モノノ怪 飽和する世界 | ナノ
塩引
魚屋の娘は身体が弱い為に、定期的に漢方薬を届けるのが習慣だ。
薬を作り終えて、外套と笠を身に着けて家を出る。
吹き荒ぶ風は雪を纏っていて、まるで氷の壁のようだ。
はためく外套の前を手で押さえ、顔にぶつかってくる石つぶてのような雪を笠で防ぐ。
雪掻きで露出していた砂利道はまた白く覆われてしまっていて、歩く度に足が雪に埋まる。
なんてことはない、冬の日常の風景だ。
八百屋の玄関先に飾られている、降雪によってほとんど埋もれてしまっている雪だるまも毎年恒例になっている。
八百屋の子供はやんちゃが過ぎるほど元気なので、毎年決まって二つ、玄関の守人の様に左右に雪だるまが立っているのだ。
尤も、雪が降り始めた頃に雪だるまを作る為、後は降り積もる雪に埋もれていく。
殆ど姿の隠れてしまった雪だるまを眺めた後、魚屋の暖簾を潜り戸口を開けて中に入りすぐに戸を閉めた。
ツンとする磯臭さに天井を見上げると、吊るされている鮭の塩引きがあった。
この時期になると恒例の品だ。
天井からぶら下がっている鮭の乾物は少量ならそうでもないが、埋めつくすほどあると迫力がある。
干からびた鮭の皮が燭台の灯りによって光沢を持つのは、少し異様な光景だ。
「ごめんください」
鼻にくる生臭さを感じながら声をかけると、棚に魚を並べていた体格の良い、熊の様な主人が笑顔を向けてくれた。
「おっ!いらっしゃい西明先生。ようこそお越しくださいました」
「薬を届けにあがりました」
「毎度毎度済みません。おーい!西明先生が来たぞ」
奥から返事が聞こえる。
「届けに来ただけですから」
薬を差し出すが、首を横に振られるだけだった。
受け取ったらすぐに帰ると気付かれてしまっているらしい。
「たいした物は出せませんが、冷えているでしょう、あったかい茶くらい飲んでいって下さい」
好意から言っているのか、定型挨拶として言っているのか。
断るのも申し訳ない、急いで帰る必要もない。
唯一、家にいる犬猿の仲である一人と一匹が少し気がかりだか、私が火種なのだから私が居なければ何も問題は生じないだろう。
「では、お言葉に甘えて」
座敷に上がらせてもらうと娘が茶を運んできて、どうぞと差し出された。
「いつもご迷惑をおかけしています、西明先生」
「なに、こちらはやれる事をしているだけ。それにこうやって茶をいただけているので、私は得しているんですよ」
娘は笑う。
身体が弱い為に引っ込み思案で、人に迷惑をかけて生きていると自己嫌悪をする性質の子だ。
優しいが故に、弱い子なのだ。
だからこそ、庇護欲をそそるのだろう。
尤も、人によっては加虐心もそそられるのだろうが。
「最近寒いですが、如何ですか?」
「西明先生の薬のおかげで、風邪もひいていませんよ」
「それは良かった。何かおかしく感じたらすぐに教えて下さい。駆け付けますから」
「ありがとう御座います」
「頭を下げてはいけませんよ」
礼をしようとするので、制止をかける。
娘は困った様に髪を梳く仕草をして、それから口をもごつかせて、意を決したようにこちらをまっすぐに見つめてくる。
「西明先生と薬売りさんって仲がよろしいですよね」
「悪友ですよ」
「羨ましいです」
「私としては気苦労が絶えませんよ。タダ飯食いですし」
「ふふ」
娘は口元に手を当てて、コロコロと笑う。
「如何なさいました」
「西明先生と薬売りさんって、素敵な関係だなぁと思って」
「罵りあうだけ良いと」
「はい。だって、そんな関係には、そうそうなれませんもの」
そうだろうか。
否、そうかもしれない。
薬売り相手には、他人行儀でもなければ世辞を言うでもない。
気を使う事も無い。
「いつも思っていたのが、確信になりました」
「確信に?」
「はい。西明先生は薬売りさんが来ている時、雰囲気がまろやかと言いますか、和やかになるんです」
「ほぅ」
「今までは夏が好きなのかしらって思っていたんです。でもとても短い、薬売りさんがいらした期間だけですから、なんなのかしらって思ってて」
「貴女とお喋りをするのが好き、とは考えなかったのでしょうか」
「え」
笑みを向ければ、娘は目を見開く。
「わ、私で良ければ……いつでも話に来てください」
「喜んで。貴女も、いつでも私の店に訪ねて下さい。歓迎しますよ」
「嬉しい。ありがとう御座います」
やはりこの子は笑っていた方が可愛い。
結婚をしてもおかしくない娘に言うのもおかしいが、小動物を愛でる様な気持ちにさせられる。
「あぁそうだ。少し待っていて下さい」
「はい」
娘は店先の方へ行ってしまった。
ぬるくなった茶を飲むと、吐く息が白くなる。
やはり屋内と言えど、寒いものだ。
「父さん」
「おぅ、何だ」
襖の向こう、それほど遠くもない店先での会話は座敷まで筒抜けらしい。
私も気を付けなくてはならないな。
「塩引きを一つ貰っても良い?」
「西明先生にか」
「うん」
「じゃあついでに一升瓶も渡せ」
一升瓶?
酒か。
「はい」
足音が近づいてくる。
筒抜けだったのだが、ここは素知らぬ顔をして話を合わせた方が良いだろう。
襖が開いて、冷たい空気と共に娘が戻って来た。
「西明先生」
「何でしょうか」
「塩引きが良い頃合いなので、どうぞ貰って下さい」
「毎年ありがとう御座います。こちらの作る塩引きは何処よりも美味しいと評判なんですよ」
「まぁ、父が喜びます」
毎年塩引きを一つ貰っているのだが、私も好きな品。
娘はどうやら今の言葉をお世辞だと思っているようだ。
お世辞ではなく本当に評判なのだが、ここで更に強調しようものなら嘘っぽくなるだろう。
「ではそれに合うこれも、頂いて下さい」
娘は大きな一升瓶を小さな手で支えながら、机に置く。
中身はやはり、酒か。
「あ、西明先生がお酒を飲まないのは知っています。おかげで急患を見ていただけていますから」
私は飲まないと言い切る程、一滴も飲まない人間ではない。
時折、嗜む程度には飲んでいる。
ただ酒に強くない為に人前で飲まないから、よく下戸だと勘違いされているだけだ。
「でも、食べ物には合う飲み物があるんですよ」
「存じています」
「塩引きにお酒をかけて食べると、味が引き立つって父がよく言うんです」
「しかし塩引きにかける程度なら一升は多くないですかね」
「薬売りさんはお飲みにならないのかしら」
なかなか退かない娘だ。
ここは私が受け取らなければならないのだろう。
「父が気に入っている銘柄です。是非、どうぞ」
「では、お言葉に甘えて」
娘が嬉しそうに笑う。
塩引きも渡されて、帰りの荷物が増えてしまった。
「塩引きとお酒って……」
「どうしました」
「西明先生と薬売りさんみたいですね」
「私が乾物ですか」
「違います!そうじゃなくて、両方が揃うと相乗効果と言うか、二人揃ってこそ更に味が際立つと言うか……」
何を言い出すかと思えば。
私たちはそんな仲ではない。
二人いれば対魔物の力が増すという訳でもない。
揃っていようが単体だろうが、なにも変わらないのだ。
けれど、私はあの男の前でこそ素の自分でいられるのだと自覚している部分はある。
あぁ嫌だ、こんな事をわざわざ考えさせられるなんて。
「冗談のつもりで言っただけです。お気になさらずに。さて、私はそろそろ失礼させていただきます」
「あ、はい。嫌だわ私ったら、話してばかりで」
「そんなことありません。此方としてはまたお相手願いたいところですよ」
「まぁ、西明先生ったら」
「お茶、御馳走様でした。土産までありがとう御座います」
頭を下げて、魚屋を後にする。
手には鮭の塩引きと日本酒一本。
荷としてはなかなか重たい。
しかしそれよりも重たいのは、気だ。
悪い癖だと自覚しているが治らない考え癖。
私と薬売りが周囲にどんな関係と認識されていようと興味はない。
しかし、私にとってあの男は何なのか。
それは考え出すと胸が気持ち悪くなるくらい考えてしまう。
私にとって恋しい人だとか、そう云う甘ったるい存在では無いのは確かだ。
良き友人、だろうか。
だから甘いのか?
しかし友人なら噛まれたり接吻されれば嫌悪感を持つ筈だ。
嫌悪感を持たないのは好いた惚れたの仲になりたいと思っているからか?
……否、今はもう噛まれるのも接吻も馴れただけだ。
だから嫌悪感すらない。
空を見上げる。
大量の雪が降り、音を吸収していくものだから耳が静寂で痛い。
白い息を吐いて、歩みを進める。
雪がキュ、キュ、と音を生むがすぐに雪に吸われて消えてしまう。
一升瓶が重い。
薬売りは、果たして酒を飲むのだろうか。
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