半魚人現る


いったいこの世に普通の人間と呼べる人間が
どれだけいるだろうか。
私は私という存在を正当化する時にいつもこう考える。
普通の人間という定義自体があいまいであり、それが賢さであるだとか、理性であると言っても彼らは自分たち並み賢く理性的なチンパンジーが突如現れたとしてそれを人間とは認めず、しかしながら獣の様に残虐で獰猛な内面で人の形をしたものを彼らは人とするのである。
そう考えれば私は人間という定義に十分当てはまると言えるだろう。
人の形をしている時もあれば賢く理性的である。
塀の中にいる人間よりもよりもよほど理性的な人間ではないか。
そうして今日も今日とて私はいたく自然にこの社会に溶け込んで生きている。
執着するもののないこの人の世は実に楽しく無謀で飽きない。
いつ終わりが来るとしても、私はこの社会のことを実に面白かった。満足だ。と締めて底に潜ることだろう。











声楽部の先輩達がキツイが飲み会付きの楽しいバイトがあるというので、今月の残り数日をどうやって過ごすか考えていた人子はよく考えず二つ返事で了承した。
肉体労働系であるという噂であったが、いざ汚れてもいい服装で集合した場所には想像よりも多くの学生が集まっていた。
その中でも圧倒的な女子学生の割合の多さに声楽部の学生にやたらバイトを斡旋してくれる人呼んでバイトリーダー先輩に聞けば、どうやら今年海洋学部にアメリカから赴任してきた教授がかなりの量研究用の魚を捕ってきたらしく今年はその新しい教授のおかげでこんなに多くの学生が集まって来たらしい。


「つまり……魚好きの女子ブームがきてるんですね!」
「ちげーよ馬鹿。イケメンなんだよ。その教授が、それも若い35」
「ひゃー。成る程」
「まぁでも楽なバイトなのは間違いない。去年定年退職した教授はいつもせいぜい水槽6個くらいの魚を運んで結構な額が出る。しかもその後飯も食わせてくれるから」


いやーボロいボロい。
そう笑っていた先輩がトンズラするのは凄い大きさのトラックが校内に乗り付けてすぐだった。
流石バイトリーダー先輩。ヤバい匂いを嗅ぎ分けることに関しては猟犬すら凌駕している判断の速さだった。
トラックの中、人子達の眼前には大量の海水と魚が入った水槽。
それから例のイケメン教授がトラックの助手席から降りてくると、戸惑いの表情を隠せない学生達の群れに向かってメガホンでありがたい一言。


「今日はみんなありがとう。こんなにたくさんのボランティアの学生が集まるとは思わなかったので正直驚いている。君たちにはここにある水槽を今年新しくできた建物……海洋生物研究センターに運んでもらう。中には貴重な種もいるのでそれは私が運ぶが……みんなも自分の家族だと思って大事に魚を運んで欲しい。以上だ」



結論から言おう。
確かに教授はイケメンだった。
生まれてこのかた液晶以外でこんなにイケメンを目撃したのは初めてである。
しかしながらまず新任教授の"ボランティア"のひとことで男子学生の大半は一度水槽を運んでからトラックに戻ることなく消失し、イケメン教授に近づこうとしたキラキラ女子学生達も頑張ったものの男子のほとんどが抜けた現実からくる肉体労働負担のデカさに1人、2人と消えていき、結局自分を含める数人の心の美しい………言うなればバッくれという悪行を行う勇気のない小心者の学生数人で延々と遠くの建物からトラックまでの往復を繰り返す羽目になった。
バイトリーダー先輩の判断の速さに尊敬の念すら抱きながら、指定された研究所の水槽スペースに重いソレを順番に置いていく。
自分が最後のひとつを運び込んだのだが、トラック前にいたその他の学生達はあまりのハードさにその場で解散。故に自分だけが人のいない新築の研究所の一室で座り込んでいた。
空条教授の研究室の学生達は、魚のいる水槽に次々と機械を取り付けていき、やがてその部屋には水槽へ酸素を送るゴボゴボという泡の音が一斉に響き渡る。


「あー…君大丈夫?」
「すいません……足が立たないのでもうちょっと休んでいっていいですか?」


所狭しと並べられた水槽に囲まれて、床に座り込んだ自分に、白衣をきた院生らしき人が、教授が締めるのでそれまで適当に休んでて、と声をかけて出て行く。
やがて誰の気配もなくなった一室。強固な作りの棚に乗せられた壁一面のたくさんの水槽を見ていると、なんだか海の底にいるような気分になってきた。
足や腕の筋肉をほぐしながら、様々な種類の魚が泳ぐ水槽を眺めていた。
ふと、一番右下の段の魚のうち、1匹がやけにふらふらと泳いでいる。
青色に黄色い尻尾のそれは某ディズニーアニメに出てくる忘れっぽい魚……ナンヨウハギだ。
さらに視線を動かせば、ひとつだけ、機械が取り付けられているものの何も入っていない水槽がある。
顔を近づけてみればそれも海水のようだ。


(うーん……さでどうするかな)


教授は一度本校舎の自分の部屋に寄るといっていた。まだ時間はあるだろう。
そう思って人子は恐る恐る水槽の中に手を入れた。





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