モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
憑依
「薬売り」
縁側で医療関係の本を広げて新薬開発に勤しむ男に声をかける。男は私を見上げ、腕に抱えた将棋一式に視線を向けた。
「将棋を指したい。相手をしてくれ」
「突然、何ですか」
「将棋だ」
「西明が、ですか?」
私を知る者ならば、最もな意見である。私は将棋や碁は知識として遊び方を知っているだけでまったく興味が無く、骨董品として棚に並んでいる物を掃除の時に触れるくらいだ。
私がやりたいと言い出せば、勘の良い男が疑うのもおかしくはない。
「これには男性が憑いている」
「いわく有りの逸品、ですか」
「そうだ。その男がどうしても、将棋を誰かと指したいらしい」
「では西明が、指してあげれば」
「それは出来ない。私の身体は将棋の最中、男に貸してしまう」
「憑依させる、と?」
睨まれる。将棋一式を抱えているのも疲れるので、男との間に脚付将棋盤を置いて腰を下ろした。
憑依は危険だと重々承知している。私だって考え無しに貸すわけではない。
この将棋に憑いた霊、最初は私に過去話を聞かせるだけだったのだ。私が将棋や碁に興味が無いと理解した上で成される過去話は、将棋に憑いてから見てきた行く先々での話しだったので、聞いていて飽きなかった。
店先で暇な時分に話を聞かせてくれた相手だ。
昨日話を持ちかけたところ、将棋を一回指せば成仏すると言う。それならば魂だけとなった霊が出す指示を受けて私が代打をするよりも、霊に身体を貸して将棋を直接やらせてやろうと思ったわけだ。
勿論、常にこんな簡単に身体を貸すわけではない。今は条件が揃っているのだ。将棋に憑いている霊の力は弱く、私は憑かれても我を失う事は無い。意識はあるのに身体が勝手に動く状態になるだけで、その気になれば霊を追い出す事も可能だろう。
それに万が一、霊が弱々しく見せているだけで実は強大な力を持っていても、退魔の剣を持つ男が傍にいる。どうしても霊が私から離れず悪事を働くようならば、この男ならば私ごと霊を斬り捨ててくれる筈だ。
その点において絶対的な信頼を持つ男が傍にいるからこそ出来る荒業だろう。
憑依をさせるつもりだと告げれば、危ないだの危険だの、男は珍しく饒舌に危険性を語る。物の怪を探し歩いて諸国を旅し、いつ命を落とすと知れぬ相手に挑む男に危険性を語られても、困るのだが。
「しかし指すと言うまで私は退かない」
「心配をして、いるのですよ。一度憑依させると、憑き易くなると、言いますし」
「私の事は私がよく知っている。私は簡単に体を奪われるほど魂が弱くは出来ていないから、大方大丈夫だ」
「しかし、西明よりも強い魂の霊に遭遇したら、どうするのですか」
「私はそんな強い霊と遭遇するような生き方をするつもりはない」
私は細々と、この村で小さな怪奇現象と向き合うぐらいだ。薬売りが心配するようなことはまず生じはしない。
「……男に身体を受け渡すなど」
「貴様の心配の種はそこか。下衆な勘繰りをするな」
「失敬、ですね」
「これは失礼した。しかしすぐにそういう話題に持っていく薬売りこそ失敬だ」
「それだけ西明が他の男に奪われるのではないかと、肝を冷やしているんですよ」
「私なんぞにそんな考えを持つのは薬売り、お前くらいだ」
他の男たちが私に目を向けるわけがないだろうに。
「では」
男がすり鉢を床に置く。どうやら将棋を指す気になったらしい。
先程からそわそわしていた霊に、身体を受け渡した。
畳に寝転がっていると、上機嫌の男が湯飲みを渡してくる。
「お疲れ様、です」
「機嫌が良いな」
「えぇ。西明の笑みを見れたので」
腕が上がらないどころか指先一つ動かす力がないため、湯飲みを受け取らずに睨み付ける。すると男は湯飲みを畳に置き、自分の茶を飲んでいる。
仰向け状態のまま動かずに、ただただ男を睨む。睨み付けるしか出来ないとは、歯痒いったらない。
相手の機嫌の良さも相まって、悔しさが増幅する。そんな私を見下ろしていた男は、悠長な調子で言葉を紡ぐ。
「何を、怒って……」
「怒りたくも、なる」
霊は常に敬語で話し、男を『薬売りさん』と呼んだ。私は常に『薬売り』と呼び、この口調。
余程この口から柔らかい調子で話しをするのが珍しかったのか、男は将棋よりも会話に没頭した。別に珍しがった事を怒っているのではない。私が怒りの念を抱くのは、男が話をしながらちんたら将棋を指したせいで身体を貸している時間が長引いた事だ。
私はイタコではないから霊に身体を貸した事は今までに一度もない。修行を積んだイタコでも憑依時間と身体への負担は比例するのに、それを慣れない私がやったらどうなるか、この男ならすぐに分かるはずだ。
だというのに、将棋をさっさと済ませて憑依を解くでもなく、和やかな雰囲気で談笑していたのだ。
おかげで私は眼球を動かすのと、少し言葉を話す以外は出来ない状態。指先を曲げる事すらままならない。
これに腹を立てずにいられるか。
「ですが、これで、どれ程身体を貸すのが危険か分かった、でしょう?」
「嫌というくらいな」
私に学ばせる為にわざとやったのだと言いたげな台詞だ。そんな言葉に、私が騙されると思っているのか。
あぁもう、身体の関節全てが痛い。
瞼を閉じて視界を遮断しても、全身の筋肉も悲鳴をあげているのが辛い。
「西明」
「疲れたんだ、寝させてくれ」
「ここで寝ては、筋肉痛になりますよ」
「動きたくないのではなく、動けないのだから仕方ないだろう」
「抱き抱えて」
「断る」
「きつい物言い、ですね。先程までは柔らかい口調でしたのに」
「薬売りの前では永遠にこの口調だ」
「限定、ですか」
「こんな口調で接客しては、売れる物も売れない」
ふぅと息を吐く。男は何が面白かったのか、小さく笑った。
「それはそれで、良いかも、しれませんね」
何が、良いのだ。男は変わらず上機嫌なようで、私の頭を撫で始める。
やめろと言うのも億劫で、好きにさせてやる事にした。
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