拙くも狡猾な指紋



ディエゴの家。正確に言えばディエゴを引き取った貴族の屋敷の応接室で、名前は所狭しと飾られているディエゴのレースの盾やトロフィーをしげしげと眺めていた。
この屋敷の主人であり、ディエゴの義父親は名前を見るや否や上機嫌に屋敷に招き入れ、実に自慢気に義息子の今までの栄誉ある功績を語って聞かせてくれた。
名前がこの屋敷に来た目的は一つだ。ディエゴが置いていった、ちょっとした忘れ物を届けに来た。ただそれだけである。
それだって、名前からすれば大して高価な物でもなければ困るような代物でもない空のピルケースで、わざわざこうして相手の家へ届けるまでの物には思えなかったが…。
最初の訪問で娘を投げ飛ばした娘の友人を、何故か両親は大層気に入っていた。
同性と遊ぶこともなく、ましてや男友達などひとりもないのが名前だ。
時折騎手仲間達と下らない話をすることはあれど、彼らはライバルであり友人ではない。
一方ディエゴはいつも当然のように堂々と我が家の門を潜ると、全く遠慮のない素振りで名前と絡んではわぁわぁと騒がしい喧嘩のような問答を繰り広げて帰っていく。
その様がどうして両親には親友に見えるのか実に疑問だが、ここまで来てしまったものは仕方ない。
名前は小さく息を吐くと、ひとしきり息子の自慢をし、貴方にも期待していますよ。と嘘か真かもわからない言葉をかけて消えていった。
騒がしい主人が居なくなれば、応接室はうんと静かになった。
カチカチとロココ調の豪奢な飾りの施された時計が刻む針の音と、遠くでメイドがそっと足音を殺しながら物を運ぶ気配がする。
ふかふかと良く沈むソファーに腰を下ろして、名前は改めて手の中に納まるほど小さな……所々錆びて上手く開かなくなっている四角いピルケースに目を落とした。
それはとても今使われている物には思えない。
名門貴族に引き取られた奴は、いつも来ている物もさりげなく持っている小さな小物でさえ良いものばかりなのはいつも気づいていた。
そんな男とこのピルケースは、どうも上手くつながらない。
ソファーの背もたれに寄りかかりながらふと天井を見上げる。
そこにも細やかなタッチの色とりどりの花々が描かれていて、なんと細部までこだわって作られた屋敷だろう。と1人感嘆の息を漏らしていたその時、ズカズカと一際大きな足音が名前の耳に届いた。
やがて、強く扉を開く音がして、名前が待っていた人物が姿をあらわす。


「……珍しいじゃないか。俺を訪ねてくるだなんて」
「別に喜んできたわけじゃない。用事を済ませに来ただけだ。それだってすぐ終わる」
「用事……?」


未だ乗馬用の服を着たままのディエゴは、一応屋敷の主……自分の義父に遠慮しているのか、ふかふかとしたペルシャ製の絨毯の上には上がって来ようとしない。
名前は重い腰を上げると、その絨毯の柔らかい毛足を踏み締めながらディエゴの前へ立つ。
どこか警戒心を抱いているらしいディエゴは、突然の自分の接近に小さく眉を顰めはしたが、避けるような事はしなかった。


「随分古いケースだったからまさかな。とは思ったが、ディエゴ。お前のか?」
「…………あぁ、それは…知らんな」


鈍い、灰色とも呼べぬほど曇ったそれに、ディエゴは一瞬だけちらりと視線をやるとすぐに興味なさげにそっぽを向いた。
その反応がなんだか腑に落ちなくて、じっとディエゴを見つめ続ける名前に、吐き捨てるように彼は続ける。


「俺の物なはずがないだろう……そんな汚らしい。貧民が持つような物、おおかたお前の屋敷のメイドが落としたのではないのか?」


温度のないその口調に、ある意味確信する。
このプライドだけは馬鹿みたいに高い奴の事だ。
今更認めない。という意志をひしひしと感じる。


「………はぁ。良いから受け取れ。大事な物なんだろう」
「知らんと言ってるだろう!」
「わかった!だったらお前がそのメイドを探してくれ!女は好きだろう!まぁ、こんなピルケース……せいぜいお前の良く知る売春婦の……」
「おい……!」


無理矢理押し付けるように渡して、瞬間後悔した。
二人の間に流れる酷く険悪な空気。
言ってはいけない事を言ってしまった。
これを作り出したのは間違いなく自分だ。


「………悪い。無神経だった」


相手の女癖の悪さを堂々と指摘した事にバツが悪くなって、深く考える前に無感情に謝る。形ばかりの謝罪の言葉で終えようとは流石に思ってはいない。
ディエゴのシャツから見える鎖骨を眺めながら、重い口を開く。


「………正直忘れ物を届けてこいと言われて面倒だからとっとと押し付けて帰ろうと思ってたんだ。別にこんな事言いに来たんじゃない」


あんなに高かった筈の陽が、どうやら雲の中に隠れたらしく、大きな窓から差し込む陽の光はぐっと細く、薄くなる。
薄暗くなった部屋には、案の定時計の針の音だけが響いている。


「……別に古い物を馬鹿にしに来たわけじゃないんだ。多分……落とし主にとっては大事な物なんだろう。これはその……錆びた後もなんども磨いているし…誰かが肌身離さず長い間持っていた宝物だと思うから……」


変わらぬ沈黙の時間に、堪らず後ずさり、背を向ける。
口の中に嫌な味が広がっている。
話すうちに、これが彼の物だ。という確信が湧いてきたからだ。
改めて彼の生まれを思い出し、自分の軽装な発言を恥じた。


「………すまない。最低だった」


羽織ってきた上着を取り、相変わらず動かないディエゴの横を通り過ぎる。


「これは俺の母親の物だった」


突然発せられたその台詞に、思わず応接室の扉に手をかけたまま立ち止まる。


「…………まさか戻ってくるとは思わなかった」


ありがとう。と彼が言ったような気がして、小さく頷くと応接室を出る。
考えたこともなかった男の柔らかな過去に触れた気がして、名前はどんな顔を開いて良いのかわからないまま帰路に着いた。








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