ハリポタ 人を愛した死神 | ナノ
act.27 置き手紙
家庭教師を雇ってからというもの、二階のダイニングテーブルには、赤で封蝋された封筒が一つ置かれるようになった。家庭教師からの、その日の成果報告である。
その手紙をトムの前で読むのは嫌だろうと考えて、テーブルからソファのローテーブルへと移動させているのだけれども、トムはいつも不機嫌な顔をする。
理由を聞いた時は、盗み見るつもりなんてないのにわざわざ封蝋されるのも不愉快だと言っていた。本当にそれだけなのか分からず、それなら中身を見る?と尋ねたら見ないと返され、別の理由があるのだろうと悟った。
「そんなの暖炉に入れれば良いのに」
「くべてしまっては、読めないでしょう?トムの成長記録なのに」
「成長記録って……そんなのキリーが確認したところで意味ないじゃん。さっさと燃やしちゃってよ」
「気が向いたらね」
「燃やす気ないでしょ」
トムの言葉が聞こえていないフリをして、トムの手が届かない暖炉の上に封筒を置く。夕飯を完食しているのを確認してから、お風呂の準備に入る。
「今日は先生とどうだった?」
「封筒の中身を読めば?」
「そんな冷たいこと言わないで。私は勉強の成果報告だけじゃなくて、他の事も含めてトムの口から、トムの目線から知りたいんだよ」
普通だよ、という言葉しか返ってこないのは重々承知だが、教育者と生徒では見えているもの、感じ方が違うだろう。あの家庭教師にとってトムは聞き分けも良く飲み込みが早い生徒かもしれない。しかしトムから見れば、教え方が足りないとか、自己努力だけでどうにか補っていて教師から学びを得られている部分は少ないとか、それ以外にもトムと目線を合わせるのを嫌がるとか、そういう事もあるかもしれない。
「算数は良いんだけど、文法が意味分からない。喋れているから良いのに、やたら長い文章があって、これはいつの事を表すとか、知らないよって思った。一文を短くすれば分かりやすいのに」
喋り文章と紙面の文章の違いを言いたいのだろう。一文がやたらと長くなるのは、作者の意図なのか単純に読み手のことを考えずに書いてしまっているのか。
真相は不明だが、勉強ーーとりわけテストなどの引っかけ問題としては、かなり優秀な一文として扱われる。作者にとっては、意図が通じにくい文章、として晒されているわけなのだけれども。
「喋り言葉は同じ空間を共有したり、相手のジェスチャーや表情を得ることで想像を働かせたり、分からない部分はすぐに質問して補えるでしょう?文章は読み手に理解させるために一文の中に説明を含まなければならないことがあって、だから長くなるんだよ」
尤も、書き手がだらだら書いただけという理由もあるけれど。トムは釈然としないようで、少し口を尖らせたままだった。
可愛い反応だ。
どうやら拗ねたのは私の言葉に対してのようで、家庭教師の事を訊かれて不機嫌という様子はない。家庭教師はトムの瞳の色に対して何も口にしていないようだ。何か言われていたら、きっとトムは嫌悪感を見せるだろうし、それを私に隠すこともないだろう。
「文法は喋り言葉の場合は感覚で使っているから、形なんてあってないようなものなんだよね。でも、例えば小説を読んだりする時に文法は必要になるから、これからは喋り言葉も文法を気にして話そうか」
「ヤダよ。そんなことするなら、僕は喋らないからね」
「おやおや、貝になってしまうの?」
「カイ?」
「貝になる、は口を閉ざして喋らないのを比喩する言葉だよ」
「なんでカイなのさ」
「貝は、二枚貝の場合、生きている時はぴったりくっついていてなかなか開かないでしょう?それが頑なに口を開かないのと同じに見えるから、そう表現されるんだよ」
「キリー、わざと難しい言葉を使ってるでしょ」
「勉強だよ。それで、どの単語が分からなかった?」
わざと同じ表現語を使わずに、言い換えて使っていればやはり指摘される。言葉はバラエティーに富むのだから、トムも物事を表現する際には様々な表現方法を身につけていてほしい。
トムは片眉を少しあげて、それからまた口を少し尖らせた。
「ひゆ、と、かたくな」
素直に答えてくれるあたり、自分の欠点には気づけているようで安心する。
トムも寝静まった時間、昼間は面接練習に使われているソファに腰掛けて、手紙の中身を確認する。几帳面な文字の羅列は、家庭教師の性格をよく体現している。
トムの容姿についての言及はどこにもなく、勉強の飲み込みの良さ、面接練習の質疑応答に対する課題などが書かれていた。彼は非常に優秀な教育者なのだと、この文章を読むだけで分かる。
時世が時世で無ければ、彼を雇う事など出来なかっただろう。押し寄せてくる不況の波と時期がズレた試験時期のお陰で彼をフル活用できるのはありがたい。このままトムの勉強や対人関係スキルをしっかりと見てもらおう。
最後のところに今週末の面接練習について書かれていた。親である私の参加と、私の入室、座り方、退室について指示が出されている。こんな事を当日教えるのは時間の無駄だから、親はこれらをクリアした状態で面接練習に挑めと言いたいのだろう。
この心遣いを無駄にはしたくないが、私も随分と昔に命を授かった生き物だ。今の時代より余程女性の立場は弱く、礼儀作法はとても厳しく、そこで育った私にこんな簡単な説明など不要にしかならない。これを書くくらいなら、少しの時間でもいい、トムと向き合って欲しかったものだ。
手紙を引き出しの中に入れる。わずか数日で積み重なりが見えてきたこの紙たちを捨てるのが名残惜しく思うのは、トムの成長記録だからだろう。自分の物なら迷わず暖炉にくべていた。
いつか、トムが私の見た目が変化しない事に気付いた時、私はトムの元を離れることになる。その時にはこれを持って出ていくのも良いだろう。
「キリー」
そろそろ寝ようかと毛布を出していたところ、控えめなノックが部屋に響いた。
毛布をソファに投げて、扉を開けて下を見れば、つむじのある小さな頭。眠れないのかと問うては、きっとこの小さな頭がうなだれてしまうだろう。
「いらっしゃい、小さな訪問者さん。ちょうどコーヒーを飲みたいと思っていたのだけれども、一緒にリビングに行きませんか?」
誘えば小さな頭は上を向いて、眩しさに細められた瞳が私をじっと見上げてくる。何を思い、この部屋を訪れたのかは分からない。ただ分かるのは、眠れないということだけ。それならば、お茶でも出して固くなってしまった口の動きを柔らかくするのもいいだろう。
「僕はホットミルクがいい」
「蜂蜜も入れる?」
「当たり前だろ?」
強がりな口調に笑いそうになるのを堪えて、廊下の明かりを付けてから部屋の電気を消す。階段を上り、二階のリビングの電気をつければ、まだ部屋は温もりを持っていた。
「お湯を沸かすから、少し待っていて。お腹は空いている?」
「ちょっと」
「分かった。果物を用意するよ」
歯を磨いた後に食物をあげたくはないが、ハニーミルクを飲む時点でそんなこと言っても無駄なのだ。それならば、少し食べさせて口内を濯ぐくらいさせた方が良い。
お湯を沸かしている間に果物を一口サイズに切って、皿に盛り付ける。
「キリーは食べないの?」
「私は空いてないよ」
「そう」
一瞬トムの胸元にある命の灯火を見てしまった自分に自己嫌悪だ。トムは私の食料ではないと分かっているのに、それでも満腹までは食べられない日々に、少しばかり魔が刺しそうな時がある。
せめて人の食事が、擬似的であれ満腹感を与えてくれるものであればよかったのに。
ハニーミルクとカットした果物をトムの前に置いて、私は対面の椅子に座る。トムの表情はどこか疲れているようで、こんな時間まで起きていて良いのか、疲れがたまりすぎて眠れないのか、それとも他に何か理由があるのかを考える。きっとその全てかもしれない。トムにとっては慣れ始めた所にまた新しい一石が投じられたのだから、疲労も蓄積するだろう。
テーブルを挟んで向き合って、お互いに温かい飲み物を口の中に注ぎ込む。人はよく甘い物を食べると疲れが取れると言うから、トムもホットミルクで疲労を少しは誤魔化せたら良いのだけれども。
ふぅ、吐息を吐いたトムの唇の上には白い髭が蓄えられていて、それをさも当然という様にトムは舐めとった。随分と子供じみた動作に、いつもの虚栄心が無いのだと気がつく。
眠気のせいだろうか。それとも、それに付加する何かのせいだろうか。
「ねぇキリー」
「うん?」
「あいつ、手紙になんて書いてた?」
あいつ、手紙、という単語で、すぐさま先ほど引き出しに入れた家庭教師の手紙を思い出す。成る程、他人からの評価が気になるのか。
親に告げ口されている様で、落ち着かないのだろう。
「勉強の飲み込みが早いと書いてあったよ。あとは私に対して、面接の注意点が書かれていて、大人なのだから次の練習までに身につけておけって事なんだろうね」
「それだけ?」
「それだけだよ。他の手紙も、トムの勉強の進捗具合と、飲み込みの良さに関して書いてあるばかりで、トムが気にかけるような内容は無いよ。心配なら読む?」
トムは果物を口に含んで、首を横に振った。読まなくて良いと言いたいのだろう。
しかし、読まなければ私が真実を述べているかどうかなんて分からないのに、私の言葉をあっさりと信じてしまうのはトムらしくない。
殊勝な態度に首を捻りたくなるが、態度で示したところでトムは口を割らないだろうし、私が態度で示せばトムに疑いの目を向けているという証拠になりかねない。疑われていると分かって気持ちが良くなる人間はいないだろう。
「そう」
色々な言葉を飲み込んで、トムの答えに添う返事のみをする。トムは聞き分けの良い此方の態度に少し顔を潜めて、成る程、此方の気遣いを察して怪しさを感じ取ったのか、と理解した。
「やっぱり何か隠してるでしょ」
「まさか。それなら手紙を読めば良いでしょう?」
「手紙は良いよ。でもキリーがあっさりと引き下がるなんておかしい。いつも煩いくらいにあーだこーだ言うくせに」
……そんなに私は口やかましかっただろうか?
確かに、トムの反応が面白くてつい余計なことも口にしていたかもしれない。完全に無自覚だったが、過去を掘り返せば勝手に舌が回っていたようにも思う。
普段は会食に誘われるのを避けるためにも人付き合いはそこそこにしていたのだけれども、トムとは家族になるのだからと、気を許し過ぎていたのかもしれない。
許し過ぎも何も、いつか訪れる別れを恐れて二の足を踏むほど若くもないので、今という時間を最高のものにした上での決別を私は選ぶのだけれども。
「単純に深夜にコーヒーを飲んでる時に賑やかにする気にはならないだけだよ」
「もしかして眠いの?」
「眠くはないよ。時間帯の問題だね。今の時間は人の喧騒が消えて、変わりに動物や虫が鳴き声を奏でる時間でしょう」
少し窓を開けてやれば、外の冷たい空気がカーテンを揺らし、それと共に虫の鳴き声が聞こえてくる。それら夏の風物詩に、随分と昔を思い出す。昔は民家もまばらな地に住んでいたから、虫の鳴き声なんて窓を閉めていても耳のそばで鳴かれているようだった。
「キリー、わざと難しい言葉使ってるでしょ」
「喧騒、が分からなかった?」
「……」
「質問は出来るうちにするのが良いんだよ、トム。聞いたら恥ずかしいかなと思って、分からないままにしているより余程いい」
果物を口に含んで、頬を膨らませている。辞書で調べられたら、と思っているのだろう。綴りも分からないのでは調べようもないのだから、素直に聞けば良いのに。
トムのよく回る舌は素直にならないのが難点だろう。持って生まれた個性がそれなのだから、今更どうにかしろと言ったところで、どうにもならないかもしれないが。
「喧騒は、さわがしい、とか、煩い、とか、そういう意味だよ。例えば、人が多い所で話し声や足音、馬車の音が煩かったりするでしょう?そういう時に使うのが正しいね」
「ふぅん。何で人って同じことを表現するのに、いろんな単語を使うんだろうね」
「それはまた難しい質問だね」
果物を食べ終わったトムは、ミルクを呷るように飲んだ。
「もう寝る」
「せめて最後に口を濯いだら?虫歯になるよ?」
「分かったよ」
トムは洗面台に向かって、きっと口を濯いでいるのだろう。その間に食器を片付ける。
再度リビングに顔を出したトムは、シンクの前に立つ私におやすみ、と声をかけてくれた。
「おやすみなさい、トム。良い夢を」
「……キリーもね」
- 27 -
[
*前
] | [
次#
]
←
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -