マフエルの星



以前。空条先生とは珍しく別で引き受けた財団の長期任務に、スタンド能力者の少女の護衛任務があった。
場所は中東で、少女は健康的な褐色の肌に、黒髪の素朴で美しい子だった。
ヒーリング系の能力者は希少で、彼女を保護するにあたり何度も秘密裏に彼女と会い警戒心を解いていく。
内戦中であるその国は宗教的にも、閉鎖的で危険な街だ。
何度も顔をあわせるたびにその子は何より名前の身を案じてくれた。
顔を隠すにしてもあまりに新しいスカーフを巻いてくるのは危険だとか、かといって男に似た格好の服を着てくるのはトラブルに巻き込まれるだとか、自分の方がそんな危険な街で長く暮らしているくせに、その子が開口一番に口に出すのはいつも自分を心配する言葉だった。
何カ月もの間、名前は彼女と毎日の様に会った。
彼女に危険が及ばない様に細心の注意を払いながら話す日々の中で、幼い彼女は実に様々な話をしてくれる様になった。
夜に窓からこっそりと見る星が美しいこと。
年寄りヤギの温かい腹に頬を寄せるのが好きなこと。
生まれたばかりの兄弟のことと、戻ってこない父親のこと。
それから、自分がここじゃない場所で生きていたらやりたかったこと……
たくさん勉強をしてスタンド能力だけでなく、自分自身の能力も使って人を助けられる様になりたいこと。
兄弟を学校に行かせたいこと。
それからなにより…………自分の母親の様に、優しくて素敵なお母さんになること。
名前はまだ結婚していないの?とからかいがちに聞いてくるその子と余計なお世話ですと言い返す一連の会話が懐かしい。
彼女の母親と兄弟を受け入れる手筈と、彼女達を安全に国外へ連れ出せる手筈が整ったその前日。
彼女はアッサリと死んでしまった。
隣の家の赤ん坊の火傷を能力で消してしまった彼女は、恐ろしい男達に連れて行かれてしまった。
どこにぶつければいいのかわからない憤りが、彼女の母親の叫ぶ様な慟哭には確かに込められていた。
あの子を護ることが自分の任務の筈だった。
自分のスタンドにはそれしかできなかった筈だ。どうして、どうして最後の最後ので私は………。
あの子の母親は名前の顔を見て言った。
"あの子は貴女みたいになりたいと言っていました。男に頼らなくとも素晴らしい仕事をしていて、困っている人を助けてくれるかっこいい大人の女性に"
今でもかいかぶりすぎだ。と思う
彼女だった炭を埋めながら、名前は頭の中で繰り返すことをやめられなかった。
彼女が好きだと言ったもの。彼女がやりたかったこと。そうして何より彼女がなりたかったもの。
あの茶色い瞳の輝きが忘れられない。防御において私は万能であった筈だった。

『わたしはそうね、ここじゃないところで生きているなら、うんとカッコイイ人と恋をして、たくさん子供を産むわ。そのとき迄に名前に子供がいなければ一番元気で優しい子を1人分けてあげる。そのくらいたくさん産むの。とっても賑やかよ、そうね……名前が遊びに来たらいつでも赤ちゃんが抱けるくらいにね』

ザクザクと手で掘った冷たい土の穴に大した深さはない。
それでも小さく欠片になった彼女は簡単にすっぽり埋まってしまうのだった。
その夜の星はとても美しかった。
あの子は星に自分で作ったたくさんの名前をつけていた。
彼女の家の年寄り山羊の鳴き声がする。
そういえば山羊って庭付きの家なら飼えるのかなぁなんて、アメリカに帰ってからはしばらくそればかり考えていた。













「名前、どうした?顔色が悪い」
「あ……いえ、ちょっとうたた寝してた筈だったんですけど……」


最近すっかりお腹が重くなってきて、買い物に出てから少し休もうと目を瞑っていた筈が、いつのまにか昔の夢を見るまでによく眠っていたらしい。
あの仲直りからひと月程経って、気まずい空気は無くなったものの、なんだか名前は素直に先生の顔を見ることができなかった。
今更になって彼と話すことに羞恥心が湧いてきたのはどうしてだろう。
ホテルのソファーで横になっていた自分の顔色を見て、ベットで休んだらどうだ。と声をかけてくる空条先生からは磯の香りがする。
また海に出ていたんだろうか。
自分がこうなってから、いつの間にか別行動…というか自分はホテルで書類整理が増えた。
そう考えるとチリチリと急に湧いてきた焦燥感に、気づけば口が勝手に動いていた。


「先生、出かけるのなら一声かけてください。遠方でも私のスタンドならダメージ軽減くらいのシールドをつけることはできますし、私の体調を理由に仕事ができないのはやっぱり嫌です」


声に出してみると、子供が怒っているかの様な語気だ。
先生が荷物を置く音だけが静かな部屋に響いている。
しまった。大人気なかった。完全に気分で言ってしまった。でも、だって……


「なんだ。何か怖いのか?」


ぽすりと頭に暖かい温もりが伝わる。
空条先生が自分の頭に手をのせているのだと顔を上げた時には、先生は自分の隣に腰を下ろそうとしていて、彼とバチリと目があったことが急に恥ずかしくなる。
まずい口のきき方をしてしまったと焦っている自分に対して、彼の目は相変わらず落ち着いていた。


「怖い……ですか?」
「ああ。なんだか怯えているみたいに見えた。顔も白いし手も冷たいぞ」
「あぁ……これは」
「ほら、手をかせ。妊婦は体を冷やしちゃいけねぇんだろ?」


先生の熱い両手が自分の両手をすっぽり包み込む。
強く手を握られると、先生の脈拍と自分の脈拍が混じり合って、どちらのものともわからないどくどくという生命の振動が名前の皮膚を震わせた。
その感触に不思議と力が抜けていく。


「山羊……」


余程安心してしまっていたのだろうか。
気づけば口が勝手に言葉を発していた。


「……山羊?山羊がどうした?」
「山羊って一頭どれくらいするんですかね」
「……そうだな。どうだろうな、700ドルもあればいけるんじゃないか」
「700ドル……か」
「なんだ。山羊を飼うのか?」
「この子が生まれたら仔山羊を飼うんです。この子は山羊が好きなんじゃないかなって、急にそんな気がして」


フッと。耳の近くで小さな笑い声が聞こえた。
いつの間にかすっかり体の力を抜いてしまっていたらしい自分は、先生の肩に頭をのせてしまっていた。
先生の手がうなじを撫ぜて、後頭部に添えられる。その動きからは、以前の様な荒々しさは欠片も感じなかった。


「凄いな母親は。もうコイツが何が好きかわかるのか?」
「わかりますよ。どんな子かも多分わかります……一番元気で優しい子です。多分」
「……そうか。なぁ俺なら山羊が飼える庭付きの家が用意できるがどうだ。名前の家はアパートだっただろう」
「…………私今まで先生に自宅の話しましたっけ?」
「気にするな」


触ってもいいか。
と恐る恐る聞いてくる先生の掌を握って、自分のお腹の上に誘導してやる。
薄い布地越しに触れる膨らみを彼の掌はぎこちなく撫ぜた。


「凄いな。この中に人が入ってるんだもんな」
「先生だって29年ほど前は中に入ってたんですから、女からしたら全然不思議じゃないですよ」
「そんなことないだろう。知ってるか。タツノオトシゴはオスが出産するんだぞ」


急に出てきた魚の話題に先生らしいと思わず吹き出す。
ケラケラと笑いだした自分の横顔を覗き込んでくる先生の方をみると、先生も優しく笑っている。


「なぁ名前、俺は君といれると幸せなんだが、それでもやっぱり、俺とずっと一緒にはいてくれないのか?」
「………先生」


正直に言えば、最近このお腹の中にいるのが空条先生の半分なのだと思うと今までも愛おしかった子供に、さらに強い愛情を感じる。
この子の将来を想像して自分になんて似なくていいから、先生に似ていればいいのに。なんて思ってしまう。
返事をしたい。けれど彼は私の妊娠迄に使った手段を知って、どう思うのだろうか。
それを考えると先生と一緒にいたくないと思ってしまう。
自分でも気づいている。自分自身の心境の変化くらい。


「先生、私今日和食がいいです。タツノオトシゴって食べれるんですか?」
「………漢方薬にそういうのはあるな」


先生の魚蘊蓄も随分長い間聞いてきたな。
素直に返事ができない人間でごめんなさい。
つないだままだった右手の小指を離す瞬間こっそり先生の指に絡めてから離した。

(タツノオトシゴの求愛は尾を絡ませるんだ。って大昔に大学生だった頃の先生が言ったんですよ)

近所に漢方薬局があるかコンシェルジュに電話で聴き始めた先生の横顔を見ながら、名前は心の中でこっそりとつぶやいた。

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