鬼灯の冷徹 | ナノ
余計な一言を言ったかもしれない
連れて来られた自販機エリアは、狭い空間の壁沿いに自販機がずらりと整列していた。沢山ある自販機を眺めていると、学校ではあまり馴染みのない自販機の形があって、その中身はパンや菓子等の食品だった。閻魔殿で仕事をしている獄卒達は、ここでおやつや夜食を買っているのかもしれない。
「何が良いですか?」
ジュースの自販機に小銭が投入される。あ、本当にご馳走してくれるんだ。
「柑橘系が良いです」
「では、これで」
ガコン、と出てくる音。鬼灯君は自分が飲む物も買って、二本持ったまま行きましょう、と案内される。
何処に行くのだろうと付いて行った先、案内されたのは小さな会議室で、入った後に、何故に密室?と頭が混乱した。
「会議室を一つ使って良いんですか?」
「予約表を見た限りはこのあと2時間は空いているようでしたし、どうせ使われない部屋なのだから良いでしょう。ほら、座って」
そんなに長居するつもりもないのだけども、椅子を引かれてしまっては座るしかない。
対面する席に座った鬼灯君から「はいどうぞ」と渡されたオレンジジュースを受け取って、プルタブを上げる。飲めば、爽快感があって気持ちが良い。このまま腹の中に煮詰まっている感情も流してくれたら良いのに。
「それで、どうしたんですか?」
「え?」
机に肘をついて頬杖をつく鬼灯君。
猫又の発言で悩んでいる筈なのに、切れ長の瞳に見つめられるとやはりドキリとして、格好良いな、と思ってしまうのだから骨抜き状態だ。
会っていない時は今にも煮え湯を飲んでしまいそうな感覚なのに、会うと甘いジュースを飲んでいるような、好きだなぁってなるのは、あまり良くない。まるで不健全だ。
「キッザニアの管理人から電話が来たんですよ。カヱさんが珍しく閻魔殿にいるって」
「キッザニアの管理人って、麻殻先生でしょう」
「管理人の様子が少し変だったので、カヱさんに何かあったなと思ったのですよ」
「……」
麻殻先生、口が軽すぎない?私がどれだけ悩んでると思っているのよ。しかも鬼灯君に連絡するってバカなの?何なの?何がしたいの?
「その後、獄卒から電話が来ました」
「また!?」
「ええ。何でもカヱさんがパパラッチに捕まってるとか」
「そんな情報まで……情報網が半端ないですね」
「地獄での時間が長い分、知り合いは多いですからね。ピーチ・マキさんとか」
思わず握っていた缶から目を上げて、鬼灯君を見てしまう。バッチリ目線があって、眼光鋭いその目から逸らしてはいけないと直感的に理解した。
小会議室の小さな机を挟んで座り、カツ丼のように差し出されたジュース。まるで取調べのようだな、と思った。
「私とマキさんの話をされていたそうですね」
「ええ、まぁ」
「何故お茶を濁す」
「鬼灯様の耳に入れば不快なだけでしょうし。あまりお気になさらず」
「不快な思いをしているのはカヱさんでしょう?」
真実を突きつけられて、ぐうの音も出ない。
そう、私は鬼灯君の人となりを知っていて、だから二股なんてあり得ないと分かっている。それなのに、自分のような鬼が鬼灯君の恋人になっているのは不相応に思えて、だから、有りもしない可能性を想像してしまうのだ。
もしかしたら、と。
でもその想像は鬼灯君を疑うも同じで、だからあり得ないと考えるのに、それでもどこかに疑いを持とうとしている自分がいて、尚のこと自分が嫌になる。
「鬼灯様とマキちゃんが恋人ではないかって、そう言っていました。連絡先を交換しているとも」
「信じましたか?」
「……」
目線を下げてしまう。それは疑う自分が情けないからだ。
「沈黙は肯定とみなす」
「連絡先の交換は小判って猫又が事実と言っていたから、多分それは嘘ではないと考えました。でも付き合ってる云々は、私との交際を公にしたから現実的に考えて無いと思って……ます」
尻すぼみになってしまうのは、やはり自信が無いから。自分に過ぎたるものを与えられた者は、きっとこんな気持ちになるのだろう。輝く物を持つ取り柄のない自分は滑稽で、余計に惨めに感じてしまうのだ。
情けない。良い歳の大人がたった一つの噂話に翻弄される姿は、パパラッチからすればとても滑稽だろう。これで鬼灯君との間に亀裂が入ったら記事のネタになるから美味しいに違いない。
そこまで分かっているのに。分かっているのに、やっぱり自信が無い。
「成る程」
鬼灯君の声は相変わらずの低音で、抑揚もあまり無い上に表情もほとんど変わらないから何を考えての言葉か分からない。
呆れてものも言えない?
それとも、自分を疑われているという怒り?
「ああ、カヱさんを責めているわけではありません。むしろ、我々は健全な関係だと再認識しました」
「え?どこが?」
見上げれば、口元に手を当てて、少し考えるそぶりをしている。だから、何でそう、絵になるポーズをとるのよ。
「よく考えて下さい。ここでカヱさんが私を全く疑わず、自信満々に信じてるから不安もない、と言ってきたら、それこそおかしくないですか?」
「おかしいかな?私としては、自信がある証拠に思えるけれども」
「そうでしょうか。私には盲信しているようにしか思えません。それはただの依存とも言えるでしょう」
相手を疑わない、というのは信頼関係の上で成り立つものだと思うのだけれども、鬼灯君は違うのかな?
「まぁ、疑われる事をしたのは私なので、強くは言えないのですが」
「えっ!疑われる事したの?」
「連絡先の交換だけですよ。アイドルの連絡先を一個人が知っているのは、確かに疑われる要素になりかねないと思いまして」
「あ、それはやっぱり真実なんだ」
「ええ」
「そう」
「落ち込みましたか?」
「う〜ん。鬼灯君の職業柄連絡先を知っているのはおかしい事ではないと思うのよ。ただ、連絡を密に取り合ってるのかな、とか、そういう……ごめんなさい。これは私の気持ちの問題だね」
これでは相手を信じる、を出来ていないと吐露してしまったも同じだ。鬼灯君を信じている。信じているのに、何かひとつ足りないのだ。それが何か、分かっているから余計に心苦しい。
鬼灯君は私の欠けている部分をあっという間に理解してしまったようで、自信がないんですね、と溜息混じりに言われた。
そう。私は自分に自信がないのだ。ずっと1人で生きてきて、これからも1人だと思っていたから、いきなり恋人が出来ても相手に釣り合う女になれているのか自信がない。
「難しいですね」
「え?」
天井を見上げてしまった鬼灯君は、少しの間の後に仰け反りを治して、私と顔を突き合わせた。
「カヱさんは私が他の女性と親しくしているのではないかと心配なのでしょう?しかもその心配は己の自信の無さからきているという」
「全くその通りです」
「では、こうしましょう」
手をパチンと叩いて、仕切り直すように少しばかり快活な口調になった鬼灯君は、
「カヱさん、私のここにキスマークをつけてしまいなさい」
と首をトントンと指差して言った。
「……………は????」
キスマーク?何故にキスマーク?というか鬼灯君の口からキスマークって単語が出た??
「ですから、カヱさんの心配事は自分に自信がない故に他の女性が私に恋慕として近づいてくる事でしょう?それならば、私にキスマークをつけておけば良いじゃないですか。恋人と仲良くしてますって見える形で表現すれば、寄ってこないでしょう?」
キスマークをつける?鬼灯君に?私が?
想像してみようとして、想像すら出来ない。
「え、ちょ、ちょっと待って。え?話が飛躍し過ぎていない?」
「そうでしょうか。よく言うじゃないですか、キスマークは所有の印だと。それならば、カヱさんが私に安心するには、自信を持つには、所有欲を満たせば良いんじゃないですかね」
「しょ、所有欲!?」
「そうです、所有欲。自分のものだと周りに誇示すれば、カヱさんのアリンコ程の自信も少しは大きくなるでしょう」
万が一自信が持てたとしても、羞恥心に死にそうだよ!そもそもキスマークっていうのは情事で発生するわけで、周りに勘違いをされかねない。
「無理!無理です!」
「諦めが早過ぎます。まずはチャレンジしてから言ってください」
「いやチャレンジしたら無理ではないってことになるよね?諦めるとか諦めない以前の問題だよ!そもそも鬼灯君だって私にそういうのされたら嫌でしょ?」
「そういうのとかぼかさない。はい、正確な単語を口にしてください」
「なんなのこの羞恥を煽るやり方」
「キスマーク、も言えないんですか?」
はぁぁ、と溜息を吐かれて、喉の奥がキュッと締まる感覚。ああ悔しい。口惜しくて、情けなくて、負けたくなくて、どうにか苦手な部類の言葉もどうにか口にする。
「鬼灯君はキスマーク、嫌じゃないの?」
「まったく。痒みがないぶん虫刺されより気になりません。さぁ来い」
パンっと手を叩いて両手を広げる。そんな走ってくる犬を受け止めるように両手を広げないでよ!鬼灯君には羞恥心というものがないのだろうか?
「さぁ来い、じゃないよ。というか虫刺されと比較されるの嫌なのだけども」
「注文が多いですね。では言い換えましょうか。カヱさんになら痕をつけられても良いと言っているんです」
よくもまぁ真顔でそんなことが言えるね!?言われたこっちがびっくりだよ。
「兎に角!今話して鬼灯君の心意気も分かったから、もう大丈夫です!」
「おや、逃げますか。残念です」
「残念って顔してないでしょう」
真顔のくせに。
甘ったるいオレンジジュースを飲んで、椅子から立ち上がる。これ以上ここに居たら言いくるめられて、本当にキスマークをつけなくてはならなくなりそうだ。
「また心配事が出来ましたら、いつでも付けてくださって結構なので」
首筋をトントン、と突いて『ナニを』を比喩するその仕草の艶かしい事。喉に絡み付いたオレンジジュースが無ければ、私はすぐに何か言い返していただろう。
何も言わずに逃げ出そうとして、それもそれで悔しくて、何か少しくらい反撃をしたいと思わされる。
そうだ。
「心配事からの発言でも無いし、先日断ったから身勝手なのは分かってるのだけど」
「……?」
「その、翌日お休みなら、デートの日、うちに泊まらない?好きな番組を見て、昔みたいにまったり過ごすの、どうかな」
昔みたいに、付き合う前のように、家で何をするでもなくテレビを見て、夕飯を食べて、お酒とおつまみを楽しみながらくだらない話をして、疲れたら布団に横になる。あの空間が私は好きだったのだ。誰からも不可侵な領域だったあの時間が好きだったから、手放したくない。恋人になったからといって、その空気が変わらないで欲しいと望んでしまうのは、我儘だろうか。
「意外と大胆ですね」
鬼灯君にとっては恋人を家に誘う、という意味にとれてしまったのだろう。自分の中でほんの少し滲む感情に気付いているからこそ違うともそうとも言えず、熱くなる顔を向けることも出来ずに唯一の出口である扉の前で立ち止まってしまう。このまま逃げ出したい気持ちにもなるけれど、まだ返事が貰えていない。
言い逃げ出来るほど若くもなくて、つい、返事を待ってしまう。
「私としては、カヱさんが家事をするより2人でのんびり過ごせる方がいいと思うんですよ。人を泊めるには客用布団を干したり、つまみを作ったり、部屋掃除をしたりしますよね?ですから、泊まるなら宿を取りますよ?」
私の家への宿泊の回答ではなく、まさかの最初に提示された道をまた選択肢に入れられて、しかも今回は私の提案に対する意見も付随していて、断りづらくなる。
ああ、私は何を考えてあんなことを。
「泊まる所が変わるのは、カヱさんが食事を作ったり布団を敷いたりしなくて良くなるってだけです。追加のメリットとしては、ゲスいパパラッチにネタ提供しなくて良いというのもありますね。宿を取るのはそれだけの理由ですから、中身は昔と変わりませんよ」
鬼灯君の言葉に、どこまで聡いのだろうかと、何故バレてしまったのだろうかと、情けなくもあり安心もする。
「返事がないのは反論がないとみなしますが、良いですか?」
「……はい」
「はい、上出来です」
ガタン、と椅子を動かす音。密室なのに風が揺れて、ふわりと鬼灯君のものだろう香りがした。
背後から伸びた手が、ドアノブに触れる。
「カヱさん」
「な、なに?」
後ろから覗き込まれて、思わず声が裏返る。
「その顔のまま出られては困るので、カヱさんは10分ほどクールダウンしてからここを出て下さい」
「えっ!そんなに変な顔!?」
「ええ、熟れていて美味しそうです」
耳元で囁かれて、ゾワっと背筋を駆け上がる何か。絶対にわざとやったでしょ!
声がいつもの調子よりもっと甘くて、優しくて、体から力が抜けてしまいそう。
「なななにを、言ってるの!」
頑張って振り絞った言葉は、強がるどころか呂律が回らずなんとも幼稚だ。余計に恥ずかしいよ!
「真実ですよ、では。宿は予約しておきます。集合場所と時間も変わるので、また追って連絡しますね」
ではまた。
そう言って、鬼灯君は扉の外に行ってしまった。パタンと閉じた扉の向こう、鬼灯様と呼ぶ声と、仕事モードなのだろう声の鬼灯君。
残された私は、部屋を出るまで30分を有することになった。
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