ハリポタ 人を愛した死神 | ナノ
act.17 代償
翌朝、トムの熱が下がったのを確認して、申し訳ないと思いながらも身支度を始める。今日は元々午前だけで退勤する予定であったから、その後の打ち合わせも早く済ませて帰宅するとしよう。
「今日は早く帰ってくるからね」
「僕は大丈夫だよ」
「トムが良くても、私が早くトムに会いたいんだよ」
「心配性……早く行きなよ」
「そうだね、早く行って早く帰るね」
平熱の額にキスをしてから、昼食は用意している事、夕食は帰ってから作る事を伝えれば、作り置きだっていいのに、と言ってくる。
それでも出来立てのご飯が食べられるのだという事実を耳にして口角を上げているのだから、子供というのはとても単純だと思う。
仕事の間に食事を済ませて、ようやく腹が落ち着いた。
「はぁ……」
周りに看護師が居て、診察をしながら食事をするのは疲れる。いつもであればさほど腹が減っていない状態での食事だから加減が出来るのだけれども、空腹時に目の前に出された食事を少しずつしか摘まめず、それを繰り返す事で腹を満たすのは気を遣うのだ。
腹は満たされたけれど、どうにも疲労が溜まっている。こんなに体が疲れるのはいつぶりだろうか?たった一日食事を摂らないだけでこんなに体にガタが来るなんて、最近は好き勝手に食べ過ぎていたのかもしれない。管理を徹底しなければ、後々飢餓に苦しめられそうだ。
「では、私はこれで」
「ウェストン先生、お疲れ様です」
「後はお願いします」
病院を出て、その足で約束しているカフェに向かう。 人気のあまりないカフェに入り、指定されていたテーブルを見るとスーツ姿にチョビ髭をつけた男が前かがみに座っていて、私と目が合うと少し笑ったように見えた。
私が待ち合わせをしているのは、きっとあの男だ。
「お久しぶりです」
もし私が約束をしている人物と違う人間であったならば、相手はぽかんとした表情か、驚いた表情を浮かべるだろう。確認のために笑みを浮かべて声をかけると、相手も口角を上げて見せた。この人で間違いなかったと心の中で安堵の息を吐く。
「随分とやつれたな。食事を怠っているんじゃないか?」
「まさか、日々ちゃんと食事をしていますよ。あなたは?」
「僕は毎日、健康的さ」
「それはそれは。あ、珈琲を」
「僕も珈琲を一杯」
ウェイターが寄ってきたので珈琲を注文すれば、男も同じ物を追加で注文する。
この男は、私が知っている唯一の同族だ。
その証拠に、やっと前かがみをやめて胸元を見せた男の胸元に蝋燭は見えない。この「命を食べる種族の蝋燭は見えない」という謎の決まりのおかげで、お互いにお互いが異常と理解したのだ。
この男は名前も容姿もいつも異なる。きっと私よりも長く生きていて『人間と同じ物を食べない』『老けない』『人間の枠を超えて長生き』という3点以外にもこの男は人とは異なる部分があるのだろう。
しかしそれを詮索しないのは、暗黙のルールだ。万が一、相手に憎しみを持った時にその情報を何処かに売られては困る。我々はイレギュラーな存在なので、研究機関にでも売られてしまえば、危険しかないのだ。だから自分の手の内は決して明かさないし、相手の事も詮索はしない。
「それで、今は何と呼べばいいですか?」
「今はワトスンだよ」
「シャーロック・ホームズですか」
「あれは私が生きてきた中で最高傑作だよ。リアルタイムで読めたことに感謝するね。サー・アーサー・コナン・ドイルを喪ったのはイギリス最大の過失と言える」
「寿命だから仕方ないでしょう。それにしても、仮にも今は探偵なのですからシャーロックと名乗ればいいのに」
相手は首を振る。40年の歳月をかけ、1927年……約6年前まで連載していた小説の熱狂的なファンである自称ワトスンは、はまりにはまった結果、弁護士だったはずなのに探偵になってしまったのだ。シャーロックほど聡明ではないがそれに近い存在でありたいと、相棒のワトスンの名を借りて仕事をしているのだと言う。
偽物のチョビ髭は絶賛連載中で人気を博している名探偵ポアロの登場人物であり主人公であるエルキュール・ポアロかの真似かと思ったのだけれど、彼が想像するワトスンの姿のようだ。
「ではワトスンさん、報告を」
「これに記しているよ」
鞄から出されたノートは色々挟まっていて、開けば中身が零れ落ちてしまいそうだ。珈琲が届いてウェイターが去ったのを確認してから、ノートを開く。そこにはトムが居た孤児院の情報が沢山詰まっていた。
「……惨たらしい」
「これが現実というものだよ。君も外を見てごらん。皆失業して必死に仕事を探し、路上生活に耐えながら、寒さに震えながら、履く靴すらなく飢えを凌いで生きているんだ」
窓の外を見る。ここに来るまでにも見てきた世界だ。
4年前から外の景色はより悪化した。
アメリカで発生した株の大暴落を引き金にイギリスも経済不況の道を辿っていて、外は失業者で溢れている。
ロンドンに来れば仕事があると期待した若者、家族を養うために必死な男性、生活の足しにと小さな足で仕事を捜し歩く子供。夜には春を売る女性も増えた。
それを思えば孤児院の行動は、致し方ない。少数を犠牲にして大勢を生かしているのだと、そうワトスンは言いたいのだろう。
過去の私であれば仕方ないと目を瞑っただろう。
むしろ、私にとって別世界の話だと興味すら持たなかったはずだ。それが今回、トムが私の家に来たことによって私の世界の中での話となった。
だからこそ私は関わりの無かった世界に足を入れなくてはならない。否、もうすでに、トムを拾ったあの日から私は足を突っ込んでいるのだ。
「それで、どうするのかな?」
「勿論明日伺って、トムを私の家族とします」
「出来ると思っているのかい?」
資料を指される。中身は孤児院の支援者は珍しい子供を集めるのが好きな男性で、紅い瞳のトムが欲しいと言ってきたから今回トムが探されたという内容であった。その支援者はパトロンになるだけあって、爵位を持っていて敵に回すと厄介な存在である。
長いこと生きてきて常々思うが、親の七光りで生きる爵位持ちほどロクな人間がいない。関わらずに生きていけるのであれ関わりを持ちたくないものだが、今回ばかりはそうはいかない。
私はトムを守るために、厄介な相手と争わなければならないのだ。
戦う覚悟はあるが、私はワトスンのように顔も名前も好きに変えられないから、トムと家族になったとしても生活の安全は保証出来ない。
爵位のある男から子供を奪う事によって発生するリスクを作るくらいならば、気紛れで拾った子供など手放してしまえ。そう、この男は言いたいのだ。
「どんなリスクがあっても、私は途中で投げ出したりしないし、あの子の幸せの為ならばこの体、いくら切り刻まれてかまいませんよ」
首を切っても気が付いたら元も状態に戻って、ただ酷い飢えを感じるだけ。そんな体なのだから、いくらでも好きにするがいい。
蝋燭の無い自分の胸に触れる。私はあの子の炎を絶やさずにいられたら良いのだ。元より炎も蝋燭も無い私の身をあの子よりも優先して守る必要なんて、何処にあるのだろう。
「おっかないことを言う。どうなっても知らないぞ。僕はあの子をあの孤児院から切り離す、ただそれだけの為に雇われたのだからアフターケアなんて……」
「貴方が頑張ってくれればどうにもならないですよ。期待していますよ、ワトスンさん」
「厭らしい言い方だ」
「それだけ期待しているという事です。私が信頼している唯一の仲間ですからね」
湯気の立たない珈琲をそのままに、お金を置いて席を立つ。
「最後に一つ、質問がある」
「なんなりと」
立ち上がった私に少し早口になったのは、どうしても確認したかったからだろう。明日の馬車の中で聞くのではなく、今訊かなければならない内容とは何だろうか。
「将来のことも考えての行動なのかな?」
その一言に、相手が何を言いたいのかを理解する。
私も相手も年を取らないし食事も人の食事は受け付けないので、特定の人と長い間一緒に居ては特異性に気付かれてしまうのだ。
食べる度に吐くか、消化機能がついていない胃や腸をそのまま通過させて腹を下す私達を人は必ず不審がるだろう。そして更に年もとらないとなれば不審が確信になる。ワトスンは一緒に住んだ結果、バレても良いのかと問うているのだ。特異性がバレて世間に露見されればどういった扱いをされるか、きっとそれは私の考えている以上に凄惨なものとなるだろう。
私のような生き物が子供を育てるなんてリスクが多すぎるのは重々理解している。ワトスンはそのリスクも考えずに一時の気の迷いで行動しているのならば戒めようと考えていたのだろう。
そんなことは散々考えた。
けれど、どれだけ考えても結果は同じなのだ。だから私は此処に居る。
「勿論」
そう答えれば、相手は溜め息をわざとらしく吐いた。
少しは躊躇を見せたほうが良かったのだろうか?
「君は言い出したら聞かないからな、仕方ない。それで?明日は君の家に向かえばいいのかい?」
「ええ、もう馬車は手配しています。明朝、夜明けと共に行きます」
「それはそれは、では、明日」
「はい、それではまた」
家に帰り着いたのは昼を少し過ぎた時間だ。トムは昼食を食べただろうか?遅いと不機嫌になっているかもしれない。
「ただいま、トム」
三階に向けて声を大きめに発するけれど、返事はない。
どうしたのだろうか?最近は動くのが面倒であったとしても声だけは返してくれていたのに。もしかすると、体調が悪くなって倒れているのかもしれない。三階まで足音を極力立てずに速足で向かい、トムの部屋に入る。
トムはベッドに横になっていた。入ってきた私に気付くこともなく、毛布にくるまってすうすうと寝息を立てている。額に触れると、熱はない。
表情も穏やかで、ただの昼寝だと分かる。
「んんっ」
触れたことで夢の世界からこちらに意識が戻ってきているようだ。
動かずにいると、また寝息を立て始めてホッとする。寝ているほうが良い。まだ体はウィルスと戦っていて疲れているのだろう。
寝て体力を蓄えてもらおうと、音を立てないように部屋を出て、二階のリビングへ向かう。冷蔵庫の中身を確認しすると、用意していた昼食はちゃんと食べられていた。
窓側に置いているソファに腰かけて、一息つく。
明日、爵位の意向に応えようと必死だろう院長との対話だ。どうやって勝機を掴めば良いだろう。
私が人の思考を操れるのはその場にいる数名だけ。この力を上手く使って院長やその周辺の人間に暗示をかけられたら勝てる。
「明日、か……」
ワトスンが言うように、院長達を操ってトムを名実ともに私の家族としたとしてもその後の安全は保証されない。パトロンが本気でトムを欲しがれば、トムを攫うなんてわけないだろう。私とトムの危険は勿論、孤児院もパトロンを喪う可能性があるし、パトロンが居ない孤児院の結末はおおよそ想像がつく。だが、それらは今考えても詮無いことだ。
いつ戦争が始まってもおかしくないこのご時世。そんな先のことまで考えていては、人間はあっという間に死んでしまう。
私はトムを守りたい。ただその真実があればいいのだ。
孤児院のことなど私が心配する必要はない。
一時間ほど経った頃だろう、軽い足音がして、二階のリビング入り口の扉まで向かう。
見上げれば、階段を下りてくる最中のトムが居た。
「おはよう、トム」
「おはよう、キリー。何で起こしてくれなかったの」
軽い足取りのままリビングに入ってくるトムに、気持ち良さそうに寝ていたからと答えると口を尖らせた。思わず笑ってしまうと、紅い瞳が眼光鋭く見上げてくる。
「いつぐらいに帰ってきたの?」
「一時間ほど前かな」
「早かったんだね」
「今日はね。トム、ホットミルクで良い?」
「はちみつ入れてね」
「勿論」
ミルクを鍋に入れて、蜂蜜を少し入れてかき混ぜながら火にかける。
湯気が立つくらいで火を止めてトムのマグカップに注いで持っていけば、待っていたのか両手を伸ばしてマグカップを受け取るトム。
「火傷しないように気を付けてね」
「ん……」
目を閉じて、マグカップを両手で持ったままに傾けている。
一口飲んだ後にほぅと息を吐く仕草が『美味しい』と言っている。私にとっては不味いそれがトムの好物なのだから変な気分だ。否、私が不味い物が人間は美味しいだけだ。
味見すら出来ない私の作る食事が、トムの味覚を狂わせていないことをただ願うしかない。
「トム、夕飯は何が良い?」
「お腹あんまり空いてない」
「では、魚を使ったリゾットを作ろうか」
「もうリゾット厭きたよ。パンが食べたい」
「それではシチューにしよう。体が温まるよ」
「うん」
ミルクを飲むトムを見て、ずっとミルク系の味では飽きてしまうだろうから今晩はビーフシチューにしようと決める。夕食の買い出しに出かけると言えば、トムもついていきたいと言ったけれど体調を考えて今日はお留守番と伝えると不貞腐れてしまった。
トムは私が居る時しか外に出ないから本心から買い物に行きたかったのだとは思うけれど、明日体調を崩されては私は心配で駆け引きに力を発揮出来ないだろう。ここは、明日の為にもトムには不機嫌になってもらうしかない。
足早に買い物を済ませて、家に帰ってシチューを作る。
調理している最中、寝ていたほうが良いという私の言葉を無視してトムはリビングのソファに腰かけて、絵本を読んでいた。
トムが寝室で食事を摂ってくれたら、私は食べる必要はないのだけれど、リビングでの夕食となったら私も口に含んで飲み込まなければならない。トムと食事の度に吐いていては、トムは私が拒食症か、もっと別の何か病気かと不安になるだろうから、吐くことは出来ない。
では吐かずに腹を下す選択肢をとるのかと考えると、消化していない物が腹部を移動する時に発生する痛みと、体内で食物が腐っていく不快感を思い出して憂鬱になった。一般人のふりをして、鍋で煮詰めている茶色の液体を美味しそうに食べるのは酷く憂鬱で面倒であるけれど、これからはこの生活がずっと続くようになるのだ。
休日だけだ。学校に行くようになれば更に機会も少なくなるだろうと自分に言い聞かせて覚悟を決める。それでも、トムと一緒にいる時間は好きだけれど、ほんの少しだけ三度の食事の時間帯だけは嫌いになりそうな自分がいる。
「ねぇ、キリー」
ソファに座って絵本から目を離さないトム。
どうしたのだろうか。
「何?」
「明日、ちゃんと帰ってきてね」
少し早口に、耳を赤くしてそういうトムに、胸の奥が今まで感じたことのない温かみを帯びた。
食事が嫌で、トムと過ごす時間が嫌になるだって?
食事なんて、死にもしない体の痛覚が少し刺激されるだけではないか。この子の一挙手一投足でこんなに幸せになるのだ。
そんな痛み、取るに足らない。
「勿論だよ」
死んでも蘇って帰ってくるから安心してね。というのはトムが不安になるだろうから言わないでおいた。
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