ハリポタ 人を愛した死神 | ナノ
act.29 空腹
『週末はスーツを受け取りに行く為、授業はお休みとさせていただきます』という旨の手紙をトムに渡して出勤する。
変わらず減り続ける腹に少し苛立ちを覚えた昼過ぎ、昨日診た老人の家族が集まっていた。
「私だってもう来られないわよ!子ども連れてくるの大変なんだから」
「母さんは孫に会いたがってるんだから、少しくらいの労力割いてやれよ。もう死にそうじゃないか。最期まで幸せでいさせてやれよ」
「自由に生きて結婚もしてない兄さんにそんなこと言われたくないわ!母さんがもうすぐ死ぬ死ぬ言われてるからこうやって足繁く通ってるのに、まだ死なないじゃない!」
廊下でなんていう話をしているのか。女性が連れている女の子は母親のスカートを小さな手で掴んで、何かを訴えようと口を開きかけては、空いた手を口元に持っていって指を吸っている。
仲の良い家族だと思っていた。娘が孫を連れてきて、老い先短い母親と穏やかな時間を過ごす、理想的な家族だと。だから私が寿命を食べて、死なせるのは良くないと思っていたのに。
それが蓋を開けたらこんな状態だったとは、流石に思いもしなかった。しかも、それが今日この日に露見するなんて、なんとタイミングが悪いのか。あの老女は、明日には消えそうな蝋燭をどうにか燃やして元気に見せているだけなのに。
ヒートアップする女に、男はタジタジと言った様子だ。仕方ない、ここは私が口を挟むとしよう。
「そこの方々、病院であまり大きな声で話をしないよう、お願いいたします。周りの方も聞いておりますので」
女性から勢いよく睨まれた。胸の炎も烈火の如く燃え盛っている。要らない一言を口にしたかと思ったが、周りの看護婦達は我々を遠巻きに見つつ少し安心した色を浮かべている。
「……今日は帰るわ」
小さな娘の手を握り締めて、踵を返してしまう。引きずられるように歩き出した娘の後ろ姿に安否を心配してしまうのは、トムと背丈が似ていたからかもしれない。まぁ、彼女に限って子供に八つ当たりするようなことはないだろう。
残された男は呆気に取られている様子だった。
「お母様の往診に参りました。お部屋に入っても?」
「あ、ああ、宜しく頼みます、先生。俺は廊下で待ってます」
部屋に入りたがらない男。息子の言葉に、中の老人は何を思っているのだろう。決して聞こえない距離ではなかった。きっと娘の言葉も聞こえているに違いない。
部屋に入ると、老人はこちらを見ていた。風に揺れる木々を見るために窓のほうを向くでもなく、無機質な扉をガラス玉のような瞳で見ていたのだ。
「お加減は如何ですか?」
「……すこぶる良いわ」
胸元にある、消えかけの炎が心もとなく揺れる。シワの刻まれた顔がぐしゃりと歪んで、老いた口からひゅうっと空気が抜けた。塵程度のそれにすら、餌を貰えずに飢えた腹の虫が騒ぎだす。
「明日、娘は来るかしら」
「きっといらっしゃいますよ」
あなたの死の連絡が入るから、否応無しに来なくてはならない。とは言わない。
「昨日のうちに死ねたら良かったのに」
ポツリ、と言われる告白。にこにこして孫を連れてくる娘の醜い本心なんて、知りたくなかったのだろう。さっさと死んでいれば子供の負担にもならなかったのに、と悲しんでいるのか。
食わずに我慢した私を前に、死んでおけば良かった等と、言うのか。いっそ食べてあげた方がこの人は幸せだったのだと、そんな考え、起こさせないで欲しい。
今更この人の寿命を喰らったところで、この人が悲しみに暮れているのは変わらないのだ。日を跨ぐ前、むしろ日没後すぐにでも、この人は死ぬだろう。
「……少し、待っていてください」
我ながら滑稽だと思う。医療従事者であり、何人もの人間を見ているのに、1人にだけ手厚くしてしまう。だって仕方がないのだ、人間にとって死ぬと言うのは、それだけの意味を持つのだから。
あの患者はもうすぐ死ぬ、だから最期ぐらいは不幸を少し拭ってもバチは当たらないだろう。
部屋を出ると、廊下の壁に背を預けて無駄に時間を浪費している男がいた。気まずそうな顔をする男に部屋へ入るように促し、娘の後を追う。
老人のファミリーネームを呼べば、エントランスにいた娘は振り返る。医者が走ってきたことに驚いたのだろう、引きずるように持っていた子供の手をようやく離し、赤くなった目元を隠しもせずにこちらを見ている。
「先生、どうしましたか」
「お母様と楽しい時間を、過ごして下さい」
「さっきあんなこと言ってしまったから、どんな顔して会えばいいか分からないの、また明日…」
「明日、生きてる保証はありません。彼女の肺の音は、かなり、悪いのです」
乾いた喉を潤すように唾を飲み込む。少しむせて、一つ、深呼吸をする。
「先程、お伝えするつもりでした。昨晩から、痛みを抑える薬も最大限与えてますが、それでももう痛みを取り除けておりません。もって一日、二日です」
「そんなっ」
「ですから、わだかまりなど残さないように、今を過ごして下さい」
先の見えない介護は辛かっただろう。日々衰えていく親を見るのも辛かっただろう。毎日の生活サイクルに面会を入れ、生活リズムを崩すのも嫌だったのかもしれない。幼な子がいるのだ、こんな幼い子に死を間近に見せるのも、きっと彼女なりに葛藤があったのだろう。
けれど、それがこのタイミングで爆発してしまったのは不幸だ。このまま不幸で終わらせては、残す側も残される側も心にしこりを持ってしまう。それだけは、避けたい。
娘はお辞儀をして、母親の待つ病室へと子供を抱き上げて歩き出した。
「はぁ……」
「ウェストン先生」
「わっ」
良かったと溜め息をついた途端に後ろからかけられる声。変な声が声帯を震わせ、振り返ると、そこには看護師長がいた。
「医師ともあろう方が、廊下を走らないでください」
「済みませんでした」
素直に謝れば、溜め息をつかれてしまう。この人からすれば、言うことをろくに聞かない迷惑な医者なのだろう。
「でも、安心しました」
「……安心、ですか?」
「ええ。あの患者様、もう長くはないでしょう?」
「……そう、ですね」
「私達ナースは、患者様の心のケアも時として必要ですから」
「苦悩する者のために戦う、ですか」
「ウェストン先生は博識ですね」
「医者も、クリミアの天使から学ばせて頂くことは沢山ありますから」
最近亡くなったナイチンゲールは、本人としてはその呼び名を嫌っていたけれども、書物には必ずと言って良いほどその名の横に書かれていた。お陰でナースたちは今では白衣の天使、と呼ばれている。
「ウェストン先生はナイチンゲール博物館には行かれましたか?」
「いえ。出来て久しいですから、まだ」
「久しいって、ふふ、先生ったらおかしなことを」
うっかり本音を出してしまって、誤魔化すにもどう言えばいいかを悩む。私の寿命からすればつい最近だが、この見た目では博物館が出来てから産まれてることになる。
「建物が新しいので最近できたのかと思ってました」
「先生、興味がなくて行きたくないなら、そう言って頂いていいんですよ?」
看護師長からすれば敬愛すべきナイチンゲールを興味ないと言われたら気分が悪いだろうに。うっかりしていた。
「誰かが案内して説明していただけるなら行きたいんですけどね。息子にも見せたいですし」
「息子?ああ、先日病院にいらしてたあの男の子…本当に息子さんなんですか?」
「血の繋がりはありません。紆余曲折ありまして、養子にしたんです」
「まぁ……まだ未婚なのに。そんなことでは結婚出来ませんよ?」
「するつもりがないので」
「まぁ…!」
今度の「まぁ」は本気の驚愕だ。女は結婚して子を産んで当たり前。それ以外の道を選ぶなど言語道断。という世界なのだから、私の生き方は特殊だろう。
帰宅すると、トムが手紙を渡したよ、と報告してくれた。頼まれたことを成し遂げた達成感でもあるのだろうか、どこか誇らしげだ。
「ありがとう、トム」
頭を撫でれば、ふふん。と笑う。子どもは少しのことで達成感が得られるのだから、可愛いものだ。
その笑顔を素直に微笑ましく見られずに、つい目はその胸にある美味しそうな灯りにいってしまう。
と、ぐうぅ、とない胃袋が鳴った。
「お腹空いてるの?珍しいね。食べてこなかったの?」
「ちょっと忙しくてね」
事実、今日は忙しくてろくに食べられなかった。自由時間は、あの患者が最後は笑顔で逝けたのを見届けるために無駄に棒立ちで病室に居たからなのだけれども。
困った。空腹で眩暈が起きそうだ。
病院を出るのがいつもより遅くなってしまったから、トムが起きて待ってると考えてストレートに帰宅してしまった自分が恨めしい。帰りにパブにでも寄ってヤンチャな人たちから少しお裾分けをして貰えばよかった。
トムが寝てから食事に出かけても良いけれど、今からお風呂に入れて仕上げ歯磨きをするとなると、流石に治安が悪い時間になるな。食事は人と違うけれども体は人間と同じなので、殴られれば痛いし傷つけられたら血が出る。
女というだけで起こりうるリスクは沢山ある。それはどれもこれもが私の人権を踏み躙るものであって、避けたい内容ばかりだ。
しかし、腹は減っているのだ。眩暈がするほどに。
「家にあるのを食べれば?」
まさに人間の正論をぶつけられて、そうだね、としか返せない。
トムを寝かせてから出かけるのはリスクが高いから、明日までこの胃袋を持て余すしかないか。明日は少し早く出て、回診して少しずつ恵んでもらおう。
「なんでコーヒーの準備してるの」
「まずはコーヒーを飲みたくて」
「食べ物作りなよ。お腹空いてるんだろ?」
随分と私の事なのに気にかけてくるな。トムらしくもない。
「トムが寝静まった頃にお酒と一緒につまみを食べようと思って」
「は?キリー、お酒飲むの?」
「嗜む程度にはね」
実際は飲まないけれど。こうでも言わなければこの子は退かないだろう。
お酒、という言葉に嫌悪感を丸出しにするトムに、生まれてそのまま孤児院でシスターに育てられていたのに、なぜそこまでお酒を毛嫌いするのかを想像する。本来ならば、お酒なんて縁もないはずだ。
「……お酒は貰ったものがあるから飲む程度だよ。自分では買わないよ」
「どうだか」
「酔っ払いは嫌い?」
「嫌いだね。理性のかけらもないじゃないか」
おや、どうやらお酒が人間にもたらす効果は理解しているようだ。どこで見たか、何を見たかは私には分からないけれども、トムにとって嫌なものならば、今後話題として出さない方がいいだろう。
「じゃあお酒は飲まないよ。コーヒーで済ませるから、そんなゴミを見るような目を向けないで」
嫌悪してますと顔に書いてあるトムにストレートに言葉で伝えたら、目が逸らされた。自覚なしであの目を向けてたのか。
呑むという嘘がこんなに大きな問題になるとは思わなかった。
「とりあえずお風呂の準備するよ。トムはご飯ちゃんと食べているね、偉いよ」
「食べて褒められるってなんか馬鹿にされてるみたいだ」
「私は褒めて育てるタイプだから。それに、嫌いな物があってもきちんと食べるのとても偉いんだよ?私は食わず嫌いが多いからね」
世の中の食物全てだけども。食わず嫌いというより、全ての食物が私にとっては害でしかないのだけども。
「キリー好き嫌いあるの?大人なのに」
「大人だって好きな物、嫌いな物はあるよ。子供の手前、隠してるだけ」
「へぇ」
意外、という顔。表情が随分と豊かになった。可愛い事だ。
「さて、お風呂の準備をしよう」
「早くしてね。僕は眠いんだから」
「はいはい」
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