後輩オクタと先輩寮生主*
人間主

入学早々決闘を挑んだハーツラビュルの新入生が寮長になったことは我がオクタヴィネル寮でもちょっとした騒ぎになった。前任の男は規律を重んじる赤の支配者に相応しくない性格でルールに縛られない型破りな男だったがそれなりに寮生達からは信用も支持も得られていたように思える。
現任の新入生は小さな体躯に似合わずとんでもない実力者だったらしい。

もちろん他寮の人間関係なんて知る由もない為、あくまで外野から見た限りの憶測に過ぎないのだが。しかしながらNRCに選ばれた人間に善性を求めるなんてお門違いもいい所なので

二年になって、新入生が入学してきて、自分は一つ先輩になった。我がオクタヴィネル寮にも人魚や人間の生徒が入ってきて、「悪い」先輩たちは彼らにいかに恩を押し売りして対価を得るか、なんてろくでもないことを考えていたらしく、不幸にも儚い雰囲気の新入生たちが選ばれていた。事前情報で彼とその両隣に侍らせている巨漢の双子が北の海からの人魚族であることは把握済みだ。どこか人間離れした美しい見目からも彼らが人のそれとは一線を画しているのは明らかであったし、彼らが少しばかりぎこちなく組み分けの際に歩いていたのも見ていたので。

だからだったのかもしれない。別に自分がお人好しだとか世話焼きのつもりはなかったが、わざわざ本来のヒレだか水かきを捨てて陸にやってきたのだから誰かしらは多少の慈悲を与えてやるべきだろう、とそう思っただけだ。たとえこの寮の生徒のほとんどが人魚族で人間のこういった考えが理解されないものだったとしても。

「大丈夫か?」

白銀の髪を揺らしながら、ひょこひょこと不格好に歩く後ろ姿にそう声をかけてしまったのは時折通り過ぎる同じ寮生や別寮の生徒が彼の姿を一瞥してはくすくすと笑い、一向に助けてやる様子もなかっただからだった。咄嗟に、目くらましの呪文を口の中で唱えて自分と男に認識阻害魔法を使ったのもその後輩が好奇の視線に晒されているのがなんとなく気に食わなかったから。

「……何です?」

警戒心を隠すアクアマリンの瞳。どうやら用心棒よろしくいつも一緒に過ごしている双子は今日は別行動だったらしい。

「そんな警戒する?足痛いなら靴脱いだ方がいい。」
「陸で靴を脱ぐというのは寝る時くらいだって、勉強しました。」

幼い子供みたいにいかにも優等生らしいことを言った後輩に思わず頬が緩む。馬鹿にしているつもりもなく純粋にかわいいなあ、と思っただけなのだが、それが相手の琴線に触れたらしい。むっと頬を膨らませそうな勢いで不機嫌となった後輩の男は俺を無視してそのまま歩いていこうとする。

「ほんとに無理はだめなんだって、関節とか痛めたら結構大変だからな。」
「っ……放っておいてください。」
「ええ…俺、一応人間だからお前より人の体には詳しいつもりなんだけど、それにお前のソレ筋肉痛だとか靴擦れだろ?魔法薬でなんとでもなるやつだから。」

その言葉に途端、ぱちぱちと大きなネコみたいな目を瞬かせた男がやがて気まずそうに視線を彷徨わせる。どうしてだかこの男は他人からの施しだとか親切を信用しないタチらしい。

「……情報の対価に、何を支払えばいいんです?」
「別に要らないよ、俺人魚じゃないし。ついでにちょっと見せてくれ。ついでに保健室まで連れて行ってやる。」
「さ、流石にそこまでしてもらう訳にはっ」
「ええ、俺こう見えてもお前の先輩だからさ、頼ってくれよ。」

疑い深い顔で男はこちらを見定めていたようだが、やがてどうにでもなれ、と諦めたようだった。

「ん、いい子だな。」

そこまで筋肉があるわけでも腕っぷしに自信があるわけでもないので、マジカルペンで自分の両腕に強化の魔法をかけて、後輩の膝裏と背中に手を回す。ふわり、と持ち上げたらぎょっとしたようにこちらを見つめてきたが、やがて自分達が道行く生徒たちに注目さえされていないことに気が付くと大人しくなった。多感な時期だからそういう他人に注目されるのに抵抗があるのは男も自分も同じだ。

「……何の魔法を使ったんです」
「簡単な目くらましと、ちょっと足が速くなるおまじないだよ。」

魔法が徐々に溶け始めているのか、怠さを訴えてくる腕に力を込め直して、保健室までの道を急いだ。



ランチブレイクに出かけたきり帰ってきていない保険医の代わりに、後輩を適当な椅子に座らせて、革靴を脱がせて、白い靴下に包まれた形のいい足が少し居心地悪そうに揺れる。決して良からぬことを致すつもりはないが、案外しおらしくされるがままだった後輩の姿に驚かなかったと言えばうそになる。まるで野良猫が見知らぬ人間に警戒心を剥き出しにするみたいに、廊下で出会った時は今にも引っかいてそのまま逃げだしそうだったのに、この短時間で信用されたとでもいうのだろうか。

「脱がせるぞ。」

大体イメージはできるのだ。陸で生活を始めて間もない人魚たちは大体ここの重力だとか浮力で軽減されることのない変身薬で縮むか大きくなった自分の身体との折り合いがつかず妙なところに力が入ったり、人間が慣れない水の中で筋肉痛になったり足が吊ったりするのと同じ感覚で。

「ひゃっ…」

ずいぶん可愛らしい声で後輩が驚いた。白い足に触れて、踵と親指の付け根が僅かばかり赤くなっているのを見つける。ついでに靴がちょうど擦れるであろう箇所に靴擦れのあとも。

「痛い?」
「だ、大丈夫です…」

軽く足首を押さえてゆるく動かしてみるが、関節を痛めている様子はなかったのでひとまず安心だ。恐らく慣れない革靴で何度も何度も歩行練習でもしたのだろう。同じようなことをしていた同級生を知っているため何となく親近感が湧いた。

「とりあえず消毒して薬塗っとくけど、今日は一日大人しくしときな。」

染みないタイプの消毒液と、たまたま錬金術の授業で作った軟膏を塗ってやって、ガーゼで処置する。白い透き通るような肌は瑞々しく、太ももとかは触ったらもちもちしてそうだ。ただの憶測だけど。見ているだけでも人魚族は全員つるもちの肌なのは確かだ。

「寝る前にも軟膏使えよ。一応同級生の人魚で治験…じゃねえけど効力も試してるから、大丈夫だと思う。多分市販のやつより回復力も高いはず。まあ、要らなかったら好きにしてくれ。俺は使わないし。」

小瓶に入った夕暮れ色の液状の軟膏は人体につけるのには抵抗がありそうな色だが、日没の紅石という素材を使っているから我慢してほしい。液状になっているのは使った月下草が人肌で萎れてしまうのがそのまま魔法薬の性質に適応されているのだと思う。

「あ、あの……あなたは、」
「あれぇ?アズールぅ?」
「んじゃ、俺部活あるから。」

聞き覚えのある高い声が聞こえて、友人が来たのなら彼も安心だろう、と考えて立ち上がる。何かを言いかけた後輩の男が口を噤んだのもあって、そのまま深く考えずに植物園まで急いだのだった。ゆるくサイエンス部の部活動に参加しているがそろそろ何かしらの作品だかレポートを提出しないと何かしら文句は言われそうだ。いつまでも貴重な植物園の魔法薬の素材を無駄にするな、結果を出せ、とかなんとか。

そのまま部活に向かえば幸いにも担当のクルーウェルはまだ来ていなかった。近くで鍋をかき混ぜていたトレイを見つけて手を振る。サイエンスと称して菓子を作る姿も見慣れたもので、果実を煮詰めた甘ったるい香りに少し胸やけしそうになるのを除けば特に害はないので。

「どうしたゼロ?やけにご機嫌だな。」
「あ、トレイか。いんや?今年の新入生、面白い奴が多いなあって。」
「あぁ……特にお前のとこの寮はあの三人組が目立ってるな。」
「人魚ってみんなイケメンばっかだからびっくりしてる。振り分けポムフィオーレでもおかしくなさそうな顔でさ。」
「水の近い寮の方が過ごしやすいとは思うけどな。」

食べ損ねた昼食の分のパンを取り出して齧ろうとすると湯気の立つジャムをすかさず食パンの上に乗せてくる。

「げ、それイチジクジャムだろ。俺嫌いなんだけど。」
「食わず嫌いはだめだろ。食べてみろって。」
「げーっやだってば」

ほかほかしたパンを渋々齧ると、イチジクの粒粒の触感に顔が歪むが、案外イケる。市販の保存剤やラム酒がドバドバ入っていないから風味も悪くない。

「…どうだ?」
「意外とうまい。てか普通においしい。」
「だろ?まだ煮詰めが足りないから液体っぽいけど。」
「なるほど。でもすごいな、普通にこれ売ってたら買うと思う。流石だな。」

素直に褒めたらトレイは少し表情を緩めておまけと言わんばかりにジャムを追加された。

「ゼロ、他寮の俺が言うことじゃないかもしれないけど、お前が食堂に居るの見たことないんだよ。ちゃんと食べてるか?毎回食パンとリンゴとチップスだけで足りるのか?ミドルスクールの子供じゃないんだから、ちゃんと食べないと午後から腹減るだろ。」
「よく見てんな。一応食堂は時間ずらして利用してる。」
「ならいいけど。」

納得してないと言わんばかりに、それでも深く関われば面倒なことになるとでも思ったのか大人しく引き下がったトレイが、無言でポケットからマフィンやクッキーを差し出してくる。

「腹の足しにはなるだろ。試作品だから感想聞かせてくれ。」
「あー…ありがとな?」

トレイには俺が腹をすかせた可哀そうな子供にでも見えたのだろうか。ほんとに食堂で飯食べたんだけどな……たまたま朝飯兼軽食のつもりで持ってきてたものが残っていただけで。

「んっま、なにこれ。ラズベリー?にしては甘いな。」
「輝石の国のパッションベリー。実家から送られてきたんだ。生で食べるとエグいし酸味が強くて食べられないが砂糖漬けにすると洋菓子の材料に使えるんだ。」
「おおーすげえな。」

可愛らしいピンク色のマフィンをパクついて思わず頬が緩んだ。口の中の水分ごっそり持っていかれて、パサつくけどめちゃくちゃうまい。

「紅茶もあるぞ、色替えの実験をしてたから紫だけど。」
「ん、もらう。……ナニコレ超綺麗じゃん。」

アールグレイの香りに鼻を寄せて、ずずっと啜った。行儀が悪いと咎めるような奴はこの場に居ない。俺がルールだ。

「何でもない日のパーティーもさ、紅茶の色は飴色でなければならない、みたいなルールないならこれしたら?7色の紅茶とか並んでたら楽しそう。」
「いいなあ、それ。」
「やろ。」

呑気に話をしながら、今日も今日とて特にこれといった活動もせずサイエンス部の活動時間も終わりそうだ。まさかそれから毎日のように、件の助けた(ともこちらは認識していない)後輩がコンタクトを試みて来るとは思いもしなかった。



入学してからこの学校に憧れていたんです、ほら、ここってトップクラスの魔法が学べる場所でしょう?先輩の見せてくれた魔法も素晴らしかったです。

あ、あの、ゼロ先輩の所属している部活を聞いてもいいですか?まだどの部活に参加するか悩んでいて。

先輩のそれはネクタイピンというものでしょうか?すみません、つい珍しくて。それはシーグラスですね?珍しい。

示し合わせたように朝の始業前、授業の入っていない空きコマ、昼食後ドリンクを買うためによく利用する購買、ちょっとした空き時間に偶然なのかよく顔を合わせる。でもその内、偶然だと思っていたのが全くの思い違いだったことに気が付いた。おそらくスケジュールを把握されている。いくら鈍くても、この後輩に気に入られたことは明らかだった。

「なあ。」
「はい!ゼロ先輩、どうかしました?」

犬ならぶんぶんと尻尾でも振ってそうな素直に喜色を浮かべた後輩に少し言い淀みそうになるが、ここで躊躇っていては埒が明かない。

「慕ってくれてんのはありがたいけどさ、ほんと俺、君に大したことしてないんだよ。」
「それでも先輩は困っていた僕のために薬まで分けてくださいました。なんと慈悲深い方なんでしょう!僕は感動してしまいました。だから先輩のためになにかお手伝いできることがあればぜひお力になりたいんです。」

若干わざとらしいのも、陸歴の短い人魚だからなのだろうと無理やり納得して、すっかり困ってしまう。本当に何もいらないんだが。

「あー……なら、いつか困ってるやつに同じことしてやってよ。もちろん君の信条に反するならタダじゃなくっていいからさ、目的は将来のためのコネ作りでもなんでもいい。他人への親切ってのはいつか自分に返ってくるもんだよ。」
「……なるほど。」
「うん、君ひとりが難しいなら、いつも一緒にいるお友達を誘ってもいいよ?」

毎日毎日付き纏われて少しばかり辟易していたのもあった。迷惑ってほどじゃないけど、元来他人と関わるのがあまり得意ではないので、こうやって純粋な好意じみた感情を向けられるのはあまり居心地が良くない。

何か思案するみたいに黙り込んでしまった後輩をちらりと見る。男にしては整いすぎた顔立ちと、痩せぎすではないのにどこか儚い雰囲気の後輩はなるほど、人魚と言われたらすんなりと納得できる容姿だ。一体こんな冴えない男のどこに興味が湧いたのか見当もつかないが、慕われて悪い気はしなかった。

まさかこの助言のあと儚い美少年のような見た目の後輩が我が海寮の寮長にまで上り詰めてモストロラウンジなんてしゃれたカフェを経営するようになるとは思いもしなかった。しかもそこで悪徳商法じみた商売を始めるなんて全く持って予想も出来なかったのである。

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