モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
認識
日当たり良好なのをこれ幸いと、縁側に寝そべって本を読む。
腹這いになって肘をついて、手に顎を乗せる格好はとても良い姿勢とは言えない。そしてやはり良い姿勢ではないからだろう、疲れを感じ始めているのだが、この体勢は崩せない。
困った事に、先日我が家にやって来た甘えん坊が背中に乗って動かなくなってしまったのだ。感じる重さや形からして、丸まって寝ているに違いない。
背中のそれは暖かい陽射しと人肌の床に心地好く寝ているのだろう。そう思うと、起こすのが忍びない。
しかし、いい加減この格好はつらい。
振動を生まないように少し動いて腕を組んだり、つく肘を変えたりを繰り返していると、砂を踏む音。音の方を眺めていれば、派手な色合いが視界に入ってくる。
片手だけ上げて挨拶をすると、男は静かな声でどうしたのかと問うてきた。
「背に」
男の視線が背に流れ、納得したように頷いた。
「そんな格好では、姿勢を悪く、しますよ」
「少しだけのつもりだったんだ」
「起こせば良いじゃあ、ないですか」
「忍びない」
男はふぅと息を吐くと、気持ち良さそうに寝ているだろう猫をひょいと摘まみ上げてしまった。猫は寝ぼけているのか辺りを見回して、私を見つけると何があったと問うように啼く。
「酷いな」
「優先順位が、有るんですよ」
座ってから、ぐっと伸びをする。やはり慣れない姿勢をするものではないな、肩周りが凝ってしまった。
首と肩を回していると、漸く男の手から逃れた猫は迷子が親を見つけた時の様に走り寄ってきて、私の足に擦り寄る。
「肩凝り、ですか」
近づく男に猫の威嚇をするが、それらを一瞥くれてやるだけで受け流し、問うてくる。
男と猫は本当に仲が悪いのかもしれないと、今更ながら思った。
「慣れない姿勢だったからな」
「整体、しましょうか」
「お前は薬売りだろう」
「先日、本を、読みました」
「私は実験台か」
「そう、なりますね」
仕入れた知識を使ってみたくなるのは誰も同じこと。
人に触れられるのをあまり好まないが、触れてくる相手は何処ぞの誰かではなくこの男だ。実験台だとしても、やってもらって損はないだろう。
「どうすれば良い」
「西明は座ったままで」
「分かった」
「猫は……」
「膝の上に居てもらう」
「そう、ですか」
庭に向いて正座をして、猫を膝の上に招く。すると猫は誰も膝を狙ってなどいないのに、慌てた様子で膝の上に乗るとすぐに丸くなった。
男は私の後ろに膝をついて立ち、首の付け根を揉んでくる。少し冷たい手に身体が強ばりそうになったが、触れられても嫌悪感は不思議と無い。
暫くすれば互いの体温が同一になった。手は肩の方まで下りてきて、固くなった筋肉を解してゆく。
これは、気持ち良い。
「力加減は」
「ちょうど良い」
陽射しも、太股の上の温もりも、男の手の動きも心地好い。このままでは寝てしまいそうで、何とかしなくてはと思うけれども、何かを考えるのもするのも億劫だ。
「西明は」
まるでこちらの気持ちを汲み取ったように澄んだ声で名を呼ばれ、意識が一気に覚醒する。
「猫に名を、つけてはやらないんで?」
「名を……」
考えれば、猫は常に私の傍に居て離れないので、名を呼ぶ事も無かった。名を持たない男に名前をつけてやれと言われるのも奇妙な話だが、確かに今後を考えるとつけた方が良いだろう。
しかしモノに名をつける習性が無い私にとって、それはとても難しい。
名前と言われて、ぱっと浮かぶのは『猫』。尤も、『猫』は特定の一匹を表す名ではない。
「薬売りならば、どんな名をつける」
助けを求めても、沈黙が降るだけだった。
陽射しも、太股の上の温もりも、男の手の動きも心地好いのは変わらないが、今は思考がはっきりしている為に眠いとは思わない。たっぷりと沈黙を取ってから、男はぽそりと呟いた。
「黒猫」
「私と変わらんな」
「西明は何と、名付けようとしたんで?」
「浮かばなかった」
「変わらない、と言う時は、何か一つは考えた、という事、ですよ」
細かい事を言う男だ。
仕方ない。
「猫」
「ネコ?」
「そう、猫」
「猫に比べたら、まだ黒猫の方が、特定しやすい、ですよ」
「名とは、そういうものではないだろう」
「そう、ですね」
私たち二人では碌な名前が浮かばない。
どうしたものか。
いや、よく考えてみれば、黒猫で良いのだ。
「黒猫」
「黒猫、ですか?」
「あぁ。猫、お前は今日から黒猫だ」
猫の頭を撫でながら告げる。猫は意味を理解していないだろうのに、私の声に反応して返事をした。
「何故」
「お前は薬を売る者だから薬売り、猫は黒いから黒猫。十分だろう?」
「西明の中で俺は、猫と同等、ですか」
「名など必要無いと、気付いただけだ」
「見分けがつきませんよ」
「私がつけば良い。名など、あってもなくても困らないんだ。それは薬売り、お前が一番よく理解している事だろう?」
「そう、ですね」
男が小さく笑ったのが雰囲気で分かった。
「はい、お終いです」
とん、と肩を叩かれる。肩を回せば、先程とは違って痛みなど欠片もない。
「ありがとう」
「どういたしまして……時に西明」
「何だ」
上体を捻って後ろに居る男を見れば、男はその場に正座していた。
「酷く、眠たいのですが」
「それは気付かなくて悪かった。今すぐ布団の準備を」
「布団は、要りません」
「雑魚寝か?」
「いいえ……」
では、と訊こうとして、男の考えがなんとなく掴め口を閉じる。男も私が気付いたのを見抜いたのか、笑みを浮かべた。その顔は、さながら悪戯が成功した子供のようだ。
此れで私より遥かに長い年月を生きているというのだから、人は変わらないのだと思い知る。
男はゆっくりとした動作で、ある場所を指す。
「ちょうど良い、枕が」
そこに、と言う。
指された場所は、私の太股。
「黒猫が寝ている」
「黒猫はすでに一度、西明の背で、寝ました」
「……」
「座った姿勢なら、変に筋肉を凝らす事も、無いでしょう?」
溜め息が漏れる。
本当に、この男は。
「今回だけだぞ」
「はい」
「二度は、無い」
「はい」
猫を起こして、太股から降ろす。男は移動するなりすぐに縁側に横になって、私の太股に頭を置いた。それを見た猫は自分の居場所が奪われたと言わんばかりに興奮しているので、頭を撫でて宥めてやればすんなりと猫は黙り、私の手に擦り寄ってきた。
「何も羽織らなくて、寒くないか?」
「陽射しが暖かいので」
「そうか」
「はい」
男の頭に巻かれた布を外し、髪を梳く。癖のある髪は硬そうに見えて実は柔らかい。
人というよりも、獣と似た髪質。私はそれが好きだったりもする。
おやすみ。と心の中で呟いて、頭を撫でる。
男は瞼を閉じたまま小さく笑みを口元に浮かべた。
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