04 生まれそこない

エバンズ家滞在二日目の朝、悲鳴のような金切り声で目を覚ました。何事かと寝ぼけ眼に飛び起きると、隣のベッドでもリリーが慌てて目を擦っている。

「ど、どうしたのカーラ?一体なにが……?」
「わ──わ──私じゃないわ。あっちの方から聞こえたと思う……」

カーラがあくびを噛み殺しながらドアを挟んだ廊下の方を指さすと、リリーはさっと顔色を変えた。「もしかして……」と呟き、パジャマのまま飛ぶように部屋を出て行ってしまった。カーラは何がなんだか分からないままリリーを追いかけると、洗面所で小刻みに震える金髪の女の子と、それを必死になだめるリリーがいた。

「な、何なのよ……!信じられない、こんなものをいたずらで置いて。人を怖がらせて楽しいの?」
「チュニー、違うわ!わざとじゃないの。うっかりここに置き忘れただけよ」

そうよね?と焦った様子でリリーが振り返りながらカーラに見せてきたのは、銀色の小さなコンパクトミラーだった。「おうおう、マグルのお嬢さん、驚かせてしまったかな」と鏡は呑気な調子で宣っている。あっ、という顔でカーラが口に手を当てると、リリーは少しだけ表情を和らげてカーラにミラーを手渡した。

「ご、ごめんなさい。驚かせてしまったのね?私が置きっぱなしにしてしまって……本当にごめんなさい」
「うっかり置き忘れたって?いい加減にしてよ!」

ペチュニアは不満が爆発したように顔を真っ赤にして、早口で捲し立てた。カエルの卵やらドラゴンの爪やら、とんでもないもので家中を埋め尽くさないと気が済まないの──極めつきは喋る手鏡──魔法使いって変人ばっかりなのね──パパとママが喜んでいるからって、みんながみんなおかしなものが好きだって思わないでよ──ひとしきり罵ると、ペチュニアはハァハァと息を荒げつつ、思い切り顔を歪めてぎろりとリリーとカーラを睨みつけた。

「チュニー、私の友達にそんな口を──」リリーは険しい顔でペチュニアをいさめる。
「友達ですって?変人の仲間の間違いでしょ!」

ペチュニアはつんと顔を背ける。カーラは自己紹介もできずにこれ以上ないほど最悪な第一印象を植え付けてしまい、情けないやら申し訳ないやらで、ただリリーとペチュニアの言い争いをおろおろと見つめるばかりだった。

「だから──そういう言い方をしないでって──言ってるのに!」リリーは地団駄を踏む。
「本当のことじゃないの。私の前に顔を見せないって言ったわよね?約束を守ってよ!」
「あなたが急に叫んだから私たち、心配したのよ!」
「じゃあ、今後は現れないで!」

ペチュニアはキッとカーラを睨む。カーラは何と言っていいか分からず曖昧に頷き、敵意がないことが伝わりますようと願いながら、ペチュニアにおずおずと話しかけた。

「あの、ごめんね──決して悪気はなかったの。自分で使っているものを、置き忘れて気づかなかっただけなの……でも、もう絶対にないようにするわ」

カーラがぎゅっとコンパクトミラーを握りしめると、ペチュニアは急に表情を変えてなんとも言えない目でミラーを見つめた。一瞬何か言おうとして、しかし結局口を閉じて洗面所から急いで立ち去り、バタンと音を立てて自室に閉じこもってしまった。残された二人は黙って目を見合わせた。リリーが今にも泣きそうな顔をしているので、カーラは慌ててリリーを慰めた。

「本当にごめんなさい──」
「いいの、全然気にしてないわ。私の方こそ鏡を置きっぱなしにしちゃってごめんなさい」
「ううん。せっかく遊びにきてくれたのに、ひどいことを言って……」

リリーはぐすぐすと鼻を鳴らしながらカーラとともに部屋へ戻った。カーラが大丈夫だと言い続けながら二人で着替えたり身支度をしていると、リリーも幾分落ち着いてきて、今度はペチュニアの無礼な態度に腹を立て始めた。カーラはペチュニアとの初対面がめちゃめちゃになってしまったことは残念に思ったけれど、彼女の発言は本当に全く気にしていなかった──相手を傷つけたいがための発言というよりは、リリーにもっと構ってほしいと叫んでいるように感じたからだ。しかしリリーは面と向かって仲良しの友達を非難したことを許せないとぷりぷりしていた。

「まったく、あんな言い方をするなんて信じられないわ」
「ねえ、マグルの鏡ってしゃべったりしないのね──だからペチュニアはあんなに驚いていたの?」

リリーは少し驚いたように「そうよ」と言った。カーラはなんだか新鮮な驚きを感じて「へえぇ」と声を漏らした。

「それじゃあ時計とか、肖像画なんかは?銅像とか?」
「カーラったら。どれもこれもマグルの世界では喋らないわ」リリーは可笑しそうに笑った。
「ええーっ!」カーラは目を丸くする。

じゃ、自分の肖像画を残したりもできないということ?とカーラが聞くと、リリーはその通りよと頷いた。カーラは初めて知る事実に衝撃を受けたが、マルフォイ邸に飾られた数々の口うるさいご先祖の肖像画を思い出し、あんなもの確かにない方が良いかもしれないと思った。

「ちなみに写真も動かないのよ」リリーは部屋に飾られた子供の頃の写真を見せながら言う。
「そうなの?──でも、居間にはなんだか写真みたいな、動く箱があったわよね?」
「ああ、あれはテレビジョンというの。魔法界の写真とは違うけれど、特別な道具を使えばもっと長い時間を閉じ込められるのよ、姿だけじゃなくて声もね」

そういう技術を使って、魔法界の写真をたくさん繋ぎ合わせるように、物語を作ったりするのだとリリーは教えてくれた。カーラにはどんなものかまだピンと来なかったが、マグルの独創性には驚かされた。これまでに読んだ沢山の小説なんかが、まるで目の前で再現されるように見えたらそれはすばらしいだろうなと想像した。

「マグルって面白いことを考えつくのね」カーラはしみじみと言う。
「その世界で育った私からしたら、魔法の方がずうっと面白いしへんてこだわ」リリーはふふっと笑った。

それから二人は気を取り直して、リビングでエバンズ夫妻と朝食をとった後、部屋で宿題を始めた。魔法薬調合キットと材料もいくらか持ってきたので、レポートの内容を強化するのに役立てることができる。未成年の魔法使用制限などホグズミードでは普段気にせず魔法を使っているカーラは、魔法薬の調合がマグル世界で許されているのかどうか自信を持てなかったが、セブルスが言うにはもう何度も調合しているけど何もお咎めはないとのことだったのでひとまず安心していた。ペチュニアやエバンズ夫妻と顔をあまり合わせたくないというセブルスは、昼過ぎになんとリリーの部屋の窓から現れた。

「ねえ、それって泥棒みたいよ」カーラは眉をひそめて嗜めた。
「しかたないだろう。ペチュニアと会えばいつも揉め事になるんだから」

セブルスは全く気にとめていないようだった。二階の窓までどうやって登ったのか聞くと、ちょうどよいところに生垣があるからそこを踏み台にしたというので、カーラは呆れつつも内心感心した。セブルスは昨日と全く同じ服を着ている……ぼろぼろのシャツに大きすぎるスラックスだ。それを見て、カーラは次のクリスマスプレゼントは洋服にしようとこっそり心に決めた。リリーが一階に降りて、遊ぶ約束を取り付けにきた近所の友達の対応をしている間、カーラは調合の準備をしながらセブルスと他愛ない話をしていた。瓶詰めのドラゴンの肝を木製のカッティングボードにあけようとしたその時、大げさな音を立てて部屋のドアが開いた。ペチュニアが憮然とした表情で紅茶とケーキの乗った盆を持ち、そこに立っていた。

カーラの隣に当たり前のように男の子が座っているのを見て、ペチュニアの顔はみるみる歪んでいく。

「またあなたなの──こそこそ忍び込んで!」
「別にお前に会いに来た訳じゃない」

セブルスがあまりに冷たい言い方をするのでカーラは驚いた。カーラはぐらぐらと危なげに揺れる盆をペチュニアの手からさっと取り上げて、階下のエバンズ夫妻に聞こえないようドアを手早く閉めた。

「いい?私の家でもあるの。スピナーズ・エンドに住んでる変わり者の子なんかに、家に入ってほしくないわ!」
「お前に口出しする権利なんてない」セブルスは嘲笑する。
「二人とも、落ち着いて……」カーラはセブルスに目配せして、一度帰った方がいいかもと目線で伝える。「ペチュニア、リリーと私が彼を招いたのよ」
「あなたも、どうせ同類でしょ!」

ペチュニアは息を荒げて、鋭い目でカーラを睨みつける。今やペチュニアの耳は怒りで真っ赤に染まっていた。

「あなたなんか、生まれそこないのくせに!」

生まれそこない──それはカーラが一番言われたくない言葉だった。

幼い頃にマルフォイ邸の暗がりで、ルシウスや継母に生まれそこないだと、穢らわしいマグルから生まれたのがお前の母親だと責められた記憶が奇妙なほど鮮やかに蘇る。床の大理石の細かな柄まではっきりと思い出せる──黒地に純白の亀裂が走る冷たい床石、純金製の孔雀の銅像──いや、頭の中で思い出すのとははっきりと違う。カーラはまさにそこにいた……過去が現実そのものになっていた。軽蔑を隠さずにカーラを「生まれそこないの娘」と呼ぶ二人。細められた冷たい青灰色の瞳がなぜか、恐怖に見開かれたその時、トンネルを光速で逆戻りするかのように、カーラは唐突に現実に引き戻された。はっと気がつくと、カーラは両腕をだらんと下ろし、飲み物やケーキは盆ごと床にぶちまけられていた。

「……い!カーラ!大丈夫か?」

セブルスが目の前にいた。かなり焦った様子でカーラの両肩を掴んでいる。カーラは両頬が濡れていることに気が付いて驚いた──いつのまに涙なんて流していたのだろう。それに、今のは一体なんだったのだろう?ぶるぶると震え出す身体を自分の両腕で抱きしめながら、カーラは混乱のままにセブルスを見上げた。

「セブルス……今のを見た?」
「今のって?」セブルスはカーラが喋ったので、ひどく安心した様子だ。「大丈夫か?突然君の目が虚ろになって──全身の力が抜けたみたいに──こっちの声が何も聞こえてないみたいになって……」

セブルスはまたカーラが気を失わないかが心配で、言葉も途切れ途切れにカーラの目を何度も見やる。カーラは今更ながら、ペチュニアがとっくにいなくなっていることにも気付いた。

「過去の──昔の記憶が急に蘇ったの……。白昼夢のような、だけどもっと現実味があって──何だったのかしら……」
「き──記憶?何の記憶だ?」セブルスは訳が分からず困惑する。
「生まれそこないって、そう言われた時の……記憶が……」

カーラはほとんど独り言のように呟くが、衝撃を受けた様子のセブルスが肩を掴んだまま見つめているのに気付いて、すぐに涙を拭った。ただの夢だったのかもしれない。けれどとても怖かった。そのまま過去に囚われて、今に戻ってこれなくなりそうなほどリアルな……。カーラはひとまずセブルスに心配をかけまいと微笑んでみせたが、頬の筋肉に石化呪文をかけられたかのように、唇が中途半端にぴくりとしただった。

「本当に大丈夫か?何か、病気じゃないか──?」

セブルスはぎこちない手つきでカーラの背中をさすった。温かく、少し乾いた手の感触がカーラの心を少しずつ落ち着かせた。立ったままセブルスにもたれかかると、セブルスは何も言わずカーラの背中をポンポンと叩く。じんわりと胸の内に灯りが灯るように心地よかった。いつの間にか震えもおさまっていた。カーラはセブルスの手を握って身体を離し、もう大丈夫だからと目を見て言った。

「ごめんね、心配かけて」

カーラはしゃがんで、羊皮紙の切れ端を使って割れたティーカップの破片を集める。セブルスは「やめろ、じっとしてろ」と言ってカーラの手から破片と羊皮紙を奪い取った。

「気分はもう悪くないのか?」
「ええ、もう平気。ちょっと動揺しちゃっただけ。多分夢でも見たんだと思う」カーラは苦笑いする。
「そんなものじゃなかったと思うが……」
「ありがとうね、セブルス。ホグズミードに帰ったら、おじさんに聞いてみるわ」

絶対そうしてくれ、心臓が止まるかと思ったとセブルスは呟く。レパロを使えないので、割れてしまった食器は元に戻らない。カーラはセブルスが拾い集めたティーカップのかけらを見て、せっかく用意してくれたのにと申し訳ない気持ちになった。ペチュニアのこともきっと怖がらせてしまったに違いない。ただでさえ変人だと思われているのに──そこまで考えて、割れた食器とケーキが三つずつあることに気が付いた。ペチュニアはセブルスが来ていることを知らなかったはずだ。もしかして……とカーラは思い至り、胸が締め付けられるような思いだった。ペチュニアの方から歩み寄ろうとしてくれたのかもしれなかったのに、そのチャンスをつぶしてしまった。家に帰るまでに機会があったら、ペチュニアにとっておきのハニーデュークスのチョコレートをプレゼントしようと思った。

それから少ししてリリーが部屋に戻った頃にはカーラは落ち着きを取り戻していた。セブルスが気遣わしげにちらちらと見つめてくることには気付いていたが、自分でも何だったのか分からない現象のためにリリーに心配をかけたくなく、何事もなかったかのように振る舞った。それに、ペチュニアがカーラに吐いた言葉をリリーが知れば、それこそ狼狽してしまうだろうと思ったからというのもある。エバンズ夫妻は壊れた食器や無駄になったケーキのことは一切気にせず、カーラに怪我がなかったかとしきりに心配してくれたので、カーラはその優しさがとても嬉しかった。そのあと三人は宿題に取り掛かり、ドラゴンの肝をさまざまな方法で調合に役立てることができるという実技記録つきの素晴らしいレポートを仕上げることができた。

ペチュニアは驚いて部屋に引っ込んでしまったようで、それからお別れの時まで一度も顔を合わせなかった。カーラも「生まれそこない」と言われたことを全く気にしていない訳ではなかったので、残念に思う反面少しほっとしてもいた。三日目と四日目はリリーと一緒に街へ出てショッピングをしたり(マグルの洋服は驚くほどたくさんの種類があってどれも可愛い)、ピクニックをして思い出を作った。ホグズミードに帰る日になって、カーラはエバンズ夫妻とリリーに心からお礼を言い、とろりと甘い大きなチョコレートのお土産をペチュニアに渡してほしいと頼んだ。

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