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コツコツと革靴の音が疎らに廊下に鳴り響く。綺麗に磨かれた乳白色の大理石の床に二人の影が映し出される。

「本日の予定は九時から正午までは言語学。十四時から十七時までは歴史学。御夕食は十八時からとなっております」

エレナの後に続きながら淡々とした口調で今日の予定を伝える。その簡潔な口達で話す姿は宮廷に使える者として相応しいものであった。
だが、エレナにとっては、その度その度にむず痒い感覚に襲われて仕方がなかった。

普段はタメ口で話しかけてくるくせにこの時だけ敬語を使うのだもの。疑問に思ってこの前、彼に尋ねたら『何となく職っぽいから使ってる』と返された。


「九時まであと時間あるけど、どうする?」

先程までの堅苦しい敬語は消え、いつもの口調に戻る。やっぱりこっちの方が落ち着く。

「庭に行こうかな。天気もいいし」
「なら、一緒に行くよ」
「え、あ。いいよ。一人で大丈夫だって庭くらい」
「そんな拒絶されると何気に傷つくんだけど」
「ああ、ええっと!嫌いとかそういう意味じゃなくて、その......」

残念そうな表情にぎゅっと心が締め付けられる。
うっ、心が痛い。湧き上がってくる深い罪悪感。おまけに可愛らしく首をこてんと傾けるものだから、より一層心が痛んで仕方がない。

普通、男の人が女の子みたいな仕草をしたら変な目で見てしまうけど彼は例外。その行為が疎まれることがないだろうし、寧ろその行為自体が似つかわしく思えてしまうのは私だけじゃないはず。


「だ、だってほら!マンちゃん、授業の準備で忙しいだろうし。ただえさえ、エーミールもいないんだし。あとほら、いっつも私に付きっきりで疲れとらんかなぁって。束の間の休息でも取ってほしいと思って!」

普段はエーミールに勉強を教えてもらっているのだが、半年前から仕事の関係で遠くの町へと赴いており、その代理といった形でオスマンが役割を担っている。

昔から博識で勉強家だった彼。
教え方はエーミール同様にわかりやすくて文句無しなのだが、歳が近い人が教師だということに強い違和感が。
エーミールとは比較的歳が離れてる為かそこまで気に留めることはなかったけど、マンちゃんは歳が近いだけでなく幼少の頃から一緒に過ごしてきた、というのも違和感を覚える一つの要因なのかもしれない。

でも、流石に半年も経れば慣れるかと思ったけれど、頭ん中の違和感さんは未だ健在。


「ほんまに?」

しばらくの沈黙の後、真偽を確かめるかのように尋ねてきた。

もちろん、と頷けば途端に朗らかな笑みを浮かべ「最近、寝不足やもんで休みたいって思っとった」と口元に手を当ててふわぁと欠伸をした。

ああ、やっぱり疲れていたんだ……。
きっと側近と教師の二つの仕事を兼任する疲労は想像以上のものなんだろうなあ。

欠伸と共に口から出てきた独特な訛り口調。隣国との国境付近に位置する町の出身である彼は時折、隣国寄りの訛りが出ることが度々。実は言うと、結構気に入っていたりする。


「気持ちはありがたいんやけど......」

どこか気まずい表情で言葉を発するのを躊躇するかのように口籠る。

「どうかしたの?」
「いや、エレナの傍にいて行動するのが俺の役目やからなあって。万が一、何かあったらと思うと......」
「敷地内なんだし、それに私はもう子供じゃないんだから、大丈夫だって!」


安心させるよう笑顔をつくってみせるも、それでもなお、顎に手をあて考え込み始めた。
どうしても納得がいかないって顔だ。
やはり無理か、と諦めかけた途端、滅多に開くことのない彼の細い目が薄っすらと見開いた。

「......たまにはエレナの親切心に甘えようかな」
「本当?!」

自分でも驚くほどの大きな声が出た。その様子を見ていた二、三人の使用人達がクスクスと笑いながら通っていく。

顔に熱味を帯びていく感覚。思わず両手で顔を覆えば、やはり熱くなっていた。


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オスマンは足早に廊下をかけていく後ろ姿を見送った。丁度曲がり角を曲がった瞬間、家政婦長の叱る声。それに呼応するように彼女の悲鳴に近い謝る声が。

元気のいい人達だ、と口元を緩ませる。だが瞬く間に彼の顔から笑顔が消えていく。


「好奇心が旺盛なのは大いに結構。だが......」

発せられた温かみを感じさせない無機質な声。
ゆっくりと瞼が開き、現れたのは翡翠色の瞳。

「断りもなく勝手に街に行かれるのは関心なりませんなあ、公女殿下」

にやりと不敵に笑む彼の横顔に窓から差し込んだ陽の光が当たる。どこか不気味な雰囲気を静かな廊下に漂わせ、彼は踵を返した。