モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
偽者 壱
八百屋に野菜を買いに行ったら、奥さんの長話に付き合わされる事となった。
「また税の徴収が厳しくなるんですって」
「それは困りますね」
「本当に、隣の国は税が緩和しているのにねぇ。家ごと移動出来たらこんな土地すぐにでも離れてやるのに……」
「先生!西明先生!」
立ち話の最中、隣の魚屋から怒鳴り声のような調子で名を叫ばれた。
何だ。
どうした。
八百屋の奥さんも驚愕の色を隠しもせず顔に乗せて、お互いに首を傾げた後、隣の魚屋へ向かう。
「どうしちまったんだ西明先生!」
熊の様な体格の男性が此方に背を向けて声を荒げている。
どうしたは、此方の台詞だ。
「如何なさいました」
「西明先生が魚を盗んっ!……って!西明先生!」
「こんにちは」
「え、ええっ!?」
周りの人が騒いでいて、何故か視線が私に集中している。
「旦那、落ち着きな。西明さんがどうしたんだい?」
まるで化け物でも見た様な顔で私を見る魚屋の主人。
八百屋の奥さんが宥めにかかるが、主人は目をキョロキョロとさせている。
「あ、俺、しまった。そうだよな、済みません西明先生」
「謝られても、意味が分からないのですが」
「いや、あの、聞いても怒らないでいてくれますかね」
「怒りませんよ」
余程不条理な内容ならば少しは気分を害するかもしれないが、魚屋の大将には格別の恩威をいつも貰っているのだ。簡単に腹を立てることはない。
どうぞ話して下さいと言えば、主人は話し出す。
「西明先生に良く似た人が店先に居て、じっとしてるもんだから変だなーって思ってたんですよ。そしたら急に魚を一匹手掴みで持って、あっちに走って行っちまったんだ」
そう言って指すのは、私達が居たのと逆方向。
だから魚屋の主人は会った時、我々に背を向けていたのか。
「泥棒ですか」
「泥棒ね」
「へい」
私と八百屋の奥さんは視線を合わせる。
どう考えても、同時刻に八百屋にいた私には不可能な犯行だ。
元より、盗みを働くほど魚が食いたいわけではない。
金が無いにしても、私は身の丈に合った生活をする。
「私に似ていた、とは?」
良く会う魚屋の主人が間違えるのだから、余程似ていたのだろう。
何処まで似ていたのか、少しばかり興味がある。
「笠を被ってたんで顔は見えなかったんですが、背丈と体格と、服装が似てたんですよ」
「服装?」
「西明先生はいつも黒い着物と黒帯でしょう。それに黒い外套」
全身黒なんて、西明先生しかいませんでしょう。
そう言われて、自分の姿を見る。
確かに黒い。
一応、足袋は白いし下駄は木製なのだが……これからは色物を選ぶべきか。
「笠を被っていたのですか?」
「へい。西明先生は雪の日しか笠は被らないから変だなーって思ってたんですよ」
私は雨の日は番傘なので、雪の降る日しか笠は被らない。
まして今日は晴天。
積もった雪が乱反射して眩しく、地面は雪解け水で泥みたいだ。
この中を泥棒は走って逃げたのか。
なかなか度胸がある。
草履ならば良いが、もし下駄ならば転ぶだろう。
「カンパチを盗まれたんですよ」
主人は憎らしそうに口を開いた。
愚痴が始まるなと思ったが、主人の怒りを発散せねばならぬだろうと口を挟むのをやめる。
主人は堰を切ったように喋り出した。
「今日水揚げしたばかりの新鮮な代物でね、店の看板商品だったんだ。きっと犯人は目利きが出来るんでしょう、良いもん盗っていきやがって。あんにゃろう」
「あのねぇ」
隣にいる八百屋の奥さんが腕を組んで魚屋の主人を睨む。
これは、まずい。
「奥さん」
「盗まれた事を愚痴愚痴ぬかすんじゃないよ!あんた男だろ!そんな調子じゃ奥さんまでいつか盗られちまうよ!」
落ち込んでる人間に鞭打つとは、流石八百屋の奥方。
魚屋の主人も二の句が告げられないようで黙ってしまった。
「西明さんはどうするんだい」
「周りの方々も犯人が私だと勘違いしているようなので、捕まえるつもりです」
あの大声で幾人が勘違いをしただろうか。
まして犯人を見た人も私だと思い込んでいる可能性は高い。
流石にこのままでは居心地が悪い。
降りかかる火の粉を払うように、自分にかかった無実の罪は証明しなければならない。
「次来るとしたら、何処でしょうかね」
「今日はもう来ないんじゃないかい?」
「そうですね。一応、明日は主人の店に張らせていただきます。次もこの通りで盗みをするでしょうから」
小さな村では、この通りが唯一の商店街だ。
だから、この通りの店の何処かに身を隠せば犯人に会う可能性は高い。
見張っていれば、犯人が罪を犯して逃走する際に追いかけられる。
もし取り逃がしたとしても、私に扮しよう等とは二度と思わないだろうし、周囲に私が二人居ると認識させられたら私の無実は晴れる。
「西明先生、村の皆は西明先生の為なら喜んで動きますぜ。道の端に人を待機させりゃあ捕まえられるでしょ」
「皆さんの生活に支障をきたす事はしたくありません」
「でも被害があってからじゃ遅いわよ」
「そうですが、何処かの賊なら二度も同じ犯行をするとも思えません。第一、明日来るとも限りませんから」
「確かにねぇ」
「一応皆さんに……もう情報は流れているとは思いますが、私に似た泥棒がいるから気を付けて下さいと、伝えて下さい。あと、くれぐれも捕まえようなどとしないように。相手が武器を所持している可能性もありますから」
「西明先生は?」
「罠を張ります」
魚屋の店主も八百屋の奥さんも驚いた顔をして私を見る。
そんなに驚くべき事だろうか。
頭を下げて帰路を歩む。
しかし、厄介なことになった。
何で私に扮してくれたのやら。
村の中で私に対する不信感を煽りたかったのか?
それとも、単に扮しやすいから扮したのか。
後者ならまだ良いが、前者なら誰が裏で糸を引いているのか探らなくてはならない。その為にも、まだ犯人は泳がすべきだろう。
あぁ、でも、捕まえるにしろ捕まえないにしろ、本当に厄介だ。
周りは賊が私を標的にした時点で、私が賊に恨まれているのではないかと考えていてもおかしくはない。
嫌煙されても構わないが、今は薬売りがいる。
せめて薬売りがいる間は揉め事が起きない事を願うしかない。
あいつに仕事上以外で、人間の醜い部分は見せたくはない。
「ただいま」
「お帰り、なさい」
わざわざ玄関口まで迎えに来ている薬売りに、まるで家族だと思った。雪に閉ざされたこの期間を共に過ごし時間を共有しているのだから、家族の様な存在にもなるのかもしれない。
黒猫が飛び付いてくる。
「何だ、随分と機嫌が良いな」
「西明が帰ってくるまで、行方をくらませて、いましたから」
「そんなに薬売りと二人きりが嫌だったのか」
猫はにゃあ。と鳴く。
本当に機嫌が良いみたいだ。
撫でてと頭をすり付けてくるので、訳が分からないままに撫でてやる。
「西明」
「何だ」
「何か、あったんで?」
「何も」
言うつもりはない。
面倒事に他人を巻き込むのは、周りが良しとしても私が嫌だ。
何を突然、と態度で示せば男はそうですか。とすんなり退いた。
相変わらず勘の鋭い男だ。
家についてからずっと平常心を装っていたのに、何故気付かれたのか。
何が違ったのだろうか。
やはり纏う雰囲気か。
「では何故、野菜を」
野菜と聞いて、あ。と声を出す。
立ち話の最中、野菜を盛った籠をずっと八百屋の棚に置かせてもらっていたのだ。
騒ぎがあって、すっかり忘れていた。
「西明」
「立ち話をしていて、忘れてきてしまった」
「嘘は、良くない、ですよ」
男は私が嘘をついていると確信を持ってしまったらしい。
相手が確信を持っていると、口調ですぐに分かる。いつもの淡白な口調は変わらないと云うのに、声が鋭くなるのだ。
確かにあの緩やかな声音で詰問されても、相手は「今日の天気はどうかな」くらいの調子で問われているとしか考えられないだろう。
しかし残念ながら、どんな口調で問われても私にとって薬売りは薬売りでしかない。
威しに乗ると思うなよ。
それに立ち話をしていて置き忘れたのは大雑把な解釈をすれば事実であり、嘘ではない。
「嘘だと勝手に決めつけるな。事実だ」
事実ではあって、真実では無いのだけれど。
黒猫が袖を噛んで引っ張ってくる。
視線を向ければ、クリっとした瞳を向けられた。
袖から口を離して駆け出し、ある程度まで走るとこちらを振り返ってまた見つめてくる。
「薬売り」
「はい」
「何かあったのか」
「心外、です」
黒猫は私を何処かに誘導したいようだ。
黒猫の後ろをついていけば、広くもない家だ、すぐに着くそこは台所。
何がしたいのやらと思ったが、鼻にくる臭いに気付いた。
鼻をスンと鳴らして、辺りを見回す。
この臭い、先程嗅いだ。
嫌な勘が働く。
まな板の傍に、それが置かれていた。
片手で持つには大きい、丸々太った魚。
銀の皮は陽射しに輝いていて、私の気持ちと真逆だ。
何故ならそれは、
「カンパチ、ですね」
そう、カンパチ。
目眩が起きそうだ。
魚屋はこの村で一軒のみ。
それに無言でカンパチを一匹置いていく者がいるとは思えない。
つまり、これは盗まれた魚。
何で問題の魚が、此処に置かれているのか。
「誰が持ってきたのか、不思議、ですね」
黒猫を見ると、にゃあと声を上げられた。その尻尾はご機嫌な様子でパタパタと揺れている。
此処まで私達を連れてきたのは黒猫だ。
でもこの魚と黒猫に何の関係がある?
盗人が此処に来て魚を置いていったと仮定すれば、黒猫が盗人を魚屋の主人同様に私だと勘違いをしたことになる。
しかし、盗人が魚を運んできた理由は何だ?
そんなに私が盗んだ事にしたいのか?
何か恨まれる事をしただろうか。
分からない。
知らない内に憎まれる事をしていたならば、申し訳ない事をした。
「しかし、何時、来たのやら」
男がポツリと呟いた。
そういえば、男はずっと家に居たのに来訪者に気付かなかった事になる。
人の気配に敏感な奴なのに、珍しい。
本当に人が来たのかが疑わしくすら感じてしまう。
よもや黒猫が……否、まさか。
黒猫はまだ幼い。
猫股でもあるまいし、私に化けて魚を盗むとは考えられない。
しかし霊が集まる場所にいると、霊力が高まる事は事実上あり得る話だ。
しかし、人に化ける程の力を持つだろうか?
「この魚、どうするんで?」
「疑わしい物は、食わん」
カンパチには悪いが、捨てさせてもらう。
男はしょげった様子で肩を下げたが、毒を盛られでもしていたら困るだろうに。
黒猫もしょげり、心気臭い空間になる。
「黒猫」
しゃがんで頭を撫でてやる。
見上げてくる瞳はどこまでも純粋で澱みがない。
「人に化ける事は出来るか?」
一寸の間の後、黒猫は首を傾げられた。
言語が理解出来なくて当り前か。
「西明は、猫を、疑っているんで?」
「人聞きの悪い。ただ、そんな気がしただけだ」
「珍しい」
「そうだな。私もそう思う」
論より証拠の人間なのに、仮定で動くとは私らしくもない。
しかしこれで犯人が黒猫ならば良いと考えている私が居て、その可能性にかけようとしている。
黒猫ならば怨恨云々は杞憂だ。
自室に向かって棚を漁る。
確かこの辺りに……あった。
見つけた鈴に紐を通して、ついて来ていた黒猫の首につける。
チリンと鳴るそれは、俗に言う首輪。
飼い猫ならばつけていてもおかしくない代物だが、私は嫌いだ。
移動する度に鳴るのも煩いし、何より所有者と愛玩動物という関係になるのが嫌だった。
しかしまた現れた時、これが目印となってくれる筈。
猫は動く度に鳴る鈴を気にして首の紐に爪を引っ掻けている。
しかし暫らくすれば気が変わったのか、黒猫は歩き回って鈴を鳴らした。
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