ハリポタ 人を愛した死神 | ナノ
act.16 有事休暇
トムの部屋のデスクで仕事をしながら時折様子を確認して、額に触れて熱をみる。寝息を聞く限りは呼吸がつらいという様子はない。ただ、鼻が詰まっているのだろう、口を少し開けて息をしているので喉を痛めてしまう事が心配である。加湿はしているけれど、限界があるだろう。
寝ているうちに起きた時に飲めるレモネードも作っておこう。ホットかアイスかは、起きた時に選んでもらえばいい。
本来ならば仕事をしている時間帯を家で過ごして、レモネードを作った後はトムの容態を確認しつつ書類に目を通す。仕事がない時は1人でやることもなく過ごしていた少し前を思うと、作業が増えて手間ではあるが、それを面倒とは思わないほどには日々が満たされている。
1人の時は長く感じていた時間はすぐに過ぎてしまい、空は茜色に、デスクの上の書類は橙色に染まってしまった。
これ以上は仕事を進められない。デスクの上を片付けてトムを観察する。
穏やかな寝顔だ。額に触れる限り発熱もなく、汗もかいていないから風邪の症状も緩和されていることだろう。
日が暮れる前には起こして欲しいと言っていたけれど、この夢見心地良さそうな顔を見て起こせる人間は何人いるのだろうか?
人という皮を被っただけの私ですら躊躇するのだから、きっと実子、もしくは親愛の存在に対しては誰もが躊躇することだろう。
しかし本人の希望であるし、私ならば起こしてくれると期待して寝たのだろうから、起こさないのは裏切り行為になってしまう。トムの信頼を失うことはしたくないから、選択肢は1つしかないのだ。
穏やかに寝ているトムの額に触れて、柔らかな頬の曲線を指の腹で撫でる。
「……ん」
くぐもった声なのは喉に痰が絡んでいるからだろう。
子供が急に熱を出すのは良くあることだ。体温が高いこともあって治るのも早いものなのだが、トムは寒空の下に薄着で長時間居たのだから長引くだろう。あの日、仕事が長引いて探し出すのが遅れてしまった事が悔やまれる。
それに少し前までは劣悪な環境下に居て心身共に疲弊していたのだ、そんな簡単に基礎体力が向上するとは思えない。
体調を思えばこのままゆっくり寝ていて欲しいものだが、起こしてと言っていたことと、栄養を摂って欲しいという考えもあるからやはり選択肢は起こすの一択しかないのだ。まぁ、仕方ないか。
「トム、夕方だよ」
寝ているトムに顔を近づけて呟けば、トムのまつげが痙攣して、少し重たそうな瞼がゆっくりと上がっていく。
紅い瞳が夕日に染まって、尚のこと赤みを帯びている。
「キリー……」
「おはよう、トム。まだ眠れそう?」
ふわふわとしたトムの思考は今すぐにでも夢の世界に溶け込んでしまうだろうと踏んでいたのだが、トムはううん、と鼻詰まりの声で返事をして頭を左右に振る。
「おはよう、キリー」
「おはよう、トム」
夕方におはようはないだろうと思ったが、トムは夢の世界を彷徨って今目覚めたのだから、おはようで良いのだ。
眠たそうな眼を擦って起き上がるトムは、何が何でも起きるつもりなのだ。何でそんなに起きなくてはならないのだろう。
トムの心の有り様が分からなくて、けれど詳しく聞くのは無粋であるし、トムを傷付けかねないからやはり私は口を閉ざす。
「何か食べられそう?」
「喉、乾いた」
「冷たいのが良い?温かいのが良い?」
「ぬるいのがいい」
トムが寝ている間に作っておいたレモネードはデスクに置いたままだったので、そのままグラスに注いで渡す。
熱があれば冷たいのを、熱が上がる前なら温かいのを求めると思ったのだが、どちらでもない回答をもらうとは。今の温度が適温で、寒くも暑くもない状態なのだと安心する。
トムはグラスの中身をすぐにカラにして、ほうっと息を吐いた。
「まだ飲む?」
「ううん、もういい」
グラスを受け取りながら空腹度を確認すると、まだ空いていないという回答が返ってきた。
寝起きではそんなに食欲が沸くわけではないだろうし、致し方ないだろう。
「電気を付けるね」
電気をつけに席を立つと、背中に視線を感じた。視線の主人は1人しかいないのだけれど、そんなに凝視してくるとはどうしたのだろうか。目線に応えるためにトムを見ると、すぐに目線をそらしてしまう。私を見るのは良いけれど、私に見られてはいけないとは、どういう了見なのだろうか。
私に何か伝えたい事があるのだろうか?けれど、見透かされたくなくて私の視線には応えたくないという事なのか。
「ねぇトム」
「なに?」
少し驚きで上擦った声。私が目線に気付かないとでも思っていたのだろうか?
それとも、そんなに聞かれたくないことなのか。けれどそれならわざわざ私を見たりはしないだろう。きっと、問いかけても良いはずだ。
「今伝えたいことを伝えて気持ちをスッキリさせて食事を摂るのと、もやもやした気持ちを抱えたまま食事をするの、どちらが良い?」
「それは、選択肢が一つしか、ないじゃないか」
鼻詰まりだからか、途切れ途切れに紡がれる言葉。
「だって今のトムは、もやもやしているでしょう?」
告げれば、トムはパッと顔を上げて私と目を合わせる。
睨むような、怒りが少し滲んだ目つきだ。
睨んでくる瞳を見返していると、トムは諦めたようにふぅと息を吐いた。
「ねぇキリー」
「何?」
トムの真剣な表情に、少し背筋を伸ばす。きっとこの子が夕方に起こしてと言ったのは、今から話すことが理由なのだろうと直感的に理解する。
「土曜日、僕はどうすればいいの?」
土曜日、という表現ですぐに理解する。トムは自分の将来を決める土曜日が気になっているのだ。
孤児院が何と言おうと私はトムを手放すつもりはないから安心して欲しいのだが、孤児院と私の間に立っているトムにとってはどちらに転がるか落ち着かないのだろう。それは致し方ないことだし、そのことをもっと考慮してあげるべきだったのだ。
話し聞かせれば、嫌でもトムに孤児院での事を思い出させてしまうかもしれないと考えて大まかな説明しかしなかったのを申し訳なく感じる。私の解釈はお門違いだったのだ。
「トムはここでゆっくりしていれば良いんだよ。私は弁護士と一緒に孤児院へ行って、手続きを終えて帰ってくるだけだから」
「いつ頃帰ってくるの?」
「その日の夕方には帰れるとは思うけれど、私もどれだけの書類があるのかを知らないから、記入に時間がかかって夜になってしまうかもしれないね」
トムはそう、と言って私から目線をそらす。今の言葉ではトムに安心感を与えられなかったようだ。
「必ずその日には帰ってくるよ。その時はトムにお帰りって迎えて欲しいな」
付け足していうと、トムは私をちらりと見て頷いた。少しは安心出来ただろうか?
「早く帰れたら、トムが好きな料理を作ろう。正式に、書面の上でも私たちが家族になった記念にね」
「何それ」
少し上ずった声に、照れたのだと分かる。この子は本当に分かりやすくなった。もしかしたら風邪のせいで取り繕えていないだけなのかもしれないけれど、こんなにこの子の表情がころころ変わるようになるとは思っていなかったから、嬉しい誤算だ。
「今の私達の関係は、私達にとっては家族だけれど、傍から見ると家主と居候なんだよ。それが公私共に家族になれる日なのだから、祝わないと」
「……」
「ああでも、土曜日までにトムが体調を治さないと好きな食べ物ではなく、お粥になってしまうね。そのためにもトムは早く風邪を治そう。ね?」
額に触れて、体温を確認する。少し微熱がある程度だ。
それにトムの胸元にある蝋燭の灯りはしっかりしているから、生命を脅かす病気ではない。
「キリー?」
存在しない胃袋が空腹を訴えかけてきて、思わずトムの蝋燭から目を逸らすとトムは怪訝そうな声を上げた。
一日食べていないだけで、こんなにお腹が空くなんて……燃費の悪い体だ。珈琲を飲んで誤魔化そう。
「ねぇキリー」
「何?」
「絶対に、帰ってきてね」
トムの言葉には不安がいっぱい詰まっていて、勝手に体が動いてトムを抱きしめていた。存在しない胃袋は空腹を訴えてくるけれど、こんなにもいじらしい魂を食えるわけがない。
「絶対に帰ってくるよ。だから、帰ってきたらお帰りって言ってね」
いきなり抱きしめられて戸惑っただろうに、トムはそんな様子は全く見せずにちゃんと帰ってきたらね、といういつも通りの減らず口をたたく。
ぐう、と鳴るはずも無い胃袋が空腹を訴える音がした。
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