07






「ああ、まずい、まずい!いつもなら、もうとっくに夕食を食べ終わっている時間よ」
「どっかの誰かさんが、寄り道なんかするから」
「……っ、ごもっともです」


飽きもせず憎ったらしい毒を吐き出す彼を横目にエレナは食堂へと直行する。
扉を開けると清潔感のある白いテーブルクロスが掛けられた長机。それに従うように並べられた椅子。そして、もくもくと白い湯気を出す料理たち。

朝と何も変わらない風景。だが、ただ一つ異なる点が。その答えは彼女の視点の先にあった。


「お帰りになられていたのですね、お父様」

彼女の問いかけに返事をすることなく黙々と料理を口に運ぶ男。
この男こそがリューゼル大公国の玉座に座る者。


「今日は街に行ったんですよ。ほら、昔、お父様がよく通われていた洋菓子屋のおじ様から焼き菓子を頂きましたのよ。お父様で分まで頂いたのでよろしければどうぞ」

彼女は大公の元へと駆け寄り、紙袋を差し出す。紙袋を開けると、甘い香りがふわりと広がった。


「…まだ店やっとったんか。あの男は」


死者を連想させるかのような虚ろな目に、絞り出すように出たのは酷く乾いた声。
本当に生きているのか疑ってしまうほど疲弊したものだった。


「今は息子さんと二人でやっていましたよ。どんなことがあっても店を辞めるわけにはいかんって……亡くなった奥さんと約束したんですって」

菓子を眺めながら朗らかな笑顔で語るが、それを聞いていた大公は「そんな阿呆らしい物に自分の人生に縛られよって。ましてや死んだ者との約束を未だに守り続けるなんて何を考えとるんだ」と吐き捨て、そのまま続ける。


「いいか。約束なんて、どちらかの人間が欠けてしまったら、その約束事は成立せんのだ。置いて逝ってしまった時点でもう破られたのも同然だろう」
「そんな言い方__」


あんまりですよ。

心の底からそう叫びたかった。
しかし、とてもそのようなことを口にできる雰囲気でなく、そっと言葉を飲み込むほかなかった。彼女なりの配慮であった。

「同盟だって同じだ。お前も覚えとるだろ。あの日、条約を破って侵攻してきたあの国を」

彼の口調には怒りというよりも憎悪に近いものが含まれていた。彼の口から出た『あの日』とは今から遡ること十五年前に起こった出来事のこと。


***


この世界には“異能”というものが存在する。
人間達は生まれながらにして一人に一つ何かしらの異能を持つ。人々はそれらを賢く使い、今日まで文明を発展し続けてきた。
別に特別なことでも何者でもない。それが世界の理。彼らにとって、異能力が使われるのはごく当たり前のもので、人間が呼吸をする行為と同等に見なしていた。

ただし、リューゼル人を除いては。


リューゼル人は異能力を持つことのない唯一の人種であった。そのことで、しばしば論争になることは少なくなく、彼らについて研究する学者会も存在するほど。
当然、異能力を持つことが当然の世界から見たら、リューゼル人は特殊な存在でしかない。
そしてそれは同時に侵略の対象として最適な存在でもあった。

それが故に周辺国からかけられる圧力は並大抵のものでは無かった。
様々な国からの侵略と迫害の数々。
抗おうと武器を取り、立ち向かおうとするも、異能力という残酷な壁を壊せる者はだれ一人おらず、その度に多くの血が流れた。しかし、暗黒の時代もようやく終わりが訪れ、ロイツ帝国統治時代に彼らは完全に独立を果たした。


リューゼル公国最後の旧宗主国であるロイツ帝国。
実はこの国の皇帝というのが、かなり執念深い男で、独立を果たしたリューゼル公国を再び、傘下に置こうと企てていた。

その当時、リューゼルには畑作の技術は今ほど進歩しておらず、獲れる数も限られていたため、ロマ―ナやマドリットといった外国からの輸入に依存していた。
そこに目を付けた皇帝は、輸入先の国々に対し、作物の輸出を停止するよう話を持ちかけた。

さもなければ、貴国に対する資源の輸出を止める、という、裏の意味も込めて。


政治力、経済力、軍事力が群を抜いて秀でていたロイツ帝国に逆らおうとするなど、国内を崩壊に導くも同然のこと。
諸外国らは、ロイツ帝国の申し出を受諾。自国の為にもそうせざるを得なかったのだ。


生命線である輸送路を断絶されたリューゼルに大飢饉が訪れ、国内は崩壊寸前。
農民から貴族までも身分関係なく、食料不足で苦しみ、当時の大公は周囲の国々に助けを求めが、皆、ロイツ帝国を恐れて、それに応える国はおらず、ますます状況は悪化。

皇帝はこれを狙っていた。
輸送路を制限することで、国内に飢饉を起こさせる。再び支配下に入ることを交換に、輸入制限を解除するというもの。


服従か国の壊滅か。


そんな孤立状態に陥ってしまったリューゼルに救いの手を差し伸べた国こそが、我々国。リューゼルよりも少し西に位置する隣国だ。

長年、様々な国の支配下に置かれていた為、宗主国以外の国と関係を深めることがなかった。それにも関わらず、我々国の当時の総統はロイツ帝国に怯むことなく、彼らに無償で食料を与えたことは大公を驚かせた。

異能力者は自分達を貶める野蛮人の集まりだというリューゼル国民の価値観が覆された瞬間であった。

食料の調達だけでなく、技術の提供や軍事や外交に関する知識までも与え、国の再建だけでなく、発展にも大きく関与した。そのことをきっかけに両国間に友好関係が築かれ、ついには同盟までも結ばれた。


異能を持つ国と持たざる国。
正反対と言える両国であったが、貿易や人の行き来が栄え、国をあげての交流会が実施されるなど両国関係は非常に良好。両国民にとって、異能力の有無など関係なかったのだ。
治世が安定し、誰もが皆、幸福の絶頂にいた頃、事件は起こる。

軍が北東の国境線を越え、その近辺に位置する村々を襲撃するという事件。
田畑を焼き、家を焼き、無抵抗な村人までをも焼く、惨たらしいものであった。
何の前触れもなく行われた侵略行為に大公は心を痛めた。直ちに国境線沿いに軍を派遣し、我々国に対し軍の撤退を求めた。だが彼らは知らないとの一点張り。

同盟国の対応と裏切りに絶望し、我々国に同盟破棄の意を表し、防衛の為の攻撃も厭わないと宣言。
国民に向けては我々国との人や物の流通を禁じ、国境線沿いを治める諸侯達には壁の建築を命じた。国境線に壁を建築し、封じ込めることで我々国及び周辺国との接触を避けよう


何百年にも渡る友好関係が一気に崩れ落ちた瞬間であった。

当時まだ幼かったエレナであったが、周りの大人達の言い様から国の滅亡にかかる一大事だったということを理解していた。


***


「我が国は立派な独立国、にもかかわらず、宗主国のように軍事や外交に干渉しよって。その挙句には......」

握り拳に血管が浮かび上がる。ふつふつと湧き上ってくる怒りを表すかのように。
張り詰めた空気の中、エレナは恐る恐る口を開いた。


「ですが、お父様が総統様と会話されている姿は楽しそうに見えました」

大公は彼女を黙って睨み込んだ。
その圧迫感に怯むことなく彼女は続ける。

「確かに我々国が攻めてきたというのは幼い頃から聞かされており、私も彼らに対し、あまり良い感情は抱いておりません。ですが、時折、思うのです。総統様は......あの方は街の人々と交流をしなさったり、まだ幼かった私にもとても親切にして下さって。とても侵略行為を企てるような方には思えません」

「何を戯けたことを。侵略行為をしたのは確かだ。それに、我が国民の拉致だって我々国の輩がしとったんだぞ!」

机上を叩き付け、声を荒げた。
エレナは反射的に後ずさり、困惑した表情を浮かべる。近くに控えていた使用人達の動きも強張り、張り詰めた空気が流れる。


「次期大公であるお前がそんな考えを持っていたとはな」

目頭に手を当てながら立ち上がると、扉の方へと向かう。


「お父様、今日は何の日だったか覚えていらっしゃいますか?」

足早に食堂を出て行こうとする大公の腕を掴み、恐る恐る問うた。


「知らん」
[......本気で言っているのですか?」
「ふざけているはずなかろうが。オスマン、エレナに厳しく言い聞かせておけ。あの不届き国を擁護するような発言をするな、と。あと、今後このようなことがないように見張りを怠るな」

それだけを告げると、エレナの手を乱雑に振りほどき、扉の向こうへと消えていってしまった。