鬼灯の冷徹 | ナノ
閻魔殿
3分経ってようやく解放されて、真っ赤になっているだろう顔を見られないように俯いたまま離れる。
「カヱさん?」
「私はこれで失礼します」
「執務室まで来るのではなかったんですか?」
「それはまた今度にします。それではまた、おやすみなさい」
とても見せられる顔ではないと自覚しているから、後退りして、そのまま背を向けて逃げる。バクバクと煩い心臓に、処理が追いつかない頭。
本能で家に帰りつけたのは、奇跡だろう。家に入って玄関に背を向けて、その場にしゃがみこむ。たかが抱きつくだけのこと、と歳を考えればそう思うのが普通なのだろうに、緊張と混乱と羞恥とその他諸々から膝が笑っている。
いい年の女が、年下相手に情けない。次からどんな顔をして会えばいいのか。胸が苦しくて、呼吸が辛い。
***
それからは仕事が忙しいおかげでどうにか呼吸が楽に出来るようになった。仕事に逃げていると言われたらそうなのだけれども、それでも、逃げ道があるというのは有り難い。
のだけれども
「ねぇカヱ先生、お聞きになりました?鬼灯様って恋人がいらっしゃるようですよ?」
「へぇ〜……」
私としてはその言葉しか出てこない。どうやら抱きついていたのを第三者に見られていたようだ。私だとバレていないのが救いだろう。
「どなたなのでしょうね。きっと美しいのでしょうね。見てみたいです」
ワクワクと話すその人に、期待を裏切ってしまうから私ですとは口が裂けても言えないなと思うと同時に、やはり鬼灯君の横にいる女性と考えたら、誰しもがレベルの高い女性を想像するのだなと思えて、息苦しさを覚えた。
私が隣に立つ事で、彼の評価が下がってしまうのだろうなと、容易に想像がついて悲しくなるし、そんな事はあってはならないとも思う。
鬼灯君はこの地獄で誰もが憧れ、羨望の眼差しを向けられる存在なのだ。私がいる事でそれに陰りを与えてはならない。
「カヱ先生って鬼灯様と同じくらい生きていらっしゃるんですよね?稀に話したりするほどには親しそうですし……何かご存知ではないんですか?」
「そのような話はセクハラにもなり兼ねないので、聞かないですね」
「んもう!カヱ先生は相変わらず頭が硬いんですから!」
愛らしい鬼は頬を膨らませていて、ああこんな子が彼女だったらおおっぴらにも出来るだろうになと考えてしまう。自分に自信がないというのは、本当に面倒だ。
忙しいからと話題を切り上げて、黙々と仕事をこなす。これからどうすれば良いのだろう。好いた惚れたは事実で、それは間違いない。なのに、いざ成就すると足場が崩れてしまったような不安が押し寄せてきて、こんな事なら前のままのほうが良かったとすら思う時もある。
生き物とは我儘だ。渇望していた癖に、いざ得られるとそれの扱いに困る。
勝手に溢れた溜め息に、碌でもない自分を痛感する。
彼はこんな私のどこを好きなのだろう。考えれば考えるほどに分からない。むしろ、幼少時に私が殊更相手していたから好きになって、それをたまたま勘違いして、好意を恋愛と履き違えているだけなのではないか、とすら思う。
他人の気持ちを疑ったところで私には真実が見えてこないのだけれども、それでも、もしかしたら鬼灯君は勘違いの延長線上にいるではないかとも思う。
もしそれが事実なら恋人同士の時間は、あっという間に終焉を迎えるだろう。
「カヱ先生」
名前を呼ばれてハッとする。仕事中なのに、また余計な事を考えてしまっていた。
済みません、と一言謝って、仕事に集中する。別れが別れだっただけに、どのツラを下げて会えば良いのか分からない。きっと会えばまた冷静さを保てずにまごつく事だろう。情けないが、それが私なのだ、仕方ない。
***
就職シーズンは最初の3ヶ月がモノを言う。と言ったのは誰だろうか。様々なところが一斉に採用試験を始めるものだから、その時期は情報の錯綜が激しい。
どうにか終わって茶を飲んでいると、珍しい客が私の所にやってきた。
「お香さん、いらっしゃい」
「カヱ先生、こんにちは。お元気そうで何よりですわぁ」
青い髪が美しい綺麗所の女性は、コロコロと鈴が鳴るように笑う。
「ずっとお忙しかったようですね」
「ええまぁ。お香さんも忙しかったでしょう」
「いいえ、私はそんなに。鬼灯様が怒涛の勢いで書類を捌いてくれたので、こっちは滞りなかったです」
いきなり出てきた3ヶ月会っていない恋人の名前に飲もうと持ち上げた湯呑みを静止してしまう。その動きに、あらあら、と目敏い彼女は微笑んだ。二匹の蛇もクネクネと動いている。
「おめでとうございます」
「何がですか?」
「カヱ先生を見ていたら分かりますわぁ」
「な…何を言いたいか判断つきませんね」
「ふふ」
着物の裾で口元を隠し、目を細めてニコニコ笑う姿は妖艶ではあるが、どこか幼さを感じる。彼女の幼い頃を知っているから、それと重ねているのかもしれない。
「アタシから見ていても、分かりましたよ」
「だから、何を」
「カヱ先生の恋慕を」
「……。情けなさに涙が出そうです」
机に突っ伏して、顔を隠す。本当に涙出そう。自分では何千年と隠してきたつもりの気持ちなのに、それが周りにはダダ漏れだったなんて。しかも今になってそれ言う?隠しておいて欲しかったよ。
「良いではありませんか、想い想われる関係というのは、素晴らしい事ですよ」
「……本当にそうなら良いんですけどね」
「え?」
「ところでお香さん、私に何か用事があったのでは?」
青いベニを引いた口が少し何かを言おうとして、そして一度キュっと結ばれた後、仕事のことを話し出した。
彼女は鬼灯君の幼馴染だ。きっと思うところもあるのだろう、別れる間際によく通る声で、甘えるような声で、幼馴染のことを口にした。
「鬼灯様、寝食を忘れて仕事していると思います。きっとカヱ先生から何か御言葉をもらえたら、少しは生活を改善するかもしれません」
では、と言って去っていく女性の背中で蛇が揺れる。彼女が出ていった扉を眺めて、頭を抱える。
抱きついたことが恥ずかしくて逃げ出して、そのまま音沙汰なく3ヶ月経った。しかも今では自分に自信がなくて、恋人という立場になっていることを不安視している。更には彼の私に向ける恋心は勘違いの産物ではないかとまで思い始めていて、自分の脳味噌がどうしようもない泥沼になっているな、と情けなさに乾いた笑いが出た。
寝食を忘れるほどに仕事に忙殺されている彼を思う。目の下のクマは濃くなっているだろう。眉間のシワも3倍増しかもしれない。
好物はおにぎりだったと記憶している。小さい頃からそうだった。初めて会った時、差し出したおにぎりをいたく気に入ったようで暫く通われた事を思い出す。
そうしているうちに交わす言葉が増えて、年の功と言うか、知恵を与え、そうしているうちに教師にと誘われて教鞭を振るうようになった。
嗚呼、懐かしいな。
よく食べる彼を思っておにぎりを多めに作る。合わせて汁物と、煮物と、漬物。サラダは食べられるだろうか?それよりも栄養価があるものが望ましいか、と考えて、果物を切る。
どのツラ下げて持っていけば良いのか、と目の前の重箱と保温ジャーを見て首をひねるが、案は出ない。えいやあで渡してくれば良いだろう。周りに私が恋人だとバレてしまうかもしれないけれど、事実今は恋人なのだ、恥じる事ではない。おいおい振られて後ろ指さされても、今はこれが最良の道なのだと奮起して、風呂敷に包んだお弁当箱を持って閻魔殿へ向かう。
閻魔殿には人が沢山いて、その人だかりの中心は鬼灯君だ。きっと数多ある処から書類が持ち込まれて、そしてそれを1つ1つ精査しているのだろう。
仕事をしている中に突撃して、お弁当だよ!って入って行くのは空気が読めていない。かといってどれくらい待てばあの人垣がなくなるのかも分からない。
そうだ、別に顔を合わせて渡す必要はないのだ。前に鬼灯君が付箋を貼ってお土産を置いていってくれていたのを真似して、メモ帳の一枚を破いて言葉を残す。沢山の書類がうず高く積まれている机のどこにお弁当を置こうかと悩んでいると、名前を呼ばれた気がした。
「……?」
知り合いでもいただろうか。周りを見回しても分からず、とりあえず空いているスペースに置いて去ろうとしていると、また名前を呼ばれた。
「カヱさん!」
大きな声に驚いて声の主人を見ると、そこには鬼灯君。よく遠くにいる私を見つけたなぁと感心すると同時に、声の大きさにビクついてしまった恥ずかしさを責任転嫁するように、そんな大声で呼ばなくても良いのにと思ってしまう自分はどこまでも天邪鬼だ。
人垣を超えて私のところにスタスタ来た鬼灯君は、やはりと言うかクマが濃い。机の上に積まれた書類を思うと、まだまだ仕事は沢山あって、ひと段落ついてゆっくりなんて、夢のまた夢なのだろうと思えた。
「閻魔殿までどうしたんですか?」
「ああ、仕事の用はないんです。ただ、鬼灯様が忙しさで食べられていないと風の噂を耳にしまして、お節介だと思いつつお弁当を持ってきたんです」
「っ!……ありがとうございます。いただきます」
「お弁当箱は食べた後はそのままにしていて下さい。明日、取りに来ます」
「分かりました」
ではこれで、と去ろうと足を動かしかけたところで、大きな影がぬっと現れる。閻魔大王だ。
「ねぇねぇ鬼灯君」
「何ですか、口を開く前に仕事をさっさとこなしなさい」
「辛辣過ぎない!?いや気になったんだけどさ」
「ほぅ、まだ口を開きますか」
パァン!と金棒を手で鳴らして、眉間の皺3割増しで自分の上司を睨む鬼灯君に、これは血を見ることになるかな、と返り血を浴びない程度に距離をとろうと後退する。
トゲトゲの金棒を頬にグリグリされながら、だって気になるんだもん!と言う閻魔大王。何が気になったのだろうか。
「いっつもカヱちゃんの事、カヱ先生って呼んでたのに、何で今日はカヱさんなの!?あーやしーなー?」
「それはカヱさんと私の関係が変わったからですよ。これ以上聞くならセクハラになりますよ」
閻魔大王の質問に肝を冷やし、鬼灯君の回答に心臓が早鐘を打つ。鬼灯君の言葉に周りの鬼達も騒めいて、視線が集中してきて針の筵のようだ。
「じゃあ前に抱き合ってたのってカヱ先生か?」
綺麗な雉が鳴いて、周りもその話題に乗っかってザワザワと噂が飛び交う。居た堪れない。
パンパン!と手を叩く音に、驚いて顔を上げると鬼灯君が手を鳴らしたようだった。
「はい!皆さん、私の恋人はカヱさんです。それ以上でもそれ以下でもないので、これ以上あれやこれや話さないように!適当な話に尾びれ背びれくっつけようものなら舌を引っこ抜きますよ!」
「ええー。でも馴れ初めとか気になるぃぃいたただだだっ!!」
「そういうのがセクハラだって言ってるでしょう!カヱさんはシャイなんですから、我々を思うなら傍観してください」
何で私がシャイなのよ!って言いたくなったけれど、人目があるところで言い合いなんてしたくはない。それこそ話題を提供するようなものだ。
鬼灯君の声は閻魔大王だけでなく、周りにもしっかり聞こえていたようで、分かりましたか?という鬼灯君の声にこの場にいる全員が頷いた。シャイと言われたのは気に入らないけれど、これで変に詮索されたり、ネタにされたり、有る事無い事勝手に話されたりはしないだろう。
それでも不躾にジロジロと見てくる鬼達。やはりここに長居するのは私の精神衛生上良くない。
「では、私は戻ります」
「お見送り出来ず済みません」
「子供ではないのですから。ではまた」
あくまで落ち着いた大人の振る舞いをと心がけて、走りたい気持ちを押し殺して閻魔殿を出て行く。
ほんっっっとうに、緊張した…!!
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