運命の手持ちがない



枯れ葉を乗せた冷たい風が剥き出しの耳を冷やして、思わず自分の耳にそっと手を当てた。
冬の訪れを告げるこの風がせめて科戸の風であればまだ幾分か心が休まるのに。
そんなくだらない事を考えながらその立派な家の前に立つと、久しぶりの訪問と中にいる人のことを考えて名前の喉は小さく上下した。

覆面を取り、恐ろしく久しぶりに引きずり出したよそ行きの上等な黒字に上品な赤の椿の着物に、錆鼠色の羽織。綺麗にまとめ上げた黒髪にはきちんと揃いの大柄の椿の髪飾り。手前味噌だが白粉と少しでも華やかな顔になるかと目元に少しの菖蒲色
少しでも高価な口紅を減らさない様に唇を噛まないよう努めながら、名前はそっと門扉を叩いた。






通された座敷で、その人は酒を傍に横になっている。
来客に布団をしまうでもなく
相変わらずの節くれだった分厚い掌で酒を注ぐと、名前に飲むか。と聞く。

「帰りがありますので」
「泊まって行ってもいいぞ、千寿郎がお前に興味があるらしい」
「槇寿郎様、まずは長らくご挨拶に参れませんでしたことを……」
「そういうのはもう、いい」

畳に綺麗に並べた爪先。紅爪で朱色に染めたその手の剥けた皮を見て、あからさまに顔を顰めた槇寿郎は名前の顔を見るとうんざりといった様子で口を開いた。

「……まだ隠を辞めていなかったのか」
「私にはそれしかありませんので…」
「刀の才能が無い時点で俺は言ったはずだ。
……鬼殺しとは関係のない世界で生きろと」
「………不信な子供を受け入れて下さった槇寿郎様がくれた、私の居場所ですので」
「フン………くだらない」

今でこそ粗暴な人だが、世間知らずの名前を育てのように匿ってくれたのはかつてのこの人だ。
たとえこの人がかつての自分嫌っていたとしても、名前は今のこの人の言葉の全てが本心とは思っていない。

「今年で幾つになった」
「25です。槇寿郎様に拾って頂いてから、もう10年近く経ちます」
「悲惨だな。俺がお前の歳には杏寿郎を抱いていた」

続けて瑠火も…と言いかけて口をつぐんだこの人は、本当にどうしようも無い。

「俺がいい嫁入り先を探してやる。必要なら支度金だって出してやる。隠を辞めて怪我人じゃなくて子供を抱け」
「何から何まで気にかけて頂いて痛み入ります。しかし、私は誰かと一緒になるつもりはありません」
「どうやら隠を辞めてどうするか相談に来たわけではなさそうだな」

何しにきた。と言われると流石に傷付く。

「大変な仕事があったから…恩人に会いに会いたいと思って来るのはいけないことですか?」
「迷惑だ。鬼に関わる人間に彷徨かれると」

のろのろと立ち上がった槇寿郎が、文机から上等な紙束を畳に放り投げる。
祝い事を表すような赤の閉じ紐になんとなく内容は察してしまって、思わず出た表情を槇寿郎は見逃さなかったらしい。

「俺だって武家の人間だ。まだ人の繋がりはある。悪いことは言わないからさっさと嫁に行け」
「……槇寿郎様」
「別に良い人がいるわけでもないだろう。何を頑なに」

どかりと名前の前に腰を下ろした槇寿郎は荒れた名前の女と思えぬ節だった手を掴むと、自分の目線まで持ち上げ「相手にはずっと奉公に出ていたからとでもいうか」と呟く。
その温度だとか
瞳の色や面立ちが誰かとかぶって、無いはずの唇の感触を脳味噌が勝手に反芻し始めて勝手に顔が赤くなる。
不味いと思った時には槇寿郎の顔が引きつっていた。

「お前……まさか俺を…」
「違います!!槇寿郎さんがよく似てるかっ……ら…」

ポカンとした槇寿郎がまた眉をしかめたのが顔を上げなくてもわかる。

「杏寿郎はだめだ」
「分かってます!私分かってます!」

そのひとことが嫌に心に深く刺さって、想像よりもずっと痛い。
とにかく、結婚は誰ともしないのでと小さな声で捲し立てて立ち上がる。
情けない顔を見られたくなくて俯いたまま屋敷を飛び出すと、上等な履物だったことなんてすっかり忘れて走る。







人の多い街に出たところで、ようやく名前はあゆみを止めた。
はたりと新しい煉瓦作りの建前に手をつくと、どうやら今風の商店が並ぶ通りらしく洋装の洒落た婦人や紳士たちが白粉の薫をさせながら行き交っている。
店頭に飾られている高価なガラス窓越しに見える鏡にはすっかりよれた髪型に汗の滲んだ自分が映っていて、その情けなさにため息をついた。

(帰ろう……帰っていつもの服で)

仕事をしよう。と前を向くと、向かいによく目立つ金髪と、桃色。
遠くからでもわかる華やかな二人は杏寿郎と、確か後藤が最高に可愛いと騒いでいた甘露寺という隊士だろう。
パッチリした二重に贅沢に飾られた長い睫毛、豊かな体つきを惜しげもなく晒してフワフワと笑う彼女には女である自分だって見惚れる。

甘露寺さんなら、槇寿郎もいいと言うだろうか。

二人が気付く前に踵を返して、仕事のことを考えた。
昨日暇をもらう前に後藤がぼやいていた終わっていない仕事のことを考えると、自分がまだこの世界にいてもいいような気がしてくる。
胃の腑が重くて、心臓が脈打つと自分芯がぐらぐらして、はやく楽になりたくて。

なんだかこの世で一番下らない存在になった気がする。
槇寿郎の言葉がこびりついて、喉がひりついたそれがまさか嗚咽じゃ無いかと思って強く嚥下する。

人波をかき分けながら、名前はまだ大丈夫と心の中で呟いた



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