鬼灯の冷徹 | ナノ
痺れるのは足ではなく心
静かな寝息を立てている大人の男性というのは、随分とまぁ、貴重なものだ。長い睫毛に縁取られた瞼は、いつもなら鋭い眼光を飾っているのに、今は静かに閉じている。低くて心地良い声を発する口も、牙を覗かせることなく一文字に結ばれている。表情を取っ払った顔はこんなにも無防備で幼く見えるのだなと、恋人の特権であろう寝顔を見て口が緩むのを辞められない。
起きていたら、低い声で何をニヤニヤしてるんですか気持ち悪い、とでも言われていたことだろう。
小さい頃の鈴の音のような声を思い出す。あの頃は本当に小さかったなぁ。幼い頃に、一度だけ寝顔を見たことがあるけれども、成人男性の顔からあの当時の顔は連想出来なくなっている。とはいえ、寝た時の癖というか、口がうっすら開いているのとかは一緒で、やはりあの記憶の中の子はこの子なのだなと、改めてリンクさせてしまう。
鬼灯君が知ったら、人の寝顔を見て何を考えてるんだとか、そんなの当たり前でしょう昔も今も私なのですから、と呆れた調子で言われるに違いない。けれども、私からすると、庇護欲を持って接した相手が、恋心を持って接する相手になったのだから、どうしてもリンクがズレてしまうのだ。いや、ズレてしまうと言うより、ズラしたいのかもしれない。
幼い頃から見てきて、成長を喜んでいた子に対して劣情を抱く大人になった事実が、多少、いやかなり、どうなのだろうかと考えてしまうのだ。まるで光源氏みたいで、自分にそういう気があったのかと悩んでしまう。
恋に落ちたのは守られた時だから、元々自分好みに育てようなどと思ってないし、そもそも私はペドではないから違うと言い切りたいところだけれども、本当に?と訊かれたら分からなくなってしまう部分もある。根底にはもしかしたらそういう思考があったのではないかなと、自分を疑うばかりだ。
***
「ん……」
もぞりと膝の上で動く感覚に、頭にかかっていた霧がパッと晴れる。よかった、鬼灯君が起きる前に起きられて。危うく膝枕したまま船漕いでいる姿を見られてしまうところだったよ。
「おはよう、鬼灯君」
薄く開いた瞼の奥、まだ瞳はぼんやりとしているようだった。横向きで寝ていた鬼灯君が仰向けになって、それからカッと目が開く。いきなりの瞠目に、こちらも驚いてしまう。
「鬼灯君?」
「……おはよう御座います、カヱさん。足は痺れていませんか?」
「痺れていないよ」
「そうですか」
あれ?なんで起き上がらないの?寝転がったまま腕組みして見上げてくる鬼灯君に、なんて声をかけたらいいのか悩む。まだ眠たかったのかな?微睡んでいる最中に声をかけて覚醒させてしまったなら、申し訳ないことをしてしまった。いつも忙しくて何徹もするのだから、声なんてかけずに寝かせてあげればよかった。
「カヱさん」
「はいはい、なんでしょう」
「下から見上げる顔は久しぶりですね」
「え?ああ、そうだね。鬼灯君大きくなったから、今では私が見下げられてるものね」
大きな手が持ち上げられて、前屈みになっていた私の後頭部に触れる。
「今では頭を撫でるのも楽勝です」
「楽勝って。私も、今なら鬼灯君の頭を撫でられるよ」
寝ている間は起こしたら申し訳ないと触らなかった頭だけれど、今は戯れの延長に触れるのも許されるだろう。
まるっとした頭を撫でて、サラサラの髪を堪能する。昔は長い髪を一つに結えてお団子にしていたなぁ。長い髪の毛の頃、下ろした姿を一度だけ見たことがあるけれど、その記憶も、とても美しかったという感想が色濃く残っているだけで、少し霞んできてしまっている。
何千年も前のことだから仕方ないのだけれど、それでもいつか忘れてしまうのはほんの少し、悲しさを覚える。
「どうかしましたか?」
「ん〜、昔の鬼灯君の写真でもあったら良かったのになぁって思ってたの。人は触感や香りは覚えているものだけれども、見たものって忘れやすいでしょう?昔の鬼灯君を忘れてしまうのが寂しいなぁって」
「昔の私、ですか」
「そう、小さかった頃の鬼灯君。あの頃はカメラなんて無かったし、仕方ないのだけれども」
鬼灯君は少し間を置いてから、子供が好きでしたか。と小さく呟いた。
んん??勘違いされた??
「お子様が好きだったとは知りませんでした。成人の私より、幼少の私を忘れられませんか」
「いやそうじゃなくて。なんでそうなるの。私はただ鬼灯君の小さい頃から大きい今までの姿形声を忘れたくないってだけだよ。何千年も生きていたら、いつか忘れてしまうでしょう?」
「上書きすれば良いでしょう。忘れてしまったものは仕方ないのですから、その分新しい記憶を積み重ねていけば良いんですよ」
「そうだけれども」
でも、忘れたくないものもあるのになぁと言う言葉を飲み込む。鬼灯君がのそりと起き上がり、目線が同じ高さになる。
見下ろす形になっていた首を持ち上げたら少し痛かったのは、歳のせいだろうか。
「カヱさんが随分と昔から私を好いていてくれているのは分かりましたが」
「えっ、そんなこと言ってな…」
「昔の私なんて忘れてもらったほうが私としては都合がいいんですよ」
「何で」
「いつまでも過去を重ねられて、可愛い坊や扱いされたくないですからね」
ずいっと近づく顔に、思わず顎を引く。ち、近いよ!!吐息がかかるレベルだよ!!
「カヱさん、あなたの前にいる私は大人です」
「う、えっ、はい」
「可愛い坊やだと思って接していると、想定外のことが生じますよ」
「ハグとか、結構もう発生しているよ」
「そんな甘っちょろいものではありませんよ」
また近づく顔に思わず目と口を瞑る。けれど予測したような事は何もなく、肩にほんの少し重さがきて、首にさらりと、自分のものではない髪が触れた。
「……えっと、鬼灯君?」
「例えば、このまま私があなたに全体重を預けたら、下敷きになりますよね」
「なりますね」
「少し頭をずらして肩に頭突きをすれば、ツノが刺さりますね」
「それは……痛いね」
「カヱさん、今週末休みを取るので、デートをしませんか」
「え!?」
これは予想外!と驚いて声を上げてしまった私に、鬼灯君は頭を上げて真っ直ぐに私を見つめてくる。
「恋人なのですから、問題はないでしょう?」
「デート……そう、そうだよね。うん。デート……」
デート、という言葉が頭の中で何度も反復される。今の今までデートなんてしたことがないよ。枯れた女だもの。
しかしそれに気付かれるのも恥ずかしい。それすら経験ないんですが、と蔑まれたら泣いてしまう。
「デート、どこに行く?」
「美味しいお店があるんです。そこに行きましょう。あとは、ショッピングとか」
良かったー!普通のデートだ!思春期の子達がするようなデートの提案だ!本当に良かった!これで大人のデートのように夜に待ち合わせしてやたら高級なお店で夜景見ながらディナーとかされたら心臓がもたないところだったよ。
「うん、分かった。楽しみだね。待ち合わせはどこにする?」
「そうですね、せっかくだから待ち合わせをしましょうか。場所は現世です」
言われて、耳を疑った。
……現世???
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