ハリポタ 人を愛した死神 | ナノ
act.30 容姿と肩書き
今日は少し早めに行かなくてはならないから、とトムに嘘を吐いて家を出る。
行き交う人の胸の蝋燭がどれもこれも美味しそうで、駄目だと分かっているのに手を出してしまいたくなる。
空腹とは恐ろしいものだ。食糧難に追い込まれた人間が人肉を食べたという話を思い出す。彼らもこんな気持ちだったのだろうか。
食糧難で人間を喰らう人間と、食糧が人間の寿命でしかないから人間を喰らう私は、何が違うのだろう。お互いに腹を満たすために、ただそれだけのために人を食べているのだ。
本当に悪い事なのだろうか。倫理観などとうの昔に知恵だけつけて他人事にしていたから、そこは曖昧だ。何より倫理観など時代によってコロコロ変わるから、善悪を今決めるのもおかしな話だ。
私にとって食べて栄養に出来るモノが、たまたま人の寿命だった。ただそれだけ。
ただそれだけの事だけれども、社会的には脅威になるだろう。だから私は今日も普通の人間に擬態するのだ。
朝の回診で少しずつ恵んでもらいながら、空腹で過ちを起こさない程度には腹を膨らませる。
しかしやはり腹は減る一方だ。
ああ
お腹が空いたな
「ウェストン先生、ちゃんと食べてます?」
看護師に顔色の悪さを指摘され、お昼ちゃんと食べてくださいよ、と言われながら昼休みを迎えた。老年の看護師はいつも私を娘と勘違いしてるのではないかと思うほどに、何かと世話を焼いてくるのだ。その優しさはありがたいが、食や私生活について足を踏み込もうとするのはやめて欲しい。
欠伸をしながら給湯室へ行くと、紅茶を入れている若い看護師がいた。軽く会釈をすれば、先生も飲みますか?と聞かれる。
「私はコーヒーが好きでして」
紅茶も飲めなくはないが、コーヒーの方がまだマシな飲み物なのだ。予め挽いておいた豆を、ドリッパーにセットしたフィルターの上に置く。沸かされた湯を少しもらい、蒸らしながら抽出していると、看護師は不思議そうな顔をしながらドリップを眺めていた。
「珍しいですか?」
「コーヒーを飲む人ってあまり見ませんから、新鮮ですね」
イギリス人は紅茶、コーヒーなんてアメリカ人だ。と言われる事もある土地柄だからなのか、コーヒーを飲む姿は奇異の目を向けられることが多い。むしろ『荒野を開拓をしてあげた我々に反旗を翻した嫌な国の飲み物』という印象が持たれているようで、コーヒーを好む私に嫌悪感を見せる人すらいる。
もうアメリカ独立戦争から100年は経っているし、元を辿ればただの人なのだからそんな派閥区切りしなくていいのに。
人はどうにも、自分と違うものにレッテルを貼ってしまいがちだ。性別、骨格、身体の色……あげたらキリがない。人種が同じでも、国名で分けたりするのだから、良い例だろう。
「コーヒーって飲むまでに手間が多いですね」
私の手元を見ながら、看護師が真面目に聞いてくるから少し笑いそうになる。
「そうですねぇ。紅茶みたいに、お湯に入れたら出来上がり、くらいになってくれたら良いんですけれども」
「豆買って、挽いて、フィルターや専用の物を用意して、ですもんね。大変」
「紅茶はその点、ティーポットが発明されていますね。やはり歴史の長い飲み物ということなのでしょうね」
紅茶は古代中国の時代から飲まれていて、最初こそ霊薬として扱われていたが、6世紀頃から一般的になったのだから歴史はかなり古い。コーヒーは最初薬として使われていて、嗜好品として飲まれるようになったのは13世紀頃だったか。
流石に生まれる前の時代だから分からない。
ぽたり、ぽたりと雫が落ちる様子を眺める看護師に、ドリップを外してからマグカップを差し出す。
「一口、飲んでみますか?」
「美味しいですか?」
「私は好きです」
香りが。とまでは言わなかった。私の味覚からは好感を得られる部分がろくにないので、香りを楽しんでいるだけなのだ。
看護師は少しだけ口をつけて、それから苦い!酸っぱい!と言って、うぇっという顔をした。そんなに不味いのか。
「凄く、大人の味ですね」
「そうですか?」
「私は砂糖とミルクがたっぷり入っている紅茶が好きです」
「そうですか」
コーヒーを飲む私を見て、看護師はなんとも言えない顔をする。申し訳ないことをした。
「コーヒーも、紅茶と同じで砂糖とミルクをたっぷり入れて飲む人もいるんですよ」
「わぁ、それは美味しそう」
「今度試してみますか?」
「ええ、今度お願いします。砂糖とミルクは自前のがあるので、それ使って作ってみましょう!」
ではまた、とトレイに紅茶を乗せて去っていく女性に手を振る。
目を閉じて、コーヒーを啜る。熱い液体が体を駆け巡るのを感じて、一息吐いた。
***
いつも通りただいま、と言って家の鍵を後ろ手に締める。
トムは変わらずひょこりと顔を出して、おかえり、と返してくれたが、しかし声には覇気がない。疲れが滲んでいる。
「今日も頑張ったみたいだね。今からお風呂を入れるから、少し待っていて」
次の休みにはお風呂の入れ方を教えておいた方がいいかもしれない。私の帰りが遅くなった時、この子は必然的にお風呂が遅くなり、その結果ベッドに入るのも遅くなる。子供の事故は水に起因するものが多いからと、水回りの事は教えずにいたけれども、そろそろ限界だろう。
この子が寮に入らずこの家で生活を続けるのならば、私が仕事で帰れない時は自分で全てをこなさなくてはならないのだ。お湯の出しかたからひとつずつ、教えておこう。
「そんなに急がなくたって、別に平気だよ。ちょっとたくさん頑張りすぎただけ」
赤い瞳を瞼で覆い目頭を抑える姿は、さながら、長い手術を終えて一息吐く壮年の医者のようだ。
「目が疲れてるの?」
「うん」
「見せてごらん」
ぱちりと開く瞼。覗き込めば、そこには変わらない紅。
滅多に見ない色合いの虹彩は、メラニンが抜け落ちたような色彩で、光を強く感じたりすることが多いと言う。その分、瞳への負担、延いては見た物事を処理する脳への負担にもなる。
きっと私が見ている世界とトムが見ている世界は違うのだろう。何処もかしこも眩しかったりするのかもしれない。今まであまりやってこなかっただろう活字ばかりの勉強や、面談に向けての目線や態度などをずっと勉強してきたのだ。疲れるに決まっている。
「明日は休む?」
「え?」
「眼精疲労……目の疲れから、視力が低下したりしてしまうんだよ。だから、休ませることも大事なんだよ」
「……ううん。休まない。1日だって今は無駄にしたくないんだ」
トムは自分が置かれている状況を理解している。今は休まない、休めないと、そう、理解しているのだ。
ここまで追い込んでいるのは私だ。学校に行かなくても、試験に落ちても、問題ないのだと最初に教えるべきだった。プレッシャーを与え過ぎていたのだ。
医者のくせに、体の傷を癒しても心を傷付けているではないか。
しかし、ここで休みを強要するわけにもいかない。ここで一日休ませて試験が不合格だったら、その1日を恨むだろう。この子は私を恨むのではなく、怠けた自分を許さないタイプだ。
良い意味でも、悪い意味でも、完璧主義者。その性質を見抜けなかった。いや、少し見抜いてはいたが、ここまで確固たる意思を持っているとは思わなかった。
今は休めという言葉はこの子に届かない。私が出来ることは、全力を出し切ったと思えるようにサポートするしかないのだ。
「分かった。でも、私も医者だから、危ないと感じたらドクターストップをかけることもある。それだけは覚えておいてね」
間近で見る顔。まっすぐに見つめ合う瞳はガラス越しに覗き込む血のようだ。
頬は肉付きが良くなった。血色も良くなったから随分と健康的に見えるが、それでも外にあまり出ないからか色は白くて透き通るようで、まるでボーンチャイナのようだな、と思う。
「分かったよ」
心底不機嫌に言われた了承は、まるで「分かってない」と言っているようなものだ。
前髪をかき上げて、おでこにひとつキスをする。トムは静かに受け入れていた。
「さて、お風呂を入れてくるよ。ソファで休んでて」
「うん」
お風呂を入れて、トムが入浴している間に今日の成果報告書を読む。勉強は素晴らしく飲み込みが良いと書いてある。面接も、流暢に、上流階級のアクセントで話せているとの事だった。
目線もしっかりと相手を見ている、と書いてある。視線を怖がるのを克服したのか、それとも克服出来ていないのに無理をしているのか。今は無理をする時期なのかもしれないけれども、それでも、きっとトムには苦行だ。まるで食事をした後のように腹の中が気持ち悪くなる。
家庭教師は瞳の色については決して触れない。しかし、社会は、外はそんなことはない。トムがどれだけ努力しようと容姿は変わらない。それが彼の足を引っ張ることになるのが、酷く悔しい。
「キリー?」
「早かったね」
もし入学出来なかったとしても、きっとトムの学力で落ちる事はない。面接は当日次第だけれども、きっとトムならうまくいく。もしも落ちる理由があれば、それは私が失敗するか、容姿か、家柄だろう。我が家は名の知れた家柄でもない。そもそも私は孤児で、永く生きているから苗字だってデタラメだ。
私が無名の医者で、トムは元孤児。きっとこれらがネックになる。
子供がいなければ気付きもしなかった肩書きによる学業の落差は、きっと根深い。
「トム」
風呂上がりで水分を摂るトムを呼んで、頭を撫でる。
「私もお風呂に入ってくるね。眠ければ、先に寝ておくんだよ」
「ん、分かった」
どうかこの子の未来に、階級制度が壁として出てこなければ良いのに。
紅い瞳と階級。これがどれほどこの子の人生に影響するのかを考えると、胃の中が気持ち悪くなった。
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