鬼灯の冷徹 | ナノ
亀のあゆみ
「ところでカヱさん」
手を取られて立ち上がるように促されて、何でしょう、と返しながら立ち上がる。鬼灯君の手を取るなんて、それこそ出会ったばかりの頃からしていないから、こんなに成長して今ではゴツゴツした手なのだなと感慨深くなる。
昔は痩せ細っていて、色々な作業をしていたからだろう、今の子供のようなふっくらした綺麗な手ではなかった。今は古傷もなさそうで、安心する。手を見るたびに傷があって過去を思い出すなんて、たまったものではない。嫌なことは忘れるに限るのだ。
「私に会えなくてそんなに寂しかったんですか?」
「は?」
手を眺めていた私にいきなり爆弾を投下してきた。私が寂しい?何で?
「いえ、私の話が終わるまでこちらをジロジロ見ていたのに、いざ私があなたの方へ向かうと引っ込んで、そのあとモジモジしながら一緒に帰りたいなどと供述したでしょう。仕事で疲れていてさっさと帰るのかと思っていたのに、私を待っていて、且つ職場までついていきたいと駄々を捏ねたものですから、そんなに寂しかったのかと思いまして」
「全部……」
「気付いてますよ、そりゃあ。そのあと頑張って話題を探していたのも、見ている分には愉快でした」
逃げられないようにぎゅうと手を握られたまま告げられた言葉達に、顔がブワッと熱くなるのを感じた。赤くなりましたね。と変化を指摘されて、泣きたいほどに恥ずかしくなる。
「その顔は唆られますね」
「何訳の分からないことを仰っているんですか、鬼灯様は忙しいのですから私に絡んでなんかいないで、仕事に戻られたらどうですか」
「おや、ペナルティですね」
「え?」
「様付けで呼んでいましたよ、あと、敬語も抜けてないですね」
つい平常心をと思っていつもの口調で捲し立てたものだから、先ほど決めた呼び方ではなく、肩書きのままに呼んでしまった。
「ざっと3分ですかね」
「3分って……。どこに敬語ありました?敬称を誤ったのは認めますけど、他にどこがありました?」
「細かいですね。では1つだけ。仰った、は尊敬語ですよ。それで、どこで私に抱きつきますか?私は此処でも構いませんが」
掴んだ手を離してはくれないまま、片腕を広げて「さあ」と言われる。さあじゃないよ。誰が通るともしれない道で抱きつく訳ないでしょう。そもそも抱きつく訳ない。違う、抱きつけるわけがない。
「恋愛には順序があるでしょう。私たちは手を繋いだこともないんですよ?」
「今繋いでますよ?」
ほら、と握られた手を胸の高さに持ち上げられる。うん、それ繋いでるのではなく、握られている、ね。
なんと伝えたら鬼灯君に理解してもらえるのかと疲れた頭をどうにか動かしていると、そんなに嫌ですか、と表情も声音も変わらず溜め息混じりに肩だけしょげらせてきた。鬼神ともある方が、わざとらしい態度であれ落ち込む姿を見せるとは珍しいし、それを可愛いと思う自分もどうかしている。
困ったな、絆されてしまいそうだ。
「嫌ではなくて、まだ心の準備が出来てないんですよ。何度も言いますが、私は片思いを拗らせすぎていて、まだ恋人になったという実感がないんです。都合の良い夢を見ただけで、本当はまだ片思いしてるんじゃないかと、ふとした時に考えてしまったり」
「私が信用なりませんか?」
「ほおず……鬼灯君は信用してます。信用出来ないのは自分です」
「ビックリするほど自信がないんですね」
「仕方ないでしょう」
鬼灯君と吊り合う程の女ではないのだから、という言葉は飲み込む。代わりにそういう性なのだと言うと面倒臭いとまたもや盛大な溜め息。
仕方ないのだ。
だってよく考えて欲しい。眉目秀麗で勇猛果敢で鬼神で閻魔大王の第一補佐官で影の支配者である彼に吊り合う女と考えたら、容姿端麗で才色兼備で肩書きもしっかりしていなければならないだろう。
彼を前にすれば、ただの教員なんぞ蹴れば当たる石ころレベルだ。そんな石ころに自信持って宝石と肩を並べろと言う方がおかしい。
「クダラナイ事を考えていますね?」
「くだらないとは失礼な。それよりなんで抱きつくになったんですか?罰則厳しくないですか?」
「今更その話ですか。ツッコミ入れるにはいささか遅いと思いますよ」
「先は聞く時を見失ったんです」
そうだ。そもそも抱きつくが罰則でなければこんなにすったもんだ言い合ったりはしない。もっと簡単な、それこそ手を繋ぐ時間とかにすれば少しは気が楽になるだろう。いや、手を繋いだままでいるのも気恥ずかしいし、汗握ってじっとりした手を鬼灯君に感じられるのも嫌なのだけど。
と言うかそろそろ私の手を離してくれないかな?力強く握られているから、割と痛いのだけれども。
「まぁ、簡単に言えば反応を見て楽しみたい、ですかね」
「そうですよね、そういうものですよね。随分と私に対して比重が大きいし心理的負担も大きいものだなと感じていました。異議申立てます」
「失敬な。異議など認めませんよ。きちんと理由もあります」
「ではその理由を説明してください。それで私が納得したら、その罰則を受け入れますよ」
「考えつきませんか?」
「考え付かないから聞いているんでイタタタタッ!手を離して下さい!」
主張をすればあっさりと手は離される。本当に何がしたいの!?手が赤黒くなっているんですけど!?
「先生たる人が嘆かわしい!答えを導く道を何本も考えて提示してみせなさい!」
「いきなり仕事調に戻らないでくださいよ!確かに教師ではありますが人の心までは読めないし、憶測はいくつも散りばめましたがどれも正解だと思うには今一歩なんですよ!」
「ではその憶測を話してみて下さい」
「えっ」
「ほら早く」
憶測を話すのは羞恥が上回ると言うか、何と言いますか。少女漫画も読んだりしていたせいか、甘ったるくむず痒くなるような思考回路が出来てしまっているわけで。
鬼灯君相手にそんな甘過ぎて喉が焼けるような、水を飲みたくなるような思考回路を大っぴらにするのは、厳しい。年上のくせに年下に引かれる回答を口にするなんて真っ平御免だ。
「私の恋愛に対する亀の歩みを早めるためとか?」
「それも一理ありますね」
当たり障りなく、それでもどこか感じていた部分を答えると、一部正解。とのことだった。他にも理由があるのね。そしてそれを全部当てろとでも言いたいの?無理だよ、勘弁してよ。年下にいいように扱われているようで少し腹が立ってきたよ。
「異性に慣れてもらうため、とか?」
「異性に慣れてもらおうとは思っていません」
「あっそうなん「私だけに慣れて欲しいですね」
そういう意味!?割と独占欲強目だね、鬼灯君!ちょっとややこしいぞ君!
「じゃあもう1つの理由は鬼灯君に慣れるためなんですね。これで理解しました。でもそれのために抱きつくは難易度が高いですね。やはり最初は手を繋いだ方が」
「だからまどろっこしいんですよ、カヱさん」
手首を掴まれたかと思えば、グイと引っ張られてたたらを踏む。反射的に目を閉じれば、顔に布の感触。
布?
「ほっ!!!」
「はい、いーち、にー」
「こんな所で何考えてるんですか!」
片方の手首は掴まれたまま、もう片方の手が私の腰をぎっちりと固定している。振りほどいて逃げようにも、力の差は歴然で鬼灯君の着物に顔を押し付ける状態になっている。というか、体を押し付けあっている状態だ。海老反りするように背を逸らして、鬼灯君の胸から顔を離す。
睨み付けるけれど、鬼灯君は真顔で私を見下ろしているだけだった。
「そんなに騒いで注目を浴びたいですか?」
「注目を浴びたくないです!だから離して」
「いつまで経っても抱きついてこないから、こちらから用意してあげたというのに文句ですか。文句の多い人ですね」
「何で私が責められるんです?理不尽ではないですか」
「軽く4000年は超えているカヱさんとお付き合いしているのに、手を繋ぐだけで顔を真っ赤にして、しかもまだ早いだの何だの言われて、付き合う前と関係がまるで変わらないという方が余程理不尽だと思うんですけれど」
「年は関係ないでしょう……」
年だけ無駄にとって経験を積んでいない、と言いたいのかもしれないけれど、年齢と様々な分野への経験は比例するわけではない。心がある限り、得手不得手は存在して、そして年を取れば取るほどに得ては伸びるが不得手はそのままにされることが多いのだ。私は色恋沙汰が不得手だった、それだけの事だ。
「まぁ、慣れ過ぎていてもそれは気になるところではあるのですが」
「どっちにしろ理不尽な言いがかりをつけられるんですね、私」
「恋愛とはそういうものですよ。綺麗事だけではありませんし」
綺麗事で済ませて欲しいですけどね。と口にすれば、それは無理ですねときっぱりと返される。本当に、この子は。
「私は確かに鬼灯君より年長者で経験は色々詰んでいますが、鬼灯君と違って恋愛云々の経験はありません。ですから、鬼灯君が求めるペースで私は動けませんよ。こういう時は、歩みの遅い方に足並み揃えるものでしょう?」
「だからペースは合わせていますよ、これでも」
「もっと遅くしてください。そしてそろそろ抱擁を辞めてくれませんか?恥ずかしさで頭がクラクラしそうです」
「おやそれは大変ですね。倒れたら私が抱き上げますよ」
「今話してたこと覚えてます?」
「倒れたら抱き上げるしかないでしょう。倒れてる人は助ける、足並み云々以前の話です。それにまだ1分半ですよ?あと半分残ってます」
「どうしても罰則は絶対なんですね」
「そりゃあそうですよ。罰則を途中で反故にするなんて、鬼としてあってはならないでしょう」
さすが地獄の鬼神というところだろうか。獄卒が絶対にしてはならない行為だと分かっているからこそ、自分も撤回するつもりはないと声と態度で示している。こうなると鬼灯君は梃子でも動かないのだ。そもそも鬼神を私一人がどうこう出来るはずはないのか、と諦めが見えてくる。
可愛い子ども時代を知っている鬼灯君のガッチリした体にギュウギュウと抱きしめられたまま、仕方ない、と自由な腕を少し上げて鬼灯君の背中に回せば、拘束する力が弱まった。
「素直で大変良いですね」
「年下に言われても嬉しくない言葉ですね」
顔は地面を見るようにして隠すけれど、露出している頸と耳が丸見えなのだろう、鬼灯君に真っ赤になっているんでしょうねと笑われた。
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