03 マグルの夏休み

リーマスと仲直りをしてからは、ずっと頭の中を占領していたモヤモヤが晴れたためか、突然夏休みが輝かしいものに感じられるようになった。カーラは勉強の時間以外ではリーマスと一緒にミニ・クィディッチをして遊んだり、ロスメルタに料理を習ったりして楽しく過ごしていた。親友との仲違いという重大な心配事が解消された今、大量の宿題さえそれほど苦ではなくなり、カーラは七月の終わりには魔法史も含めてほとんどのレポートを書き終えてしまっていた。ただしひとつだけ敢えて残しているものがある。魔法薬学の「ドラゴンの肝の活用法と例外」についてのレポート課題だ。リリーとふくろうをやり取りする中で、エバンズ家にお邪魔させてもらえることになったので、魔法薬学は一緒にやろうと約束したのだ。もちろんセブルスにもそのことは手紙で伝えていて、会う時間がありそうならぜひ一緒にと誘っている。

リリーの家族はみなマグルなので、マグル生まれの魔法使いや魔女は別として、純粋な非魔法族とほとんど接したことがないカーラには一抹の不安があった。なにしろ人生の半分以上をマルフォイ家で過ごしたので、マグルは魔法族を迫害したり絶滅させようとする恐ろしい種族だという純血的教育による刷り込みを、まだ完全に拭い去ることができないでいるのだ。マルフォイ家を出てから、ホグズミードやホグワーツでたくさんの魔法使いや魔女と出会う中で、それは偏った思想なのだということを頭では理解できた。けれどマグルが自分から遠い存在であることには変わりなく、彼らのことが話題に上がった時は何故かいつも中世の魔女狩りが頭をかすめるのだった。しかしリリーが言うには両親とも魔法に好意的で、カーラの訪問を心から楽しみにしているとのことだった。マグルがどんなふうに生活しているのか全く想像がつかないカーラにとって、エバンズ家への訪問はかなり刺激的な挑戦であるのと同時に、とても楽しみにしていることでもあった。

一方マグルと全くかけ離れた暮らしをしているのはロジエール家だった。エバンから正式な招待状が届いたので数日前にロジエール家のご夫人主催のガーデンパーティーに行ってきたのだ。いかにも形式ばった貴族趣味のパーティーではあったけれど、その絢爛な庭や調度品の数々は目を奪われるほど素晴らしかった。白を基調とした上品なアーチや大理石のオブジェ、それらを取り囲む赤や白や珍しいマーブル柄の薔薇園、ぴかぴかに磨かれたバイオリンやピアノからひとりでに奏でられる軽快な音楽……きっと何人もの屋敷しもべ妖精が総動員で準備したに違いない。また、ホグワーツで見知った顔をいくつか見つけられたのも嬉しかった。ホストのロジエール夫人やその他の大人たちからはほとんど無視されたものの──おそらく大したことのない家柄だと思われているのだろう──それでもカーラは、お茶や軽食をつまみながらノットやレストレンジ、ザビニらと談笑したり、パーティーに飽きたマルシベールとともに、エバンに自室へ案内してもらったりして楽しんだ。唯一残念だったのはセブルスが来られなかったことだ。あんなに家に帰ることを嫌がっていたので、何がなんでも魔法界に戻るチャンスを逃さないだろうと思っていた。エバン曰く、断りの手紙には特に事情などの説明はなかったらしい。もしかしてご両親から許可が貰えなかったのかもしれないと思うと、カーラはいっそうセブルスが気の毒になった。

家族と上手くいかない辛さはいやというほど分かる。カーラがそこから抜け出すことができたのは運が良かったからだ。四年前に、父のアブラクサス・マルフォイがカーラをホプキンス家に預けることを決めたものの、ルシウスやその母アデラインは最後まで反対していた。きっと、マルフォイ家の恥が外部に漏れるのを恐れたのだろう。父がなぜ息子や妻の反対を押し切ってまで、あまり愛情を持てない娘を外に出そうと思ったのかは分からないが、今ではその決断に心から感謝している。今もマルフォイ家に住んでいたらと考えるだけで気分が悪くなるほど、当時のことはカーラにとって苦々しい記憶だった。

カーラは魔法界から離れているセブルスとリリーをできるだけ喜ばせたいと思い、エバンズ家訪問の前日にハニーデュークスで山ほど菓子を買い込んだ。二人の好みを考えてそれぞれどれにしようかと選ぶのは楽しかった。店主に友達への土産だと話すと、購入したもの以上におまけをたくさん付けてくれたので、店を出る頃にははちきれそうなほど大きな菓子袋を四つも前に抱えていた。

「向こうについたら魔法は使っちゃだめよ──あなたには『臭い』がついてること、忘れないで」
「ええ、分かってるわ」
「本当に一人で大丈夫?夜の騎士バスの車掌に、はっきりと住所を伝えるのよ?」
「大丈夫よロスメルタ。私、もう子どもじゃないんだから」

心配そうに何度も念を押すロスメルタを安心させるように、カーラは力強く言い切った。やっぱり今日はお店を閉めて一緒にご挨拶に行こうかしら、と当日の朝になって言い出すロスメルタを慌てて引き留め、カーラはひとりドラゴン革製のトランクを引いて村を出た。抱えきれないほどのお菓子に魔法薬の調合セット、羊皮紙や羽ペン、数日分の着替え、それにリリーやセブルスが興味を持ちそうな面白い本数冊などが詰め込まれたトランクには軽量化呪文がかけられているので、カーラの細腕でも軽々と持ち上げられるようになっている。村の外れまで歩くと川のほとりに紫色の錆びかけた古い標識が立っていた。カーラはそこで立ち止まり、ハンドバッグから小さなコンパクトミラーを取り出して身だしなみをチェックした──初めて対面するマグルにみっともないと思われたくはないし、リリーのご両親なのでなるべく良い印象を与えたい。ノースリーブの白いサマーニットにテラコッタ色の膝丈プリーツスカートのコーディネートは、かっちりとしつつも可愛らしい印象で気に入っている。いつもは緩やかにウェーブしている髪を今日は真っ直ぐ梳かしてきたので、真夏の陽光を受けていつも以上にプラチナブロンドが輝いていた。「まさに完璧です。お嬢様」「ありがと」鏡からしわがれたお爺さん執事のような声が響き、カーラは軽く返事をする。ゾンコの店主がプレゼントしてくれた試作品のコンパクトミラーは上品な銀色のあしらいが素敵なのに、開くとちょっぴりうるさいのが玉に瑕だ。

カーラは鏡に映る自分の姿に満足して鏡をしまい、杖腕をスッと前に差し出した。途端──心臓が止まるかと思うほどの轟音、激しい砂埃と共に派手な紫色の二階建てのバスが姿を現した。せっかく整えた髪も洋服も埃まみれだ。カーラが巻き上がった砂埃に咳き込んでいると、無愛想な中年男がバスからぬっと顔を出して面倒臭そうに言った。

「夜の騎士バス。行き先は?」
「コ──コークワース州、ミルハンプトン、クレセント通り五番地」

カーラは喘ぎながらもなんとか行き先を伝えた。車掌はそんなことお構いなしとばかりに手を差し出して、「十一シックル」と言った。あまりにもホスピタリティに欠ける対応に内心むっとしつつ、カーラは財布からぴったり銀貨を数えて渡し、巨大なバスに乗り込んだのだった。





* * *





「カーラ!きてくれて嬉しいわ!」
「久しぶりね、リリー!」

カーラはリリーとしっかり抱き合った。リリーの腕のあたたかさと百合の花のような芳香にふんわり包まれ、カーラは嬉しさで胸がいっぱいになった。エバンズ宅のすぐ近くまで送ってもらったので道には迷わなかったが、バスを降りた瞬間の雰囲気がホグズミードとは全く違っていたので少し戸惑っていたのだ。上手く言葉に表すことが難しいけれど、クレセント通りに並ぶ家々の外観だけでなく、周囲の空気感のようなものが魔法界とははっきりと異なっている──味気ないような、整然とし過ぎているような妙な違和感があった。しかし家の前で並んで待ってくれているリリーとそのご両親を見つけた途端、ほっと力が抜けるような安心感が胸の内に広がった。

「まあ、カーラ、砂漠でも旅してきたの?」リリーは身体を離して、目を丸くする。
「バスを呼んだ時に砂埃をかぶっちゃって……綺麗にしたつもりなんだけど、魔法が使えないものだから」

サマーニットの汚れを軽くはたいてくれるリリーに、ばつの悪い思いでカーラは答えた。せっかくきちんとしてきたのにという恥ずかしさで頬を染めながらリリーのご両親を見ると、二人はにっこりと愛おしそうにカーラを見つめて歓迎してくれた。エバンズ氏は金髪で背が高く、すらりとしている。一方エバンズ夫人はリリーにそっくりで、二十年後はきっとこんな感じなのだろうと思われるような美しい女性だった。

「リリーからよく話を聞いているよ。何日でもゆっくり過ごしてほしい」エバンズ氏が目を細めて言った。
「聞いていた通り、とっても可愛い子ね!たくさんお話を聞かせてちょうだいね」エバンズ夫人はカーラをぎゅっと抱きしめる。
「ありがとうございます。カーラ・グレイと申します──どうぞよろしくお願いします」

カーラはどぎまぎしながら、ちょこんと膝を曲げてお辞儀をした。エバンズ夫人はまあ、とちょっと驚いたように目を丸くしたけれどすぐに頬を緩めた。

「そんなにかしこまらなくていいのよ。お洋服も綺麗にしてあげますからね」
「さあ、二人ともお入り。落ち着いたらお茶の時間にしよう」

夫妻はこれ以上ないほど暖かく歓迎してくれたので、カーラはにっこりと微笑んで頷いた。少なくとも、リリーのご両親は昔刷り込まれた典型的なマグル像とはまったく違っている。なぜ純血教育を間に受けて恐れていたのだろうと拍子抜けするほど普通で、そして親切だった。

エバンズ宅はきちんと整えられて清潔で、壁や机には美しい花々が飾られ、どの部屋にも明るい陽が差し込むのでとても居心地がよかった。それにマグルの家といっても思ったよりきてれつではなく、よく分からない複雑そうな道具がそこかしこに置かれていることや、暖炉がないこと以外は三本の箒とそれほど大きな違いはなかった──もちろんエバンズ宅の方がずっと綺麗で新しかったし、片付いていたけれど。リリーの部屋も女の子らしい可愛さがあり、無骨な石造りの建物に慣れているカーラには色鮮やかな壁紙や家具が新鮮だった。

「そういえば、リリーのお姉さんはご不在なの?」

エバンズ夫人の手を借りて身綺麗にしたカーラが、リリーの部屋に荷物を置きながらふとリリーに尋ねると、リリーはなぜか表情を曇らせて口篭った。

「いるんだけれど……あの、とっても人見知りなの。ペチュニアっていうのよ」
「そうなの?でもぜひ会いたいわ。四日間もここに泊めてもらうんだもの、あいさつしなきゃ」
「だめ!」

リリーは突然大きな声を出した。立ち上がりかけていたカーラが驚いて固まると、リリーは「ごめんなさい」と慌てて謝る。

「あのね、あの──気を悪くするかもしれないから、先に言うんだけど──チュニーはあんまり魔法が……好きじゃないの」

リリーはとても言いにくそうに話した。魔法界のことを知る前から、リリーの不思議な力のことをずっと怖がっていたこと。ホグワーツへの入学が決まってからより嫌悪感を激しく示すようになったこと。時々言い淀みながらリリーは「ごめんなさい」と再び謝った。

「どうして謝るの?」カーラは首を傾げる。
「チュニーが何か失礼なことを言ったらいけないと思って……。正直、私達あまりうまくいっていないの。でも、私はきっとまた元に戻れると思っているんだけれど。それでチュニーがスカウトのキャンプに行っている間に、あなたを招待しようと思ったんだけど、仲良しの友達が欠席するからって昨日突然行かないと言い出したのよ」

カーラにはスカウトやキャンプが何か分からなかったが、要するにペチュニアの長期不在を狙ってカーラを招待したのに、予想外にキャンセルになってしまったということだろう。カーラはなんでもないというように肩をすくめた。リリーにはまだ話せていないけれど、カーラはマルフォイ家での陰湿ないじめに何年も耐えてきた。生半可な意地悪では全く動じない自信がある。

「平気よ。ペチュニアが私と会いたくないなら会わないようにするし、何か言われても私にはリリーがいるから気にしないわ」カーラはにっこり笑ってリリーの手を握った。
「カーラ……ありがとう」

リリーは少しだけ目に涙を浮かべ、急いで拭って安心したように微笑んだ。

それからカーラとリリーはエバンズ夫妻と一緒にお茶の時間を楽しんだ。カーラが持ってきた山のようなハニーデュークスのお菓子はもちろんのこと、ご両親にとロスメルタが持たせてくれた美味しい蜂蜜酒やバタービールも三人に大好評だった。特にロスメルタ手製のオーク樽熟成蜂蜜酒は「こんなに美味しいものは飲んだことがない」と夫妻二人とも絶賛し、お茶とお菓子でお腹がたぷたぷになったカーラとリリーが外へ遊びに行くと言った時にも、まだ上機嫌でおしゃべりしながら舌鼓を打っていた。

カーラとリリーは爆発ボンボンをつまみながら近くの公園へ行き、強い陽光を心地よく遮ってくれる木立の中の切り株に腰掛けた。カーラの持ってきた本を二人であれこれ言いながら読んでいると、背後でパキリと枝が折れるような音が聞こえた。リリーがにっこりして「セブ!」と手を振る──カーラが振り向くと、そこには見たことのない奇妙な服を着て固まるセブルスがいた。なんとも言いようのない嬉しさと、可笑しさとが胸の中で合わさって弾けた。

「セブルス!」カーラは駆け寄って思わずハグした。「会いたかったわ!」
「君──カーラ?なぜここに──?」

セブルスは心底驚いたように目を丸くして、身体を離し、リリーとカーラの顔を交互に眺めた。カーラはどうしてそんなに驚くんだろうと思いながらも、セブルスを二人がいた切り株のところにぐいぐい引っ張った。

「ね、見て!本もお菓子もたくさん持ってきたのよ。あなたが来ると思わなかったから、ほとんどはリリーの部屋に置いてきたけれど……」
「どうしてここにいるんだ?僕──君の後ろ姿が──ペチュニアかと思った」セブルスは状況が飲み込めていない。
「どうしてって、手紙を送ったじゃない。リリーのお家に何日か泊めてもらうって」

それでセブルスのことも誘ったでしょう?カーラがそう言うと、セブルスは切り株の横に腰をおろしながら、苦虫を噛み潰したような顔で「見ていない」と呟いた。

「多分……捨てられたのかもしれない。父さんに」
「まあ……」

瞳に影を落としながらため息を吐くセブルスに何と言ってよいか分からず、リリーをちらりと見ると、リリーも眉尻を下げて気遣わしげにセブルスを見るのみだった。カーラは明るい声で「多分、お父様は間違って捨ててしまったのかもしれないわ」とセブルスに声をかけた。

「それに、ラッキーだったわ!約束が伝わっていないのにここで会えたなんて」
「そうよ、セブ。あなたとカーラと三人で会えて嬉しいわ。なかなか学校じゃ話せないから」リリーも元気付けるように言った。

リリーとカーラでセブルスの気分が明るくなるようしばらく励ましていると、セブルスは「そうだな」と少し元気を取り戻し、それからは三人で日刊預言者新聞の一面ニュースや魔法薬の調合法などについて語り合って午後を過ごした。セブルスは袖口が破れた灰色のシャツの下に、たぶたぶのスラックスを無理やりベルトで締めて履いている。一瞬カーラは、そのおかしな格好はマグルの流行なのかと聞きたくて仕方なかったけれど、なんとなく聞かない方がいいかもしれないと思い直して口をつぐんだ。

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