モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
成人式
店先に飾られた振り袖。
それを、まだ十になるかならないか位の少女が店の外から眺めていた。
飾られた振り袖は綺麗な京染めの深蒼。
それには鳳凰が刺繍されていて、見る人が見れば上質な品だとすぐに目利きが出来る品だ。
少女はジッとその振り袖を見つめる。
冷えきった指先の感覚が無くなった事にも気付かず、ただただ、眺めるだけ。
せめて店の者が居れば、一声かけて招き入れてくれただろうに、残念ながら無人のようだ。
誰からも声をかけられることがない少女は立ったまま、動かない。
「お気に召されましたかな?」
背後からの声に、少女は驚いたように後ろを仰ぎ見た。
少女に比べ背が高い者は太陽を背に背負っていて、少女の視線からは影がぬっと起き上がったかの様に見えた。
大人は少女が驚愕したままなのを気にする様子も無く、戸口に回り、暖簾を上げた。
「どうぞ、お入り下さい」
暖簾は大人の頭に触れるか触れないかの長さなので、少女が店に入るとしても決して触れる事は無い。
しかし少女はまるでそこにあった見えない布垂れが退かされたかのように、嬉々として店に駆け込んだ。
大人は薄暗がりの店内にある燭台に勝手に火を灯して回る。
すると使い古された木製の床は不気味な光沢を放ち、壁に立て掛けられた全身を映す巨大な鏡が火を妖しく写し出した。
少女は土間の中心に立ったまま、土間より一段高い床の上で綺麗に両袖を広げて模様を見せている着物を眺めている。
大人は床に正座をすると、何を考えたのか幼子を相手に頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました。私が現在この店の主人をしている久倉西明で御座います」
少女も慌てて一礼する。
「どうぞお上がり下さい」
少女は戸惑いながら草履を脱いで、一段高い床板に上がった。
久倉西明と名乗った大人は、着物を吊るしている棒から外して大きな風呂敷と共に少女の元へと丁寧に持ってゆく。
西明は少女の前に座り、少女に着物を見せた。
着物は大振袖で、未婚の女性が着るものだ。
少女には丈も何もかもが大きい、成人女性が着るそれ。
眺めるだけの少女に、西明は柔らかく笑った。
「袖を通してみませんか」
少女は着物から視線を外して西明の面を見る。
その瞳には期待の色。
西明が笑うと、少女の後ろにある鏡面に西明の笑みが写った。
「此方に背を向けて下さい」
少女は少し戸惑った後、背を向けた。
「腕を後ろに伸ばして下さい」
言われた通りに腕を伸ばした少女に、西明は着物の袖を通す。
風呂敷から帯も出し、少女にはあまりにも大きな着物を慣れた手付きで着せてゆく。
床についた袂。
床に綺麗な弧を描き広がった裾。
手の隠れた袖。
帯だけが綺麗な形を作って結ばれている。
「良くお似合いです」
西明はお世辞なのか本心なのかまるで分からない柔和な笑みを浮かべてそう言った。
鏡の中で、少女がはにかむ。
「それは貴女の物です。どうぞ御召しになって下さいませ」
振り返った少女は西明を見た。
立ったままの少女は、座ったままの西明を見下げる形になる。
西明は瞼を閉じて、頭を下げた。
布が擦れる音と、少し重たい物が落ちる音。
無音になるまで待った後、西明は頭を上げた。
そこに少女の姿はない。
ただ人が溶けてなくなった様な形で残された着物と帯が床に落ちている。
「もう良いぞ、薬売り」
先程までの優しい声音ではなく、凛とした声。
襖が開いて、奥から派手な着物に派手な隈取りをした男が現れた。
「バレて、いましたか」
「聞き耳をたてるとは、良い趣味を持ったものだな」
「襖一枚では、聞きたくなくても、聞こえます」
西明は冷めた目線で一別すると、着物を丁寧に畳み始めた。
薬売りと呼ばれた男は帯を手に取り、畳む。
「高価な、物ですね」
「あぁ、呉服屋の夫婦から受け取った品だ。娘が産まれた時に成人用にと設えた物らしい」
畳みながら、それだけを言う。
西明は先程消えた少女が相手だった時とはうって代わり、冷たい印象を受ける。
まるで何も訊いてくれるなと、態度で示すかのように。
薬売りは藤色の紅を塗った唇を小さく笑みの形にしたが、着物を畳んでいる西明は気付かない。
薬売りが畳み終わった帯を西明は感謝の言葉を簡単に述べて受け取り、風呂敷にしまう。
すると西明は立ち上がって、足早に土間に脱いであった下駄を履いた。
「西明は、どうしてこんな事を、するんで?」
背に投げ掛けられた問いに、西明は振り返った。
「訊くのか」
「気になった、もので」
西明は口を開き何かを言おうとしたが、溜め息を吐くだけで文句の台詞を消した。
「呉服屋の娘は、成人してこの着物を着るのを楽しみにしていたのだと」
「まぁ、女性にとっては、晴れの舞台、ですからね」
「なのに十の時、流行り病で亡くなった」
「西明の薬は」
「残念ながら彼らの住居は此処からだいぶ離れた場所だ。そもそも、私のような医者ではない人間が見たところでどうにもならないさ、本当の医者ですら救えなかったのだから」
「成る程」
西明は何かに耐える様に目を閉じた後、続けて話し始めた。
「それから毎年、娘は成人式の日に着物の元に訪れる。しかし夫婦は娘が見えず、着物の端が稀に揺れる現象だけ。そんな時に私の噂を聞き付けてやって来たんだ」
「娘に着せてやってくれ、と?」
「あぁ」
「よく、引き受けましたね」
「気紛れだ」
即座にそう言ってのけた西明に、薬売りは口元だけで笑った。
本心を決して薬売りに見せようとしない西明だが、薬売りには隠し通そうとしている本心が分かっているようだ。
気紛れで、誰が好き好んで商品でもない着物を毎年同じ日に倉から出して綺麗に飾るだろうか。
しかも店の目玉商品だとでも云うかのように。
部が悪くなるとすぐに冷たい言葉を返してこの話は終わりだと態度で示そうとする西明。
薬売りはそれを知っているから、ほくそ笑む。
「いつまで、続けるつもりで?」
今は亡き人を迎え入れ、満足させて帰らせる。
それを毎年繰り返す西明は一寸の間の後、厭きるまで。と返した。
それは西明が厭きるまでなのか、今は亡き少女が厭きるまでなのか、分からない回答方法。
骨董に霊や神が寄り付かないようにと呪いをかけて、霊達からすれば壁の様な存在の暖簾を西明は押して、店を出て倉に向かった。
倉の定位置に置くと、西明は着物を包む袋を一撫でする。
「また来年」
誰に聞かせるでもなく優しく囁くと、西明は何事もなかったかのように倉を後にした。
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