モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
主神
山菜取りと薬草探しを兼ねて、紅葉が地面をも彩り始めた野山に足を踏み入れる。
この山の持ち主は私の店に半年程前から骨董を求めてやってくる客だ。半年間の付き合いによって、今では茶飲み仲間にまでなっているので、出会いとは不思議なものだと常々思う。
世間話は勿論の事、今では身体の具合や嫁姑問題の愚痴まで聞いている。そんな間柄なので、勝手に山の恵みを頂けることになっているのだ。
「良い土地、ですね」
枯れ葉を踏む音を奏でながら勝手について来ている男がポツリと、誰に言うでもなく声を出す。それはそうだろう、ここは清々しい空気に満ちていて、とても心地良い。
更に、俗に霊感と呼ばれる直感を持つ者にとっては、ここは深呼吸をして寝転びたくなるほど気が抜ける場所だ。私にとっても、男にとっても、ここは気にいる場所になる。
「主が居るようです、ね」
主とは地主ではなく、山を守る神、所謂「主神」を言っているのだろう。本業相手に試すつもりなどないが、入っただけで感じ取れるとは、流石である。
「猪だった」
「会ったのですか」
「一度だけな」
威風堂々とした姿で、纏う雰囲気が他の獣とまるで違うからすぐに分かった。なかなか巡り会える存在ではないので、あの時は全身が粟立ったのを覚えている。
そんな事は絶対に言わないけれど。
足音が止まったので、こちらも歩みを止める。振り返れば、男はしゃがんで何かを摘んでいた。
何を摘んでいるのかと思い傍らにしゃがみこめば、男の前に小さな葉をつけているのは薬草。しかもなかなか無い種類の物だ。これは良い発見をしてくれた。
必要な分だけ摘ませてもらって、薬草を籠に入れてまた歩みを進める。
「西明は何処に、向かっているんで?」
「目的はない」
「……」
「嘘だ、そう睨んでくれるな」
振り向かなくとも男の眼力は強くて、凝視されているとすぐに分かる。
「これだけ迷わず足を進めているのだから、目的地はあるさ」
「では、何処に」
「栗を取りに」
「栗……」
「ついでに、柿も」
「……」
「言いたい事があるなら」
「ありません」
思わず笑いそうになるのを堪える。
庭に植えている柿の木と栗の木は山よりも低い地にあるので、まだ実が熟していない。それを男が残念そうに眺めていたのを私は目撃しているのだ。
そこまで高くはない山だから熟しているか少し不安ではあるが、この男が喜ぶ結果になれば嬉しい。散った紅葉の下にある腐葉土は柔らかく、足元をとられながら登る事どれ程か、すっかり身体は温くなった。
ついでに籠の中も半分ほど秋の味覚で満たされて、着いた栗の木の下には、毬栗がコロコロと転がっている。
「良かったな」
「何が」
「さぁ、何だろうな」
何を照れているのか。栗が好きで、何が悪い。
第一、視線が毬栗に釘付けだ。こんな状態では誤魔化さない方が潔いだろうに、しようがない奴だ。
毬から取り出した実を籠に積む。家には私と男のみであるから、沢山食べるわけでもないので、本当に必要な分だけを頂く。
「ずっと気になっていたのですが」
「何をだ」
「それは、何が入っているんで?」
藤色の形良い爪が指すのは、私が先程まで背負っていた木箱。
男の、今は家にある旅の木箱に比べれば断然小さいが、なかなかの重さなので山頂付近まで背負って来るのに苦労した。
「気にするな」
「そう言われると、気に、なります」
「じきに、分かるかもしれない」
「分からないかも、しれない」
「いずれは分かる」
「持っている意味は」
「用心に」
立ち上がって腰を伸ばしていると、男は近くの柿の木から、口を綻ばせながら実を採っていた。
渋柿であるからすぐには食べられないが、皮を向いて干せば甘くなる。きっと男は干柿を想像してあの笑みを浮かべているのだろう。
「もうじき日が暮れるな」
今日は予想以上に道草をくった。おかげで珍しい薬草を仕入れられたが、今はもう陽が傾いたと思えばすぐに沈む季節。
早々に帰った方が良い。
荷を背負い、山の恵みを積んだ籠を片手に歩き出す。もう道筋を覚えたのか、男は後ろをついてくる、という動作ではない。
山を下るだけの行為。
道も覚えているから困る事は無い。
筈なのだが。
「やられたな」
元来た道を歩いていた筈なのに、見覚えのない場所が現れる。否、もしかしたら目の錯覚かもしれない。ここは山で、木々が立ち並ぶだけの景色に違いを見つけられる者はそうそう居ない。
しかし雰囲気から分かるのだ、別の道に入ったと。
「物の怪、ですかね」
「否、主神だ」
そのまま歩みを進める。まっすぐ歩いていると、後ろから良いのかと問われる。
「主神は茶目っ気があってな、たまに遊ばれる」
「……」
「その時はまっすぐ進むに越した事はない」
「慣れた、言い方ですね」
「まぁな」
それなりに。と笑ってやる。
ぐんぐん進んでゆくと、小さな滝と池が現れた。苔た岩と、清流にしか生息しない白い花をつけた水草達。
まだ散っていない色づいた落葉樹と、その中に点在する常葉樹。赤、黄、緑、空と水の色……詩人ではないから表現する言葉を知らないのが口惜しいと思えるほどそれらは美しく、眩暈を起こしそうだ。
それと同時に冷静な自分がやはりか、と内心で頷く。
以前、初めて主神に遭遇した時も此処に誘導された。どうにも主神は、新参者に此処を自慢したいらしい。
自慢したい理由も、分からなくないが。
背負った荷を下ろす。
「何を、始めるんで」
「自炊だ。暫くは解放してくれないだろう。だから今から飯の準備をする」
「見せたかった、だけでは?」
「残念ながら、まだ主神の力は解けていないから此処から出られない」
「そう、ですね」
木箱を開けて、中から鍋と二人分の麦飯、塩、串を出す。
「元々主神の術中に、嵌るつもりだったの、ですね」
「勘が働いたんだ」
「勘、ですか」
「勘だ」
枯れ葉と枯れ枝を拾い、火打ち石で火を灯す。焚き火の中に、葉に包んだ栗も入れる。
ついでに麦飯も、清水を頂戴して炊くことにした。
「手慣れて、いますね」
「気ままに生きているのでな。薬売りこそ、手慣れているだろう」
「旅の者、ですから」
頂戴した山菜を洗う。
「焼くのと煮るの、どちらが良い?」
「焼きましょう」
煮るのはよく食べますから。と男。旅の仲間は乾物が多く、素焼き等は出来ないのだろう。ならばせっかく取り立ての野菜達だ、素材の味を楽しむのも悪くない。
「では串に刺していってくれ」
泥を落とした椎茸や、その他山菜を渡す。
男は串に刺して、そして焼けるように焚き火の傍の地に手元の部分を突き刺した。
夕焼けに染まった世界は瞬く間に闇に染まる。
食事も済み、腹も満たされた。
しかし、未だに主神は解放する気が無いらしい。
「冷え込むな」
「西明は薄着ですが、大丈夫で?」
「寒いが、仕方無い」
神は人間の脆弱なことを理解していないことが多い。きっと私が寒いなど、思ってもいないに違いない。神の悪戯に巻き込まれるだろあと予測しておいて着込まなかった私が悪いのだ、焚き火に当たって寒さを凌ぐしかない。
太陽の恩恵を無くしてグンと下がった気温に息が白くなる。膝を抱えて丸くなっていると、男は何を思ったのか私の隣に来て、私を腕に抱く。
何だと見上げれば、この方が温かいとのこと。
「しかしこの格好は、しんどくないか」
「もっと凭れてくれれば、こちらも抱きやすくなるのですが」
やや男に傾いた身体。甘えるのも寄り添うのも、凭れかかるのも好きではない。
誰かに頼るのは、好きではないのだ。
だが今は寒い。
本当に、寒い。
今だけは、自分に甘えを許すのも良いだろうか。
相手の胸元に額を寄せると、腕はより強く私を引き寄せた。心臓が作り出す音は離れ難くなるほど温かくて、安心する。
「温かい、でしょう?」
「薬売りにしては温かい」
いつもは冷たいのに、何故今はこんなに温かいのだ。
「西明が冷たいだけ、ですよ」
「そうか」
「そうです」
「そんなに熱を失っていたのだな」
「そう、ですよ」
この男の声はどうにも囁きに似ていて安眠を誘う。どうしたものか。主神はいつになったら解放してくれるのだ。
以前は、ある物を見たら解放された事がある。今回も主神が見せたい何かを見つけなくては駄目なのか。
しかし此処に度々訪れている私に何を見つけろと言うのか。此処で何かを見ろという条件は今まで無かったから、何か目で見えるものに限定出来るだろう。そして、おそらく、今までに無かったもの。
つまり移ろいゆくもの。
地上の物は見た。
水中も見た。
あぁそうか。
「薬売り、空だ」
「空?」
「空を見ろ」
私も見るから。そう言って、夜空を見上げる。
「綺麗、ですね」
「本当に」
互いに綺麗だという言葉しか言わないこは、それしか表現しようがないからだ。下手に飾るのもおこがましいと思えてしまう程、それ程の『綺麗』。
息を飲む私たちをよそに、空気がパチリと弾ける感覚。
主神が、術を解いたのだ。
「帰れるな」
「えぇ、帰れます、ね」
「お前は解放してはくれないのか」
「もう、少しだけ……」
「甘えるな」
抱く腕を軽く叩けば、相手は諦めたのか腕を緩めた。身を離すと、途端に熱が大気中に奪われゾッとする。
すでに片付けた荷を背負い、持って帰る分の山菜が乗った籠を持つ。早々に火を消して、下山しよう。寒くてかなわない。
歩み始めると、手を握られた。そこから熱がじわりと伝わってくる。
「何だ」
「手を、繋いだだけ、ですよ」
「繋いでいたら歩きにくい」
「でも、温かい、でしょう?」
「……」
甘えるのは好きではない。
人の温もりも煩わしい。
なのに、何でこの男は平気なのか。自分が分からなくなる。
この温もりが、繋いだ手が温かいのは事実だ。
それに嫌だ嫌だと喚くのも私らしくない。
「下までだぞ」
「はい」
歩み出す。
繋いだ手に少し力が込められたのには、気付かないふりをした。
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