09






「うええ……もう嫌だ。読みたくない」
「そんな下品な声出したらあかんて。ちゃんと姿勢を正してペン持って」


「シャキッとせい」と分厚い辞書で頭を軽く叩かれる。

うわ、なんてことするの。
仮にも私、公女なんですけど。

休憩させて、と藁にもすがる思いで懇願すると渋々承諾してくれた。

「なんか……段々カトリーヌ化してない?」
「そんなことない。第一、性別が違うから」
「そういう問題じゃなくて……」
「はい、次の単元いくで」
「一分も無かったよ?この、鬼畜!悪魔!魔王!」
「勝手に喚いとき」


吐き捨てるかのような冷たい一言と視線。
この人、自分の立場っていうものをわきまえているの?仕える相手が傍若無人な暴君のような王だったら、とっくに首が飛んでいるわよ。

再び地獄のような勉強が始まろうとした時、勢いよく扉が開いた。


「__エレナ様!」


心臓が止まるかと思った。
いくら急ぎと言えどもせめてノックはして欲しい。心の中で文句を零し、不機嫌気味に振り返るとそこには血相を変えた使用人が息を切らして立っていた。


「どうされた」

突然の登場に言葉も出ない私の代わりにオスマンが尋ねるものの、彼は顔面蒼白にしたままで反応を示さない。
肩をカタカタと震わせ呼吸も荒い。目の焦点も定まっておらず、キョロキョロと動き回っている。

どうしちゃったのかしら。普段、落ち着いている彼が取り乱すことなんてよっぽど何か......。

何度目かの問い掛けに、ようやく正気を取り戻すと、落ち着いて聞いてください、と口を切った。


「陛下が────」

喉から絞り出したかのような弱々しい声。
嫌な予感がする。その声に黒い靄が心の内を埋めつくしていった。


***


重圧感を含み厳かに鳴り響く教会の鐘。
神までもその様子を見届けるかのように、雲の隙間から微かな陽の光が差し込む。その柔らかな光がステンドグラスを通し、礼拝堂に安らかな空間を生み出す。

厳粛な雰囲気を漂わせる黒い礼服に身を纏った司祭。聖書を朗読する彼の声に人々は皆、鬱蒼な表情を浮かべている。私もその中の一人。

顔を上げると真っ先に目に入ってくるのは祭壇に安置された白い柩。
その周りを囲むように位置された蝋燭の火がゆらゆらと不安げに揺れる。


***


「────陛下が会議中に倒れて......」


使用人からそう知らされたあの日、耳を疑った。

急いでお父様の部屋へと向かうと、扉の前に数人の使用人たちがおり、中に入れさせてくれなかった。

何度も何度も入れさせてと頼んだけど、みんな黙っているだけで、何も答えてくれない。
答えてくれないことにしびれを切らして、扉を開けようとした途端、誰かに力強くドアノブを握る手をつかまれた。

その正体は仕事で遠出をしていたはずのエーミールだった。

細身の彼からは想像もつかない腕の力に少し驚いたが、そんなことよりもお父様のことで頭の中はいっぱいだった。

「何の真似かわからないけど、お願いよ、離して」

私の問いかけにエーミールは首を横に振り、真っ直ぐな瞳を向けた。その時、こんな風に思った。

この部屋に私は入ってはいけないのだと。見てはいけないのだと。理由はわからない。
ただ彼の瞳がそう物語っている気がして、渋々ドアノブから手を離し、自室へと戻った。


部屋に戻り、ただ呆然と窓の外を眺めていると、鬱蒼とした表情の使用人とお医者様が部屋に入って来て、お父様が死んだことを告げた。


私は思った。これは何かの嘘に違いないと。
だけど、こうして今現実を目の前に突きつけられ、嘘じゃないんだと真実を漸く受け入れることができた。

お母様の死と隣国の裏切り。
立て続けの不幸に精神は擦り減り、会議だの公務の関係で遠征することもあり、身も心も限界を迎えていたのかもしれない。

お父様の葬式は親族及び王室関係者のみで葬られた。国家元首であるにも関わらず大公の死は国民に知らされてない。

あとから聞いた話だが、近年、周辺国から鎖国政策を廃止するよう会談を求める手紙が送られるようになったらしい。会談ならまだいい。中には武力を行使しての開国を要求するものもいたみたい。

どうして周辺国というのは他国に対して過干渉なのかしら。

「持たざる民達の公国」と呼ばれるこの国にとって、異能力を持つ周辺国は脅威でしかない。
もし戦争にでもなったら、この国は破滅へと辿る道を歩むことになるだろう。


急遽、大臣達の会議が開かれ、そこで大公の死は王室の人間と関係者のみに知らされ、国民及び周辺国へ口外せぬよう命じられた。
大公が崩御してしまい、玉座に誰もいない現状況を国民が知ったら更に不安が募るだけだ。
ましてや周辺国の耳に入ったら、何をされるか分からないと判断した結果だった。


大臣達は南都ヴァインロートに住むお父様の弟。アルバート叔父様を新大公として、迎え入れた。叔父様はお父様よりも三つ歳下で、とても優しくて子供好き人で小さな頃からよく可愛がってもらった。


叔父様は両親を失ってしまった私のことを心配し、夕食を共にしたり昼間も一緒に庭をまわったり、図書館に行ったりと気遣ってくれた。
兄弟なだけあってか、本当にそっくりで。昔の元気だった頃のお父様が現れたように感じた。だけど、その優しげな姿が昔のお父様と重なって見えてしまい、胸が痛んでしまう。