茶色い訪問者 あ、犬……。迷い込んできたのかな。茶色だから……柴犬かな? 茶色い訪問者 いつものように上半身を机に伏せて、窓の外を眺める。先生の授業は相変わらずつまらなくて、少しうとうとしていた。 昨日一日ずっと視線が痛かったけど、一番後ろの席だということを考えればあれでも少なかったのかもしれない。今日になればもう慣れていて、気にせずにいられた。 隣のサスケくんは今もちゃんと真面目に授業を聞いていて、女の子たちが危惧していたような事態にはなっていない。(授業中にまでイチャつくほど、サスケくんは浮かれたりしない) 私は校庭をトコトコ不安そうに歩き回る犬を、じっと観察していた。犬は時々鳥を食べてしまうから、あまり好きじゃない。でも実際は可愛いので、結構好きだったりする。理性的な嫌いと、直感的な好きが入り交じった微妙な好み具合だ。 「……」 校舎に近付いてきたから見えなくなった。知らず知らず体を起こして、夢中で犬を追っていた。それに気付いたサスケくんは、少し考えた後に私に尋ねた。もちろん小声で。 「どうした?」 「あの……犬がね、居るの」 「……犬?」 私の位置で起きなきゃ見えないんだから、隣のサスケくんには当然見えない。 犬は何かに驚いたようにしてまた校庭の真ん中に走り出て、反対側の端まで一気に行ってしまった。すると犬の後ろから生徒が2、3人走って付いて行って犬を追い詰めた。 何をしてるのかとじっと見ていると、先生に注意された。 「こら、桜庭! 授業に集中しなさい!」 「! ぅ、すみません……」 大きな声にびっくりして、首を少し縮めた。サスケくんは隣で小さく苦笑しているし、教室のそこいらからクスクスと嘲笑う声もした。恨めしく思いながら先生をじとりと見やり、黒板の板書写しを機械的にやり始めた。 お昼休みになって、お弁当一式を持って立ち上がる。懲りずにサスケくんを誘う女の子たちの群れを掻い潜り、教室の扉まで辿り着いた。ぷぅっと息継ぎをして、それから外へと歩き始める。 サスケくんのことは待っていてもキリが無いどころか逆効果なので、先に屋上まで行ってしまおうと思う。 「……そういえばあの犬、どうなったんだろ」 ふと思い出して、ふらっと校庭の方へ足を向けた。この瞬間すでに昼食のことは頭に無かった。 「あ、居た」 校庭の隅にある木陰の中で、寝そべっている。時折暑そうに舌を出して呼吸しながら、そこから動こうとはしない。その様子が少し可哀想で、どうにかしてあげたいなあと思う。 ポケットに入っていたハンカチを探り当て、近くに在った水道でそれを濡らした。軽く絞った後、ゆっくりと犬へと近付く。足音も気配も消すが、やはりにおいまでは何か特殊な処理をしないと消せないから、犬はこちらに気付いた。上半身をもたげて、じっと警戒したように見詰めてくる。 「……大丈夫だよ。嫌なことなんてしないから」 「……」 湿ったハンカチをなるべく乾かないように手の中に包んで持つ。近付くにつれて、異変に気が付く。あれ、犬なのに黒い眉毛が有る……。 「落書きされたの?」 「……」 あと2メートル。犬がこちらを睨む強さも増している。何とかして警戒を解けないだろうか。そこで思い付く、そうだ餌付けだ。 包みの中から弁当箱を取り出して、蓋を開ける。すると犬は美味しそうな匂いに鼻をひくひくと動かす。首を前に伸ばして、もっとよく嗅ごうと必死だ。 その様子にクスッと笑って、犬にも食べられそうなおかずを一つ、少し離れた所に置いた。するとこちらの目をじっと見て、食べても良いのかと窺っている。 「良いよ。どうぞ」 そっとおかずから離れて、手で示す。 犬は起き上がり、そろそろとおかずに近付く。時々上目でこちらを窺いながら、また匂いを嗅ぐ。にこにこしながら見ていると、恐る恐る舌でちょこっと触れた。それで大丈夫な物だと理解し、美味しかったのか、何度か舐めた後にぱくっと一口で食べた。 「美味しい?」 「くぅん」 「まだ欲しいの?」 尻尾が小さく左右に動いているのを見て、嬉しくなった。また一つおかずをあげていると、名前を呼ばれた。 「碧」 「あ、サスケくん」 ちょっとだけ息を切らせていて、どうやらまた捜し回らせてしまったらしい。つい最近あんな事があった後だから心配なのだろう。 悪いことをしてしまった、と反省しながら、小さく謝った。 「……ったく……。で、その犬、今朝言ってたやつか?」 「うん。今餌付けしてるの」 「……野良だろ。懐かれると面倒だぞ」 「でも……眉毛、拭いてあげたくて」 「……太いな」 「……うん」 サスケくんが立ったまま見下ろすのを、犬が見上げる。 そろそろ大丈夫かな、と思いながら、ゆっくりと犬に手を伸ばす。それに気付いた犬は、下の方から遠慮がちに近付く指の先を、くんくんと嗅いだ。ちらっとこちらに目だけを動かして視線をやり、そのまま指のさきっぽをペロッと一回舐めた。 「わ……」 その温かくも湿った感覚に、思わず声をもらした。警戒を解いてくれたんだ。 わっと嬉しくなって、サスケくんを振り仰いで声にならない歓喜を身振りで示してみた。するとサスケくんはプッと吹き出しながら横を向いて、口元を隠しながら尚も笑っている。 「う、な、なんでわらう……」 「だってお前、くくく……っ」 サスケくんの年相応の笑い顔はレアなのだけど、それよりも恥ずかしくて慌てた。はしゃぎ過ぎているみたいだから一旦落ち着こう、じゃないとまた笑われちゃう。 「とっ、とりあえず、眉毛を拭いてあげなきゃ」 気を取り直して、ずっと持っていた濡れハンカチをそっと犬の顔に近付ける。少し驚いて退がったけど、危ないことをするのではないと分かれば大人しくなる。 黒いペンで太く描かれた眉毛は、擦ればそれだけ取れた。どうやら水性だったみたいだ。ちょっと嫌がる犬にめげず、根気よく拭いてあげると、本来の毛の色が戻ってくる。ふわふわの茶色い毛だ。 「取れた!」 「……お前の手が真っ黒だぞ」 「あ、ホントだ。でもいいの」 いつの間にかすっかり笑い終えたサスケくんを見ていると、犬が少し近寄ってきた。私の手のにおいを嗅いでいて、時々鼻先がちょんちょんと触れる。そしてその汚れた手を、ペロペロと舐め始めた。 「わ、だ、ダメだよ、身体に悪いからっ」 手を遠ざければ犬は諦めて、大人しくその場に座り込んだ。 早く手を洗わなくちゃ。膝の上のお弁当箱を包み直して立ち上がり、サスケくんの方を見て言う。 「ごめんね、待たせちゃって」 「いや。面白いもんも見れたしな」 「、……忘れてね」 照れて少し俯きながら、水道の方へと歩き出す。 途中ちらっと犬の方を見ると、こちらをじっと見ながらもそこから動かなかった。 午後の授業はほとんどずっと眠っていた。午前中に夢中になってずっと犬を観察していた所為だ。 放課後になると「一人にすると心配だ」とか言って、サスケくんの修業に付き合うことになった。 「俺に向かって忍具を投げろ」 「……うーん……」 「大丈夫だ。全部避ける。それより跳ね返した手裏剣なんかに気を付けろよ」 「……うん。分かった」 集中を阻害するのは、周りからの視線。サスケくんはいつもこんな環境で修業しているんだなと思うと、普段の集中力の高さも頷ける。 周りを気にしないように一度目を閉じて、息を吐きながら、目の前のサスケくんにだけ意識を集める。それが済むとゆっくりと目を開け、サスケくんを見据えた。サスケくんは少しだけ驚いたような顔をしたけれど、すぐに愉しそうに笑んだ。 両手を後ろへ回し、ポーチの中へ忍ばせる。 「……じゃあ、いきます」 「ああ」 了解が出るとすぐさまポーチから手を抜き、両手の指に挟んだ手裏剣を6枚サスケくんに向かってぶん投げた。真っ直ぐ飛んで行ったそれを、サスケくんは最低限弾き飛ばし、他の手裏剣とぶつけあって相殺した。 怯まずクナイを2本連続で投げ、跳び上がって上からも手裏剣を飛ばす。クナイは返せないと見てか横飛びで避け、手裏剣は返すには見切れなかったのかバック転で避けた。 ちゃんと本気でやっているらしい私を見て、サスケくんは愉しそうな笑みを濃くした。 そんな感じで私の忍具がポーチから無くなるまで続け、休憩をする。 持ってきたお茶を飲み、掻いた汗をタオルで拭く。サスケくんも同様にして、私の近くの木陰に腰を下ろした。 「なかなかだな」 「それほどでも……」 「こんな細い腕してんのに……。チャクラ使ってたろ?」 「うん。手、抜いちゃダメかなって思って」 サスケくんは私の腕を見て、そのまま顔へと視線を滑らせた。道理で重かった、と手裏剣を弾いた時のことだろう、サスケくんは自分の手を見ながら言った。 私は少し照れながら、もう一口お茶を飲んだ。 「良い修業になった。ありがとな」 「え、ううん、そんな、お礼なんていいよ」 まさかお礼まで言われるとは思わなかったから、とても照れた。照れ笑いしながら頬を掻く。 サスケくんは私をじっと見て、私の片手を取った。 「ぁ、」 「……」 手を繋いで、サスケくんは目を閉じた。 優しい雰囲気の中、そよそよと風が流れる。 照れて恥ずかしく思いながらも、それよりずっと、嬉しい。 サスケくんの真似をして目を閉じると、繋がっている手に意識が行き、そればかりを感じることに気付く。サスケくんも同じ状態なんだと思ったら、また照れた。 周りからの視線なんて、あることすらすっかり忘れていた。 今はとにかく、「私の世界の中心」を感じることに必死で。 『恋は盲目』って、こういうことだろうか。 だから気付けなかったのかもしれない。遠くで騒然としていたことに。 (20080411) [←] [→] [絵文字で感想を伝える!(匿名メッセージも可)] [感想を届ける!] |