鬼灯の冷徹 | ナノ
甚平姿も良いよね
乳白色の温泉でほぐれた体をさっと拭いて浴衣を羽織る。普段は選ばないだろう、現世で今流行の洋風な柄の浴衣を選んだ。
貸し出しの場所には男性用の甚平や、子供や赤ちゃん用の甚平や浴衣もあった。ただ温泉を楽しむだけではなく、身に纏う物も普段身につけない衣装になるのだから、それがまた旅に特別感を出してくれる。
温泉も部屋もおもてなしも素敵な此処を選んでくれた鬼灯君を感心してしまう。数日前にいきなり宿泊になって宿探しをして、私だったらここまで気が回っただろうか。
足袋を履いて、下駄を履く。普段は履かない足袋だけれども、今はホモサピエンスに擬態する薬を飲んでいるから爪を気にせずに履ける。
温泉に入る前に擬態薬を飲んで正解だった。まだまだ有効時間はあるから、ツノや耳を気にせずに街を歩けるし、街道にある温泉にも入ることも出来る。
「鬼灯君」
待ち合わせ場所に行けばもう鬼灯君はいて、彼も大浴場に入る前に薬を飲んだのだろう、キャスケットを被らずにツノの無いおでこを出している。
「うっ……」
「会って早々に呻かれるってどういう状態ですか」
「いつもの鬼灯君と少し違うのもいいなと思いまして……」
「ああ」
おでこをさする鬼灯君の仕草に、本当にこの人はなんでも絵になるなぁと感心する。尖っていない丸みのある耳も可愛い。
「荷物を置きに一度部屋に戻って、それから出かけましょうか」
「はい」
横に並んで歩いていると、前から別のご家族が来て、鬼灯君の後ろに並ぶ。いつもの黒い装束と異なる鬼灯君は甚平姿だ。現世の衣装姿の鬼灯君を見るたびに思うのだけれども、本当に足が長いね。
そして半ズボンの甚平から伸びている足が筋肉質なのに目がいってしまう。顔が綺麗で、背丈はあるけれどもいつも腕も足も隠れているからそんなに「男性」としての体つきを連想することはなかったから、変に意識してしまう。
脹脛の筋肉が隆々としていて、足を動かすたびに筋肉も動くのが見えて、言葉にできない変な感情が胸を擽ってくる。
「カヱさん」
「うわっぶっ」
前を歩いていた鬼灯君が足を止めたようで、足ばかり見ていた私は顔面を背中にぶつける。
「下を向いて歩いていたらぶつかりますよ」
「今ぶつかったね」
「今は身体の強度も下がっているのですから、気を付けてください」
鍵を持っていた鬼灯君がガチャリと回し、檜が少し香る部屋に入る。どうぞと先を促してくれるあたり、紳士だ。
「ふふ、鬼灯君、引率する先生みたい。これではどちらが教師か、分からなくなってしまうね」
「おや、教職を降りるつもりですか?」
まさか。と笑えば、そうですか、と返される。
教師以外の仕事についている自分が想像できないほどには、教師という仕事を長くやり過ぎている。もし今、教師という立場を辞める事になった場合、何をするだろうか。
今はもう地獄も整備されているから山にこもって世捨て鬼にもなれないし、なにより文明の利器にはかなり助けてもらっているから、それら便利な物を手放すなんて不可能だ。
「お悩みですか?」
荷物を置いて、財布と携帯電話、ハンカチを巾着に入れていると鬼灯君が問うてきた。
そんなに悩んでるように見えたかな。部屋を出て廊下を歩きながら、そんな悩みって程ではないのだけれど、と前置きをしてから口を開く。
「もし教師を辞めることになったら、次はどんな仕事に就けるのかなぁと考えてたの」
「おや、そんなことを考えていたんですか。何かやってみたい職でもありましたか?」
「いやそうではなくて、私も公務員だから、上からいつどんな人事異動が来るか分からないでしょう?だから、教師ではなく別の仕事に就けと言われたら就くしかないわけで……でも私の持つスキルは教育だから、それを活かせるのは何かなと考えてたの」
「……事務の統括としての意見ですが、カヱさんを見ている限り、学舎の教職が一番適しているように思います」
「あら、嬉しい事を言ってくれる。じゃあ私は適職なんだね」
「ええ、今は、ですが」
おや、含みのある言い方。
もしかしたら、本当に人事異動の話が出てくるかもしれないなぁと少し心に覚悟を持つ。
覚悟したまま宿から出て、温泉街を闊歩する足は止まらないけれど、鬼灯君は口を閉じてしまっているので、まだ移動の話はなさそうだ。と安心する。きっとこの先もずっと教員とは言えないから、今現時点での話をしてくれたのだろう。
雰囲気のある木造建築が並ぶ温泉街は、美味しそうな物ばかりでつい買い食いをしてしまう。饅頭片手に歩きながら土産物屋を物色していると、鬼灯君の口がいきなり開く。
「私の私利私欲からの意見ですが」
「おぉっと、もしかしてさっきの続き?雲行きが怪しくなるような言い出しだね」
簪を見ていた目線を鬼灯君に向ける。鬼灯君はわざとらしく顎に手をやって、悩む姿を見せてくる。携帯電話を構えて写真を撮ったら怒るかしら。
「まぁ、あくまで此方の私利私欲なので、気にせずに聞いて欲しいのですが」
「前置きが不穏ですけれども、聞きます」
「カヱさんには私の補助役をやって欲しいと思ってます」
「ええ!?」
さらりと言ってくる言葉に目が丸くなる。
閻魔大王の補佐の補佐を私が?嘘でしょう?そんな器量はないよ。先ほどだって、私に適職なのは教育関係と言っていたじゃない。それが人事移動でいきなり補佐になるなんて、困ってしまう。
「適職ではないと思いますよ?」
「いきなり敬語」
「だって仕事の話になりましたし……」
「仕事ではないです。私利私欲の話です」
ちょっとよく分からない、と鬼灯君をじっと見れば、指先をつままれる。
ひょえっ。
全神経が指先に集中して、鬼灯君と触れ合っている感覚が全身を駆け巡る。
手を繋ぐとか、そんなものより優しい触り方のこれは、余程生々しい触感だ。擽ったい。
「カヱさんが仕事の時間も私の隣にいてくれたら、と考えました」
「へぁっ」
「だからなんですかその反応」
つままれた指が離されて、今度は二本の指が握られた。鬼灯君はじっと私を見てくる。蛇に睨まれた蛙、ならず、鬼神に睨まれたただの鬼、だ。
さっきまで普通に温泉街を闊歩していただけなのに、いきなり楽しい時間から恋人の雰囲気になるのは困る。どう反応していいか、全く分からない。
握ってきていた指は優しく私の手を伝って、恋人繋ぎというものになる。
息が、止まってしまいそう。
「おや」
「?」
「簪、ですか」
「ああ、うん。簪、綺麗だなぁって思って。現代のって凄く精密な作りがあるんだね」
蜻蛉玉、平打ち、銀杏型、と昔からある物も残っているけれども、今はレースがあしらわれていたり、つまみ細工も舞妓さんでなくてもつけられるように普通に売られている。
昔の職人が手塩にかけた物に比べて随分と安価で手にしやすくなった精密な作りの簪は、久しぶりに現世に来た私の物欲を刺激してくれるから困ったものだ。
「お香ちゃんにお土産で買おうかなぁと思って」
「お香さんですか」
「うん。色々お世話になっているから」
前に鬼灯君が激務で食事も摂れてないと教えてくれたのもお香ちゃんだ。彼女のおかげで、今の鬼灯君と私がある。
だからお礼に、簪を買いたいと思ったのだ。
「と、言うわけで、これ買ってくるね」
握られた手を解いて、良いなと思った簪を持って店の奥にあるレジへと向かう。握られた手に、鬼灯君に触れた感覚が残っていて、どうしようもなく恥ずかしくなった。
「済みません、これください」
「お買い上げありがとうございます。ギフト用ですか?」
「はい」
「では包み紙の色をこの中から選んでください」
簪は紙の箱に入れられて、その周りを指定した色の包装紙で綺麗に整えられていく。いつ見ても職人芸だ。私だったらこんなに綺麗に箱に添えて包装紙を折れないだろう。
「これください」
隣のレジから聞き慣れた声がして、おや、と見ると、隣のレジに鬼灯君。鬼灯君もお土産だろうか。ちらりと隣を見れば、簪を買っていた。
誰に、買ったのだろう。
彼の周りには女性は多いけれども、一応恋人の私がいるところで、他の女性への簪を買うのは辞めて欲しかった。心がくすんでしまいそうだ。
嫉妬という醜い感情が臓腑を煮えさせる。
お香ちゃんに買った簪が箱に包まれていくのをただ待つ間に、鬼灯君は簡単な梱包だけで店を出て行ってしまった。
綺麗に包まなくてもいいくらい気心が知れた人、ということなのだろうか?羨ましいな。
鬼灯君が自分から物を送りたいと思う相手って誰なのだろう。
旅行に浮かれていた心がドロドロに溶けて、ヘドロのような醜悪な物に体が包まれてしまいそうだ。
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