空条博士と未知との遭遇

海水に手をつけると、自分の指の股にスゥッと薄いピンクの膜が張る。
水かきのような形をしたその膜が魚ごと水を捕まえると、そのまま空いている水槽にその子を放り込んだ。
どうやら移動中ストレスの溜まった仲間につつかれたようだが、それも1匹にしておけば死ぬことは無いだろう。

慌てて水槽置き場のそばにある流し台の蛇口をひねって水道水で手を洗う
所謂人間ではない自分の手は、海水に沈んだことにより、本来の第一関節にまで到達する水かきに、手の甲にはターコイズブルーの鱗がチラホラと生えている。


(真水で洗ったし、あとは乾けばオーケー!)


バタバタと両手を行儀悪く手を水を切るようにして振る。
半魚人子は人間ではない。
自分達のような存在を人間は幻想的な意味合いを込めて人魚と呼ぶがそれは間違いだ。
人子は半魚人である。
ただ、たまたま海水に全身が浸っても、魚になるのが手のひらと耳、下半身だけというおかげで奇跡的に人魚っぽいフォルムにはなるものの、人子の父親は濡れれば頭だけ魚類な訳だから人魚とは程遠い姿である。
なので、人子達は自分達を半魚人と自称する。
両親は人子の大学進学を期に人間としての戸籍を失踪という形で廃棄して、今は海を埋め立てた大型テーマパークの近くに住んで夢の国からのwifiに乗りながらジップロックにスマホを入れて海の中の写真を撮りまくるダイビング大好き系インスタグラマーと化している。
要は、人間界を隠居したのだ。
すでに高校卒業と同時に隠居した幼馴染のみっちゃんは母親曰く先月子供が生まれる(孵る?)らしい。
そんなこんなで現在自分は一人暮らしをしながら適当な学部で楽しく大学生ライフの真っ最中である。
うっかり海に遊びに行こうウェーイ!みたいな人間達とは友人にならなかったおかげで、残すところあと二年大学生活を楽しんだ暁には失踪という形で人間界からも卒業する所存だ。


バタバタとなかなか乾かない手を振っていた時、不意にがちゃりと背後の扉が開く音がする。
慌ててまだ鱗の残る両手を背後に隠して振り返った。
そこに立っていたのは、白いコートを着た例の空条教授だった。


「君……まだ残っていたのか」
「あっ…すいません。少し疲れたので休ませてもらってました」
「今日はありがとう……名前は…」
「文学部の半魚人子です」
「そうか、人子君。この後院生達と食事に行くんだがどうだね。後のボランティアのこはみんな帰ってしまったし…」
「そんな……大丈夫です。今日は用事があるので」


近くでみればみるほど空条先生は男前で、まぁ今日はこんなイケメンと話せたということをバイト代にしてやってもいいかな。と
教授に背中を見せないあからさまに怪しい格好でドアまでたどり着き、後手にドアを開けようとした瞬間。空条教授の目が先程自分が移したナンヨウハギを捉えて固まっていた。


「………だれがここに」
「あー………すいません。私です」


もう少しで外へ出れた筈だったが、なんだかまずいことをしたあげく逃げる。といったことになるのは避けたい。恐る恐る口を開くと、しばらくナンヨウハギを見つめた空条教授は、急に人子の方に向き直ると、人子の両肩に手を置いた。


「人子君……ありがとう。弱っていたから移してくれたんだろう。……それにしても君は中々魚を見る目がある。お礼を兼ねて今夜本当に招待したいくらいだよ」
「いやー……そんな、本当ね、用事がね、なかったら是非行きたいんですけど」
「それにしても……さっきから手を隠してるようだが……もしかして怪我でもしたのか?」


見せてみなさい。という空条教授からとっさに背を向けずツゥっと水槽の方へ後ずさりして逃げる。
あからさまに怪訝な顔をした教授がさらに距離を詰めようとこちらに踏み込んできたのと、人子の背中が棚にぶつかり、頭上似合った一番小さい水槽のひとつがひっくり返ったのは殆ど同時だった。
反射的に顔を上げてこれから自分に向かってぶちまけられる水槽の水を視界にうつしながら、人子の脳内では活け造りにされる自分の姿が浮かんでいた。










承太郎は、その日朝からツイていなかった。
せっかく集めてきた研究用の魚は予定外の渋滞に捕まったせいで元気がなくなるし、大方前任の教授の緩い募金のようなバイトに味を占めた学生達は自分の集めた水槽の量を見て逃げ出し、残ったのはきゃあきゃあと騒がしい女学生達と数人の男子生徒。
それも一時間も経てば半分になり、結論残ったのは数人の学生のみだった。
作業の時間は大幅に遅れ、正直承太郎ももう帰りたいのだが、そこは新しくやってきた教授として院生達に改めて付き合って親交を深めてやらなければいけない。
道中一番弱っていたナンヨウハギを最後に別の水槽に移してやろうとトシのせいか少し疲れた体で研究所に向かえば、休んでいた喧しくない女学生がその作業がすでに終了していてくれたのだけが今日起きた唯一のいいことであった筈だった。


それがどうしたことだろう。


50センチ規格のプラスチック板の軽い水槽が空になって研究所の床に転がる。
中に入っていた小魚達がビチビチと地面を跳ねる音が耳についた。
貴重なサンプルではあったが、作業中学生に怪我をさせたとなると問題である
とっさに守るように両側に手をついて彼女を覆った筈だが、やはりそれなりに大量の海水は彼女にもぐっしょりとかかってしまっただろう。


「おい君。大丈夫か……」


顔を上げて、彼女の背丈なら頭があっただろう位置を見ても、そこには何もいなかった。
フッと下を見下ろすと、どうやら彼女は驚いて倒れ込んでしまったのか、右側を下にして地面に横になって気絶している。
起こしてやろうと手を伸ばし、承太郎はその手を止めた。

本来であれば耳がある筈のところから、エラのような物が生えている
ギョッとしてそのまま視線を彼女の下半身に滑らせると、そこにはターコイズブルーの濡れた鱗が蛍光灯の光を反射して光っている。
大きな魚の下半身に、投げ出された彼女の腕の先を辿れば、その手の指には薄いピンクの膜が水かきのような形態でくっついている。
目の前で横たわっている生き物を処理しようと脳みそを必死で動かしていると、彼女の瞼がピクピクと何度か動いた。
薄っすらと彼女が目を開けこちらを見ようとした瞬間、承太郎は思わず棚の中に畳まれていた水槽保温用の大きな毛布で彼女を包み担いでいた。

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