夕暮れ怪奇譚 | ナノ




暮れ怪奇譚
 
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 探偵事務所と水音の怪 04

 女性は困っていた。一週間ほど前からだろうか。ふとした瞬間、水の滴る音が聞こえてくるのだ。
 はじめはただ蛇口が緩んでいるだけかと思ったが、確認してみるとしっかり閉じられている。では、さっきの音はなんだったのだろう? 不思議に思い首を傾げこそしたが、その頃にはなんの音も聞こえなくなっていたこともあり、女性は特に気にすることもなく眠りについた。

 しかし、翌日以降も水の音はどこからともなく聞こえてきた。
 はじめの数日は自宅で気を抜いた瞬間微かに聞こえる程度だったが、日が経つにつれ、それは時間も場所も問わずに鼓膜を叩くようになる。もちろん、どこを確認しても水が滴るようなものはない。次第に大きくなる不気味な音は女性を追い詰めていき、いつしか彼女は眠ることすらままならなくなっていた。

 原因には一つだけ心当たりがあった。水の音が聞こえるようになる数日前、ふらりと立ち寄った海だ。ここ最近で普段と違うことをしたのはそれだけだから、きっとその時に自分では気付かない何かがあったに違いない。
 何か撮っているかもしれないと思い、女性はフォルダに保存された写真の数々を見返した。そして、見つけてしまった。あのずぶ濡れの女性が写る一枚を。
 きっとこの女に呪われたんだ!
 そう結論づけた女性は即座に写真を消去した。しかそれは気付かぬうちに勝手に復元され、何度消しても必ず手元に戻ってきた。
 いよいよ困り果てた女性だったが、つい先日『朝比奈あさひな探偵事務所』の存在を知ることとなる。なんでも同僚の一人がオカルトに詳しい友人から教えてもらったそうだ。
 まさしく最後の砦。藁にも縋る思いで女性は扉を叩き――今に至る。

「守秘義務とかないんですか?」

 事情を聞いた第一声がそれだった。自分から尋ねておいて、とは思うが、一度は喫茶店に追いやっておきながらこうもぺらぺら事情を喋られては気にもなる。
 いやに現実的なことを尋ねる高良たから八尋やひろはけろりとした調子で笑う。

「それはほら。君が話さなきゃ問題ないよ」

「はあ……」

 少し変わってるとはいえ探偵業なんて信用第一だろうに、そんな適当なことを言っていいのだろうか。
 呆れ顔の高良など気にも留めず八尋は続けた。

「とまあ、そんなわけで、どうにかして写真を消せないかって依頼されたんだけどね。それ自体は簡単でも、さすがに詳細もわからないまま処分してはい、終了。ってわけにもいかないから、まずは色々調べてみようと思って。そこへ飛び込んで来たのが君の情報だ」

「写真の人が依頼人の後ろにいた、ってやつですか?」

「そう。それと憑いていたって言い方もかな。元々〈怪異〉よりも心霊現象寄りの事象だとは思っていたから、それで合点がいったよ。君に見えて僕たちには見えていない・・・・・・・・・・・・・・・・――彼女は幽霊を連れて来てしまったんだ、って」

 八尋の見解はこうだ。
 女性は海に立ち寄った際、偶然心霊写真を撮ってしまった。それが原因で海から連れ出された幽霊は彼女に取り憑き、怪現象を引き起こすようになる。自ら滴る海水の音が現実にまで響き、消しても写真が勝手に復元されるというものだ。
 それらが〈怪異〉の仕業ではなく幽霊の仕業だと断定したのは近辺に妙な噂はなく、同時期に死亡事故が起きていたから。恐らくその事故の被害者が件の幽霊だろう、とのことだった。
 なるほど確かに筋は通っている。今にして思えば幽霊の目は強烈な赤色ではなかったから、そういう意味でも彼の推測は正しいだろう。
 でも、何よりも。高良が気になってしまったのは。

「……見えてなくてもオレの言葉、信じてくれるんですね」

 大人はみんな子供の言うことなんて信じない。自分には認知できない事柄ならなおさらだ。
 ……ずっとそう思っていたのに。彼らは自分の言葉を信じてくれる。頭ごなしの否定も、拒絶もしない。
 その慣れない反応が嬉しくて、くすぐったくて。恥ずかしそうに視線を泳がせる高良を微笑ましげに眺め、八尋は言った。

「だって君、嘘をつくようには見えないからね。それに〈怪異〉なんて化け物がいるんだ。幽霊がいたって何も不思議じゃない。そうでしょ?」

「いや、オレに聞かれても」

「それもそうか。まあ、原因が幽霊なら僕たちに出来ることはないから、合点がいったところであんまり意味ないんだけどね」

「あれ? でも、依頼引き受けてましたよね?」

「うん。だからね、今回は専門家に任せようと思って。適材適所ってやつ?」

 喋りながら携帯を取り出すと、八尋がその画面を見せてくる。そこには『守屋もりや怪異鑑定所』という名前と、どこかの雑居ビルらしき写真が表示されていた。話の流れからしてこの鑑定所が専門家ということになるのだろうが――

「……怪異を扱う場所って、どこもこんなに怪しいんですか?」

 つい、率直な感想が漏れた。この探偵事務所も大概だが――主に立て看板のせいだ――あちらはまずもって怪異鑑定所という名前が怪しさを醸し出している。これでは事務所がどこにあったとしても、自分なら絶対に近付こうとは思わないだろう。
 なかなか失礼なことを口走った高良を、しかし八尋はさも愉快だという風に笑い飛ばした。しかも「うん、わかる。わかるよ。見るからに怪しいよねぇ、ここ!」と、しきりに頷かれてしまい、自分のせいではあるが若干引いたのは許して欲しいと思う。
 そんな高良の様子にも本日何回目になるかもわからない溜め息をつく雪見ゆきみにも目もくれず、八尋は残っていたコーヒーを一気に飲み干して、

「君、本当に素直な子だね。気に入ったよ!」

 と、満面の笑みを浮かべた。
 何故だか先ほどとは全く別の寒気がしてきて、逃げ場のないソファの上でどうにか距離をあけようと後ずさる。適当なことを言って部屋から飛び出せばよかったものを、その方法には最後まで気付かないのだから高良は根がお人好しなのだ。

「八尋、お前はもうそれ以上喋るな」

 同じく嫌な予感がしたのだろう。雪見が静止を試みるも無駄に終わり、その言葉は放たれた。

「ねえ、相模さがみくん。よかったらうちでバイトしない?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。バイトと言うと、つまりここで働かないかという誘い。一体、何をどうしたら自分を雇いたいという話になるのだろうか。
 予想だにしなかった言葉にぱちぱちと何度も瞬きを繰り返す高良だったが、先ほどとは比べ物にならないほど深い溜め息が聞こえてはっと我に返った。見ると「やっぱりか」とでも言いたげな顔で雪見が頭を抱えていた。
 なんだか自分のせいで余計な気苦労をかけている気がしてきたが、八尋を無視するわけにもいかない。雪見とは対照的に目の前で実にいい笑顔を浮かべるその人に問いかけた。

「ば、バイトですか?」

「そう、バイト。相模くん、幽霊が見えるんでしょ? 君が協力してくれたら〈怪異〉の判別が早く、かつ正確にできるようになるし、なんなら守屋に頼らなくても処理できる案件が増えると思うんだよね。それに学生なら噂話を聞く機会も多いだろうから、流行り始めた怪異を僕らよりよっぽど早く把握できそうだ」

「意外としっかりした理由があるんですね」

「これで一応所長だし、個人的に気に入ったからって理由だけでバイトは雇えないよ。まあ、君のことを気に入ったのは事実だけど。……それで、どうかな? バイトする気はない? もちろん身の安全は保障する。怖い思いはするかもしれないけど、怪我するようなことは絶対にさせない」

「嫌ならはっきり断ってくれ。流れで頷いて後悔するようなことだけはして欲しくない」

 念を押すように雪見に言われ、考える。
 八尋の言い方からして自分の一番の役目は噂話の真相が〈怪異〉と幽霊、どちらによるものか自らの目で見て判断することだろう。となると必然、様々な怪異を目撃することは避けられない。
 できることなら何も見たくない、関わりたくもないと思う。今思い出しても〈大鏡の悪魔〉の浮かべる殺意で震えそうになるのに、今後何度もそれに晒される可能性があるなんて正直御免だ。もし違っても高確率で別の化け物がいるのではなおさらだ。
 ……でも。あの時鈴に願ったように。ここなら自分にできることがある。疎ましいこの目を必要としてくれる人がいる。それはある意味、何よりも望んだものなのではないだろうか?
 しばらくの沈黙の後、決意を固めるように手を握り高良は答えを出した。

「やります。バイト」

「相模……。それで、いいんだな?」

「はい。すみません、先生。心配してくれてるのはわかってるつもりなんですけど……この目が必要だって言ってくれるなら、オレは協力したいです。だって、それはオレが願ったことだから」

「……俺としてはあの時限りの願いであって欲しかったんだが、相模の決めたことならとやかく言うつもりはないよ。八尋に会わせた時点で遅かれ早かれこうなることはわかっていたからな」

 ああ、だからあの時妙に歯切れが悪かったのかと今さら納得した。教師として自ら教え子を危険に近付ける真似はしたくないが、かと言って友人の頼みを無下にすることもできない。雪見の性格を鑑みるに苦渋の決断だったのではないだろうか。

つかさくんって本当に生きづらそうな性格してるよね」

「お前にだけは言われたくない」

「えぇ? なんか釈然としないんだけど……まあいいか」

 ごほん、と気を取り直すように咳払いを一つ。これまで何度も浮かべていた悪戯っぽいものではなく、優しさの滲む微笑みを浮かべて八尋は手を差し出した。

「そういえば、ちゃんと自己紹介をしていなかったね。僕はここの所長をやらせてもらってる朝比奈八尋。これからよろしくね、高良くん」

「……! よ、よろしくお願いします……!」

 こうやって名前を呼ばれるのは一体いつぶりだろう。友人たちはみんな名字で呼んでくるし、家族とは久しく会話すらしていない。
 驚きでワンテンポ遅れて手を取ると、手のひらからじんわり熱が伝わってくる。その熱がまるで一緒にいることを認めてくれているみたいで、高良の顔にも自然と笑みが浮かんでいた。


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