微笑むように落下

ゴール前の血の湧き立つような興奮と、対照的なまでの冷ややかな頭の中は自分の馬の鼻先がゴールを抜けるその瞬間のための計算を忘れない。
ぎゃあぎゃあと掛けた金のために喚き散らす滑稽な人間達の群れも、この勝利の瞬間までの神聖な世界では取るに足らない騒音だ。
息遣いが頭の中に響いている。
馬と自分の、二つの息遣いが勝利を確信し大きく響く。
全てがスローな集中力の限界の世界。
その世界に突如飛び込んできた栗色のその存在は、誰よりも強く響く足音を最後に、あっさりと自分の目の前に泥を飛ばし走り去っていった。








あの日の、あのレースでアッサリと自分を抜かして行ったその騎手は、今ディエゴの目の前で随分と不機嫌そうに本を読んでいた。
深く刻まれた眉間の皺にはあからさまな拒絶の意志が込められていて、いっそここまであからさまだと不愉快とも思わない。
それに自分自身も、脅して良いように使っている人間に言葉通り"親友"なんて白々しい関係を本気で築けるなんて思ってもいなかった。


「………ディエゴ。用がないならわざわざこうして会う必要も無いだろ」
「まぁそう言うな。俺は本気で、お前と友情を築いていきたいと思ってるんだぜ?」


嘘だ。と吐き捨てるように言ったこの女は、女の癖に今日も今日とて簡単なシャツに男物の黒のパンツで紅茶を飲んでいる。
あれから事あるごとに目の前に現れては、こいつの辟易とした顔を見るのを楽しみにしていた。
自分をレースでアッサリと抜かしたこの女が、顔を歪めるたび妙に気分が良い。
名前が先ほどから落ち着きなくイライラとしているのは、きっと自分が突然こうして、名前の家を訪ねて来たからだろう。
流石今までのお貴族様の屋敷とは違い、こいつの家には余計な装飾はないものの素人目にも価値があるのであろう古く良い物がセンス良く飾られている。
ただ、大理石であつらえられた広い客間ではなく、整えられた芝生の広い庭に通されてロースクールの大学生がするように地面に簡単な茶器を並べて木陰に座るこの歓迎の仕方には些か不自然さが残る。


「……何を考えているか当ててやるよ。どうしてこんな外に通されたのか不服なんだろう」
「まぁそんなところだ。お前の両親は随分な人格者だと聞いていたからな。お前の美しい姉達を拝めると期待していた」
「………お前と義兄弟になんて、絶対に嫌だね」


立ち上がってその大きな屋敷の窓を見上げれば、小さくカーテンが揺れている。
そこに女の影でも見えやしないかと冗談交じりで口笛を吹いて見せれば、地面に座ったままの名前が盛大に本を閉じる音が聞こえた


「……頼むから大人しくしててくれ。あれは姉達じゃない。分かってるだろう……両親だ」
「そのようだな。こんな風に隠れて見られていては、俺を売りこめないじゃあないか」
「恐ろしい事を言うな……。両親は心配してるんだ……その、お前が、おんなの僕に会いに来たんではないのか……と」


急に勢いを失ったその言葉に、ぽかんとして名前を見下ろす。
胸を撫で回してやった時には頬一つ染めるどころか、自分が猥褻な事をされるなど考えもせず絞殺される恐怖にのみ慄いていた奴が、どこか恥ずかしそうにもごもごと話している。
どうやらこいつが想像し得る男女間での淫猥なやりとりは、せいぜい逢いびきが限界らしい。


「おい……そんな下らない事で照れるな。子供か、お前は」
「そ……!そうだな、今、俺とお前は男同士まごう事なく親友だ!友人が友人の家を訪ねるのにまずい事は無い………う」
「そうだろう。なので俺はお前の両親を安心させるためにもこうして毎日訪ねて友情を育んでやるよ。まぁ、お前の両親もまさか逢いびきしている男女がこんな事をするとは思いもしないだろうしな」


立ち上がり掛けた名前の右肘の下を掴み、斜め上に思い切り引き上げる。長身を器用に懐に忍び込ませると、右手で上腕を挟んで背負い上げる。
背中から引きつったような声が聞こえ、思わず笑みが零れた。
次の瞬間には、ひらりと背後で宙を舞う名前の気配と、柔らかい芝生へ盛大に体を打ち付ける音と、女らしからぬうめき声が庭に響いた。


「ぐっ……う!?」
「おー…流石だな。ちなみに今のは一本背負いという東の国での武術らしい。一度自分よりも小さい奴にかけてみたかったんだが、上手くいったな」
「お前………本当…馬鹿」
「まぁでも安心しろ。ほら、お前の両親が青い顔で窓から身を乗り出してこっちを覗き込んでいるぞ。これで忍んで会いにきた恋人だとは死んでもおもわれないだろ」
「………はぁ。そもそもお前、本当は女とも思ってないだろ」


芝生の上で仰向けになって伸びている名前は、心底呆れたように息を吐きながらもどこか楽しげに見えた。
初めて表情を緩ませているのは、予想外の攻撃に怯んだせいなのかどうかは知らない。
けれど奇妙な事に、ディエゴはほんのすこしだけ、この女の気の抜けた顔を見て楽しい。と思っていた。









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