戻れない幸福のそとに(上)四部太郎


どうして。なんて言葉は何度も頭の中をぐるぐると回って、彼の名前を呼ぶ声は遂に最後まで私から発せられる事はなかった。

私達は命懸けであの旅を乗り越え、共に戻った仲間だった。そして私は、彼との間に感じていた例えようもない強い絆に一人勝手に舞い上がっていた。
物静かな彼の、深い心の内までわかっていると思い込んでいた。


『聞いたよ、承太郎……遂に彼女、できたんだって』
『あぁ……その話か』
『凄い……淑やかで綺麗な人だって聞いた。承太郎にぴったり…だね…!』
『………別に、淑やかなわけじゃない。あいつは病気で大人しくしてるだけだ』
『そ……っか、そうだね…私、無神経だったな……』


承太郎が彼女を庇う言葉にどきりとして、本当に少しだけ……少しだけ抱いていた意地悪な気持ちを彼に見すかされた気がして、思わず口を紡ぐ。
承太郎とこうして2人で話すのは、初めて承太郎が……病気がちなクラスメイトと付き合い始めた。という噂を聞いた時以来だ。
ふと、彼の側に来たのが随分久しぶりだった事に気付く。
それから、タバコの香りがしなくなった彼がまるで知らない人の様な心地がして、ズンと心の底から体冷えていくのが解る。

優しい承太郎が、恋人のためにしている禁煙の事実に気づいてしまう程に、私達は側にいた筈なのに。
自分が持っている千里眼のスタンドで見た彼と彼女は、恐ろしくお似合いで、承太郎は見た事がないほど優しかった。


『悪い……名前、アイツが嫌がるから。お前とは暫く』
『ごめん……わかってる…!私、邪魔したいわけじゃ、なかったから…!』


絞り出した声は、どうにか震えることもなく明るく響いた。
ジンジン、膿んだ傷が拍動で痛むように苦しい心を見ないふりをする。
もうきっと、私は承太郎に二度と会わないだろう。
幸いな事に、彼と会わない様に努めて傷を癒せるスタンド能力が私にはある。
咽び泣く様に震える喉を抑えながら走って彼の前から消えたあの日、私は17歳の少女だった。












「イケメンは大変だな。世間一般の人間が毎日嫌という程大勢離婚してるっていうのに、わざわざソレがばーんと新聞に載っちゃうんだもんな」


恋人が週刊誌のページを指先でいじりながら、その話題をはじめたのは休日のランチが終わる直前の事だった。
どこにでもいる平凡なOLである自分がその話題にちょっとだけ過剰に反応してしまうのは、その人物が自分のよく知っていた人間だったからだろう。
その精悍な顔立ちが惜しげもなく載った雑誌では、実は博士はメディアに良く出はじめた1年ほど前から離婚していた事。またその事実を隠していた事。下世話にも2人の間に子供がいない事、博士が長期留守にする事が離婚の原因ではないかと好き勝手書かれている。
この最近流行りのイケメン博士。私の高校時代の友人なのよ。なんて自慢もできない程にまだ傷が新しい事実に我ながら笑える。
もう、あれから十数年の月日が流れた筈なのに。
努めて自分は、残り少なかった高校生活を、彼を避ける事に費やした。
自分の持つ千里眼のスタンドで、高校生の間ひっきりなしに彼の様子を覗いては彼を避ける。とは言っても、新しい恋人と一緒に過ごす姿を垣間見てしまう事の方が多く、大学に行き地元を離れてしまってからはもう、彼を覗く事もあまりしなくなって行った。
ポルナレフや、ジョースターさんとも全く連絡を取っていない。彼らは今、元気にしているのだろうか。


恋人と手を繋いで、いつも通る道から少しだけ遠回りをして用事を済ませ家に帰る。
わざわざ平日に……自分の誕生日に2人で休みを取ったのには理由がある。
繋いだ彼の左手の薬指にはまっているものとお揃いの指輪をした自分は今日、彼と入籍するのだ。


「美味しかったね、初めての店だったけど…」
「うん…!また新婚旅行が終わったら一緒に行こうね」


ふんわり笑う彼の優しい雰囲気が大好きで、彼の手を強く握り返す。
やがて着いた市役所で、某結婚雑誌の付録であるピンクの婚姻届けを窓口に照れながら出す。
こういうの、いざ出してみるとやっぱり恥ずかしいね。なんて、こっそりと笑いあう私達を凍りつかせたのは、職員の女性の戸惑った様な声だった。


「あの……名字名前さん……ですよね、住所も、これで、おまちがいないですか?」
「えぇ……はい。そうですよ」


ますます戸惑ったように視線を右往左往させる彼女に、良からぬ事が起きている気がして、どうかしましたか。と少しだけ強めに声をかけると女性は恐る恐る口を開いた。


「えっと……名字名前さんは、既に御結婚されていらっしゃるので、こちらは……受理する事ができません」
「へ………変な事言わないでください…!私正真正銘…結婚なんて…!」


言っている意味がわからなくて、攻め立てるような荒い語気になってしまう事を申し訳なく思いながらも、名前はもう一度確認して欲しい。と口を開こうとした。その時だった。


「名字さん、空条承太郎さんを御存知でしょうか?」
「………………え?」


不意に出たその名前に、名前の頭は思考を停止した。
脳裏に、高校生の頃の、最後に見た承太郎が浮かぶ。
どうして、そこに。今、まさに新しく自分の人生を始めようとする私にその名前が突きつけられるのか意味がわからない。


「名字名前さんは、昨年の今日、空条承太郎さんとこちらに婚姻届けを提出されています」
「そんな…………そんな…筈」


ぞわりと肌が粟立つのがわかった。
周りの音が遠くに聞こえる。
職員の女性がその時の書類の書面をコピーして机の上に並べる。
その字は本当に自分のものと瓜二つで、また彼の文字も、あの頃の彼の文字と全く同じだった。
思わず立ち上がり、走って市役所を後にする。
背後から自分を呼ぶ恋人の声も今はまともに聞こえない。
………怖い。怖い。
私が彼を諦めた。彼を手放したあの日から今まで、彼に何が起きたのか自分には全くわからない。
それがたまらなく怖くなって、切れる息をそのままにアパートに隠れる様に鍵を差し込んで回して固まった。


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