ゆるがせど春




「人生において大事なことって私、やっぱり信頼関係だと思うのよ」
「そうですか」
「何をもってその人の事を信用できるかっていうのは人それぞれだと思うけど、けどもよ」
「はぁ…」
「例えばそれが人に対する態度だったり、仕事に対する姿勢だったり交友関係だったりするんでしょうが、それっていきなりそれだけで判断されるってことではなくて、積もり積もったそういう習慣だとかがあって、はじめて総合的にその人を信頼に足る人物かどうか判断できるんだと思うの」
「はい……」
「つまり何が言いたいかっていうとね、後藤君」
「………」
「私はなんにも悪いことはしていないってことよ」


麗かな午後。
相変わらず目が覚めるように美しい産屋敷の庭。日課のトレーニングと称して歩荷顔負けの大量の荷物を背負って腕組みをする名前の隣で、新しく補充される物品項目に目を通しながら確認作業を進めていく後藤は、ウンザリと言った目で名前を見上げた。
数日の急な無断欠勤の朝。何故か隠の点呼に炎柱が現れ
「今日も名前は休みだ!」とだけ言って帰っていった。
名前がいない数日間、隠の間で皆がどれだけ名前の話をしたかしれない。
私生活も名字も、生まれも育ちも誰も知らない、気がついたら鬼殺隊にいたこの中年増の女の出勤の有無をあの炎柱が何故。
ということは、炎柱は名前の家を知っていて尚且つ朝の体調を知り得る仲らしい。

急速に広まった噂は名前の今ひとつパッとしない出自と姿が火に油を注ぎ
専ら隠達の中で話題の二人である。

120キロ超の荷物を背負って飄々と腕なんか組んでしまう上司が、何を気にしているかについてはわかっている。

「随分長々と中身のない話をされてウンザリです」
「う……」
「安心してください、何も言いませんし、みんな……特に女の隠は噂でも少し羨ましいんですよ、凡庸な見た目の女でも柱とお近づきになれる。って」

おおよそ仕事に戻れば急によそよそしく…
かつどこか好奇に満ちた視線にやりきれない。
この間見たもので自分を軽蔑したか…誰かに喋ったか遠巻きに自分に聞きたい。
と言ったところだろう。

「凡庸な見た目って超失礼じゃない?後藤君見たことないじゃん」
「目を見れば分かります」
「うっわ腹立つ。仕事穴開けたお詫びに舶来菓子分けたげようと思ったのに」
「え、ありがとうございます」
「何言ってんのあげないよ!」
「仕事休んで散々迷惑かけたじゃないですか!」
「帳消しだよそんなの!石でも食べてろ!」

口を結ばれた小さな包みをぎゃあぎゃあと奪い合う二人。
あんまり本気で渡そうとしないものだからつい力が入る。

「金平糖は私が一人で食べる!」
「それ!長崎の有名なとこの!」
「後藤君無礼でありがとう!わざわざ取り寄せたから大事に食べるね!」
「なんだそれ!貰うって言ってるだろうが!」

似た背丈同士でわぁわぁと手を伸ばして奪い合う包みが急にひょい手から消えて、空を掴んだ両手に二人とも一瞬混乱して間抜けな顔で空を見る。

「楽しそうだが無理は禁物だ!俺の看病が無駄になる」

ふわりと漂わせた視線の先で、包みはちょこんと。
よく通る声の人物…
煉獄杏寿郎の掌に収まっている。

「はっ…柱!?」

思わず跪こうとする後藤対称的に、名前は荷物を下ろすと気まずそうに手を後ろに回してわざとらしく咳をした。

「おはよう御座います。炎柱」
「朝の挨拶ならもうしただろう、隊服を新調したい。丈を調整してもらえないだろうか」

しょっぱなから放り込まれている聞き捨てならない言葉に名前はどうやらいてもらってもいられなくなったらしく「それでは準備をして参ります」と早口で捲し立てるととっとと走って行ってしまった。

残された杏寿郎と二人。
相手は自分の掌に収まっている小包みを瞬きせずにずっと見つめている。

「君、いいだろうか」
「は…?」
「これは俺がもらってもいいだろうか」
「はッ……はい」

グイと近づく、笑っているのにちっとも笑っていない双眸に
勿論。と後藤がこたえると、杏寿郎のポケットにしまわれるソレを唖然として見つめる。
どうやら自分の上司は本気で柱に言い寄られている。らしい。








シュルリ。
巻尺がしなる音だけが響く小さな座敷は、あの日派手に書類の吹き飛んだ隠れ家に近い名前の仕事部屋だ。
四畳半のその小さな空間。書類の塔の隙間を縫うようにして、堂々と仁王立ちする美丈夫の前で跪くようにして丈を測る。
この仕事につくまで考えたこともなかったが、洋装の採寸とはなんて厄介だろう!
大きく作って、あとは帯で調節…だなんて、天才的な利便性だったと言うのに。
太腿の周りにつけていた巻尺を離しワタリ廻りの大きさを書くと、杏寿郎の後ろに周り頸にそっと零を合わせる。

「なんてこと言うかな……後藤君もいたのに」
「嘘をついたわけじゃやないだろう、何もなかったと君が言い張るとしても男女が三日一緒だったなら、きちんと周りに伝えるべきだ」
「何もなかった…なんて!何もなかったわよ!当たり前に決まってる!キ………口、すいくらい、だもの」
「名前は時々おかしなことを言うな!」
「おかしなこと?」

肩まわり、と覚え書きして、反対側の肩へ巻尺を押し付ける。

「成人した男と女が三晩同じ家で過ごしたのだ!君と俺とは何度も通じあったと思われて間違い無いだろう!」
「本当…声がおおきい!」

言い方が大仰で、聴き慣れない響きが余計に羞恥心を煽ってくる。
ケロリとした当人はきっと確信犯で、名前がいちいち慌てるのを見て楽しんでいるに違いない。

「名前は休んだ日のことを聞かれたら何というつもりなんだ?」
「そうですね……『とても手厚く世話を焼いていただきました。年増のひとり暮らしを大層哀れに思ったんでしょう』とでも」

肩に零を合わせて指先へ。
袖はこのくらいでいいだろう。

「そうか!俺は聞かれれば懸想している女の世話など男として当然の勤めだった。と答える」
「何でそんなに…この、凡庸にとうのたった女に執着されるんですか……私が助けたのは仕事です。嫌な言い方をすれば、私はただつとめをはたしただけです」
「ふむ。名前はあれなのだな!卑屈が過ぎるな!」

はっきりした物言いにグッと喉が詰まる。

「名前」

胸周りを図るべく回した巻尺の数字に集中しようとした名前の体をすっぽりと覆いかぶさる様に熱い腕が捕まえる。
正面から捕まえられて行き場のなくなった鼻はグッと杏寿郎の右肩に埋まってしまった。
名前の肩口にうんと顔を埋めた杏寿郎は慌てて離れようとする名前の抵抗にもびくともしない。

「炎柱…!」
「こうしていたいと思える相手なんだ、君は」

すぐそばで聞こえる。普段の彼からは想像もつかない様な穏やかな声に、急に心臓が痛くなる。

「君が自分を好きじゃないことはよくわかったが、俺の好きなものを否定しないでくれないか」

いやだいやだ。
脳味噌のどこかがこのままでは危険だと鐘を打ち鳴らしてるに違いない。
目の奥が痛くなるほど、頭の中心がシクリと疼く。
ばくりといちいち大きく鳴る心臓は速く逃げるための準備をしているに違いないのに。

馬鹿みたいに巻尺の両端を掴んだまま、熱い体温にただ呆けていた。




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