの魔術師が、そうそう抗えるものじゃないし、そ、それに今はなんともないから!」
「………」

 無言で疑いの眼差しを向けるウェイバーに、優花梨はただただ反省する素振りを見せるしかなかった。自分の主張は正しいとは思うが、自分がウェイバーの立場だったらどうだろう。仮にランサーが女性で、異性を魅了する魔術を放っていたら。そう考えると、なんだか胸の奥がもやもやして仕方がない。俗に言う嫉妬である。
 つまり、ウェイバーは嫉妬という感情を抱いているのだろうか。だとしたら、ウェイバーには失礼だが、優花梨にとっては少々嬉しくもあった。


 そんな事を考えていると、あっという間に未遠川に辿り着いた。直に見ると、それがいかに異常な光景であるかが明確に分かる。
『怪物』。まさにそう形容するしかない。見た事もない巨大な怪物が、未遠川に存在していた。

「……ウェイバー、あれって、キャスターが召喚したのかな」
「まあ、そう考えるのが妥当だろうな」
「魔術は絶対に一般人の目に触れちゃいけないのに…キャスターもそのマスターも、一体何を考えてるの…」
「さあな。キャスター側は魔術師どころか人間として狂ってるからな。あの工房を見て分かったよ」

 ウェイバーの言葉に、優花梨はあの時の惨状を思い出して、堪らず息を飲んだ。キャスター達には魔術師の常識というものが備わっていない。魔術は秘匿すべきものである事も、分かっていない、あるいはそんな事考えてもいないのだろう。
 つまり、このままあの怪物を放置すれば、一般市民が被害を被る事は間違いない。一刻も早く倒さなければ――それは魔術師ならば誰もが思うだろう。

「む? あれは――」
 ライダーが、未遠川のすぐ傍の公園の広場に視線を向ける。優花梨がその視線の先を認識する前に、瞬く間に戦車は雷鳴を轟かせながらその場へ向かい、地上へと降り立った。
 そこに佇んでいたのは、セイバーとそのマスター、アイリスフィールだった。

「よお、騎士王。良い夜だ…と言いたいところだが、どうやら気取った挨拶を交わしておる場合じゃなさそうだな」
 相変わらずの笑顔で呼び掛けるライダー。だが、先日の『聖杯問答』の影響もあり、セイバーとアイリスフィールは警戒心を露わにしている。

「征服王…貴様またしても性懲りもなく、戯言を垂らしに来たか?」
「よせよせ。今夜ばかりは休戦だ。あんなデカブツをほっぽったままでは、おちおち殺し合いのひとつも出来ゃせんわ。さっきから、そう呼び掛けて廻っとるのだ。ランサーは承諾した。じきに追いついて来る筈だ」
「…他のサーヴァントは?」
「アサシンは余がぶち殺してしまったし、バーサーカーは論外だ。アーチャーは…声掛けるだけ無駄だろ。ありゃ馴れ合いに応じる柄じゃない」

 果たしてセイバーはライダーの提案に応じるのか。優花梨は気が気ではなかったが、意外にも、その心配は杞憂に終わった。

「了解した。こちらも共闘に異存はない。征服王、暫しの盟だが、共に忠を誓おう」
「ふふ、こと戦となれば物分かりが良いな。――んん? どうした、マスター連中は不服か?」

 ライダーの言葉に、優花梨は横にいるウェイバーの顔を覗き見た。眉間に皺を寄せ、あからさまに納得いかない様子だ。
「ウェイバー、大丈夫だよ。アイリ様――セイバーのマスターは信用に値する方だから」
「は!? っていうかそもそもオマエ、なんでアインツベルンと面識あるんだよ」
「ウェイバーを追って冬木に来た時に、偶然出会ったの。その時はまさかアイリ様が聖杯戦争に関わってるなんて、夢にも思わなかったけど」

 優花梨が自分に嘘を吐く理由はない。だが、何の根拠もなく『信用に値する』と断言するのも解せず、ウェイバーは疑いの眼差しを優花梨へ向けた。
 どうにも説得は難しそうだ。こうしている間にも、異変に気付いた一般人が、未遠川近辺に集まり始めている。

 考えている暇はない。優花梨は御者台からふわりと地面に降り立つと、アイリスフィールを見つめた。サーヴァントであるセイバーは共闘に了承したものの、やはり、ウェイバーと同じく納得いかない様子だ。

「アイリ様。聖杯戦争に関わっていない、それもまだ魔術師として見習いである私が口を挟む事は、出過ぎた真似だと承知しています。ですが、事は一刻を争います。あんな怪物をあのままにしていては、一般人に魔術の存在が知られるのも時間の問題です」
「ええ、それは分かっているわ。でも」
「早急にキャスターを討伐するには、ライダーの言う通り、今は一先ず休戦し、共闘するのが一番得策かと存じます」
「………」

 アイリスフィールは少しの間黙り込んだ後、意を決する様に険しい表情で頷いた。
「……分かったわ。アインツベルンは休戦を受諾します。ライダーのマスター、宜しくて?」
「ウェイバー、お願い」
 こうなってしまっては、最早己も受諾するしかない。ウェイバーはアイリスフィールと優花梨の言葉に、渋々頷き肯定の意を示した。

 休戦および共闘を受諾したとはいえ、ウェイバーは不安を拭えずにいた。
「アインツベルン、あんた達に策は? さっきランサーから聞いたが、キャスター本人と戦うのは、これが最初じゃないんだろ?」
「ともかく速攻で倒すしかないわ。あの怪物、今はまだキャスターからの魔力供給で現界を保っているんだろうけれど、アレが独自に糧を得て自給自足を始めたら、もう手に負えない。そうなる前にキャスターを止めなくては」
「奴の、あの魔道書ですね」

 ウェイバーとアイリスフィールの会話に、セイバーが割って入る。彼女の言う魔道書とは、キャスターの宝具なのだろう。その宝具さえ破壊出来れば、勝機はこちらにあるという事だ。逆にそれが出来なければ、惨事は免れない。

「成る程な。奴が岸に上がって食事をおっ始める前にケリをつけなきゃならんわけだ。しかし…当のキャスターはあの分厚い肉の奥底ときた。さて、どうする?」
 ライダーが怪物をちらりと見遣って問を投げ掛けた瞬間。
「引きずり出す。それしかあるまい」
 先程相見えたランサーが姿を現し、ライダーの問に答えた。間髪入れず、ウェイバーが御者台から声をあげる。
「優花梨!!」
 その声に優花梨はびくりと肩を震わせ、地上からウェイバーを見上げた。明らかに不機嫌極まりない顔で、ウェイバーはぴしゃりと言い放った。
「オマエ、今ボクが声掛けなかったら、絶対またランサーの魔術にかかってただろ」
「うっ…」
 何も言い返せない優花梨を他所に、集結した三人のサーヴァントは、互いに顔を見合わせた。

「奴の宝具さえ剥き出しに出来れば、俺のゲイ・ジャルグは一撃で術式を破壊出来る。無論、奴がそう易々と二度目を許すとも思えんが」
「ランサー、その槍の投撃で、岸からキャスターの宝具を狙えるか?」
「モノさえ見えてしまえば、雑作もないさ。槍の英霊を舐めんで貰おうか」
「良し。ならば先鋒は私とライダーが務める。いいな? 征服王」
 最早マスター抜きで話が進んでいる。優花梨は今度はライダーへ視線を移した。

「構わんが…余の戦車に路は要らぬから良いとしても、セイバー、貴様は河の中の敵をどう攻める気だ?」
「この身は湖の乙女より加護を授かっている。何尋の水であろうとも、我が歩みを阻む事はない」
「ほう、それはまた稀有な奴…ますます我が幕下に加えたくなったのう」
「放言のツケはいずれまた払って貰う。今はまず、あの化け物の腑からキャスターを暴き出すのが先決だ」
「はは、然り! ならば一番槍は戴くぞ!」

 ライダーは笑ってセイバーにそう宣言すると、優花梨をちらりと見下ろした。視線が合い、優花梨は眉尻を下げて心配そうな表情を浮かべた。ライダーが負けるとは到底思わないが、このキャスター討伐は、時間との勝負だ。
「小娘、下がっておれ」
「は、はい! ライダー、どうかお気を付けて」
「なあに、心配は要らぬ」
 刹那、ライダーは牡牛に鞭をいれ、雷鳴と共に瞬く間に空へ舞い上がった。同時にウェイバーの叫び声が聞こえたが、ライダーと一緒ならば、彼の身に危険が及ぶ事はない――優花梨はそう確信していた。

「セイバー、武運を!」
 アイリスフィールの言葉を背に、セイバーも戦場へ向かう。『何尋の水であろうとも、我が歩みを阻む事はない』。その言葉通り、セイバーは川の水面の上を、沈むことなく駆け巡った。

 優花梨はランサーから極力距離を置きつつ、眼前の戦闘に集中していた。ライダーとセイバーの絶え間ない攻撃。だが、キャスターの召喚した怪物が倒れる気配は全くない。いくら攻撃しても、あの怪物はその度再生を繰り返す。

 川岸にはもう既に、多くの見物客が何事かと押し寄せてきている。事態はあまりにも深刻すぎる。

 優花梨が、何も出来ない自分に歯痒さを感じた刹那――空から突然、複数の剣と槍が大きな音を立てて怪物に直撃した。思わず上を仰ぎ見たが、確認するまでもない。この攻撃の仕方はアーチャーそのものだろう。つまり、時臣もこの状況を打破せんと画策しているのだ。アーチャーとも共闘出来れば、すぐにでもあの怪物を消滅させられそうなのだが、一連の事を思い返すと、共闘は不可能である事は明白だった。

「嘘、そんな……」
 アーチャーの宝具は間違いなくあの怪物に大打撃を与えたはずだった。だが、それは瞬く間に再生していく。これでは埒が明かない。それに、待てどもアーチャーの再攻撃はない。あのサーヴァントの過去の言動から鑑みるに、今回の戦闘にも、このままだと一般人に被害が行くかもしれない事も、本当に興味がないのだろう。
「どうしよう、このままじゃ……」

 本当に、一切何も手出しが出来ない自分が悔しかった。ウェイバーの命令を無視して自分が戦闘に加わったところで、相手には何のダメージもなく、逆に自分の身に危険が及ぶ事は一目瞭然だ。それでも、ただ黙って見ていることしか出来ないのは、あまりにも辛すぎる。

 思わず、一歩足を踏み出す優花梨。その瞬間、近くにいたアイリスフィールは強い口調で声を荒げた。
「優花梨、あなたでは無理よ! これはサーヴァント同士の戦い……私達が手出し出来る事じゃないわ」
「………」
「心配で、歯痒いのは私も同じよ。私達に出来る事は、この戦いを見届ける事だけ……」
 アイリスフィールの言葉に優花梨ははっとさせられた。そもそも、ここに来た理由は、ウェイバーとライダーの戦いを見届ける為だ。手を出そうなんて考える事自体がおこがましい話なのだ。

 優花梨が同意の言葉を紡ごうとするも、それが声に出る事はなかった。戦闘を繰り広げていたライダーとセイバーが戻って来たからだ。
 ウェイバーが御者台から顔を出し、優花梨の姿を見るなり、ほっとした表情を浮かべる。優花梨は一瞬顔を綻ばせたが、彼らがここに戻ってきたという事は、つまり打つ手がない為いったん退却したという事である。事態は深刻だ。

 最初に口を開いたのはライダーだ。
「いいか皆の衆。この先どういう策を講じるにしろ、まずは時間稼ぎが必要だ。ひとまず余が『王の軍勢』に奴を引きずり込む。とはいえ、余の精鋭たちが総出でも、アレを殺し尽くすには無理であろう。せいぜい、固有結界の中で足止めするのが関の山だ」

「その後は、どうする?」
 ランサーの問に、ライダーは珍しく真面目な顔できっぱりと言い放った。
「わからん。あんなデカブツを取り込むとなれば、余の軍勢の結界が持つのは、せいぜい数分が限度。その間にどうにかして……英霊達よ、勝機を掴み得る策を見出して欲しい」
 つまり、命運はセイバーとランサーに委ねられたという事だ。

「坊主、貴様もこっちに残れ」
「お、おい!?」
 ライダーは言うや否や、ウェイバーを御者台からつまみ出した。
「いざ結界を展開したら、余には外の状況が分からなくなる。坊主、何かあったら強く念じて余を呼べ。伝令を差し遣わす」
「………」
 ウェイバーは己のサーヴァントと別行動を取る事に、一瞬躊躇いを覚えたが、何かと危なっかしく、かつ何をするか分からない優花梨を傍に置いておくことは、ある意味最良の選択肢であろう。ライダーの言葉に、ウェイバーはこくりと頷いた。

「セイバー、ランサー、後は頼むぞ」
「…うむ」
「…心得た」
 ライダーは二人の返答を聞くと、ウェイバーを残してひとり、再び怪物の待つ未遠川へ、迷う事なく戦車を走らせた。

 そして、怪物の傍に辿り着いた瞬間、『王の軍勢』は発動した。
 怪物はライダーと共に、忽然と姿を消した。
『余の軍勢の結界が持つのは、せいぜい数分が限度』――ライダーの言葉が思い返される。
 その数分の間に、何としてもあの怪物、およびキャスターを倒す策を立てなくてはならない。

 優花梨は迷わずウェイバーを見たが、流石にこの現況を打破できる策は見出せないようだ。
 ウェイバーは己の不甲斐なさに内心項垂れつつ、優花梨から視線を逸らし、アイリスフィールへその目を向けた。
「どうする? 時間稼ぎとか言われても、その間にボクらが何も思い付かなかったら、結局は元の木阿弥だ。なぁおいアインツベルン、何かいい手はないのかよ!?」
「そんなこと言われても……」

 打開策がないのは誰しも同じ事だった。優花梨が絶望しかけた瞬間、突然、電子音が鳴り響く。
「ひっ、な、なに!?」
 思い切り身体をびくりと震わせて困惑する優花梨の肩を、ウェイバーは指で叩けば、優花梨以上に困惑しているアイリスフィールを指差した。
 電子音は、アイリスフィールの持ち物から鳴っているようだ。

「ええと、あの…これ、どうするのかしら?」
 鳴り響く電子機器をウェイバーに見せ、使い方を訊ねるアイリスフィール。思わず優花梨は呆気に取られてしまった。それは他ならぬアイリスフィールの持ち物ではないのだろうか。
 すると、ウェイバーはアイリスフィールからそれを乱暴に奪い取り、ボタンを押して耳にあてた。
「ウェイバー、それって何?」
「電話だよ、電話。ったく、それぐらい知っとけよ」

 電話機の存在ぐらいは知っていたが、こんな小型なものは見たことがない。優花梨は興味深そうにそれをまじまじと見つめれば、ウェイバーと同じようにその小型の電話機へ耳を近づけた。
「馬鹿、オマエ邪魔だって……」

『アイリか?』

 突然、電話口の向こう側から声が聞こえる。低い、男の人の声だ。
 これが電話機で、アイリスフィールが持っていたという事は、どう考えてもこれはアイリスフィール宛の電話である。優花梨は慌てて声をあげた。
「アイリ様! あの…」
 だが、一瞬パニックになったウェイバーが、そのまま電話に対応してしまった。
「いや、ボクは…じゃなくて」
『……そうか、ライダーのマスターだな。丁度いい。お前にも話がある』

 電話口の相手の言葉が耳に入り、優花梨とウェイバーは互いに顔を見合わせ、息を飲む。一先ず優花梨はアイリスフィールを呼び寄せる事はせず、ウェイバーに全てを任せるとばかりに、こくりと頷いた。
 ウェイバーも同じように頷くと、電話口の謎の男へ問を投げ掛けた。

「だ、誰だアンタは?」
『そんなことはいい。キャスターを消したのは、お前のサーヴァントの仕業だな?』
「…そうだけど、一応」
『質問だ。ライダーの固有結界、あれは解除した時に中身を狙った場所に落とせるか?』

 一体電話口の相手は何者なのか。アイリスフィールの関係者であり、聖杯戦争にも関わっている事は理解出来るが、この質問の意図は何なのか。だが、そこまで考えている余裕はない。ウェイバーは少し間を置いた後、冷静な態度で答えた。

「ある程度、せいぜい100メートルかそこいらの範囲だと思うが、可能な筈だ。外に再出現する時の主導権は、ライダーにあるだろうから」
『いいだろう。後で僕がタイミングを見計らって信号弾を打ち上げる。その真下でキャスターを解放しろ。できるな?』
「……出来る、と、思う。たぶん」
『もうひとつ。その場にいるランサーに言ってやれ。セイバーの左手には対城宝具がある、とな』
「はあ?」

 ウェイバーが問い返すも、電話口の相手はもう用はないとばかりに、一方的に切電した。再度電話がかかってくる事はないだろう。ひとまず、ウェイバーはランサーへ視線を送った。

「どうかしたのか?」
 視線に気付き、此方を見遣るランサー。ウェイバーは片手で乱暴に優花梨の両目を覆い、ランサーの問に答えた。
「それが…あんたに言伝があった。『セイバーの左手は対城宝具』だとか何とか…」
 その言葉に、一瞬にして場の空気が変わる。

「本当なのか? セイバー」
 暫しの間。再びランサーが口を開く。
「それは…キャスターのあの怪物を、一撃で仕留め得るものなのか?」
「可能だろう。だが……ランサー、我が剣の重さは誇りの重さだ。貴方と戦った結果の傷は、誉れであっても枷ではない。森で貴方が言った通りだ。この左手の代替にディルムッド・オディナの助勢を得るなら、それこそが万軍に値する」

 ウェイバーが視界を遮っているせいで、セイバーとランサーの遣り取りは声でしか認識できない。優花梨は堪らず声をあげた。
「ウェイバー、あの、ちょっと」
「オマエ、絶対またランサーの魔術にかかるだろ。暫く目閉じてろ」
「なっ……い、一回かかっただけでしょ!?」
 現にウェイバーがライダーと共にあの怪物に立ち向かっていた時は、魅了されなかったのだ。流石に優花梨もカチンときて、ウェイバーの手を払い除けた。


「…なあ、セイバー。俺はあのキャスターが許せない。奴は諸人の絶望を是とし、恐怖の伝播を悦とする者。騎士の誓いに懸けて、あれは看過出来ぬ悪だ」
 そう、ぽつりと呟くランサーの声が聞こえ、優花梨はつい顔を向けそうになったが、絶対に魅了の魔術にかかるわけにはいかない。ウェイバーの突き刺すような視線を浴び、優花梨は膨れっ面で地面に視線を落とした。

 だが、突然聞こえた驚愕の声に、優花梨は思わず声の主の方へ顔を向けてしまった。
「ランサー、それは……駄目だ!!」
 そう叫んだのはセイバーだ。優花梨の瞳に、セイバーとランサーの姿が映る。

「今勝たなければならないのは、セイバーか? ランサーか? 否、どちらでもない。ここで勝利するべきは、我らが奉じた『騎士の道』――そうだろう? 英霊アルトリアよ」

 刹那、ランサーは黄色に輝く槍を、真っ二つに破壊した。見紛う事はない、ランサー自身の宝具のひとつである。破壊された槍が、瞬く間に消えていく。セイバーも、アイリスフィールも、そしてウェイバーと優花梨も、その行動に呆然とするしかなかった。

 対するランサーは、何の迷いもない瞳で微笑を湛えていた。
「我が勝利の悲願を、騎士王の一刀に託す。頼んだぞ、セイバー」
「……請け合おう、ランサー。今こそ、我が剣に勝利を誓う!」

 その言葉と共に、セイバーの手元に光り輝く黄金の剣が現れる。それはあまりにも美しく壮大で、優花梨は暫し言葉を失った。紛れもない、彼女もまた民草を導く、誇り高き『王』である。
 そして、そんなセイバーとランサーの遣り取りの尊さに、優花梨は瞳を潤ませ、ただただ見惚れるばかりだった。


 しかし、そんな余裕は与えられなかった。
 突然頭上に戦闘機が現れたのだ。ただの戦闘機ではない。何故ならば、『それ』を察知するなり、セイバーが再び川へ向かって全速力で駆け出したからだ。

 戦闘機は執拗にセイバーを攻撃する。その戦闘機を操っているのは、この聖杯戦争に召喚されたサーヴァントであり、こんな事をするのは、消去法で考えればバーサーカーしかいない。それはマスターではない優花梨もすぐに把握出来た。セイバーは辛うじて攻撃をかわしている。キャスターの討伐が最優先と通達があった筈だが、どうしてこんな事になっているのか、わけがわからなかった。

 更に、混乱する優花梨達に追い打ちをかけるように、大きな地響きが起こった。優花梨は思わずウェイバーに顔を向ける。
「ウェイバー、今のって」
「ああ、ライダーの固有結界もそろそろ限界…って事だろうな」

 ウェイバーはそう呟くと、迷わず目を瞑った。ライダーは『何かあったら強く念じて余を呼べ』と残し、固有結界を展開した。今こそがそのタイミングだ。
 すると、ウェイバーの周りの空間が一瞬揺らぎ、ライダーの王の軍勢の一人である騎士が姿を現した。

「ヘタイロイが一人ミトリネス、王の耳に成り代わり、馳せ参じてございます!」
「…これから合図を待って、指定された場所にキャスターを放り出せるように結界を解いて欲しい。出来るよな?」
「可能ですが…事は一刻を争います。既に結界内の我らが軍勢は、あの海魔めを足止めし続ける事が叶いそうになく…」
「分かってる! 分かってるんだよ!」

 ウェイバーは苛立ちを露わにしながら、セイバーとバーサーカーの戦闘へ視線を移す。
「畜生、バーサーカーの奴…あいつ何とかならないのか!?」

「俺が行こう」
 宝具は赤槍一本のみとなったランサーが、そう迷わず呟き、霊体化して姿を消した。
 残されたアイリスフィール、ウェイバー、そして部外者の優花梨に出来る事は、もう何もない。ただ、戦いの行く末を見守るのみだ。

 遠くからでは詳しい戦況はよく分からないが、突然、あれだけ執拗にセイバーを攻撃していた戦闘機が、瞬く間に墜落し、未遠川へ沈んでいった。ランサーの宝具の能力によるものだろう。
 そして更に、天上から突然複数の武器らしきものが、一斉に降り注ぐ。そして、爆音と共に空中で紅い炎が舞った。この攻撃はアーチャーによるものだ。共闘はしないが、協力はするという事か。
 時臣もキャスターの起こした惨事に、誰よりも心を痛めていたに違いない。彼のサーヴァントであるアーチャーが協力してくれた事に、優花梨は胸が熱くなった。

 そして、バーサーカーが消え、何の障害もなくなった未遠川の空に、突然明るい炎が放たれた。間違いない、アイリスフィールの電話機の通話相手である謎の男が言っていた、『信号弾』だ。
 ウェイバーは即座に叫んだ。
「あれだ! あの真下!」
 すると、ミトリネスと名乗ったライダーの伝令は、すぐさま頷き姿を消した。間もなくして、未遠川上の空気が一気に震え、そして、キャスターが召喚したあの怪物が、まさに信号弾の真下に再び姿を現した。とてつもない巨大なそれが、大量の水飛沫をあげて川に落下する。

 遠目にライダーのゴルディアス・ホイールの姿が確認でき、優花梨はほっと胸を撫で下ろした。だがそれも束の間で、セイバーが構える圧倒的な輝きを放つ光の剣に、優花梨とウェイバーはただただ、言葉を失った。
 これから、セイバーがその剣をもって、キャスターを葬る。それを瞬時に理解したのか、ライダーは、即座に戦車を旋回させた。



 セイバー――英霊アーサー・ペンドラゴン。
 彼女は伝説の剣『エクスカリバー』を以て、見事にキャスター、および海魔を一撃にて葬り去った。
 それは最早『剣』と称するだけでは言葉が足りない。旋風を巻き起こし、黄金に眩しく輝くその宝具。
 なんと美しい王なのだろう。
 優花梨は何とも形容し難い感情を抑え切れず、無意識に涙を溢れさせていた。



 かくして、キャスター討伐の為の共闘は終わりを告げた。未遠川で蠢いていた怪物は跡形もなく消え去り、夢でも見ていたのではないかと疑ってしまうほど、今は静まり返っている。

「ったく、オマエ何泣いてんだよ」
 ウェイバーが優花梨の頬を汚す涙を指で拭い、ぽつりと呟く。だがその声、その表情は、呆れや馬鹿にするような類の意味は込められていなかった。ウェイバーもまた、セイバーの宝具『約束された勝利の剣』に圧倒され、その威力を認めざるを得なかったのだろう。マスターである以上、優花梨よりも抱く感情は大きかったに違いない。

 優花梨はウェイバーの手を取り、精一杯、微笑を浮かべてみせた。
「ウェイバー。聖杯戦争って、本当にすごい事なんだね。普通の魔術師として生きていたら、こんな奇跡を何度も見る事なんて、出来なかった。だから……マスターに選ばれたウェイバーの事、本当に、誇りに思う」
「な、なんだよ急に改まって」
「どうか生き延びて、ウェイバー。死んだら嫌だよ。死んじゃうなんて、絶対に許さないから」
 そう告げる優花梨の表情は、どこか寂しさを感じさせる笑みだった。まるで別れの時のような口ぶりに、ウェイバーは困惑しつつも、とりあえず優花梨の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でてやった。
「ボクはそう簡単に死なないよ、馬鹿」

2015/07/23


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