ガラスの靴も似合わない/Floyd
本当にたまたまだった。購買で急遽買出しが必要になったからとアズールに駆り出されて、文句を言いながらも用事を済ませて歩いてたら同級生の生徒が何人か教室から慌てたように逃げ出していて、その教室からひんやりとした冷気が漂っていたから嫌な予感がした。

「私、この世界のおとぎ話って好きじゃないの。」

散らばった教科書をそのままにぼんやりと俺を見つめるゼロの仄暗い瞳にはなにも映っていなかった。途端きゅうっと覚えのない胸の苦しさに首を傾げる。

「だって、王子様と結ばれるのは可愛くて、女の子らしくて、自分とは大違いな生き物でしょう。お姫様は王子様と結ばれて末永く幸せに暮らしましたって、どれもハッピーエンドで締め括られて、そんな終わり方に憧れるなんて馬鹿らしいじゃない。住んでる世界が違う存在に憧れたりなんてしないわ。」

彼女が持っていた本はページを開いたまま床に落ちていて、それは偶然にもモノクロで描かれた美しい人魚の少女は偶然にもグレートセブンの中で海の魔女と対峙したお姫様の肖像だった。王子様と結ばれて幸せになった人魚姫、子供の頃に何度も聞かされた有名な物語がゼロの手元にある。

「私は彼女たちみたいに優しくもないし、美しい声を持っているわけでもない。憧れ、なんて虚しいだけって分かってたのに。」

ボロボロになったゼロのノートにびっしりと書き込まれていた魔法薬の材料、見たこともない言語で書かれた文字列、昨日落書きしたウツボの絵。消さずに残してくれていた。

彼女がこの世界に身一つで迷い込んでから、ずっと一人で努力しているのを見ていた。綺麗な髪の毛をポニーテールで一つに結んで、オーバーサイズの制服を着て、下賎な野郎にナメられないようわざわざ自身がベタと称した先輩の演劇部に入ったことだって知っている。

でもゼロが頑張れば頑張るほど周りには根も葉もない噂が広まっていった。周りのことなんて気にしないって気丈に振る舞っていたゼロが本当は体格の大きな野郎どもに囲まれる度、震えていたことも、聞くに堪えない暴言にこっそり涙を流していたことも、知っていた。ずっと側にいて守ってあげたい、と渇望してもそれを彼女は望まなかった。

日々擦り減っていくゼロを見て何とかしてやりたいと思っていたのに今の今まで何もできなかった。そして起きたのが今日の出来事だった。本当はもっと早く手を差し伸べるべきだったのに俺は何にもこの子を助ける子ができなかった。

「帰りたい、帰りたいの。もう誰とも会いたくない。ひとりぼっちは嫌。」

ぽろぽろと綺麗な瞳からこぼれ落ちる涙は真珠みたいにキラキラしてて、けれど纏うオーラのようなものは黒い。多分、これはブロットなのだと思う。彼女の精神が限界を迎えていると思い知る。

「なんで私だけこんなに嫌な思いばかりしなきゃだめなのよ。あの子より先に在学しているからってなんでもかんでも押し付けてきて。」

監督生がやってくる前にゼロは転入生としてここにやって来た。後で聞いたことだけれど彼女には魔力があって、小エビちゃんと同じ世界からやってきたらしい。それも決して少なくはない量の魔力。うまく磨けばきっと優秀な魔法士になれる素質を持っているだろう、とアズールはこっそり教えてくれた。小エビちゃんは魔力のない女の子で、入学式で騒ぎを起こしてからオンボロ寮を与えられている。一方ゼロが女の子であることは隠されることも無かったが、彼女の年齢が成人を越えていることや元の世界で仕事もしていて自立した女性だったのもあったのかその身元が誰から保証されることもなかったらしい。

「ジェイド、後処理頼んでいい?」
「こんな触るのも反吐が出そうな輩の始末を僕に押し付けるなんて悲しくて涙が出てしまいそうです。しくしく。」
「あーもうはいはい、そう言うのいいから。」
「美味しいところだけ持っていくなんていくらフロイドでもゆるしません。僕も後で行きます。」
「ならラウンジね。あとその返り血ちゃんと拭いとけよ。ゼロちゃんに付けたらジェイドの育ててるキノコ全部燃やすから。」

呼吸は多分してるから生きてる。でも放っておけば死ぬかもしれない。ジェイドが容赦なく叩き込んだ攻撃でたぶん肋骨はイッたんじゃねぇかな。ついでにオレがこいつの急所も踏んだから男としての尊厳もクソもない。それでもだらしなくひゅうひゅうとか細い息をしているだけの黒い布を蹴り上げて、ゼロの待つ教室に。乱れた制服を隠すために着せていた俺のジャケットはブカブカで、彼女が体躯の小さな女の子だと言うことはやっぱり誰が見ても明らかだった。

しゃくり上げて、それでも泣き声を出さず静かに雫を零すゼロの横顔は美しくて、目を奪われてしまいそうになる。殴られてできたであろう赤い痣が痛々しくて、水魔法で浸したハンカチをゼロに渡した。制服のポケットに入っていたそれはアイロンがけもしていないせいでグシャグシャになっていたのを少しだけ後悔した。「だから常日頃から身嗜みは整えておけと言っているんですよ。」脳内のアズールがため息を吐いた。この子にかっこ悪いとこをあんまり見られたくないと思うのは女に惚れた男なら当たり前のことなので。

「ゼロちゃん。今まで出来なかった分たくさん泣いていいよ。でも海が出来るくらい涙流したら人間って干からびちゃうんだっけ。」

ゼロちゃんの小さくて、華奢な背中を摩れば彼女はびくり、と震えた。俺の下手くそな言葉でもへにゃりと笑って、恐る恐る体を預けてくれることに安堵する。自分には気を許してくれる彼女がいじらしい。こんな悪い男にしか頼ることのできないゼロは哀れで、少しだけ仄暗い優越感に満たされる。

「優しいのね、フロイドくん」

ゆるゆると笑ったゼロの綺麗な笑顔は他の雌よりずっと高潔で、頬に残る涙の筋が痛々しかった。

明るくて活発な小エビちゃんとは対照的。ゼロは大人で落ち着いていて、達観した物の考え方をする人だ。俺が一年の終わりに突然この学校に入学してきて、表向きは転入生の扱いを受けている人間の女の子。性別を隠しているような素振りはなかった。

印象的だったのは媚びを売る女だから入学を許されたんだろう、とからかったクラスメイトに向けて容赦なく氷魔法を放って、あの凛とした表情で「あら、ごめんなさい?無礼な男は氷漬けにしていいと思ったの。でも私、女だから許してもらえるかしら?」と微笑んだその表情だった。冷笑にぐっと何かを鷲掴みにされた生徒は少なくない。

それまで目立つことも無かったクラスメイト、ただ整った顔立ちと媚びるようなものでもない落ち着いたアルトの声が心地よくて何となく彼女と被ったクラスはサボることなく受けていた。転入生だ、と説明を受けた割にはこの世界のことを知らなさすぎる彼女は錬金術で何かを作る度に、占星術で占いの結果を知る度に、他にも俺や魔法士にとって当たり前のことを目の当たりにする度、嬉しそうに笑う。

その顔がいつもの澄ました顔よりずっと幼くて、なんとなく同い歳だ、と漠然と思っていたからあまりに大人びた彼女の姿に驚いた。だって、その時は俺も知らなかった。彼女が俺より年上だったなんて。

俺の記憶では今より笑顔を絶やさないクラスメイトだった気がする。

正確な年齢を聞いたことはないけれど話しをするようになってからきっと学校も卒業して一人で生きていけるくらい自立していたくらいの歳なんだろうな、とぼんやりと思っていた。そうでなければあんな自分に自信のある貫禄だとか厄介事に巻き込まれそうになっても煙に巻くような態度はきっとできないだろう。

「ゼロちゃん、ね、とびっきりかわいくなろうよ。オレ、協力するからさ。」

マジカルペンをひとふりしてグシャグシャになっていたゼロの寮服を綺麗にして、小さな巻貝のブローチをつけて、やっぱり似合っている。

「俺なら好きな女の子をお姫さまになんてしてあげない。」

ぱちぱちとびっくりしたみたいな顔のゼロ、勢い余っていってしまった恥ずかしい言葉にじわじわと頬が熱くなっていった。

「魔法使いと駆け落ちってどう?オウジサマとか俺、そんなキラキラしたやつじゃねえからさ、でもゼロちゃんに相応しい男になってみせるよ。」
「もしかして私はフロイド君に口説かれてるの?」
「……そうだって言ったら困る?」

情けない告白だったはずなのに、ゼロは顔を赤くして小さく「それはずるいと思う。」と俯いたのだった。
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