ハリポタ 人を愛した死神 | ナノ
act.28 疲労
苦痛に顔が歪むのを見るのはあまり好きではない。しかし、病院という場所で、医者という立場上、どんな人間も苦悶の表情を浮かべるので、そんなことは言っていられないのが現実である。
「助けて先生」
骨張った手を震わせながら伸ばしたご老人は、もう長くはない。溶け切った蝋の中、揺れる炎は微弱だ。求められている助けというのが痛みから解放される死であるならば、私も助けることができるだろう。
けれどこの人は生きたがっている。これから先、痛みが続くのが分かっているからモルヒネは増やせるが、出来る処置といえばそれくらいだろう。私は人の命を喰らって生きる者ではあるが、基本的なところは人間と変わらず、苦しむ人1人救えやしない。
「痛み止めを増やしましょう。今はゆっくり寝て下さい。明日、娘さんがお孫さんを連れてくると仰ってましたよ」
残り時間を調節して、娘と孫が面会に来ている間に息を引き取らせてあげたほうが優しさかもしれない。が、それはあくまで私の憶測の域での話だ。この人は自分の死に際を見られたくないかもしれない。
死に際の人の命を喰らうのは、どうにも難しい。痛みで死にたいと言いながら、瀬戸際に来て生きたいと嘆かれる時もある。寿命を減らした後にまだ生きたいと顔を歪められる事ほど、後味の悪いものは無い。
目の前で揺れる心許ない炎に空腹を訴えられるけれども、看護師を呼んでモルヒネを追加するように伝えて部屋を出る。明日は非番だから喰べる量によっては死に目に遭遇しなくて済むから、喰べても良かった。良かったのだが、家族に囲まれて大往生するか、深夜に病室で静かに息を引き取るかは本人の天命に任せることにする。
悩ましい人の寿命を喰べても、気を揉むだけだ。そんな胃もたれを起こしそうな食事、たとえ空腹でも喰べたくはない。
また昔のように、人々が死にたいと望む世界になればこの空腹を満たせるのに。第一次世界大戦を思い出して、よだれが出そうになる。
あの時のように、満足するまで腹を満たしたいものだ。
「……はぁ」
勝手に出た溜息に、ありもしない胃袋がクゥ、と鳴いた。
「ウェストン先生、お疲れ様です」
交代する医者が来たので、白衣を脱ぐ。これでやっと帰れると息を吐けば、看護師がチョコレート菓子を一つくれた。
「疲れてる時には甘い物ですよ」
これで胃が膨れたらどれほど幸せだろう。食べもしない物を受け取りながら、上っ面だけの感謝を述べて関係者専用の扉をくぐる。
週に一度あるかないかの夜勤は私の食事の場にうってつけなのだが、今日はあまり食べることができなかった。というよりも、最近は食べられる量が減ってきている。医療技術が飛躍的に発展している今、誰もが命尽きるその瞬間まで生きる事を望むようになった。
日々悩まされる飢餓感は口内に渇きすら感じさせて。帰ったらコーヒーを淹れようと、そう思っていた時だ。
「やぁ、キリー君」
突然かけられた声に足を止める。建物の隙間、月明かりも街灯も差し込まない裏路地に隠れていたらしい相手は、闇の中から現れた。
トムを養子にする際に世話になった自称弁護士だ。相変わらず健康そうだ。
同族嫌悪、とまでは言わないが、同じ食事方法しか持たないはずの相手が満ち足りた状態でいるのを見ると、どうにもやるせない気持ちになる。
この男のように、私も人を食事と割り切って生きたほうが気が楽だろうか。しかしそうするには、私は人と密接に生活をし過ぎている。彼のようには、きっとなれない。
「出待ちですか。何の御用があるんですかね」
この男の背後には何がいるのか、考えたくもない。国家が掌握していそうな情報まで持っている事、不老であり長い寿命の中、悠々自適に生きて市民権をしっかりと持っている事。どれを見ても、敵に回すには危険な存在だと証明する内容しかない。
「なに、子供を引き取ったあと、どうしているのか気になっただけだよ。僕も一枚噛んでいるのに、全く音沙汰がないからガラにもなく心配してしまってね。……ふむ、様子を見るに、子育ては順調なようだね」
「どうでしょう、親になるのは初めての試みなので、順調かどうか、判断はしかねます。ただ、あの子は衣食住では困っていないと思います」
「それは良い事だ。この国に産まれた子はこの国の財産になる。しかし……」
相手は芝居がかった様子で顎に白い手袋をした手を添え、私を頭の先から爪先まで、不躾も甚だしい目線で舐めまわしてきた。今日はどうにも、相手はこちらを煽りたいようだ。
早く帰りたい足を止められてる時点で此方も機嫌はあまり良くない。その煽りに乗ってしまおうか。
「なにか?」
「ああ、済まない。随分と"お疲れ"のように見えてね」
「……」
「仲間の空腹は見ていてツライものだ。このまま、食事にでも行かないかい?」
「貴方と?私が?ご冗談を。パブやカフェに行っても口に出来る物はありませんよ。我々の食事を何処で調達するおつもりで?」
「何、簡単さ。君がこちら側に来てくれたら、食事には困らなくなるよ」
ざわりと背筋を駆け抜ける悪寒。我々が食事に困らないというのは、つまり生きている人間を食い荒らすことが可能な空間があるという事。
そんな所、きっとろくでもない。刑務所か、死刑執行を行う場だろう。
「私はここで十分です。この身体は燃費も良いようですからね」
「おやおや、それは、羨ましいね」
相手はクスクスと笑って、それから話題を変えるようにステッキで石畳をコツンと突いた。
「一つ、君に忠告をしにきた」
「私に?」
「君は極限まで空腹を耐えたことはあるかい?」
「残念ながら、無いですね」
「それは良かった」
相手は芝居がかった態度で両手を上げ、喜んでみせる。
今は常に空腹状態ではあるけれど、極限ではない。人間で言えば、三度の食事は摂れていないが、おやつを何度も摘んでいるような状態だろう。
満たされるほどではないが、我慢出来なくて暴食する程でもない。
「僕達は見た目は痩せたりしないが、中が飢えてしまう。問題は、極限状態では本能に人は逆らえないということだ」
「……私があの子を食べると言いたいんですか?」
「そうじゃない。うっかり、暴食してしまうくらいなら、僕に餌場を教えてもらう方がよほど賢い、と言いたいだけさ」
私が常に空腹だから、良い加減こちら側に来い。と言いたいのだろう。
飢餓状態であればとても魅力的で、うっかりその手を取ってしまいたくなる誘いだろう。けれども、私は幸にしてただの空腹だ。それに、今はトムがいる。あの子に嫌悪される生き方はしたくない。
……たとえ殺すほどに食べていなくとも、人の寿命を食ってここまで生きてきたという真実だけでも、十分に嫌悪されるのだろうけれども。
「最後にもう一つ。これは世間話だよ」
「……貴方の言う世間話は重たい内容でしょうね」
「そうでもないさ。国から見ればほんの些細な内容さ。けれど、君には必要な情報だろう」
随分と勿体ぶった発言だ。最近また何かの舞台にハマっているのだろうか。この人はすぐに周りからの影響を受ける。ワトスンの真似事は背格好を見るにそのままのようだけれど、また次に会ったときには名前が変わっているかもしれない。
「君の息子さんを狙っていた貴族、まだ諦めていないそうだよ」
「は?」
口から漏れたのは巫山戯るな、と言う気持ちが籠もった声になってしまった。相手はクスクスと笑い、こちらを愉快そうに見つめてくる。
我々は正式に養子縁組を結んだのに、まだ諦めていない?どれほど執念深いのか。そもそも、どうやってトムを手に入れるつもりなのだろう。
「では、僕はこれで」
言いたいことだけを言って居なくなるのはこの男の悪い癖だと思う。そこを指摘したところで事実を伝えただけだと相手は言うだろう。しかし、その事実が不安を煽り、ありもしない恐怖に怯えることになるのだ。それがどれほど危険か、この男なら分からないわけでもないだろうに。
「……」
溜め息が勝手に口から溢れる。
帰ったら、一息つくとしよう。
玄関に鍵を刺し、ドアノブに手を添えれば、そこから先の私は捕食者でも医者でもなく、養母となる。
毎日行われるこの動作が自身の中で切り替えに使えるのだから、割と優秀な作業ルーティーンだ。
ガチャリと開けて、中を見れば外の暗さが嘘のように明るい屋内。二階のリビングへ続く扉を開けているのだろう、二階の踊り場が明るかった。
「トム、ただいま」
「お帰り、キリー」
鍵を回した時の音で帰宅を察知するらしいトムは、いつも通りひょこりと顔を出して、二階の踊り場から玄関を見下げてくる。こんな些細な行動にも安心を感じてしまうのは、先程の話のせいかもしれない。
荷物を置いて手を洗った後にトムのいるリビングへ向かう。
椅子に腰掛け、此方に背を向けていたトムが振り返る。ナイフを使って綺麗に切った一口大の肉を食べて居たようで、モゴモゴとした口調でまた「おかえり」と言った。たったそれだけで、心の中にある淀みきった沼が湖畔に変わるのだから、何百年生きようと人とは単純だ。
湿度を含んで重かった肺呼吸が、随分と軽くなる。コーヒーを入れて席につくと、トムがチラリと私を見た。正確には私の手元の、家庭教師からの手紙を見たのだ。
「ねぇ、いつまでそのやり取り続ける気なの?」
「私は休みの日しか先生に会えないからね、引き続き、毎日書いてもらっても構わないと思っているよ。先生は負担に感じている様子かな?」
「ふたん?」
コーヒーを一口飲む。トムは先日指摘して以降、分からない単語は躊躇なく質問してくるようになった。
言ったら怒られるから口にしないけれども、まるで赤ん坊が喋り出した時に大人の言葉を反復して、口に馴染ませようとしている動作みたいだなと思う。
「教える仕事に追加でこの手紙を書いているから、疲れてはいないか、という事だよ」
「それは無さそうだよ。あいつ、成果報告は好きみたい」
教師が使っているのだろう言葉を使うトムは、少し誇らしげだ。いつも新しい単語は私から教わるしかなかったから、私が教えた以外の単語を使うのが心地よいのだろう。
これからは、トムもどんどん外の世界に触れて、言葉だけでなく様々な事を身につけていくのだ。この閉鎖的な空間で、私だけが接点を持つ相手としなくてよくなる。
その為にも、まずは第一の難関、学校入学を頑張らなければいけないのだが、トムの体の動きや目元の疲れ具合を見るに、疲労は蓄積しているようだ。
「トム」
「何?」
「毎日沢山頑張って、成果を出しているのは日々の手紙の内容、それから休みの日の面談練習で分かっているつもりだよ」
「急にどうしたの」
「今のトムからは疲れが見て取れる。だから、どこかで1日休みを挟もうか?」
「はぁ?」
休みの提案をしたのに、言外に馬鹿かと罵るような言葉を吐き出される。随分と態度が悪い。そんなに気に障る発言だっただろうか。
「1日休んで、試験落ちたらその1日を後悔するよ。絶対やだね」
「え、試験まで毎日勉強をするつもりなの?」
「当たり前だろ?」
そんなに意気込んでいたとは、知らなかった。どちらかと言うと、学校に行くのに消極的だと思っていたのだが、どこで気が変わったのか、元来の性格である負けず嫌いが出てきたようだ。
それはこちらとしてはラッキーだが、ここで倒れて余計なロスタイムを待つのも、望ましくない。
「一気に詰め込んで、試験前に知恵熱でも出したら本末転倒だよ?」
「あのさぁ、いきなりたくさん難しい言葉使わないでよ」
「知恵熱が分からなかった?」
「ほんまつてんとう、も」
幼い子供の口からは確かに出ない単語だが、面接ではどんな言葉を使われるか分かったものではない。わざと難しい言葉を対話に込めれば、先ほどと同様、ちゃんと質問をしてくれた。
説明をして、だからこそ一度休みを挟んではどうか、と告げる。併せて、スーツが週末に出来るから、その日を休みにして出かけて少し羽を伸ばさないか、とも伝えれば、それならと納得してくれたようだった。
「では週末はスーツを受け取りに行くから、先生にはお休みだと伝えておいてくれるかな?」
「は?僕が伝えるの?」
「だって私は先生に会わないでしょう」
「手紙を書けば良いじゃないか。僕が言ったら、僕がサボりたいだけだと思われるかもしれない」
表情を崩さないように努めて、溢れそうになった言葉を飲み込む。
トムは先生との信頼関係を築けていないのだろうか?もしくは、大人は自分の言葉を退けるものだという経験からの発言なのか。
前者ならば、家庭教師と話す必要があるが、この数日のやりとりを聞く限り、教師としての資質は認めているようだ。
しかし、人間としての質を認めていない、信頼していない、という場合もある。それは、こちらが何を言おうと意味を為さない。本人の心の問題だから、どうしようも出来ない部分だ。
では、後者だろうか?家に来た施設の人間を思い出す限り、本人の意思などろくに聞かず、指示通りに子供を動かそうとしていたのだろうことは明白だ。
「確かに、予定を組むのは親の仕事だね。分かった、書いておくよ。明日の朝トムに渡すから、先生に渡してもらえるかな?」
「うん、良いよ」
「ありがとう」
ところでデザートは食べる?と話を変えるきっかけ作りに聞けば、食べる。との回答。
果物を切りながら、週末は何をしようか、トムが好きな所に行こう。と疲れが見えるトムに声をかけるくらいしか出来ない自分を、ほんの少し恥じた。
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