聖杯問答

 優花梨とウェイバーを乗せた戦車が辿り着いた先は、鬱蒼とした森に囲まれた、まさに中世を思わせる石造りの城だった。
 ここに来るまでの道中、度肝を抜く事もあり、優花梨としては居た堪れない事この上なかった。ウェイバーも、何度も「帰りたい」と呟く始末だ。

 そんな二人の胸中など何処吹く風で、ライダーは戦車を降りる事なくそのまま城内へ突撃し、城のホールで漸く走りを止めた。
 優花梨は一先ず辺りを見回した。破壊された生々しい跡があちこちに見受けられる。まるで廃墟の様だ。

 そして、この城の主達がテラスに現れた。
 アイリスフィールと、サーヴァントのセイバーだ。
 この城はアイリスフィールの拠点だったのだ。再会が叶った事に、思わず顔が綻ぶ。二人と初めて出会った日からまだ二日しか経っていないが、あまりに色々な事があり過ぎて、あの海辺での遣り取りが懐かしく思えた。

 しかし、あの時とはもう状況が違う。聖杯戦争はまさに行われている最中なのだ。この崩壊した城を見れば一目瞭然である。何者かがアイリスフィールとセイバーに戦いを挑み、激しい戦闘が行われたのだろうと優花梨は推察した。
 まさか前日、セイバーの真のマスターである衛宮切嗣に、時計塔の師であるケイネスが挑み、魔術師として死んだも同然の状態に陥った事など、優花梨とウェイバーは勿論知る由もない話だった。

「よお、セイバー。城を構えてると聞いて来てみたが……何ともシケた所だのう、ん?」
 そもそも空気を読むという事をしないのだろう。ライダーはセイバーに向かって笑顔を向けた。
「こう庭木が多くっちゃ、出入りに不自由であろうに。城門に着くまでに迷子になりかかったんでな。余がちょいと伐採しておいたから有り難く思うがいい。かなーり見晴らしが良くなってるぞ」
「ライダー、貴様は……」
「おいこら騎士王。今夜は当世風の格好はしとらんのか。何だ? のっけからその無粋な戦支度は」

 ライダーの言う通り、セイバーは鎧を身に纏っていた。当然だが、完全に迎撃態勢に入っている。対するライダーは、例のTシャツとジーンズ姿、それに大きな樽を抱えている。ワインの香りが鼻腔を擽る。
 優花梨はライダーがこの城を訪れた理由を思うと、正直、二人に合わせる顔がなかった。思わずライダーの後ろに隠れて、恐る恐るセイバーとアイリスフィールの様子を窺う。やはりというか、警戒と戸惑いを隠せずにいるのが分かる。

「ライダー、貴様、何をしに来た?」
「見て分からんか? 一献交わしに来たに決まっておろうが。ほれ、そんな所に突っ立ってないで案内せい。どこぞ宴に誂え向きの庭園でもないのか? この荒れ城の中は埃っぽくてかなわん」
 セイバーが呆れ果てる様子が、顔を見ずとも優花梨には痛い程よく分かった。というか、ライダー以外は皆そう思っているだろう。

「アイリスフィール、どうしましょう?」
「罠、とか…そういうタイプじゃないものね、彼。まさか本当に酒盛りがしたいだけ?」
 何やらセイバーがアイリスフィールと話を始めた。聞き耳を立てるのもどうかと思い、優花梨はウェイバーへ顔を向け、互いに溜息を吐いた。「早く帰りたい」。今の二人の心境はまさにその一言に尽きた。


 てっきりセイバーとアイリスフィールは断ると優花梨は思っていたが、残念ながらそれは見当違いに終わった。
「――我も王、彼も王。それを弁えた上で酒を酌み交わすというのなら、それは剣に依らぬ戦いです」
 セイバーは神妙な面持ちで、優花梨達にも聞こえる声量ではっきりと告げる。それを聞いたライダーは不敵な笑みを浮かべてみせた。

「フフン、分かっておるではないか。剣を交えるのが憚られるなら、杯を交えるまでの事。騎士王よ、今宵は貴様の『王の器』をとことん問い質してやるから覚悟しろ」
「面白い。受けて立つ」

 優花梨とウェイバーのささやかな願いは、この瞬間、儚く散ってしまった。





 優花梨達は、アイリスフィールに中庭へと導かれた。白い薔薇の咲き乱れる花壇は実に美しいものだったが、そんな感想を口にする余裕は、今の優花梨にはなかった。
 この後、ここに現れるかもしれないサーヴァントの事を思うと、恐怖すら感じる程だ。
 優花梨の気持ちを察したのか、隣に立つウェイバーがそっと手を取り、呟いた。
「優花梨。この状況下で言うのもどうかと思うけど……大丈夫、多分何とかなる」
「そうかな。だといいけど…」

 優花梨が弱気になるのも無理はなかった。
 何せ、ライダーはここに来る前に、あのサーヴァントと偶然遭遇し、あまつさえ誘いを掛けたのだから。

 中庭の中心に、セイバーとライダーが酒樽を挟んで腰を下ろし、向かい合う。優花梨達とアイリスフィールは、各々遠目に二人の様子を窺う。アイリスフィールには申し訳ない気もしたが、ライダーを止める事が不可能なのは、向こうも重々承知しているだろう。

 そして、ライダーが酒樽の蓋を叩き割ると同時に、静かな戦いが、今、幕を開けた。

「いささか珍妙な形だが、これがこの国の由緒正しい酒器だそうだ」
 ライダーはセイバーに柄杓を見せれば、樽の中のワインを掬い取り、一口で飲み干した。

「聖杯は、相応しき者の手に渡る定めにあるという。それを見定める為の儀式が、この冬木のおける闘争だというが……何も見極めを付けるだけならば、血を流すには及ばない。英霊同士、お互いの『格』に納得がいったなら、それで自ずと答えは出る」

 そう言うと、セイバーに柄杓を差し出すライダー。セイバーは対抗するかの様に、柄杓を受け取り樽のワインを掬えば、同じく一口で飲み干してみせた。
「…それで、まずは私と格を競おうというわけか? ライダー」

「その通り。お互いに『王』を名乗って譲らぬとあっては捨て置けまい。いわばこれは『聖杯戦争』ならぬ『聖杯問答』……果たして騎士王と征服王、どちらがより『聖杯の王』に相応しき器か? 酒杯に問えばつまびらかになるというものよ」
 ライダーはそこまで言うと、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、そういえば我らの他にも一人ばかり、『王』だと言い張る輩がおったっけな」

 刹那、黄金の光が、優花梨達の視界を圧倒する。
 ライダーが誘いを掛けたサーヴァント。同じく『王』を名乗る彼が、姿を現したからだ。


「――戯れはそこまでにしておけ、雑種」
 時臣が召喚した圧倒的な力を持つサーヴァント、アーチャー。
 その姿を見るなり、セイバーとアイリスフィールは警戒心を露わにした。無理もない。

「アーチャー…何故ここに……」
 困惑するセイバーに、アーチャーの代わりにライダーが答える。
「いや、な。街の方でこいつの姿を見掛けたんで、誘うだけは誘っておいたのさ」

 優花梨はその時の事を思い返すだけで、身体が震えそうになった。下手をしたらそのまま戦闘になるのではないかと思っていたが、どうやら杞憂に終わったようだ。とはいえ、ここに来たという事は、アーチャーもこの『聖杯問答』に加わるという事だ。

 時臣はこの場には姿を現していないが、今のこの状況は把握しているに違いない。当然、自分がウェイバー、そしてライダーと未だに行動を共にし続けている事も、きっと分かっているだろう。
 キャスターの魔術工房での、アサシンの襲撃。あれが時臣の指示なのか、それともマスターである綺礼の判断なのか、あるいはサーヴァント自身が勝手に行動したのか――真意が分からない以上、優花梨としてはただただ不安が募るのみだった。

「遅かったではないか、金ピカ。まあ余と違って歩行なのだから無理もないか」
「よもやこんな鬱陶しい場所を『王の宴』に選ぶとは。それだけでも底が知れるというものだ。我にわざわざ足を運ばせた非礼をどう詫びる?」
「まあ固い事を言うでない。ほれ、駆けつけ一杯」

 睨み付けるアーチャーの視線など気にもしないとばかりに、ライダーは柄杓でワインを掬い、先程のセイバーと同様、アーチャーに差し出した。
 これ以上怒りを買ったらどうなるのか。優花梨はごくりと息を飲んで、不安を紛らわす様にウェイバーの手を強く握った。
 しかし、アーチャーは意外にも、すんなりと柄杓を受け取ってあっさりとワインを飲み干した。

「…なんだこの安酒は? こんなもので本当に英雄の格が量れるとでも思ったか?」
「そうか? この土地の市場で仕入れたうちじゃあ、こいつはなかなかの逸品だぞ」
「そう思うのは、お前が本当の酒というものを知らぬからだ。雑種めが」

 アーチャーがそう言い放った瞬間、彼の背後に眩い黄金の光が現れる。優花梨とウェイバーは、先日の戦闘を思い出して一瞬身を震わせたが、またしてもそれは杞憂に終わった。
 アーチャーが呼び出したのは、武具ではなく、煌びやかな装飾の酒器だったからだ。

「見るがいい。そして思い知れ。これが『王の酒』というものだ」
「おお、これは重畳」
 ライダーは棘のある言葉など気にもせず、アーチャーが出した酒を三つの杯にそれぞれ酌めば、真っ先に口をつけた。
「むほォ、美味いっ!!」
 始めは警戒していたかの様に見えたセイバーも、ライダーの感想を見て同じように口をつけ、目を見開いた。

「凄ぇなオイ! こりゃあ人間の手になる醸造じゃあるまい。神代の代物じゃないのか?」
「当然であろう。酒も剣も、我が宝物庫には至高の財しか有り得ない。これで王としての格付けは決まったようなものだろう」
 余程の美味なのだろう。心から称賛するライダーに、アーチャーは得意気な顔で杯を揺らした。

「ふざけるな、アーチャー。酒蔵自慢で語る王道なぞ聞いて呆れる。戯言は王ではなく道化の役儀だ」
 場の雰囲気がアーチャーに支配されつつある中、痺れを切らしたのか、セイバーが強い口調で言った。アーチャーはそれを鼻で笑う。
「さもしいな。宴席に酒も供せぬような輩こそ、王には程遠いではないか」
 セイバーが言い返そうとしたところ、ライダーが苦笑いしながら間に入った。

「こらこら。双方とも言い分がつまらんぞ。――アーチャーよ。貴様の極上の酒はまさしく至宝の杯にそそぐにふさわしい。…が、生憎と聖杯は酒器とは違う。これは聖杯を掴む正当さを問うべき『聖杯問答』。まずは貴様がどれ程の大望を聖杯に託すのか、それを聞かせて貰わなければ始まらん。さてアーチャー、貴様はひとかどの王として、ここにいる我ら二人を諸共に魅せる程の大言が吐けるのか?」

「仕切るな雑種。第一、聖杯を奪い合うという前提からして、理を外しているのだぞ」
「ん?」
 アーチャーの発言に、怪訝な顔をするライダー。その反応に、アーチャーは溜息を吐いた。

「そもそもにおいて、あれは我の所有物だ。世界の宝物はひとつ残らず、その起源を我が蔵に遡る。いささか時が経ち過ぎて散逸したきらいはあるが、それら全ての所有権は今もなお我にあるのだ」
「じゃあ貴様、むかし聖杯を持ってたことがあるのか? どんなもんか正体も知ってると?」
「知らぬ。雑種の尺度で測るでない。我の財の総量は、とうに我の認識を超えている。だがそれが『宝』であるという時点で、我が財であるのは明白だ。それを勝手に持ち去ろうなど、盗人猛々しいにも程がある」

 アーチャーの主張は聖杯戦争自体を否定している事になる。それが正しいか間違っているかなど、単なる見習いの魔術師には判断出来る訳がなく、優花梨はただただ唖然とするしかなかった。

「お前の言はキャスターの世迷言と全く変わらない。錯乱したサーヴァントというのは奴一人ではなかったらしい」
 呆れる様に言うセイバーだったが、それに反してライダーは、アーチャーの主張を否定する事はしなかった。
「いやいや、どうだかな。なーんとなく、この金ピカの真名に心当たりがあるぞ余は。まあ、このイスカンダルより態度のでかい王というだけで、思い当たる名はひとつだったがな」

 アーチャーの真名。思わず優花梨はウェイバーと共に耳を欹てたが、当のライダーは呑気にアーチャーの用意した酒に手を付ける。

「じゃあ何か? アーチャー、聖杯が欲しければ貴様の承諾さえ得られれば良いと?」
「然り。だがお前らの如き雑種に、我が褒賞を賜す理由はどこにもない」
「貴様、もしかしてケチか?」

 いつもの事ではあるが、ライダーの放言に優花梨はつい肩を震わせた。休戦中とはいえ、戦闘にならないとは言い切れない。遠目から、恐る恐るアーチャーの顔色を窺った。

 優花梨達が見守る中、ライダーとアーチャーの問答は続く。

「たわけ。我の恩情に与るべきは、我の臣下と民だけだ。故にライダー、お前が我の許に下るというのなら、杯の一つや二つ、いつでも下賜してやって良い」
「…まあ、そりゃ出来ん相談だわなぁ。でもなぁアーチャー、貴様、別段聖杯が惜しいって訳でもないんだろう? 何ぞ叶えたい望みがあって聖杯戦争に出てきた訳じゃない、と」
「無論だ。だが我の財を狙う賊には、然るべき裁きを下さねばならぬ。要は筋道の問題だ」
「そりゃつまり……」
 ライダーは杯に入れた酒を一旦飲み干し、言葉を続けた。
「つまり何なんだアーチャー? そこにどんな義があり、どんな道理があると?」

「法だ。我が王として敷いた、我の法だ」
 きっぱりと言い切るアーチャーに、ライダーは溜息を吐いた。
「ふむ、完璧だな。自らの法を貫いてこそ、王。……だがなー、余は聖杯が欲しくて仕方ないんだよ。で、欲した以上は略奪するのが余の流儀だ。なんせこのイスカンダルは征服王であるが故」
「是非もあるまい。お前が犯し、我が裁く。問答の余地など何処にもない」
「うむ。そうなると後は剣を交えるのみだ。……が、アーチャーよ。兎も角この酒は飲み切ってしまわんか? 殺し合うだけなら、後でも出来る」
「当然だ。それとも貴様、まさか我の振る舞った酒を蔑ろにする気でいたのか?」
「冗談ではない。これ程の美酒を捨て置けるものか」

 敵対しつつも、交流は成り立っている。優花梨は息つく暇もなく二人の会話を聞いていたが、ここで漸く、今まで押し黙っていたセイバーが口を開いた。

「征服王よ。お前は聖杯の正しい所有権が他人にあるものと認めた上で、尚且つそれを力で奪うのか?」
「…ん? 応よ。当然であろう? 余の王道は『征服』――即ち、『奪い』『侵す』に終始するのだからな」
「そうまでして、聖杯に何を求める?」
 セイバーの問に、ライダーはどこか照れ臭そうに笑いながら、答えた。
「――受肉、だ」


「はあ!?」
 突然素っ頓狂な声を上げたのはウェイバーだ。繋いでいた優花梨の手を振り解いて、全速力でライダーの元へ駆け寄った。
「おおおオマエ!! 望みは世界征服だったんじゃ――ぎゃわぶっ!!」
 容赦なくライダーのデコピンが額に炸裂し、吹っ飛んで地面に叩き付けられるウェイバー。優花梨は慌ててウェイバーに駆け寄って介抱した。最早恒例行事と化している気がする。

「馬鹿者。たかが杯なんぞに世界を獲らせてどうする? 征服は己自身に託す夢。聖杯に託すのは、あくまでその為の第一歩だ」
 真顔で言い放つライダーに、アーチャーも呆れ果てた様子を見せた。
「雑種……よもやその様な瑣事の為に、この我に挑むのか?」

「あのな、いくら魔力で現界してるとはいえ、所詮我らはサーヴァント。この世界においては奇跡に等しい……言ってみりゃ、何かの冗談みたいな賓の扱いだ。貴様らはそれで満足か? 余は不足だ。余は転生したこの世界に、一個の生命として根を下ろしたい」

 優花梨もウェイバーも、ライダーが実体化に拘っていた理由を、今この瞬間、初めて理解した。だがそれでも、ウェイバーはライダーに訊ねた。
「なんで…そこまで肉体に拘るんだよ?」
「それこそが『征服』の基点だからだ。身体ひとつの我を張って、天と地に向かい合う。それが征服という行いの総て……その様に開始し、推し進め、成し遂げてこその我が覇道なのだ。だが今の余は、その身体ひとつにすら事欠いておる。これでは、いかん。始めるべきものも始められん。誰に憚る事もない、このイスカンダルただ独りだけの肉体がなければならん」

 アーチャーはただ静かに酒に口を付けていた。だが、その口許には何とも形容しがたい笑みが浮かんでいた。
「――決めたぞ。ライダー、貴様はこの我が手ずから殺す」
「フフン、今さら念を押すまでもなかろうて。余もな、聖杯のみならず、貴様の宝物庫とやらを奪い尽くす気でおるから覚悟しておけ。これほどの名酒、征服王に味を教えたのは迂闊過ぎであったなあ」

 そう言って大笑いするライダー。今のところ、戦闘する展開にはならないだろう。優花梨はほんの少し安心したが、気が緩むと同時に、気が付いた事があった。
 この場にいるもう一人の『王』。セイバーがまだ、己の主張を発していない事に。
 優花梨の心境を察する事はないだろうが、ライダーはセイバーに話を振った。

「なあ、ところでセイバー。そういえばまだ、貴様の懐の内を聞かせて貰ってないが」
 その言葉に、セイバーは改めてライダーとアーチャーを見つめて、神妙な面持ちで告げた。
「私は、我が故郷の救済を願う。万能の願望機をもってして、ブリテンの滅びの運命を変える」

 セイバーのその発言に、ライダーとアーチャーは黙り込んだ。
 静まり返る庭園。
 困惑を隠せないセイバーに、漸くライダーが口を開いた。

「……なぁ騎士王。もしかして、余の聞き違いかもしれないが、貴様は今、運命を変える、と言ったか? それは過去の歴史を覆すという事か?」
「そうだ。例え奇跡をもってしても叶わぬ願いであろうと、聖杯が真に万能であるならば、必ずや――」
「ええと、セイバー? 確かめておくが……そのブリテンという国が滅んだというのは、貴様の時代の話であろう? 貴様の治世であったのだろう?」
「そうだ! だからこそ私は許せない。だからこそ悔やむのだ。あの結末を変えたいのだ! 他でもない、私の責であるが故に…」

 優花梨には、何故ライダーが白けた態度を取っているのか分からなかった。その理由を探そうとした瞬間、大きな笑い声が響き、思考が停止した。
 声の主はアーチャーである。

「アーチャー、何が可笑しい?」
 明らかに怒りを露わにするセイバーだが、アーチャーは小馬鹿にする様に笑うのみだ。
「自ら王を名乗り……皆から王と讃えられて……そんな輩が悔やむだと? ハッ! これが笑わずにいられるか? 傑作だ! セイバー、お前は極上の道化だな!」

 ひたすら笑い続けるアーチャーの横で、ライダーは正反対とばかりに険しい顔付きで、セイバーに訊ねた。
「ちょいと待て。ちょっと待ちおれ騎士の王。貴様、よりにもよって、自らが歴史に刻んだ行いを否定するというのか?」
「そうとも。何故訝る? 何故笑う? 王として身命を捧げた故国が滅んだのだ。それを悼むのがどうして可笑しい?」
 答えたのはライダーではなく、アーチャーだ。

「おいおい聞いたかライダー! この騎士王とか名乗る小娘は…よりにもよって! 『故国に身命を捧げた』のだとさ!」
「笑われる筋合いが何処にある? 王たる者ならば身を挺して、治める国の繁栄を願うはず!」
 声を荒げるセイバーに、ライダーははっきりと言い放った。

「いいや違う。王が捧げるのではない。国が、民草が、その身命を王に捧げるのだ。断じてその逆ではない」
「何を――それは暴君の治世ではないか! ライダー、アーチャー、貴様らこそ王の風上にも置けぬ外道だぞ!」
「然り。我らは暴君であるが故に英雄だ。だがなセイバー、自らの治世を、その結末を悔やむ王がいるとしたら、それはただの暗君だ。暴君よりなお始末が悪い」
「イスカンダル、貴様とて…世継ぎを葬られ、築き上げた帝国は三つに引き裂かれて終わったはずだ。その結末に、貴様は、何の悔いもないというのか? 今一度やり直せたら、故国を救う道もあったと…そうは思わないのか?」
「ない」

 ライダーはセイバーの問に即答し、未だ真剣な顔付きで言葉を続けた。
「余の決断、余に付き従った臣下達の生き様の果てに辿り着いた結末であるならば、その滅びは必定だ。悼みもしよう。涙も流そう。だが、決して悔やみはしない」
「そんな…」
「ましてそれを覆すなど! そんな愚行は、余と共に時代を築いた全ての人間に対する侮辱である!」
 そう断言するライダーに、セイバーは首を振る。

「滅びの華を誉れとするのは武人だけだ。民はそんなものを望まない。救済こそが彼らの祈りだ」
「王による救済、だと? 解せんなあ。そんなものに意味があるというのか?」
「それこそが王たる者の本懐だ! 正しき統制。正しき治世。全ての臣民が待ち望むものだろう」
「で、王たる貴様は『正しさ』の奴隷か?」
「それでいい。理想に殉じてこそ王だ。人は王の姿を通して、法と秩序の在り方を知る。王が体現するものは、王と共に滅ぶような儚いものであってはならない。より尊く不滅なるものだ」

 セイバーの眼差しに迷いは一寸たりともない。ライダーは大きな溜息を吐いた。
「…そんな生き方はヒトではない」
「そうとも。王たらんとするならば、ヒトの生き方など望めない。――征服王、たかだか我が身の可愛さのあまりに聖杯を求めるという貴様には、決して我が王道は分かるまい。飽くなき欲望を満たす為だけに覇王となった貴様には!」
「無欲な王なぞ飾り物にも劣るわい!」

 セイバーを上回る、怒りを露わにしたライダーの声に、優花梨は堪らず震え上がった。
 ――そう、これは剣を交えなくとも、れっきとした『戦い』なのだ。

「セイバーよ、理想に殉じると貴様は言ったな。成程、往年の貴様は清廉にして潔白な聖者であった事だろう。さぞや高貴で侵しがたい姿であった事だろう。だがな、殉教などという茨の道に、一体誰が憧れる? 焦がれる程の夢を見る? 聖者はな、例え民草を慰撫できたとしても、決して導く事など出来ぬ。確たる欲望の形を示してこそ、極限の栄華を謳ってこそ、民を、国を導けるのだ!」
 ライダーは更に酒を一口で飲み干せば、セイバーへ主張を続ける。

「王とはな、誰よりも強欲に、誰よりも豪笑し、誰よりも激怒する、清濁含めてヒトの臨界を極めたるもの。そう在るからこそ、臣下は王を羨望し、王に魅せられる。一人一人の民草の心に、我もまた王たらん、と憧憬の火が灯る!」
「そんな治世の…一体どこに正義がある?」
「ないさ。王道に正義は不要。だからこそ悔恨もない」
 きっぱりとそう言い切るライダーに、セイバーは黙り込んだ。あまりにも価値観が違いすぎるのだ。

 優花梨には、どちらが正しいと判断する事は憚られた。セイバーの主張も、ライダーの主張も、どちらも間違っているとは思えなかった。どちらかを選べと言われたら、即答なんて絶対に出来ないだろう。

「騎士どもの誉れたる王よ。確かに貴様が掲げた正義と理想は、ひとたび国を救い、臣民を救済したやも知れぬ。それは貴様の名を伝説に刻むだけの偉業であった事だろう。だがな、ただ救われただけの連中がどういう末路を辿ったか、それを知らぬ貴様ではあるまい」
「何…だと?」
「貴様は臣下を『救う』ばかりで、『導く』事をしなかった。『王の欲』の形を示す事もなく、道を見失った臣下を捨て置き、ただ独りで澄まし顔のまま、小奇麗な理想とやらを想い焦がれていただけよ。故に貴様は生粋の『王』ではない。己の為ではなく、人の為の『王』という偶像に縛られていただけの小娘にすぎん」
「私は…」

 暫く黙り込んでいたセイバーだったが、突然、目線をアーチャーへ移した。優花梨の位置からは、その間何が起こっていたのかは把握出来なかった。

「アーチャー、何故私を見る?」
「いやなに、苦悩するお前の顔が見物だったというだけさ。まるで褥で花を散らされる処女の様な顔だった。実に我好みだ」
「貴様…!!」

 セイバーは怒りのあまり杯を地面に叩き付けた。
 刹那、それは起こった。

 突如として感じた殺意。セイバーから発されたものではない。優花梨だけではなく、それはウェイバーとアイリスフィールもすぐに察したに違いない。

 そして、薔薇の咲き誇る中庭に、髑髏の仮面が出現する。それは続々と増えていき、いつの間にか優花梨達5人は、漆黒のローブを身に纏った大量のサーヴァント――アサシンに包囲されていた。先程、キャスターの工房で見た数とは比べ物にならない程、異常な人数だ。

「……これは貴様の計らいか? 金ピカ」
「さてな。雑種の考える事など、いちいち知った事ではない」
 ライダーの問に、アーチャーは肩を竦めた。
 優花梨にはすぐに悟った。この状況は間違いなく、アサシンのマスターである綺礼の意思ではなく、時臣の指示によるものだと。理屈ではなく、本能がそう告げている。

「む、無茶苦茶だ! どういう事だよ!? なんでアサシンばっかり、次から次へと……大体、どんなサーヴァントでも、一つのクラスに一体分しか枠はないはずだろ!?」
 慌てふためくウェイバーに、アサシン達は嘲るかの様に、次々と笑いを零していく。
「左様。我らは群にして個のサーヴァント。されど個にして群の影」

 マスターではない優花梨には理解出来ない事象だが、恐らくこれは規格外のサーヴァントなのだろう。アサシンの真名、暗殺者『ハサン・サッバーハ』。単一の肉体の内に、分裂した人格が存在し、それぞれ固有の身体を備えて実体化する事が可能な能力を持つなど、優花梨には知る由もなかった。

 優花梨と、そしてウェイバーが今、唯一分かる事。それは、間違いなく自分達は窮地に陥っているという事だ。

「…ラ、ライダー、なあ、おい…」
 不安気な顔でウェイバーが己のサーヴァントに呟くも、ライダーは一切動じていない。
「こらこら坊主、そう狼狽えるでない。宴の客を遇する度量でも、王の器は問われるのだぞ」
「あれが客に見えるってのかぁ!?」
 焦りと怒りを露わにするウェイバーに、ライダーは苦笑すれば、包囲するアサシンに向かって呼び掛けた。

「なあ皆の衆、いい加減、その剣呑な鬼気を放ちまくるのは控えてくれんか? 見ての通り、連れが落ち着かなくて困る」
 ライダーの言葉に、セイバーも、そして今まで余裕綽々だったアーチャーも、流石に怪訝な顔をした。
「あんな奴儕までも宴に迎え入れるのか? 征服王」
「当然だ。王の言葉は万民に向けて発するもの。わざわざ傾聴しに来た者ならば、敵も味方もありはせぬ」
 ライダーは平然とそう言うと、樽のワインを汲んで、柄杓を掲げた。
「さあ、遠慮はいらぬ。共に語ろうという者は、ここに来て杯を取れ。この酒は貴様らの血と共にある」

 しかし、当然ながらアサシンは、ライダーの言う事など聞く耳も持たなかった。ライダーが掲げた柄杓に、一人のアサシンが投げた短刀が走る。柄杓は寸断され、汲まれたワインはライダーの肩と地面を汚した。アサシンは次々に嘲笑う。

「……余の言葉、聞き違えたとは言わさんぞ?」
 ライダーの声色が一瞬にして変わる。優花梨は思わず、ウェイバーの服の袖をきつく掴んだ。
「『この酒は貴様らの血』と言った筈――そうか。敢えて地べたにぶち撒けたいというならば、是非もない」

 刹那、熱い風が優花梨達に吹き付けた。砂混じりのそれは、まるで砂漠を舞う風の様で、有り得ない現象に優花梨はただ狼狽えた。
「ウェイバー、これって…」
 マスターであるウェイバーも困惑を隠せずにいたが、兎に角彼女を守らんとばかりに、羞恥を捨てて無言で優花梨を抱き寄せた。今は恋だの何だのと意識している場合ではない。

「セイバー、そしてアーチャーよ。これが宴の最後の問だ。そも、王とは孤高なるや否や?」
 いつの間にか、ライダーは紅のマントを靡かせ、英霊としての装束に変わっていた。
 ライダーの問に、アーチャーは無言で失笑を浮かべる。セイバーは躊躇う事なく口にした。
「王たらば…孤高であるしかない」
 アーチャーとセイバーの答えに、ライダーは笑い声をあげた。それに呼応するかの様に、熱風が強くなる。

「ダメだな! 全くもって分かっておらん! そんな貴様らには、やはり余が今ここで、真の王たる者の姿を見せつけてやらねばなるまいて!」

 それは一瞬の出来事だった。
 気が付くと、優花梨達は夜の城の中庭ではなく、灼熱の太陽が照り付ける、見た事もない広大な砂漠にいた。世界は一瞬にして変容した。
「そ、そんな…!」
「固有結界――ですって!?」
 ウェイバーやアイリスフィール、そして優花梨は、この幻影が『奇跡』だと、一瞬にして理解した。

「そんな馬鹿な…心象風景の具現化だなんて……あなた、魔術師でもないのに!?」
 驚きを露わにするアイリスフィールに、ライダーは笑みを浮かべながら告げた。
「勿論違う。余一人で出来る事ではないさ。これはかつて、我が軍勢が駆け抜けた大地。余と苦楽を共にした勇者達が、等しく心に焼き付けた景色だ」

 気付けば、位置までも変わっていた。アサシンは荒野の端に追いやられ、ライダーを挟んで、セイバーやアーチャーを含む優花梨達は後方に退避させられていた。
 そして、突如としてライダーの周りに、隊を組む騎兵の姿が徐々に再現されていった。
「この世界、この景観を形に出来るのは、これが『我ら全員』の心象であるからさ」

 騎兵は瞬く間に増えていく。訳が分からず、優花梨はウェイバーを見上げた。それに答える様に、ウェイバーは呆然と呟いた。
「こいつら…一騎一騎がサーヴァントだ…」

「見よ! 我が無双の軍勢を! 肉体は滅び、その魂は英霊として『世界』に召し上げられて、それでもなお余に忠義する伝説の勇者達。時空を越えて我が召喚に応じる永遠の朋友達。彼らとの絆こそが我が至宝! 我が王道! イスカンダルたる余が誇る最終宝具――『王の軍勢』なり!!」
 正規のマスターであるウェイバーだけが、この状況を理解出来た。これがライダーの切り札で、ランクEXの対軍宝具、独立サーヴァントの連続召喚である事を。

「久しいな、相棒」
 ライダーの元に、乗り手のいない馬が進み出る。ライダーはその馬の首を腕で抱いた。その馬は伝説の名馬ブケファラスであり、『彼女』もまた、英霊の格にあった。

「王とは、誰よりも鮮烈に生き、諸人を魅せる姿を指す言葉!」
 ライダーはブケファラスの背に跨り、大声で叫んだ。隊列を組んで並ぶ騎兵達が、応じるかの様に一斉に盾を鳴らす。
「全ての勇者の羨望を束ね、その道標として立つ者こそが、王。故に――王は孤高にあらず。その偉志は、全ての臣民の志の総算たるが故に!」
『然り! 然り! 然り!』
 斉唱する英霊達の声。優花梨はなんとか平常心を取り戻そうと、ウェイバーの腕の中で戦場を見回した。ライダーの『王の軍勢』は、アサシンとは比べ物にならない程の圧倒的な数だった。

「さて、では始めるかアサシンよ。見ての通り、我らが具像化した戦場は平野。生憎だが、数で勝るこちらに地の利はあるぞ?」
 ライダーの言う通り、勝敗は決まったも同然だった。それは対峙するアサシンが一番分かっている事だろう。逃走する者もいれば、立ち尽くす者もいた。
「蹂躙せよ!」
『AAAALaLaLaLaLaLaie!!』

 優花梨もウェイバーも、そしてアイリスフィール達も、王の軍勢に一方的に殺されるアサシンの群れを、ただただ無言で見つめるしかなかった。



「幕切れは興醒めだったな」

 気が付けば、周囲の景色はアイリスフィールの城の中庭に戻っていた。自分達が居た位置も元に戻っていた。再び静寂が訪れ、ライダーだけは平然と、まだ残っていた酒を一気に飲み干した。
 誰もが口を閉ざしていたが、アーチャーだけは違った。

「成程な。いかに雑種ばかりでも、あれだけの数を束ねれば、王と息巻くようにもなるか。……ライダー、やはりお前という奴は目障りだ」
「言っておれ。どのみち余と貴様とは直々に決着をつける羽目になろうて。――お互い、言いたいところも言い尽くしたよな? 今宵はこの辺でお開きとしようか」
 ライダーはアーチャーの言葉を笑って流し、立ち上がった。だが、セイバーが黙っていなかった。

「待てライダー、私はまだ――」
「貴様はもう黙っとけ。今宵は王が語らう宴であった。だがセイバー、余はもう貴様を王とは認めぬ」
「あくまで私を愚弄し続けるか? ライダー」
 ライダーはもうセイバーと言葉を交わす気はない様だった。無言で剣を抜き、夜空を斬り払えば、雷鳴と共に戦車が現れた。

「さあ坊主、小娘、引き揚げるぞ」
「……」
「……」
 ウェイバーも優花梨も、心ここにあらずだった。あれだけの宝具を目にすれば、無理もない話だ。特にウェイバーは、自身が召喚したサーヴァントの実力を目の当たりにしたのだ。

「おいこら、坊主?」
「――え? ああ、うん……」
「小娘も、シャキッとせんかい」
「あっ! は、はいっ、すみません」
 我に返った優花梨は、ライダーに慌てて謝ると、ウェイバーの手を取った。
「ウェイバー、帰ろう?」
「…ああ…」
 自分がウェイバーの立場なら、同じ感覚だったに違いない。優花梨はウェイバーの手を引いて、共に戦車に乗り込んだ。
 そして、未だ会話を交わしていなかった、先程まで交わす余裕もなかった相手へ叫んだ。
「アイリ様! あ、あの、なんだか、色々と……申し訳ありませんでした…!」
 優花梨の声は無事届いた様だ。アイリスフィールは苦笑を浮かべた。
「謝る必要はないわ、優花梨。ライダーのマスターと仲良くね」
「は、はいっ!」
 ウェイバーがぼうっとしていて本当に良かった。優花梨はアイリスフィールの言葉に赤面しつつ、心からそう思った。

 二人の遣り取りが終わったのを見計らって、ライダーはセイバーを一瞥して静かに告げた。
「なあ小娘よ。いい加減にその痛ましい夢から醒めろ。さもなくば貴様は、いずれ英雄として最低限の誇りさえも見失う羽目になる。貴様の語る『王』という夢は、いわばそういう類の呪いだ」
「いいや、私は――」

 セイバーの返答を聞こうともせず、ライダーは戦車に乗り込み、夜の空へと飛び立った。
 一気に姿が見えなくなる。優花梨はセイバーの主張も間違っているとは思えず、ただただ申し訳なく感じた。アイリスフィールの言う通り、自分がそう思う事ではないのだが。

 そして、問題は何も解決していない。アサシン、つまり綺礼は事実上、聖杯戦争から身を引く事となった。だがそれでも、綺礼が時臣の直弟子である事に変わりはない。
 時臣を裏切っている事。このままで良いわけがない。決断の時は、遅からずやって来るのだ。

 優花梨は予感していた。ウェイバーと過ごす日々は、間もなく終わりを告げるだろう、と。

2015/05/18


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