SS
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STOP! 唯、アンナ
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晴天祈願、お断り 天音、葵
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砂糖いっぱいの気遣いを君に 昶、捺希
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親バカお兄ちゃん ノア、マリア
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奇跡の町と猫 天音
※サイト移転前の作品を手直ししたものです。現在とは世界観、設定が若干異なる場合がありますのでIFの話としてご覧ください
▼ STOP!
普段から煙草のにおいが漂う所内に別のにおいが混ざっていた。苦味を覚えるそれとは違う、何かが焦げたようなにおいだった。
「……って、焦げてる!?」
異変に気付いて慌ててモニターから顔を上げる。かれこれ五年以上この環境で暮らしているが、こんなことははじめてだ。
誰のせいか、なんて考えるまでもない。今までなかったことが起きたのだから最近変わったこと、つまり数ヶ月前に押しかけてきたあいつを疑えばいい。
「おい、何やったんだよ!」
においの出所であるキッチンに駆け込み、そう怒鳴りつける。あいつのことだから悪気がないのは重々承知しているが、今の状況で冷静に言葉を選べるほど俺に余裕は残っていなかった。だって何かが焦げているって、場合によってはかなりの大事じゃないか。
しかし俺の不安やら焦りやらとは裏腹に異臭騒ぎの犯人である少女、アンナはいつもと変わらない様子で首を傾げた。
「あ、
唯さん。どうかしました?」
「どうかしました? じゃねえよ! なんだよ、この焦げ臭さ!」
「え? 見てのとおり料理をしようと……」
そう言うアンナの後ろには、フライパンの上で真っ黒な物体Xと化した何かが鎮座していた。これのどこを見て料理だと判断しろというのか。いや、それ以前に――
「
蘇芳にキッチンには立つな、って言われてなかったか?」
いつだったか、同じ居候の青年が大真面目な顔でそんなことを言っていた気がする。あの時はそんなに危なっかしいのかと思った程度だったが、現状を見るにあいつの言葉は正しかったらしい。
「言われましたけど、お世話になっているお礼にたまには何か作ろうかと思って」
「それでこの惨状か」
「ちょっと火が強すぎたみたいです!」
「ちょっと……?」
どう考えてもちょっとなんてレベルじゃないと思う。
ついあからさまに眉を寄せてしまうが、アンナは気にする素振りも見せずに「大丈夫、次はきっとうまく焼いてみせます!」と実に前向きな意気込みを語ってみせる。申し訳ないが不安しかない。あまりにも怖すぎる。
「いや、いい! 気持ちはわかったから大人しくしててくれ!」
「えぇ……?」
「じゃあせめて誰かと一緒に作るとか」
「あ、それいいですね。その方が楽しいですし!」
あいつと同じ意見なのは気に食わないが、身と事務所の安全には変えられない。アンナを一人でキッチンに立たせるのだけは回避しようと駄目元で提案してみると、案外あっさりと受け入れられてしまった。不満一つ漏らさずにこにこ笑っているあたり、誰かと一緒に何かできるのが嬉しいのかもしれない。
お礼に何か作ろうとしてたんじゃねえの? という疑問は、この際気付かなかったふりをしようと思う。
▼ 晴天祈願、お断り
連日のように重たい雲が広がる梅雨の頃。雨に降られながら図書室までやって来た俺を出迎えたのは、いつもとは少しだけ違う景色だった。
「あれ? きのう、こんなのあったかな」
カウンターの窓際にぶら下がる白い塊をつついて思わず呟く。
ゆらゆらと揺れる妙に可愛らしい顔をしたそれは、紛れもなくてるてる坊主だ。あまり自信はないがきのう帰る時はなかったと記憶している。つまり俺より遅く帰った、あるいは既に来ている誰かがやったということになるが、果たしてそんなことをする同僚なんていただろうか。ともすれば俺が一番疑われそうな気がするくらい心当たりがない。
同僚じゃないなら生徒が置いていったとか? なんて首を傾げていると、不意に服を引っ張られる感覚で現実に引き戻された。
「先生、どうしたの?」
「……ああ、
葵くん。おはよう」
すぐ後ろで服を引っ張っていた少年を見て思わず顔が綻ぶ。
太陽の光を集めたみたいな金髪に、空と若葉を映した瞳。とある事情で朝から図書室に顔を出す彼、
花里葵くんは、まさにもうすぐ訪れる夏をそのまま人の形にしたような子だった。……まあ、俺が勝手に言っているだけで本人にはいつも否定されているんだけど。
ともあれ、今日もまた喧騒から離れた僻地まで来た彼は先ほどまで俺が見ていた方向に視線をやると、
「おはよう。……それ、てるてる坊主?」
と、不思議そうにそれを指差した。
「うん。誰かが置いていったみたいなんだよね」
「え。先生が作ったんじゃないの?」
「残念ながら違います」
隠す気もなく意外だと目で訴える葵くんにやっぱりか、と苦笑いが漏れる。俺自身こういう遊び心は嫌いではないしタイミングが合えばやっていた可能性も十分にあるから、そう思われること自体は別に気にならない。でも、だんだん周囲の認識は気になってくる。俺は一体どういう人間だと思われているんだろうか。生憎と俺は仕事に支障が出なければなんでもいい、と思えるタイプではないのだ。
機会があればそれとなく聞いてみようかな。
うっかり真剣に悩み始めかけて、葵くんの視線がどこか不満げなことに気が付いた。
「……雨のままでもいいのに」
どうやら晴天祈願のてるてる坊主が気に入らないらしい。
「葵くんは雨の方が好きなんだ?」
「うん。雨ならみんな傘をさして、オレの目に気が付かないから」
なるほど、そういう理由か。
葵くんの目はいわゆるオッドアイというやつだ。空と若葉の色をしたとても綺麗な目。しかし以前何かあったのか、彼はそのことを甚く気にしていた。
何も気にすることはないのに。
事あるごとに主張はしてみたが彼は頑なに首を振る。たぶんこれは、想像するよりずっと根の深い問題なのだろう。事情を知らない俺が無闇に口を挟んでいい話ではないとも思う。
だから、と言うわけではないけれど。最近になって俺は別の言葉をかけるようになった。
「綺麗だと思うんだけどなぁ、その目」
誰がなんと言おうと葵くんの目は綺麗なものだ。本人はすごく微妙な顔――困惑が一番近い気がする。きっと言われ慣れていないんだろう――をして「……そんなこと言うの先生だけだよ」と言うけれど、もしそうならみんな見る目がない。
……ああ、でも。
「俺だけが君の綺麗な目に気が付いている、って思うとそれはそれで悪くないな」
都合のいい解釈をして優越感に浸るのも悪くない。大真面目にそう呟くと葵くんは元々大きな目をさらに丸くして、
「……そういうこと言うの、どうかと思う」
と、頬を薄ら染めて視線を逸らしてしまった。
一連のやり取りを見ていたのか、室内のどこかから「先生、生徒を口説かないでください」という同僚の突っ込みが聞こえた。
▼ 砂糖いっぱいの気遣いを君に
最後の一文字を書くと同時、おれは机に突っ伏した。
目の前には生徒会に回ってきた仕事の山、山、山。かれこれ数時間に渡る戦いは今ようやく終わりを告げた……気がする。たぶん。それなりに片付けてはいるが、いつの間にか過去の資料なんかも混ざり込んでいたから、実は見逃していた仕事が、なんてことが起こっても不思議ではない。まあ、今はその確認をすることすら億劫なのだけれど。
はあ、と伏せったまま長い息を吐き出す。トントン、と叩くように手に何かがぶつかった。
「お疲れさん」
顔を上げると両手にマグカップを持った
昶が立っていた。途中で消えたと思ったら飲み物を用意していたらしい。
気が利くな、とは思う。それは認めよう。でも昶の場合、単に労うことが目的ではないとおれはよく知っている。だから正直に言わせてもらおう。こいつに遠慮なんて必要ない。
「ありがと。どちらかと言えば仕事手伝って欲しかったけどな」
「あれくらいなら
捺希一人でもいけると思って」
「やりたくなかっただけだろ」
「なんだ、バレてたのか」
「当たり前だろ。何年の付き合いだと思ってんだよ」
文句を言いつつ未だ熱さの残るカップを受け取ると、ここ数年ですっかり馴染んでしまったコーヒーの香りがふわりと鼻孔をくすぐる。ただそれははっきりと甘さも主張していて、思わず眉が寄ったのが自分でもわかった。
一応言っておくが、別にコーヒーの種類に拘りはない。ブラックじゃないと嫌だとは言わないし、甘いのが苦手というわけでもない。ここで問題になるのは「昶がわざわざ甘さを含んだコーヒーを用意した」ことで、幼馴染みとしての勘が嫌な予感を訴えて止まないのだ。
ひとまずカップの中身を覗いてみる。既にミルクが入れてあるのは確実な色味をしていることしかわかりそうにない。
続いて無言のまま昶の方に目を向ける。視線に気付いたあいつはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
断言しよう、確信犯だ。絶対何かある。
「そんなに警戒しなくても、飲めないことはないと思うぜ?」
おれが口を開く前に昶が先手を打ってくる。やっぱり何かしらはあるんじゃねえか!
声に出して突っ込むだけの元気は残っていなくて、代わりにあからさまなくらい怪訝な目線を送ってみる。昶は小さく肩を震わせるばかりで、それ以上何か言う様子はなかった。
はあ、と先ほどとは違う意味合いの溜め息が漏れる。言い方は若干気になるが、昶が言うのだから実際飲めないことはないのだろう。このまま捨てるのはさすがに申し訳ないし、多少味がおかしいくらいなら問題ない、と思いたい。
「飲めそうもない代物だったら一発殴る」
「そこで挑戦するあたりお前って律儀だよな」
「そもそもお前が余計なことしなければよかっただけだろうが」
「はは。それはそうだ」
見守るように隣に腰をおろした昶を横目に口にしたそれは、結論だけ言えば確かに飲めなくはなかった。ただ――
「甘っ!」
甘かった。とにかく甘かった。砂糖とミルクの量がどう考えてもおかしい。適正量を超えている。
「まじで余計なことしたな!? なんだよこれ!」
「何ってほら、疲れた時は甘いものがいいって言うだろ?」
「それにしたって限度があるわ!」
堪らず声を荒げてしまい、どっと疲れが押し寄せてくる。ああ、本当になんてことしてくれるんだ、こいつは。
今日何度目になるかもわからない溜め息をついて再び口に含んだコーヒーは、やっぱり笑えるくらいに甘かった。
▼ 親バカお兄ちゃん
”お兄ちゃん”って魔性の言葉だと思う。
いや、俺が小さい子供好きのアブナイ人だとか変態だとか、そういう話じゃない。断じてない。俺には「家族」はいるけど「きょうだい」はいないから、ちょっとそういう響きに憧れがあるだけだ。
ちらりと隣を歩く赤ずきんに視線を落とす。一回でいいからこの子に呼ばれてみたい、なんて言ったら、やっぱり周りは引くのだろうか。なかなか夢のあるシチュエーションだと思うんだけど。
「……ノア? どうしたの?」
「え? ああ、ごめん。ちょっと考え事!」
不思議そうに俺を見上げる少女に罪悪感を覚えつつ、適当に笑って誤魔化した。大丈夫。罪悪感があるうちは彼女を、マリアを「妹」じゃなくて「家族」として見ていられる。俺の戯言が――惜しい気もするけど――現実になることはない。
そう、思っていたのに。
「あら、兄妹で買い物? 仲がいいのね」
大通りの片隅で、近くの店の呼び込みと思しきお姉さんがにこやかに声をかけてくる。
なんてタイミングだ。無意識に心の声を口にしていたのかと思って、つい足を止めてしまった。もしかすると顔も引きつっていたかもしれない。
「兄妹? わたしとノアのこと?」
俺の動揺なんて知る由もなく、マリアが首を傾げて問う。
「違うの? ずいぶんと似ているからそうだとばっかり」
と、お姉さんが返す。
彼女の言うことはもっともだ。俺もマリアも白い髪に紅い目をしているから、はじめて会った人には確かに兄妹に映るだろう。実際は違うけど。素直な性格をしているマリアも「ちがうよ」と首を振る。そして、
「ノアはね……ぱぱ?」
と、別の爆弾を落としていった。
……素直すぎるのも問題な気がしてきた。これはこれで”アリ”だけど。いや、でも、未成年でぱぱって呼ばれるのはどうなんだ? マリアが小さい頃から面倒を見てきたことを考えると全面否定するのは違う気がする。かといって別の名称があるのかと聞かれたら、それは「家族」としか答えられそうにない。父親だとか兄だとか、そういう存在ではなく俺とマリアは「家族」なのだ。
悶々と頭を抱える俺を他所に、今の発言をただの比喩として捉えたらしいお姉さんは「面倒見のいいお兄さんなのね」と笑う。うん、まあ、そうなるよな。それが普通の反応だ。俺たちの年齢じゃ文字通りに捉えられるわけがない。
「こんなに可愛かったらそりゃ可愛がりますって」
「じゃあ、その可愛い妹さんにアイス、どう?」
「お姉さん、それは卑怯ですよー!」
「うふふ。そういう商売だもの」
どうやら俺は余計なことを言ってしまったらしい。
お姉さんの笑顔と、心なしかキラキラとした目で俺を見るマリア。この二つに囲まれて断るなんてできるはずもなく、十数分後の俺たちはやたらカラフルなアイス片手に店を後にすることとなった。謎の敗北感はあったけれど、
「かわいい……。ありがとう、ノア」
と、普段表情に乏しいマリアがふわりと笑ったから全部許そうと思う。
▼ 奇跡の町と猫
奇跡が起こる町。
巷でそう呼ばれる美潮町ではあるけれど、正直あまり特別感はない。魔法使いが住んでいると言っても普通の人間と見た目は変わらないし、常日頃から不思議な現象を目の当たりにすることもない。どこからどう見ても普通の町だ。
……と、言うのは一般人から見た美潮町の話であって、魔法とは案外身近に存在していたりする。例えばそう。
「アマネ、あれ食べたい。買ってきて」
などと隣で言う黒髪の少年は、俺の家系に何百年単位で仕えている使い魔というやつだ。本来の姿は小さな黒猫なのだが、時々こうして人の姿を取って町を歩き回るのが好きらしい。
「君ねぇ……それが人にものを頼む態度? しかも俺、仮にも君の主人だよ?」
「人間の世界には年功序列、という言葉があるそうじゃないか。それでいったらボクの方が偉いんだから、何も問題ないと思うけど」
「……よくご存知で」
「当たり前じゃないか。ボクはアマネの百倍以上は生きているからね。つまりキミより賢い」
「可愛くないやつだなぁ!」
「好きに言えばいいさ。なんだかんだ言ったってキミはボクのことが大好きだから、最終的には買ってきてくれるんだろう?」
「ぐっ……」
ふふん、と全部見透かした顔で黒猫が言ってくる。本当に可愛くないやつだ。けどまあ、
「……買ってくるから大人しくしててよ」
こうして頷いてしまうあたり、俺はとことん彼に甘い。生まれた時から見守ってくれていたから、いつしかそういう”魔法”にかかったのだろう。だって俺にとって魔法は空気と同義みたいなものだ。
小走りで彼の指定する店舗に向かうと、ちりん、と満足げに鳴る鈴の音が聞こえた。