06






「ちゃんと時間には戻るつもりだったのよ?」

不貞腐れたようにむくれるエレナ。


「だからって嘘つくのはどうかと思うで」

腕組みをし、心底呆れたかのように溜め息をつくオスマン。

「それは悪かったよ。だけど、あんなに強く掴まなくてもいいんじゃないの?」
「そんなもん、あんたが盗人みたいに往生際悪く逃げようとするから」
「ぬ、盗人......!」

彼の例えにエレナは憤慨した。

いくら幼馴染だからって。いくら仲が良いからって、そんな言い方はないんじゃないかしら。
そうよ、親しき中にも礼儀あり。まさにその諺の言う通りよ。

両者の間に火花が散り始める。
だが、それはエレナが一方的に火花を発しているだけであり、オスマンは相手にもしていない様子で余裕綽々な顔色で彼女を見下ろしていた。

「あーあ、エレナと話すとなんか首疲れて仕方ないわ」
「それ、どういう意味」
「どういうことって、エレナと会話する時は首を下に向けなあかんから。あんたが小さすぎるもんで」
「あのね…」

彼の火に油を注ぐような一言で火力はさらにヒートアップ。エレナは拳を作り、彼に一発、くらわせようと試みる。



「まあまあ!お二人とも喧嘩はおやめください」


店主が咄嗟に制止に入る。ほらっと二人の間に割り込むよう現れたのは茶色い紙袋。受け取り、中を開くと、ふわりとバニラの香りが広がる。その正体は教会の鐘に似た形をした茶褐色の焼き菓子だった。


「これは......」

見たことのないお菓子の登場にキョトンとする。

「それは『カヌレ』っていうんです。今回の祭り市場で出そうと考えておりまして」
「カヌレ?」


はじめて聞く名前ね。何かの
茶色い貝型の焼き菓子をまじまじと眺め、疑問符を浮かべるエレナにオスマンが口を開いた。


「ヴァインロート地方の修道院で古くから作られている郷土料理の一つ」
「はぇ......」
「ええ。私の故郷で一般的に有名なのは葡萄酒なのですが、私達にとってはこの菓子の方が身近な物でして」

よくぞご存知で、と店主は目を丸くした。

「公務の関係で訪問した際にそう伺ったものですから」

軽く微笑み、遜った返答する。

「あの、このカヌレは......」
「ああ、お二人へのプレゼントですよ。こんな老いぼれの元へ会いに来てくださったお礼だと思うてください」
「え、そんな受け取れないわ。商品だし......」

咄嗟に返そうとするも、主人は受け取らなかった。

飾り気のない純粋な彼の気持ち。寧ろその思いを断る方が失礼だ。そう判断した彼女は紙袋を大切そうに抱きしめ、

「......ありがとう。おじさんのお菓子、お父様もお母様も大好きって言っていたよ」

そう朗らかな笑みを咲かせ、カランコロンと鐘を鳴らした。

***

「連れ戻さなくていいの?」

石畳の階段を調子よく登る足を止め、後ろを振り返れば、ん?と首を傾げるオスマン。
私の方が上の段にいるというのに、背丈がほぼほぼ変わらない。なんか凄く悔しい。


「どうしてそう思うん」

質問を質問で返されるとは。何てこった。
思わぬ展開に白旗を上げそうになる。


「どうしてって......。マンちゃんは側近だし、私の軽はずみな行動を戒めるのが役目だから?」

宮殿を脱走したことは両手両足の指を使っても数えられないほどある。とはいうものの、脱出劇はオスマンの手によって全て妨げられてしまったんだけど。


「まぁ、それもあるかもしれへんな。だけど今日はちょっと違う理由があってな」
「違う理由?」
「墓参りに行きたくて。それに…エレナもそうするつもりで宮殿を抜け出したんやろ
「......!?」


「ちがう?」と得意げな笑みを浮かべる彼に開いた口が塞がらない。私が城を抜け出した理由。それは彼が言ったことそのものだったから。


「......覚えていてくれたんだね。今日がお母様の命日ってことを」

ギュッと拳を握り締め、唇を噛み締め、彼から視線を離し、うつむく。その瞬間、風が頬を撫でた。春だというのに氷のように冷たい。


「エレナの母さんには、よう世話になったからなあ。ああ、そうだった」

何かを思い出したかのか、オスマンは黒い袋を懐から取り出し、私の手にのせた。ジャリ…と硬貨が触れ合った際にに鳴る様な音がした。


「お金も持たずに街に行くのはあんたくらいだよ」

軽く注意される。大人が子供に言い聞かせるかのように。


「普段からお金なんて持ち歩かないよ。それにだって、私、公女だし」
「勝手な時だけそう言いよって。権力行使や」
「勝手な人で悪うございました。でも、これは一体何に使うの?」
「花代だよ。お供え用の」
「え、でもマンちゃんのお金じゃ」
「エレナなら、あの人が好きだった花とか知っとるかなって」

色素の薄い柔らかな髪がそよ風に揺れる。昔から思っていたけど、何処か不思議な雰囲気があるんだよね、この人。


「ただし────」

人差し指を口元にあて、ニヤリと口元に三日月を描く。

なんなの。一体何を企んでいるというの。何かとんでもない交換条件でも......。

思わず身構えてしまうが、その必要がなかったことを数秒後に悟る。


「自分一人で買うこと。数学の勉強や。お釣りもしっかり計算してな」
「馬鹿にしてるの?」