毒ごと食らう君が好きだから/Floyd*
幼馴染攻主(クズ)

小指の爪先くらいの小さな粒状の薬を砕いて、白い粉状になったそれをさらさらと出来上がった料理に振りかける。じんわり液状のそれに溶け込んで、何の変哲もないカレーライスの出来上がり。ふつふつと沸騰してこぽこぽと煮立っている鍋からの湯気を受けながらぼんやりと「三日はカレーも食べれないな」とごちた。このカレーに何の罪もないが嫌いな男が食べたものと同じものを胃の中に入れることさえ躊躇われたので。

それはともかく溶けてしまえばそれは味なんてほとんどわからないのは幸いだった。カレーライスの方はこの地域ではあまり馴染みのない見た目のためそちらで警戒心を持たれる可能性もあったが、たとえ男が腹の中で何を考えたとしても断られない自信があった。

ちらり、と長い足を持て余しているフロイドに視線を向けると、こちらが見つめていたことにすぐさま気が付いて、にぱっと音がしそうなくらい嬉しそうに笑う。

「チョーいい匂い!ん〜?なんだろ。スパイスっぽいけど、あれぇ?!今日は辛い奴なんだぁ!オレ、ゼロくんの料理、どれもおいしくて好きぃ」

甘ったるい声で話かけてくるフロイドが立ち上がって後ろから抱き着いてくる。大人しくされるがまま受け入れる。たくさん具材を入れて、スカラビアの連中が作る者より粘度の高い東洋のアレンジを加えたカレーはどろりとお世辞にもあまりおいしくはなさそうな見た目をしているが、これが意外にもライスと合うことを知っている。

「ならよかった。お前が好きって聞いたからさ、タコを入れてみたんだ。せっかくなら好物を食べさせてやりたくてさ。」
「…、覚えてくれてたんだぁ!だから海の匂いがすんだね、これ」

何も知らない呑気な顔でスプーンを片手に笑っているフロイドに、どきりと心臓が跳ね上がるような気がした。何も悟られることがないように、顔だけはいつも通りを心掛けたが妙なところで鋭いウツボだ。これから一週間、見破られないよう、匂いの強いものを作るべきかもしれない。

内心冷汗を流しながらフロイドがパクリ、と大きな口を開けて、カレーとライスを程よく乗せたスプーンを食んでいるのに嫌悪感と愉悦で唇が歪みそうになるのを堪える。まあ、口の中に入ってしまえばこちらのもので。

他人の作った料理なんて食べられたものじゃない、と常日頃から避けている俺は理解できなかったがそもそも人魚というのはその生まれ育った環境の関係上あまり手作りに嫌悪感を持つものは多くないらしい。フロイドもその一人だったのだろう。

「ん〜!うめ〜!ほんと昔っからゼロくんって料理も出来るし、勉強もできるし、すげえね。」

心の底からそう思っているみたいにニコニコと稚魚のような笑い方に苛立ちを誤魔化すようにタンタンと靴で床を叩く。いらいら、むかむか、変身薬が溶けてどろり、と黒い感情のままこいつを締めあげたくなる。海での力も俺の方が強いがウツボというのは憶病で頭が切れる。でも人間なら?そんな最低なことを考えてぞわぞわした。

俺は、昔からこの男が大嫌いだった。

フロイドリーチと俺は小さなころからずっと一緒だった。ESから進級してこの学園に入学するまで、一度たりとも離れたこともなかった。一般的にこういう関係を幼馴染と呼ぶのだろう。実際、このウツボの双子に纏わりつかれているタコの人魚の男だって当たり前のように彼らを受け入れている。

幼馴染なんてくそ食らえだ。何度狂いそうになったか分からない。クラスでさえこいつが一緒にいた。俺がふ、としたときに、一人になった時に少しこちらの様子を伺うようにしながら決まってフロイドは現れる。当たり前のように隣に座って、テストや翌日に控えるテストに備えて勉強に勤しむ俺を見かけたら「オレもやる気出てきたかも〜!」と突然教科書を引っ張り出してきて、パラパラと読み始める。そんな出来事があった週のテストは決まってフロイドが一位になる。俺は大体次点、ライバルのクラスメイトに負けたらそれより下。
最初は素直に感心して、馬鹿正直にも「すごいな」と思ったことを口に出して手放しに誉めていたが、その度、黄金色の瞳を蕩けさせて心の底から喜んでいるような男に得体の知れない居心地の悪さを感じて、それ以降口に出すことはやめた。

詰まらなさそうに自身の満点のテスト用紙を見下ろすあの瞳にチク、とトゲが刺さったような痛みとすぐさまこみ上げてきた怒り、とんでもない屈辱を受けたような気さえした。

男の存在自体が俺を何もかも否定しているみたいだった。能天気でうざったいと内心見下してさえいた男にずっと負けていたという事実、そしてフロイドに俺は叶わない。でもあいつにとって学校の成績なんて大したものでもなく、価値もないということ。

俺が寝る時間も惜しんで必死に勉強したことも何もかも意味がないとあいつにとったら無価値なのだ。努力を全て馬鹿にされたようだった、じわじわと船の廃油のように漏れ出て来る黒い感情が一気にフロイドに対する嫌悪感に変わっていくのを感じた。どんなに思考を止めても思い浮かぶのは冷めきった目でゼロ点のテスト用紙と見下ろすフロイドの顔と、あの不気味な黄金の瞳。

「気持ち悪い」

気が付けば声が漏れていた。幸いそれは誰かが聞き取れるほど大きなものでもなかったが、自分には聞こえている。はっきりと自覚した。
フロイドが時折俺に向けてくるあの視線を向けてくるたびに苛まれていた妙な感覚は鱗を全て掻きむしりたくなる感覚は男に対する嫌悪感に違いないのだ。

フロイドリーチというクラスメイトがまともにノートを取っているところも、教員の話を聞いているところも見たことがなかった。隣の席になればすいすいと長い尾びれを動かしてやって来て、そのまますやすやと寝息を立て始めるのだからあの男に真面目という言葉が当てはまったことなんて一度もなかった。

なのにテストでは当たり前のように満点を取るか、ゼロ点か。全く持って腹立たしい。俺に見せつけるみたいに、あいつは俺に纏わりついてくる。嫌悪感、いらいらとどうしようもないくらい苛立ちで目の前が赤くなりそうだった。

「見て見て、ゼロくん、今回もオレちょー頑張ったんだぁ。」

何も間違いもない完璧な答案用紙、文字が躍るように汚いことを除けばほぼ模範解答と同じことを書いているフロイドのテストは当たり前のようにA+の評価。だらしのない笑いを浮かべている男に殴りかかりたくなった。無意識の内に自分のテスト用紙を後ろ手で握りしめて、潰していた。フロイドに、ただパラパラと教科書を読んでいただけの男に負けた。ろくに授業も受けないような、何も努力さえしていない奴の方が俺よりも優れていた。すっかり表情が抜け落ちた顔を取り繕うことさえできなかった。

「すごいな、お前は。……天才は何もしなくても結果が出るんだな、ほんと楽で羨ましい限りだよ。」

さあ、とフロイドの青緑の肌がさらに青みを増した。
皮肉のつもりなんてなかった、なんて誤魔化すつもりはない。明確な悪意を持って放った言葉で男を少しでも傷付けることができて霧掛かっていた気分も晴れたような気がした。

しかしすぐさま後悔に苛まれた。一瞬でもそんな最低な考えが浮かんだ自分が、負け惜しみのような情けないことをしたと思って嫌気がさした。やがて責任転嫁するように俺を惨めな存在に仕立て上げたフロイドに明確な殺意を抱いた。このままサメに食われて死ねばいいのに、なんて。

「…っ、う、うん、オレなんもしてねえの。ゼロくんの方が頑張ってたもんね、オレちゃんと知ってるよ?」

酷く傷ついたみたいな顔で、今にも泣きそうな情けない顔は隠せてもいないのに満点のテスト用紙を後ろ手に回したフロイドはそれでもヘラヘラと馬鹿みたいに笑っていた。俺が嫌なら離れてたらよかったのに、フロイドはそれからも俺の隣に居座り続けた。

それから次第に俺はこいつがどこまで寛容で居続けられるのか試すように、突き放すような言動しかとらなかった。できるのならさっさとフロイドが俺を嫌いになって、そのまま消えてくれたらいいのに、ずっとずっと同じことを考えている。

自分が他人よりプライドが高い人魚であることは自覚しているつもりだ。負けることは許されなかった。だから誰にも追随を許さないよう、優秀でいなければならなかった。プライドを守るためでもあったが、努力は欠かさなかったはずだ。なのに、あっさりと俺はフロイドに負けた。

フロイドは俺なんかよりずっと優れている。なのにあいつはヘラヘラと俺に媚びへつらって。体格も恵まれた間違いなく将来の成功が約束されているような優れた雄であるフロイドがそんな態度を取るのが理解できなかった。

市販では流通していない魔法薬を知り合いのツテで取り寄せた時の自分はきっともう狂っていた。十数年の人生でずっと他人に荒らされたプライドはもうどうしようもないくらいにぼろぼろで、きっとどんな形であれ同じようなことをあいつに仕向けようとしていたに違いない。

たとえそれが俺の一生を棒に振るような行為だったとしても、あいつがいるだけで終わっていたようなものなのだから。




「ほんとはねえ、オレ知ってたんだ。ゼロくんがなんか変なの俺に食わせてたって。」
「は、ならなんで」
「ウツボの嗅覚ってねえゼロくんが思うよりずっと発達してんの。それに毎日少しずつ足の感覚鈍くなってんのに気付かねえわけねえじゃん。」

けらけら、おかしくて仕方ないみたいに笑う男の気味の悪さにサメの肌のように自分の体表が粟立つようだった。

「ね、オレ誰にも言わなかったよ。ここ最近は骨が千切れるみたいな痛みで頭がおかしくなりそうだったけど、内緒にしてたからジェイドも知らない。だってゼロくんがオレを試してるんだもん。」

よくよく見ればフロイドの目の下には濃い隈が居座っていたことに今更気が付いた。コンシーラーでは隠しきれない影に同情なんてすることはないが、そこまで身を削っても一言も俺を責め立てない態度がただただ気持ち悪い。

「お前頭おかしいだろ。」
「あはは、そうかもねえ。」

笑う、男が笑う。無邪気に、あの時と、俺が満点のテストを褒めた時と同じ顔で笑っている。

ぞわぞわと海牛が這うような感覚を久方ぶりに思い出して、そこでようやく俺の感じていたのは嫌悪感ではなかったことに気が付いた。
向けられていた恋情に目を背けていた、受け入れたら最後この男に絡めとられると本能が理解していたからだ。俺は怖かった。気持ちの悪い視線が、イカれた男のそれに振り回されるなんてごめんだった。

「ゼロくん、頑張ったオレにご褒美頂戴?」

男らしい大きな手が俺の冷え切った指先を取る。すり、となぞるその手つきに、あまったるい男の声に、何もかもから逃げ出したくなる衝動に駆られて体を仰け反らせようにも動けない。

気が付けば目と鼻の先、どろどろと煮詰めたような黄金の瞳が。
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