夕暮れ怪奇譚 | ナノ




暮れ怪奇譚
 
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 感情の形

 朝比奈あさひな探偵事務所でバイトを始めて数週間ほど経つが、端的に言って暇だった。
 一応弁明しておくと決して依頼人が来ないわけではない。むしろ事務所の特性を考えれば多い方だとすら思う。ではどうして暇なのかと言えば、単純に仕事がないからだ。
 高良たからが任された仕事は主に二つで、一つは校内での噂話の収拾。噂話はあまり好きではないのだが、偶然聞いたら教える程度でいいと言うので引き受けた。問題なのはもう一つの方で、それは持ち込まれた相談が〈怪異〉被害なのか幽霊による心霊現象なのか判別するというものだった。

 高良の目には幽霊や妖怪など、普通の人間には見えないものが映る。
 どうやら雪見ゆきみたちのように怪現象に巻き込まれた経験がある人には〈怪異〉――噂話が実体を持った化け物が見えるそうだが、高良が見るのは彼らには見えない、それとは別種のものだ。
 故に、高良にだけ見える何かがあればそれは心霊現象の可能性が高いし、彼らにも見えるなら〈怪異〉か人為的な原因がある。そういう判断をするために自分は雇われた……と、思っていたのだが。
 実際は高良が見るまでもなく判別可能な相談が大半で――そもそも昼間は学校があるため、顔を出す頃にはある程度の調査が終わってしまっているのだ――八尋やひろにも「仕事を頼みたい時だけ呼び出すよ」と言われているのが現状だ。
 やることがないのであれば所長である彼の言葉に従えばいい。
 それはわかっていたが、この日も高良は空のグラスや皿を手に「ありがとうございました!」と、ぎこちない笑顔を振り撒いた。少しずつ夏の気配が近付いてきた、休日の昼下がりのことだった。

「この時間に手伝い入ったのはじめてですけど、昼間からお客さん多いですね」

「まあ、休日だからね。平日ならもっと少ないよ。ひとまず次のお客さん来る前に休憩にしたいから、外の看板変えてきてくれる?」

「わかりました」

 カウンターの向こうにいるかなめから『再開は午後二時からです』と書かれた札を受け取って、扉の外に掛かる『OPEN』の札とそれを入れ替える。これで一旦とはいえ忙しさから解放されると思うと、知らずほっと息が漏れた。
 高良が青い鳥でバイトするようになったのはつい最近、ここの店員だと思っていた人が朝比奈探偵事務所の職員だと知ったことがきっかけだ。
 いつ来ても同じ人しか見かけないし、階を頻繁に行き来している人がいるな、とも思っていた。でもまさか、日頃は五人で両方の経営を行っているなんて想像するはずもない。思わず「……手伝いましょうか?」と声をかけたくなるのも当然だ。

「ありがとう。迂闊に部外者を雇うわけにはいかないから助かるよ」

 ほとんど反射で出た言葉ではあったが、あの時、要はそう言って笑ってくれた。自分のことを同じ側の人間として見てくれた。それがなんだか嬉しくて、仕事がないなら青い鳥でバイトをしよう。と、高良は実にあっさりと心に決めてしまったのだ。もっとも今日に限って言えばバイトはついでで、本来の目的は別にあるのだが。

(八尋さんの方は一段落したのかな……?)

 ぼんやり考えながら店内に戻ると、ちょうど目的の人物が下りてきたところだった。

「おつかれさま、高良くん。待たせてごめんね。ちょっと必要な業務連絡が立て込んじゃってて」

「八尋さんもおつかれさまです。仕事はもう大丈夫なんですか?」

「あとちょっと残ってるけど圭介けいすけくんに任せてきたから大丈夫だよ」

「それ大丈夫って言わないですよね?」

「……まあ、細かいことは気にしないで。それよりもアレ見せてよ」

 高良の指摘は適当に受け流し、カウンター席のど真ん中を陣取った八尋はにこにこと手を差し出した。どうやら残りの仕事を片付けに戻るつもりはないらしい。仮にも所長がこんなことでいいのだろうか。
 漏れそうになった溜め息をぐっと飲み込んで、高良はポケットに忍ばせていたそれを白い手のひらに転がした。

「ありがとう。これが噂の鈴かぁ……中が空っぽな以外は本当に普通なんだね」

〈大鏡の悪魔〉の一件で余計な問題を増やした、例の鈴である。もしもまた何かが起きても困るので仕方なく仕舞い込んでいたのだが、八尋が実物を見たいと言うので引っ張り出して来たのだ。
 指先で摘みあげ、興味深そうに鈴を眺める八尋にそっと声をかける。
 
「何かわかりますか?」

「ううん、全然。鳴らないだけで普通の鈴にしか見えない。何か知りたいことでもあったの?」

「知りたいことというか……持ち歩いても大丈夫な代物なのかな、と思って」

 高良にとって、この鈴は大事なお守りだ。本当にご利益があるのかは知らないが、幼い頃からずっと持ち歩いている大事ものには変わりない。いくら怪現象を引き起こす可能性を秘めていたとしても出来ることなら手放したくはない、というのが本音だった。
 だから怪異について知識を持つ、彼らのお墨付きが欲しかったのだ。持っていても大丈夫だと、そのたった一言が。
 八尋はしばらく思案すると「そうだね、」と口を開いた。

「専門家じゃないから絶対とは言えないけど、たぶん問題ないと思うよ」

「……! 本当ですか?」

「うん。だって鈴が神隠しを起こしたのは君が願ったあの時だけで、それ以外で勝手に鳴ったことはないんでしょ? その性質はそう簡単に変わるものじゃないから、一人の時は逃げる、関わらないを徹底していれば大丈夫だと思うんだよね」

「……神隠し」

 意図せず飛び出した単語を思わず復唱する。
 ――神隠し。
 古来より、人間が忽然と消える現象をそう呼んだ。現代でも行方不明、失踪あるいは誘拐事件をそう呼ぶことはあるが、かつてはその多くが神の仕業だと考えられていたという。特に天狗に攫われたとされる子供は数ヶ月から数年の後に帰ってくる例もあり、なるほど確かに、突然連絡を断った挙句予期せぬ時間に戻って来るという話は似ていなくもない。
 でもまさか、こんな形で聞くことになるなんて。どうしても故郷を思い出してしまう呪いじみた言葉に、高良は知らず眉根を寄せた。

「……高良くん?」

「え? ……ああ、すみません。ええと、なんで神隠しなんですか?」

「ああ、それ? 君たちが突然消えた後、戻って来た頃には思ったより時間が経過していたって言うからさ。神隠しに似てるなぁ、と思って。便宜上そう呼んでいるんだ。何かまずかった?」

「いえ、そんなことは……ただちょっと、急にそんなこと言うから驚いただけで」

「……そう」

 じっと高良の方を見つめる鮮やかな緑は、きっと苦しそうに揺れる目に気が付いているはずだ。それでも八尋は理由を聞かず話を戻した。

「何にしても、君が持ち歩きたいと思うならそれでいいんじゃないかな? ずいぶん大事にしているみたいだし、わざわざ手放す必要はないよ。思い出の品とかならなおさらだ」

「……これ、お守りなんですよね。ご利益があるのかはわかんないですけど」

「へぇ、お守りなんだ。それならちゃんとご利益あると思うよ」

「どういうことですか?」

 不思議そうに首を傾げる高良に、八尋は「よく考えてみて」と指を立てる。

「僕たちが相手にしている〈怪異〉って噂話が実体を持った存在でしょ? それってさ、真偽はともかく”そういう話がある”って大勢の人間に認識され、そこから生まれた恐怖心や畏怖の念、あるいは実在したら――なんて傍迷惑な好奇心が化け物という形でアウトプットされたんじゃないかと思うんだよね。得体の知れない化け物なんて、そういうものの象徴として最適だ」

「はあ。言いたいことはなんとなくわかりますけど……それと鈴がお守りになることになんの関係があるんですか?」

「簡単にまとめると、誰かがそうだと思ったらそれは本物になるための力を得てしまう、っていうのが僕個人の見解でね。つまり高良くんが鈴をお守りだと思い続けていたなら、それは本物として君を守る存在に変化していても不思議じゃないと思うわけですよ。鈴の状態からして、もう何年もお守り扱いしてきたんじゃない?」

「そう、ですね。引っ越す前から持ってるから……八年? もっと前かも」

「ずいぶん長いね。本物になるには十分だ」

 そっと、八尋の手の中に収まる鈴に目をやった。
 長い間大事にし続けたことでなんの変哲もない普通の鈴が本物のお守りに変化した。そう言われてもいまいちピンと来ないが、都市伝説が現実になるような世界だ。曰く付きのモノが怪現象を起こすとも言うし、それくらいあっても不思議じゃない。
 それに今まで何度も怪異に遭遇しながら無事でいられたのだって、単純に運が良かったと思うより「鈴が守ってくれていた」と考えた方が納得がいく。何より――

「……そういう考え方、いいですね」

「でしょ? モノにも心は宿るって言うし、これからも大事にしてあげなよ。きっと君のことを助けてくれるはずだから」

「はい。……また急に異空間に飛ばされるのは勘弁して欲しいですけど」

「そう? いつも大事にしてくれる君の願いを叶えてくれた、って思ったら大抵のことは許せそうじゃない?」

「…………ノーコメントで」

「えぇー?」

 唇を尖らせた八尋から鈴を受け取って、今度はどこに付けておこうかな、と考える。
 鈴が本物に変化していたのか、それともただの考えすぎなのかはわからない。でも、できるだけ肌身離さずにいようとは思う。何があっても、これは大事なお守りだから。

(もう仕舞わないよ)

 一時的にとはいえ暗い箱の中に閉じ込めたことを一人こっそりと詫びて、高良はそっと鈴をポケットの中に仕舞い込んだ。


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